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ストロベリームーン

StrawberryMoon001.jpg

ストロベリームーンをわたしだけ、観る。
もう天体望遠鏡は処分してしまったので(残。
二階のベランダから双眼鏡で観ただけ。
一眼レフも今は無い為、敢えて写真は撮らない。

確かに赤い月だ。
暫く見呆ける、、、。

呼んでも一向に、遊び(ゼルダの伝説の任天堂スウィッチ)に夢中の娘たちは上がってこない。
ちなみに、ゼルダの伝説は、攻略本も熱心に見ながら、恐ろしい熱中ぶりだ。
(一日30分と取り決めしたが、恐らく胡麻化されている)。
諦めて、わたしは他のことをやっていると、かなり経って娘たちがやってきた。

だが、もうその時は雲に遮られていた。
全く月は見えない、、、。
あれは、ほんの一瞬のチャンスだったのか?
やはりチャンスは待ってはくれないのだ。
観るべき時に観るのだ!
あの時、願い事でもしておけばよかったか。
しかし、観るだけで良いことがあるそうな~。

月の高度が低いことで、月は赤みを帯びる。
その赤みは、、、神秘性を確かに纏う。
甘酸っぱく、美味しそうでも、あった。
やはり、”ストロベリームーン”だ。


これを観ると、幸せになるそうだ。恋の期も熟すらしい、、、。
いいねえ。
我が家では、このわたしだけが、その恩寵に預かることとなった。

いい気味~。

StrawberryMoon002.jpg



夜の公園

yozora.jpg

長女と一緒に夜の公園を散策した。
かなり暗いのだ。
木漏れ日の路も薄っすらと仄かに光る夜空のお陰で辛うじて歩ける。
でも、いつも以上のペースで歩く。
何故って、夜だからだ。

メタセコイヤの路は、白い花の明かりを頼って進む。
そこかしこで、幾種類もの花弁が浮き立ち、昼間では見えない地図を描いている。
娘もわたしも、夜になると花弁がこんなに明るいことを知った。
花たちはこんな時に自ら光を零し、活き活きしているのだ。

ただ雲も怪しく艶やかな彩雲ではなく、濃い灰色のどんよりと重々しい。
何かが起きるという、清々しい胸騒ぎはなかった。


暫く歩くと、高台の方から賑やかで快活な声が零れてくるのに気づく。
顔を見合わせ、誰かいるの?
高校生くらいの声だね、、、。

そのまま進んでゆくと、人だかりの影が見える。
まさに高校生たちが3つのグループに分かれて、燥いでいた、
それぞれで輪を作り創作ダンスの打ち合わせと、練習をしているようだった。
確かに、ここは公園の中で最も高い場所で、照明も多く明かりも充分な場所だ。
こんな場所で、集まって踊るなんて、昼間では味わえない快感だろう。

ただ横切って行くだけでも、長女は楽しそうにしていた。
時折、全員で揃って踊る。
そのシンクロする姿は夜空に向けて生命力を誇示する花のようだった。
ひとは昔から、夜によく踊るものだ。
夜皆で踊るって、かなり根深いプログラムなんだ。


長女はここのところ、学校が嫌だと言って行きたがらない。
その分、わたしとの夜のお散歩が増えている、、、
どうしたものだろう。


曇天で、月が見えない、、、。

満月

moon.jpg

何かで観たが、、、読んだのか、、、忘れたが、満月の日に願い事はしない方が良いらしい。
願い事は新月の際にすると良く、満月の時はもう終わりにしたいこと、手放したいことを解放すれば良いらしい。
具体的には、それらの項目を紙に書き、破り捨てる。
これ、とっても感覚的にもしっくり来る。
思い出したのでやってみた。
みんなわたしの場合、人である。
さよなら~。

そして次のステージへ、、、。
この物謂、、、スピリチュアル系だ。
そうだその手の本で見たのだ、、、。
最近全く読んでいなかったから忘れていた。

捨てるものは、モノばかりでなく、関係も捨てなければならない!
大いに捨てたい。
何故か、スッキリした(爆。

そして何でもカラにして置くと良い気が入り込んでくる。
それは、とても分かる気がするものだ。
ずっと、何やら昔の物が詰め込まれたままの鞄など、何か悪霊が棲み込んでいるような気がしてくることがある。
財布とか鞄を一晩カラで寝かせておくのが良いとあったはず。
手元に本がないので、あと何が書いてあったか定かではないが、これはやってみて良いと思われる。

では、新月の時は、、、ついでに。
願い事に適しているのと、この日から何か新しい事を始めるのが良いらしい。


夜空を見上げ月の満ち欠けを確かめる行為は、、、
要するに、始めたり終えたり(解放したり)の「サイクル」を実感する契機だと思われる。
この「サイクル」の感覚こそが身体の健康にとって、肝心なのだ。

貯めたり、溜まってしまったり、空っぽにしたり、解放したり、、、。



夜風

moon04.jpg

何も手につかず、ボウっとするばかり、、、という時は夜風に当たりたい。

今日は、娘たちはバーバと一日中、お出かけであった。
その為か、ずっと開店休業状態で、思考も停止していた。
こんなときに、村上春樹を読むと目覚めるはずなのだが、、、。
もう少し冴えた時に読みたい。


今朝、亀の水替えをした後、すぐに書庫の前に作った小さな畑を耕してみた。
(元々、娘たち用に、、、情操教育ではないが(笑、何か植えて育てさせたくて場所を設けたものだ)。
ただ、体を動かしてみたい、というだけの欲求からやったことに過ぎないのだが、畝(うね)が出来てみるとと、畑という気がしてくる(爆。
何か植えてもみたい。野菜を、、。
その奥には、昨日行った空き地(今日アップした「緑の幻想 ~ サワガニ」は昨日書いたものである)に綺麗な紫の花を咲かせていた杜若が湿地でもないのにそこそこ群生している(笑。でもウチでは花を咲かせないのだ。湿地でないからだろうか、、、。


から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
たびをしぞ思ふ

(在原業平)
杜若はよい。
花よ咲け、、、。
明日から水を多めに蒔いてみようか、、、。


その手前の作ったばかりの畝を夜になって見たくなった。
兎も角、ぼんやりして何かする気になれないのだ。
夜風に当たれば、吹っ切れる。
そんな気がしてくるのだ、、、。

何かする気になれないのは、足りないのではなく、過剰だからだ。
いらないものが詰まり過ぎていて、すっきりしない、という恐るべき単純な原理による。
そういうことにしておく(爆!

ヒトは中空構造である。
中を風が吹かないと調子が悪くなる。
きっとそうだ。

外に出よう。
夜気の中に。
月の元へ、、、。




緑の幻想 ~ サワガニ

sawagani.jpg

娘たちとよく行く近くのスポーツ公園に車でふらっと行った。
この連休は、わざと何も計画は入れていない。
その日の気分で何かやることにしている。
今日は和みたいのだ、、、亀と暫く庭で遊んでから次女のリクエストで決めた。

やはり丈高い緑に囲まれると、光と風が違う。
しかし矢庭に、女の子たちの応援の声がひしめき、熱気が押し寄せてくる。
どうやらいつもの4,5倍の人は集まっている雰囲気で、スポーツ大会が盛大に3つも行われているではないか。
水泳大会。テニス大会(県中学校大会)。野球、、、と。
関係者、出場者の家族親戚、友人なども、、、集まっているはず。

普段はまずない光景である。
この5月連休を当て込んだ大会・行事であろう。
行事といえば、恒例の運動会が5月にある。いつも春先、初夏までは忙しない。
次女はここ2週間毎日朝練と称して走りはじめており、わたしは並走役である。6時起き、、、。
前回2位であったため、今回は狙っているという。
相手次第だとは思うが、、、。
運動会が終われば次がちょっと大変である。
7月にふたりのピアノ発表会、同じく7月に長女の国際交流絵画展入賞の授賞式がある。

ピアノは、ちょっとテコ入れが必要な時期になっている。
何とか刺激してやる気を出させたいところだ。
中弛みを感じるようになった。少しずつ難しくなっていることもあり、練習に入るまでが億劫のようだ。

絵画展の方は2万5千人規模の微妙な公募であり、式は日本の他アメリカ、カナダやベトナムなど外国の子たち5人くらいと一緒にやるらしい。
同伴する親は一名であるため、わたしは当日は行かないで次女とデニーズに行くことになっている(爆。
その後、全国14会場を回って展示されるので、その時に他の作品も含め観てみたい。
長女は「亀と自分」を水彩絵具とクレヨンではみ出すような構図で描いていた。
作品が戻らないのが、ちょっと残念だがそういうものだ。
(ちなみに次女はとても精確で説明的な「亀」の絵を描いており、面白みは当然なかったはずである(笑)。
双子だがタイプは正反対であり、日常生活においては足して二で割るとちょうど良いと感じることは少なくない。

暫く彼女らの得意業の土手登りをして遊んでから、少し離れたスーパーでオムライスなどを食べる。
近くに店はコンビニと31アイスくらいしかなく、レストランはちょっと先で行くのも億劫。
開店休業中に見えるおにぎり屋とラーメン屋があった。何故か異様に凝った建物の和菓子屋があったが今は用はない。
始めて来たスーパーでお昼にした。
必ずスーパーには電子レンジで温めた冷凍食品が食べられるコーナーがある。公園遊びのときは、これにはまりつつある。

そして今日はそのまま帰らず、車の激しい公園沿いの坂道にある細い脇道の探検に行くことにした。
以前、娘が生まれる前に夫婦で探検に行った場所なのだ(笑。
(そう話すとふたりともかなり興味を示した)。
今もまだあるか宅地にされマンションでも建っているか心配でもあったが、行ってみるとそこは地域の歴史的な価値もあり保存されている場所で、何も変わっていない様子であった。
道祖神もあり鏡の池(干上がっていた)とか川、三つの古くからの伝承にちなんだ場所や碑が残されているところなのだ。
花火の見物台もあるが、鬱蒼と生えた草に取り巻かれ眺望は恐らくよくない。
兎も角、ここは何があっても開発はされない場所だと確認した。
住宅街の車の交通の激しい地域のほんのその脇に、とんでもなく質の異なる(緑の)森の空間が存在する。
彼女らにとって、まさしくドラえもん的異世界への旅空間の入口となった、、、。

まず、非常に眩しく晴れた日なのにそこは緑で薄暗い。
入口からすると思いのほか広く開けた、奥行のある空間が広がっている。
そして下の土が異様に綺麗なのだ。木製のステップにしろ汚れが見当たらない。
放っておけば、空き地には草が生えてくる為、誰かによって密かに管理されていることが想像された。
緑の深く静か過ぎる光が、少しばかり異物の潜む不安感を醸す。
ワーッと走り回って遊ぶような感覚は生じてこない。
連休でどこも人がひしめいているのに、われわれの他はひとっこひとりいないのも気味が悪い。

彼女らはすぐに気づいていたが、広い空間の何処かに絶えず水の流れてゆく音がする。
キョロキョロと川をあたりに探すが見つからない。
鳥の鳴き声も絶えないが、そう言えば鳥も何処にいるのか分からない。
階段で降ってゆく脇道もあり、奥に進めば、隣の街というより異界に通じる結界がその先に控えている、、、。
そんな場所である。

まず、奥に進むことにした。階段はもう疲れていてしんどいからだ。
向かう先は緑の光で煙っているように見えた。
何かあるという予感通り、元湿地帯を想わせる場所に掛かった木の橋を抜け、晴れ渡る表に出たら、そこは道祖神の並ぶとても古い空気の充満した町であった。

もう10年も前のことだが、この風景を思い出した。
そこの碑に伝承で有名な姫の名と、3つの土地の境目である道しるべが立っている。
如何にも堺という磁場を感じる場所なのだ。
そして道脇には、防空壕?のような横穴が二つポッカリと空いていた。
ここまでの道すがら、心地よいとか和むというより、どこか感覚が泡立つ禍々しい感じが終始付き纏っていたのだが、、、。
この穴に象徴される何処かに何かこの世ならざるモノが潜んでいるような感触なのだ。
(木の根元にも大きな穴があり、地面にも多きなもぐらが出入り出来そうな穴がポッカリ空いていた)。

整備されていながらも、そこから 零れ出す名状しがたい何かを感じてしまうのだった。
長女が疲れたを連発し始めたが、昔サワガニもいた池と川を見せたくて、また戻って木の階段を降って行った。
川は一般的な住宅の並ぶ裏側を流れている何ということもない川で、昔わたしの同級生がもっと沖だがその川の氾濫でバイクごと流されたこともある。この川が氾濫するとは、感慨深い。
丈夫で無遅刻無欠席の彼が、一日無断で休んだあくる日、豪雨でバイクごと流されて学校に来れなかったとみんなに打ち明けた。
ちょっと間をおいて、教室は大爆笑となったものだ。わたしも涙が出るほど腹を抱えて笑いこけたことは、今でも覚えている。

生憎、以前ちびまるこちゃんに出てくる山田みたいな少年が瓶に入れたサワガニを見せてくれた鏡の池はほぼ、干上がっていた。
そういう時期なのだろう。鮠もいなかった。(一番深いところで4センチくらいの水で、20センチ四方しか水が張っていない(笑)。
ふたりはそれにはガックリしていた。
その為にスーパーで買った水の空ボトルを持ってきていたのだった。
おうちで鮠飼っていいよねと何度も念を押していたのだが。

川にも何もいないことを確認すると、確かによく遊んで歩いたこともあるが、疲れたを繰り返しながら車にやっとたどり着いた。


わたしにとっては、一度行っておきたかった場所でもあったため、子供と来れたことは、良かった。
明日は出来たら美術館にでも連れて行きたい。


カッシーニ グランドフィナーレ

Cassini Grand Finale001

NASA(アメリカ航空宇宙局)とESA(欧州宇宙機関)の共同開発によって1997年に打上げられた土星探査機カッシーニ
当時、34億米ドルを使って送り出された。(これ以降、かけられる費用はどんどん減ってゆく)。
太陽電池ではなく原子力電池で運航、作動。(太陽光が僅かなため)。
ついに燃料もなくなり、いよいよ最期のミッションに入る。
時折、気になりNASAのHPを覗いていたものだが、、、。
まりのるうにいの絵でもお馴染みの土星である。
稲垣足穂の短編ではヒトでもある。
(輪っかをバーの入口に置いておいたら誰かに盗まれたとか、、、)。
ここでは、その土星専門機カッシーニ(パイオニアやボイジャーは通りすがりの探査)の噺を少しばかり、、、。

Cassini001.png
金星→金星→地球→木星の順に重力フライバイして土星に到達。
これが使える条件(並び)が600年に一度のチャンスであったという。
その後、搭載していた惑星探査機ホイヘンス・プローブをタイタンに着陸させ大気の組成・風速・気温・気圧の観測を行った。
カッシーニ=ホイヘンスのやったこと、、、。

○ホイヘンスプローブのタイタンへの着陸。
衛星エンケラドゥスの氷の噴煙の吹き上げを観測。
○土星のリングが30以上あり、自転速度もそれぞれ異なる活発で動的なものであることを発見。
○今もリングのなかから衛星が形成されている。現在62個の衛星が発見されている。
○タイタンが地球の他に唯一降雨があり、川、湖、海を持つことを発見。
○ただし、タイタンのメタンは生物由来ではないことも確認。
○2010-2011年の土星の北側で起きた大規模な嵐を調査。
○土星からの電波パターンは、土星内部の回転には拘束性がないことを確認。
○リングの垂直構造~捻じれ(外側の2本のリング)を明らかにする画像を初めて取得。
○環と環の隙間に存在し環の崩壊を防ぐ役割の衛星ダフニス(他4つ)の発見。
○衛星イアペトゥス表面で30カ所もの巨大な地滑り跡を発見。(大きさ比で表面地形の高低差が最も激しい)。
○土星両極の巨大なハリケーンを発見。
○北極の6角形の様子をカラー撮影。ジェット気流下の風に押されることで幾何学模様が形成され崩れないことが解明される。
Cassini Grand Finale003
環の間の衛星。
HEXAGON.jpg
ヘキサゴン。(モノクロ)
Cassini Grand Finale002
天然色の環。AとBリング。

そして、「グランド・フィナーレ」
土星本体と環との間へ飛び込み、通り過ぎる軌道を22回繰り返す!
さぞや荘厳なヴィジョン~「末期の目」であろう。

これまでに、2004年に土星に到着してから127回、衛星「タイタン」をフライバイし探査してきた。
4/22に最期のフライバイを行い、4/26から「グランド・フィナーレ」に入った。

この間、磁気と重力の精巧なマッピングと上層大気の接写を行う。
土星最近傍からカッシーニが見るはずの景色を夢に見たい。
9/15に土星大気圏に突入し流星のように燃え尽き、13年にわたる土星探査を終了する、、、。


今ほとんど宇宙の探査といえば、地球外生命の探査とも言える状況となっているが、、、。
例えば、タイタンの低温の炭化水素の湖に生命の可能性を探るとすれば、地球とは異なる化学の系を必要とすることになる。
生命の系という観点から見れば、太陽系に独立した起源を持つ2例目の生命が存在する探査を意味しよう。

Cassini-Huygens.jpg

多肉を整える

taniku.jpg


多肉植物を暫く放って置いたら、かなりの乱れが生じていた。
デタラメさが増大していた。
しかし、これは死に向かう無秩序ではなく、生への無意識の造形である。
かなり無慈悲に暴れまくっていた(笑。
廃墟に通じる感覚もある。

棚に収まりきらない拡張も見られ、枝ぶりを整理した。
盆栽みたいである。
基本は同じだと思う。
「整いました。」
TVで以前よく聞いたな、、、最近見ないが。


花殻や枯葉を全てどけていたら、虫喰われや病気も見つかった。
(乾燥しすぎていてもこのような事が起きる。風通しもビニルで保温していたためよくなかった)。
やはり株分けして増やしてしまったため、棚奥の余り目立たない鉢に異常があった。
昨年、大きな鉢で寄せ植えしてかなりの見栄えとなっていたものが、突然全滅したときは驚き唖然としたものだ。
常に何かが潜在的に進行している。
微分的に変化している。
そして忽然と相転換。

こちらも怠惰が過ぎた。


暴れていても、植物である。
われわれとは時間性が異なる。
声ももたないため、動勢を感じにくい。
ほとんどいつも、彼らは「静物」として確認される。
植物は「静物画」としていつも制作される。(食虫植物のように瞬時の動きを見せるものはあっても)。
また静物画として描かれた生きた動物の絵は見たことない(剥製は物である)。

やはり、植物とは生きられる時空が異なるのだ。
そんなことをふと想うが、実はこれは大変なことかも知れない。


彼らと意思疎通が出来たら、恐るべきことに迫れるのかも知れない。
分厚い「サボテンが喋った」と言う本を持っていたが、今はもう内容は思い出せない。


水をやる時期であるからたっぷりあげた。
肥料も少し。
周りのビニルの覆いを外した。
2階の窓辺でいつも確認しながら育てているものより、環境的には良くない。
外は冬の間は過酷であった。
寒気と強風である。
それに加えて密封。これは気にして風は入れるようにしていたが。
ほとんど、何かを共感し合うような間柄ではなかった事は確かだ。

亀にかまけていたし。
これからは、多肉にもっと濃密な共振時間を割こう。


彼らを眺めてボウっとしているだけで、確かに清められる感覚があるのだから。





パラレルワールド

Morgan Freeman

ドラえもんでもお馴染みである。
モーガン・フリーマンのナビゲートする科学特集番組でやっていた。
「パラレルワールド」
その番組をとっかかりとはするが、またほとんど違うことを書き出すことだろう、、、いつも通り(笑。

映画で過去に戻ったり未来に飛んだりという安易な物語がよく作られるが、パラレル・ワールドで一つ作ってみたらどうだろうか、、、と、思った。
最近の科学は、ミクロと広大なマクロの世界に別次元の世界の手がかりを見つけている。

今回も(以前も途中から見ているのだが、、、時間の話で)。
何人もの博士が出てきて、刺激的な話はしてくれている。


まず、無限である。
無限であることを前提にすると、統計学上、ありえないことが起こる可能性が生じてくる。
全てのパタンは反復する。微妙な差異を伴いながら。
となれば、無限の果てまで探しに行けば、どこかで自分と同じ存在が、自分とは異なる生を営んでいる可能性がある。
ウッディ・アレンではないが、人は生の現実に常に不全感を抱いている。
別のもっとましな生活をしている自分という幻想に憧れる。
しかし、ここではそれが理論上は存在し得るということだ。

それはまた、究極の何でもあり理論で、ドラえもんにぴったりでもある。
ご都合主義の映画にも持ってこいに思えるが。

一つ疑問なのは、観るということは何であるのか、、、。
その定義が分からない。
観察、測定により、一つの粒子が異なる場所に同時に存在している(確率的に)のを、ひとつに確定してしまう行為というが、、、。
そもそも観るということは何なのか。
このことが、保留されたまま話はどんどん進む。

測定前の全ての存在は消え去ったりしない。
それらは、それぞれ別の次元で現実化するという。
掴みどころのない飛躍に聞こえる。

量子力学的運動をわれわれのスケールの日常空間に無理やり当て嵌めようとしているようだ。
だから、自分の分身があちこちにいるような話になる。
それでもよいのだが、現実的展望はない。

ただ、観えないのと存在しないことは、別のことである、というのはその通りだと考えられる。
しかしだからといって別の存在が別の次元(世界)で生きていても、それは原理上知ることはできない。
一つの現実を選び取っても、まだ他の現実が消え去った分けではなく、別次元でそれは現実化されているという考え。
この認識には前提として、それら多次元の世界を包括的に(俯瞰して)観ることのできる超越的な立場の存在が措定されている。
彼らは単に帰納的に(論理的な推論から)それを述べていると言うにせよ。
宗教的な匂い~枠も感じる。

ともかく論旨の根拠は、どのような物体も複数の箇所に同時に存在できることを証明できれば成り立つと考えているのが分かる。
シュレディンガーこのかた、量子の振る舞い~観測の問題で、ミクロレベルでの認識(確率論的な位置と運動の関係)は周知のとおりであるが、物体レベルとなると、どう話を持ってゆくのか、、、。
番組では単に、わたしだって原子の集まりである以上、同じように他の世界に存在してもよいはず、というだけのもの、、、。
他の博士によって、絶対零度に近い低温下で、金属片を使った実験がなされていた。
そこでは、金属片そのものが量子的振る舞い~振動をしていたという。

そして、マクロ、、、大宇宙においては、まず反物質から話を始めている。
ビッグバンで生じた反物質の世界をパラレルワールドとして。
正直、インフレーション理論をもとにしたパラレルワールドについては、何を言いたいのか分からなかった。
ブレーンワールド~膜宇宙については、イメージがつきやすいものだった。
膜自体は相互作用はないパラレルだが、相互の重力を観測することはできる。
重力場が巨大になると、二つの膜が繋ぎとめられる。
その場所こそがブラックホールだと、、、。

ブラックホール内の物質はエネルギーは保存したまま、ホワイトホールとして噴出する。
その現象こそがビッグバンである。
つまり、ブラックホール~臍の緒を通ってパラレルワールドとわれわれの宇宙は繋がっている。
パラレルワールドからの情報(メッセージ)は、すでに伝えられている。
ガンマ線バーストがそれにあたると、、、。

ひとつの現実だけがあるのではない。
ヒトは一つの結果だけを認識するが、同時に異なる結果がどこかに存在する。
という科学的理論を作ろうとしている人たちがいる。
ということを、知った。
とても眠かった。時間が時間である。これからは録画して見たい。

死もこのような別世界への目覚めという科学的?な認識に移行してゆくのか、、、。
死の解明も物理学的に為されるのかも知れない。


「あなたはもうひとりのあなたの夢を生きているのかも知れない」
最後のモーガン・フリーマンのことばだけが、やけに沁みた。











またもや赤色矮星!

TRAPPIST-1.png

まだ、ほとんど情報が伝わってきてはいないが、、、(わたしが知らないだけか?)
NASAの発表があったそうな。
TRAPPIST-1という赤色矮性の周りに7つも地球型惑星(系外惑星)が存在すると。
つまり岩石惑星で大きさもほぼ同等、ということは重力も近いか。
そのいずれにも水のある可能性が高いという。
その上、3つの惑星は、地表に水を湛えているらしい。
(地中になら太陽系の惑星・衛星に幾つもある)。

水瓶座の方向約39光年(9兆4600億km)という、これまでからすると、非常に近いところに見つけた訳だ。
(しかし水瓶座の方向というのが今の時代に象徴的である。アクエリアスの時代になって、、、)。

また、何よりロマンチックなのは、それぞれの惑星間距離が近いため、ひとつの惑星に着陸すると、月より大きな天体が6つも空に拝めるということらしい。(しかし近いといっても40光年である、、、星間移動の技術革新は前提となる)。
尚、赤色矮星はわれわれの太陽より表面温度は随分低いが、遥かに長生きする。
惑星がうんと近くを回っていようと、それほど熱くはならない可能性が高い。
ただしどれもが非常に近い軌道にいれば、朝夕ロックはかかっていて、地球に対する月みたいに、同じ面を向けて周回することにはなろう。しかし大気と水があれば循環が起こる。

まだ、情報はこれから明かされててゆくのだろうが、いよいよ「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」の出番となろう。
2018年打ち上げである!
それによって、随分多くの事実、というか実態が判明するはずだ。
まずは、大気成分の解析、地表や水も分析ができるはずである。

この恒星は、ともかく非常に長い寿命(数十兆年)がある。
ということは、進化に充分な時間がかけられる。
ハビタブルゾーンに3つも惑星が入っているというのも、かなり科学者たちの期待増であろう。

地球が生命の住めない環境になるまでに、ヒトが生きていたなら移動可能であれば、重要な候補地が見つかったということであろうか。その星から平和に地球の滅亡を眺められることになろうか。
その前に人類は完全に絶滅しているかも知れない。
だが、人類の跡を継いだ生物がいれば(ロボットかもしれないが)それが住める場所になるだろうか。

とは言え、その星が環境が整ったところであれば、先住民がいる可能性も高く、われわれが侵略者ともなり得る。
地球人の侵略に対抗する正義の異星人(その星のnative)という構図になりそうだが。
そんなこと、今から心配しても仕方ない(笑。

ともあれNASAの科学者は、生命のいる星があるかどうか、からいつそれを発見できるかという段階になった、という。
深夜TV(ユアタイムの市川さんの薀蓄も含めた)短いニュースコーナーで見た範囲であるため、何とも言えないが、今後の動向に注目したい。
「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」の稼働によって大きく動くと思われる。


何というか、、、宇宙探査が生命探査と同義となってゆきそうな様相である。

生命力

hikari.jpg
あくまでも「生命力」とは、ではない。
そこを説くのではなく、「生命力」の恍惚を再認したいだけである。
昨日のマルキの映画でつくづく感じるところが、「生命力」であった。

その過剰とも言える「生命力」が危なっかしくも非常な魅力を感じる。
われわれがあれほどの迸る生命力を発揮し得るか?
単に幽閉され迫害を受けた事に対する反発や、予め備えている反骨精神と強靭な肉体(彼の場合は更に放逸な性エネルギー)だけで、あれほどの「表現欲」が生じようか?単なる破壊活動や殺人に向かっていてもおかしくはない。
マルキにとっては、何よりことば~物語が殊更に身体的~性的欲求・欲望を充たすものであったのだ。
そこへあらゆる欲望を抑圧から解き放つ純粋な表現欲を彼が真摯に認めた結果であろう。
彼にとり、あの「表現欲」こそが「生命力」そのものなのだ。

われわれは、自らの意思で閉じ篭もり、それを封じ込め枯渇させている。
ときに宗教的(道徳的)な美徳で合理化し。
(後にそれをアンドレ・ブルトンは痛烈に批判した)。
自ら囚われ人となり、その枠内で物事に悩んで抜けられないあのエッシャーの版画の男のように。
その枠をもっとも原初的で本源的なエネルギーをもって内奥から打ち壊してしまうことば~物語の力に彼の小説は満ちていた。
だから人々はそれ~焚書を(秘薬のように)隠し持って読んだ。
(恐らく論理をもってしなくとも、人々を解放し得る唯一の方法であったかも知れない。そう言ってしまうと宗教はどうなんだという声が聞こえるが、仏教の「南無妙法蓮華経」はこれに近い過激さを感じる。キリスト教についてはすでに書いている)。

表現は他者あってのものである。
創造はその新しさを他者が認めるところにある。
彼は生粋の作家~芸術家であった。
彼もまた他者を何よりも必要とした。読者がいることが彼をワクワクさせた。
次作をみんなが待ってるわと言われれば、書かないわけにはいかない。
どんな障害があろうとも書かないではいられないのだ。
神父は書くことで自らの「毒」を対象化し、精神が清められると期待していたが、マルキは日記を書いているつもりなど微塵もなかった。
彼は端から開放系に属する。隠し事もまるでない。
(物語の後半からは、布一枚身につけていない(爆!)
それ以前に、自分が毒に犯されているなどとこれっぽっちも思っていない。
言うまでもなく(宗教の)阿片に毒されているのは、お前たちだ、となる。
確信は絶対的なものであった。
彼の強さの根拠である。

彼こそ健全であった。
その激烈な生命力こそが証である。真理である。
旺盛な表現欲は生=性そのものの発露であったのだ。
そしてその対象である読者~他者とは、マドレーヌであった。
ストイック(プラトニック)な彼女への愛が底知れぬ「生命力」=「表現欲」の源であった。
恐らく、、、。


まず、なんといっても生命力を枯れさせてはならない。
それを強く再認識する作品になっていた。


冬さがし

snow man

ちょっとでも雪が降ると必ずどこかの隅っこに作ってある。これは近くの公園に、、、。
冬~雪へのオマージュなのか。


今日は娘たちと、「冬さがし」をした。恐らく学校の「生活」の授業にでもやったのではないかと思う。
雪も降ったことだし、、、彼女らのスイッチが入ってしまった(笑。
これだけ寒いんだから冬だよ、と言っても、そういうことではない。
形を探すということである。
「冬」の形を、、、。
朝から冬さがしで、われわれは家の庭からその周り、近くの公園まで道端を探って廻った。
日光は強いが風は冷たい。


家、庭周りでは、霜柱、ポリバケツの底に溜まった水が凍っていたり、、、だがそこに枯葉が絡みちょっと乙であった。
それから、草花が白く凍りついていたり、小さな葉っぱには水滴と見紛う氷の水晶がチョコっと乗っていたり、、、
普段は見れないキラキラした光景が楽しめた。
狭い裏庭にはわたしは滅多に行かないのだが、彼女らは度々探検しているらしく、木や花の場所をよく知っていた。
霜柱をザクザク踏むのも靴裏の感触が楽しめ、普段できない体験である。
だが、その程度であれば綺麗で面白かったね、くらいで終わっていたのだが、、、われわれ探検隊は、エッジにおいて驚愕の造形に出逢う!

次女がこれこれ!と言ってわれわれを呼んだところ、、、

場所は家の塀とアスファルト路面の間~縁である。
土が吹き溜まった結果できた謂わば結界みたいな細い場所である。
そこに生成された圧倒的な自然の表情であった。

先だって、女子美に展示された、地面に生じた罅割れそのものの作品があったが、その定型(基礎形)を非常に高スペックなコンピュータでパタンを複雑化した後、更に魅惑的に絶妙な崩しを施し、氷点下の気温と水分を加え、神秘的に仕上げたという感のある罅割れに、われわれ親子はただ魅了された。

形には生気が欲しい。はじめから力を感じない表面の克明ななぞりではなく。
受け側と力を及ぼす側との、その地と図との間のせめぎ合いの強度~微分方程式が欲しい。
この前展示会で見たのは、質を感じない余りにスタティックな~形骸化した、ものであった。


混沌のなかに刃に似た鋭さが目立ち、自然の覇権への闘士すら感じる。小さな場所でのある闘い。
crack001.jpg

ディテールへ、、、それは残酷な爪か牙か。
crack003.jpg

激しい闘いの反復。これまで何度繰り返されてきたのか、、、。
crack004.jpg

境界~エッジを前にそれらは留まる。ある法則に従い。記憶に留める。
crack boundary


思い切っていつもの公園にそのまま行った。
sagamihara p
いつもとは、別世界であった。
(僅かばかりの雪で、、、)雪とは何か、、、?
                           *写真は全て長女。


ふたりは、帰りに美味しいハンバーグ専門店に行く相談をしている、、、。
冬さがしは、最後に高くついた(苦。


雪の日に

snowman.jpg

雪が降って表は変に明るいのだ。
こんな寒い日に、わたしは自動車免許更新に出て行く、、、。
(ちょっと宮沢賢治が入ってきた、、、賢治殿申し訳ない(拝)。

行く予定を組んでおり、変更が効かなかった。
毎日、何かがあるためだ。

他の日にするにしても、見通しがつかない。
予定通り、よりによって雪の日に、寒々とした光景のなか、実際に充分寒い日に、警察署に向った。
みぞれでなくて、まだよかったが、、、。

不運は、これだけでは終わらない。
折角、前日に撮っておいた写真を切って持って行ったのに、切る目安のボールペンの輪郭線が少し見えたことがまずかったのか、「ちょっとこの白いところに黒っぽいモヤっとしたものが見えます。」
(メガネかけてるのに異常に目の良い警官だ。というより意地が悪いのか?)
撮り直しを窓口の婦人警官に命ぜられてしまった。
渋々、近くの警察署お抱えの印紙と写真を扱う事務所で新たに写真を撮り直して、警察に戻った。
その時に、婦人警官が写真を見てちょっとクスッと笑ったのが、やけに気になった。
撮り直した写真がわたしも強烈に気に食わないのだ。
(これは、風呂にゆっくり入ってのんびりするまで、横腹に引っかかり続ける)。

しかし一番、心配していたのが、視力テストである。
視力がこの5年間で随分、低下した。
メガネもその間に作り、日中の大半は、メガネ探しの旅に時間を浪費している始末。
(この件がもっとも悲惨といえば悲惨であろうが)。
ちなみに、その次がiPhone探しである。時折、それに車のキー探しが加わることもある!
一日のうちで、実のある時間はほんの僅かではないか、、、、(絶句。

途方に暮れる前に話を戻し、視力テストに怯えていたが、それは何故か簡単にパスし、問題なく講習のビデオ鑑賞となった。
シュールなビデオではあるが、交差点と物陰から飛び出るモノに気を付けよという注意喚起映像には違いない。
平常心と健康管理も肝要であるという、、、いちいち納得して見ている間に突然それは終了した。
思ったより早く終わったのは、ラッキーである。(ここで少し救われた気分になる)。
優良ドライバーであったため、30分で終わった。やはり安全第一主義は正しかったのだ、、、。
帰りも一段と寒かった。
自宅から警察署まで、普段なら歩いてもわけない距離なのだが、今日は異常に体に凍みた。

そして帰りに、本日もっとも寒い、凍りつく経験をする。
時折外観を鑑賞している、日に日に崩れが目立ってきている廃屋のある通りに差し掛かった。
いまや雪の降りは、家を出た時より増している。
普段、その廃屋には全く人気を感じたことがなかった。
今日も、勿論ガランドウだと思い、壊れたガラスのない扉の窓をそれとなく眺めた。

すると、もはや暖気を得る機能など持ち合わせていないに等しいその崩れかかった建物に、生々しく光るヒトの顔が浮いているではないか。その廃屋の内部が突然露わになった気がした。
驚きは感じず、ただ唖然としてその時空に見入った。
その壊れ解体寸前とも取れる扉の以前ガラスの嵌められていたであろう窓に、大きく見開いた無表情の両眼があり、頭部の全体までは窺えなかった。特に眼の次に内面を表す口元は隠れて見えなかったため、余計に内面を超脱した眼がただ異様に光っているだけだった。

生きているヒトに違いない、、、。
恐らく。
その建物の持ち主なのか。
恐らくそうだろう。
少し年老いた婦人に見えた。
暮らしていたのか、、、少なくともそれまでその場所に生活感を受けたことはない。
内部はもはや、彼岸の厚みに属していたのだ。

足はそそくさと家に向かっていた。
かなりの速度である。
自動的にそこを離れてゆくが、寒さからもう風呂のことしか考えられなくなっていた。
体は芯から冷えていた。


新免許は、暖かくなってから受け取りに行こう。



プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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