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カメの冬眠を巡り

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家のカメは今度の4月でやっと2歳である。
誕生月は店で教えてもらっているが、誕生日は不明である。
そのため、4月の最初の日曜日にケーキで祝うことにはしている(笑。
今度は、公園に連れて行って思いっきり歩かせよう、などと長女が提案したが即座にみんなで却下した。
あの速さで二匹が違う方向へ走り出したらたちまち迷子で、恐らく見つかるまい。
放送もかからない、と次女が念を押していた。


カメは冬眠する。
家の銭亀も冬眠する水棲カメのひとつだ。
子亀は冬眠は難しいという話を聞いているので、うちのはまだ子亀というより幼亀でもあり、当分の間冬眠はスルーするつもりだが。
観ていても到底冬眠するどころではない。
多動みたいにひっきりなしに動いている。
餌を断って、うんちを出し切り、綺麗な水で水温5度ピッタリに保ち、甲羅の高さ位に水を張っておくと、砂(ミズゴケ)の中に自ら潜り込み冬を越すという。春になると何となく起きてくるらしい。
しかし失敗する場合もあり、冬眠が永眠に繋がってしまう。
大きくなったカメでもそれは起こり得ると。
野生のカメでも冬眠に失敗することはみられるという。

それを聞くと、リスキーなことはしたくない。
以前テレビで何とかという女優(名前を忘れた)が、毎日のカメの水取り換えがめんどくさいのよね~、冬は冬眠するからいいけど、などと言っていたが、水の取り替えくらいがメンドクサイ家で、冬場の冬眠中の環境管理(準備期間も含め)がしっかりできているのだろうか?しかし実際冬眠できてしまっているのか?
水温が何かの手違いで0℃まで低下してしまうと、カメは間違いなく永眠してしまうそうだ。
何かの拍子にコンセントが外れたなんてことがあったら、一巻の終わりとなる。


ウェブ上で冬眠中の管理を以前観ていたら、時折砂から掘り起こして脚を突っつき反応があるか調べて、また埋めるなどという記事もあった。いちいち眠っている時に体を突っつかれても迷惑な話に思える。カメも悪夢を見ないか?
水温だけでなく、準備期間中にしっかり腸内のうんちが出し切れていることも肝心なようだ。
もし残っていると、そこから細菌が増殖して眠っているうちに死に至るという。
しかしレントゲンで調べる訳にも行くまい。ホントに出きっているかどうか、これは絶食期間から推し図るくらいだろう。


冬眠中ずっと気をもんでいるよりも、普通に餌やりをしながら水の取り換えをしている方がずっと気楽で実際に楽である。
家は水温管理と日光については心配ない場所に置いているし。
同じく掲示板のアドヴァイザーの話だと、冬眠中カメを観察して(やはり掘り起こすのか?)もし具合が悪そうならすぐに温度を元に戻し通常の生活に戻しましょうとあったが、カメの寝顔を見てこれは具合悪そうな顔だと判断できる自信がまだわたしにはないため、当分は普通に冬だろうがいつも通りの生活を送らせるしかない。
あの生意気そうな表情がちょっと違う感じになるのだろうか?
想像しにくい(笑。
きっとどこか体全体の感じ、雰囲気が違って見えるのかも知れない、、、。
ちょと神秘的だが、生き死にに関わるのでは大変である。

奥が深い。
やはり余程見慣れて彼らのことを熟知しておかなければなるまい。
娘たちは、今度は猫がいいなどと言っているがとんでもない。
カメの餌すらまともにあげられないのに、他の動物どころではない。
(ほとんどの世話を全てわたしひとりでしている現状だ。猫が来たらまたわたしが引き受けることになる)。
ペットが我が家に増えることなど当分、ない。


まずは、みんなでカメに馴染みたい(爆。





花を植えまくる

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これまでわたしは、サボテン・多肉ならそれ用の培養土、観葉植物一般ならその土、バラならそれ用、ランならその土という感じでお任せ土を使ってきた。
しかし、農業の研究をしている叔父のところで読んだ本の影響で、それはやめた。
かと言って専門的なところに走る気も余裕もない。
ただ、土は無菌の(衛生的な)赤玉土(小粒)に鹿沼土(硬いもの)、そこへパーミキュライトと腐葉土(葉っぱのみで作ったもの)を適度(わたしの場合、丁度良い色合)に混ぜて、植え込む。挿し木の場合は、100%鹿沼土にする。
観葉植物も100%鹿沼土でもよいらしい。
酸性が強いため、それを好まぬ植物には向かないと言われているが、日本の植物なら問題ない。
日本は元々雨は酸性である。

海外から取り寄せた花であれば、調べる必要はあろう。
なんでもラン科の植物(対称性を破る生物のひとつ)も鹿沼土のみでスクスク育てている「鹿沼土専門家」もいるそうだ。
基本的に、ほとんどの植物は赤玉(弱酸性)などと一緒に使っていって問題ないはず。

わたしこれまで、根腐れでかなりサボテンや観葉植物を失ってきた。
サボテンなどポーカーフェイスであるため、死んでいても活きてるような顔をしているから気付かないでいたこともある。
或る夜、疾風に乗って鉢の上をシルクハットの如くサボテンが滑るようにすっ飛んでいったときは、言葉を失った。
根が腐って、それがそのまま本体全体に及んでいたのだ。
とっても軽そうであった。外皮だけだったのだ(拝。
余りに呆気ないお別れであった。
そのころは、ひどく忙しくほとんど何もしてやれなかった。

しかし、そうではなく、ホントに何もしなければまだよかったのかも知れない。
水と肥料を時折、与えていたのだ。(風通しと日光の問題はなかったとは思うが)。
水と肥料の分量と与える頻度がもとで根腐れが起きた可能性が高かった。

だが、叔父の書籍によると、一概にそうも言えないようなのだ。
出来合いの培養土を使うと最初の内は水はけと保水性もよいように窺えるが、暫くすると急速に固くなる。
これは体験上、よく分かる。
水はけが悪くなるだけでなく、悪い菌も繁殖する。
その辺が、根に悪影響を及ぼす。
頻繁に植え替えをすればよいかも知れぬが、それはなかなか出来ないし、その作業で根を痛める場合もある。
結局、菌のいない硬質の赤玉や鹿沼土を使用して自作することが好ましいようだ。

植物による比率も本には詳しく載ってはいるが、わたしは自己流でやっている(やりはじめた)。
色的に丁度良いところで、植えている(笑。
最後に土の表面には隈なく鹿沼土を覆いかぶせる。
水の湿り具合がよく分かるし、清潔感があるため(実際清潔で、虫も避けるみたいだ。粒の形状からも)。
更に、鹿沼土に場合、多少水をやりすぎても適度にはけ、菌もない為、根腐れは起こし難いという。

見た感じそのように思える。
暫く、この線で面倒をみてゆきたい。


今日はピアノのリズムがいよいよ難しいと言ってきた長女の為、MuseScore(UNIX系のフィナーレに近いソフト)に写譜してパソコンで聴かせた。実際に自分で弾きながらなんとか掴んだ方が勉強になるかとも思ったが、、、聴いてもそのまま弾くのが難儀そうであった(笑。
そんなことをしているうちに、読書もままならず、今日は終わりだ。
自分の過去に描いた気に入った絵をここのところ毎日探しているが見つからない、、、。
そんな感じで、、、一日が短くてほとんど何もしないままに終わっている実感がある。
だがホントに短くなったみたいだ。
その上今日は、午前中を歯医者で潰したのが痛かった(文字通り痛かった)。


学生時代は結構、長かった。
今思うと確かに、いろいろ出来たものだ。
そういうものかも知れない。

明日から学校

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制度としての時間を意識する生活となるが、時間を忘れる愉しい事が少しでも多ければ良い。
気が付いたらもう帰りの時間だった、、、なんて感じで過ごせれば、言うことない。
まだかなあ、とずっと思いながら過ぎる時間の長い事。

まあ、最初の取っ掛かりだけの問題ならば、その流れに乗せればよいだけである。
前日早く寝かせようとしたが、なかなか寝ない。
ダラダラ、伸び伸び過ごしてしまったこれまでの日々より若干、早く寝た。

明日、早めに起こすだけである。
そこにかける。
フリーズしなければ、帰りまで普通に暮らしてくるものだ。

学校という集合場所に集まれればそれでよい。
暫くは、それを習慣化し、そのなかで自分のことばを見出してゆく。
制度を受け容れつつ創発性を発揮してゆく過程である。

兎も角、人間、朝が大事だ。
(夜の準備なしにそれは無理だが)。
朝の出だしが肝心であることは間違いない。

後は何とかなるものなのだ。
わたしの実感からして。
勿論、すんなりは無理だとしても。


さて、わたしも眠ろう。
朝の再生にむけて。
朝は確かに気持ちはよいのだ。


濃密な無音

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うちの娘たちは温泉が大好きで、今日はお台場にある温泉に朝早くから出掛けて行った。
その帰りに温泉からそう遠くない義兄の家に泊まる。
夜はそれで実質わたしの他は誰も家にはいない。
明日も、夜まで帰ってこない。

人の声がしない夜を過ごす。
暖房の音が微かにするだけ。
朝と違い、鳥の音も聴こえない。
夏ならかなり遅くまでセミの鳴き声が響くものだが、、、。

濃密に充満する無音が圧迫する。
やはり、自分の目の届く範囲に彼女らが息づいていることで安心できるものがある。
たまにはこの空虚感もよいが。
伸び伸び出来るかと言えば、そうとも謂えない。

今日は昼間から、コズミックネクストの「第九惑星」と映画の録画で入っていた「蠢動」、「ゴッドファーザーⅡ」といつもの「ぼのぼの」を見ていたらもう日が落ちていた。(第九惑星に惹かれる)。
ここのところ一日があっという間に終わっている印象なのだが、今日はそれが特に顕著であった。
周囲に異なる時間の流れがないと、殊更単調な意識流を生きる羽目になるようだ。

学校がまた始まると、例の切れ切れの時間が重層してくる。
これもじっくり沈潜して何かに取り組むことは難しくなる。
明日は誰もいない我が家に、友人が顔を見せに来てくれる日だが、其れを機に新しいルーチンを自らに課したい。
絵と読書、、、それから、、、効率的な運動である。




今年も何とか終わる

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今夜はさいごにイチゴを食べた。
それで眠ることにする。

深く眠って良い夢を観ようと思う。

一年間の疲れを癒したい。

そして良い目覚めを、、、。

やるべきことは、まだまだあるし、やりたいこともたくさんある。

明日の朝は、目覚めに本を読みたい。

今年は終盤に1か月以上お休みしたが、来年はどうなることか、、、
一言は、毎日書いてゆきたいとは思う。
一日の内に何かしら想うところはあるものだ。


いろいろ有難いメッセージやコメント(電話含む)をよせて戴いた方には感謝したい。
なかにはそうでない、意味不明のもの~礼儀知らずの排泄物もあったが、わたしの文章の内容には微塵も掠るところの無いものであったため、そのままスルーであった(反応しようのないものであった(笑)。
途中休み休みでも1560記事以上書いていれば、一つ二つ不純物が確率的に入り込んできても可笑しくない。
(FC2サービス当局にスパムメール扱いにして削除してもらったので痕跡はないが4日ほど残してはおいた)。


来年は何より、健康に暮らすことを目標にしたい。
やはりウォーキングかな。


それではお世話になった方にはお礼を申し上げます。
よいお年を。

余剰次元

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昨日、掘り起こしていた畑から、幼虫が見つかった、、、カナブンか。
カブトムシより二回りは小さい。
他の幼虫もいた。
また埋めた。
このあいまいな地に。


幼虫~イモムシが蛹となり蝶に変態したとき、もうそれには幼虫時代の記憶など残っていない。
蝶として生きる~身体性を持つことに支障が出るからだ。

われわれのこの身体はまさに3次元+時間にピッタリの生存形式であろう。
だが、そのことが余剰次元の経験を原理的に不可能とする。
数学的にその構造と存在可能性を導き出せても。

われわれにとって、知る・認識するとは、身体諸共の知的再構築~新たに身体化を起こす=変態することでもある。
この身体そのものを解体(ブラックホールに落下するように)して、異なる身体性を構成することは不可避であると思われる。
それでなければ知が生きることと離反してしまう。
本来的にその矛盾が大きな軋轢や抗争を生んできてはいないか。
この世界に内包出来ない~生きることの不可能な言葉は本質的に、異なる世界~次元で発せられなければ有効ではない。
どうやら重力があるべき次元にどのように絡んでいるのか分かっていないことに似て。

完全な解体と再構成、いや再生(宗教的には復活)は、この世界内~地平においては不可能である。
同一時空~同じ場に新旧ふたりの自分は物理的に存在できない。見えない。


死と生がまさにこれに相当すると謂えるだろう。
幼虫から成虫への変態は、幼虫としての死であり、同時に成虫の(もはや彼・彼女にとり何の連続性もない)誕生に他ならない。
自分の誕生と自分の死は誰も認識できない。その中間を何もかも忘れた自分として生きて逝く。

死者たちはいったいどこに行ったのか?
思いの外小さくない、次元にコンパクトにまとめられて存在しているのか。
死者たちはどこにいるのか?


わたしは知的異星人からのメッセージより死者からのメッセージが聴きたい。
どれだけ有効なものか。


畑仕事

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今日は娘と「サマーウォーズ」を観た他は外でずっと畑仕事に勤しんだ。
枯れながらも、柵や高い木に纏わりついているとトマトの木などを取り去り、土を耕し直して、土の活性剤とたい肥を桑で馴染ませた。
懸命に耕したためか、土がフワフワになって気持ち良い。
このまま放って置いて、春にでもまた何か植えるつもり。
娘はトマトがよいという。
確かにトマトが丁度良い。ミニトマトにするつもり。
広さから言ってもこちらの栽培スキルから言ってもベストチョイスだ。
なるべく世話をせずに収穫だけしたいのだ(笑。
初期設定となる株を取り囲む枠と支える高い棒をしっかり準備しておこう。

実はある公園から2年ほど前~花壇ではなく~通路の端の土手にポカっと咲いていた綺麗な花を一株摘んできて家に植えたのだが、それがいま徒に横暴に増殖している。しかし、そのときの花はまだ一度も見たことがない。
花だけが一向に咲かないのだ。
今日、その植物の根がグイグイ伸び広がり、畑をかなり浸食してきていることを耕している時に知って驚いた。
増えた6株ほどを抜き取り長く横に蔓延る丈夫な根っこをブチブチと切断して、庭の他の場所に植えてみた。
つくかどうかは分からぬが、非常に不気味な植物だ。
そこからまた暴れ出すかも知れない。
異種~異生物に対する不安を掻き立てる、SF映画みたいだ(爆。
その白い花がやたらとアーティフィシャルで繊細な造形であったため強く惹かれたのだが、葉っぱだけだとやたらと強靭な生命力しか感じとれない、、、。
そのうち図鑑で調べようと思いながらずっと放置して来たのだが、、、花が観れぬのでは、ただ怖い存在としか言えない。

もうどんな花であったかも思い出せない、、、。
すると、そんな風なことが、幾つかあったような気がしてきて落ち着かなくなる。


無意識について思うこと

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法と謂っても、いつもは自然学的法にしか興味をもたないわたしだが、今日は電話で高校時代の法律の専門家で自身事務所を出している友人と話をして、随分スッキリした。
そちらの方面からの対策が充分に可能であることも分かり勉強になった。
わたしにとっては馴染みのない異質の知である。ちょっと貴重だ(笑。

抽斗が幾つもあるに越したことはない。
鬱陶しい障害物は悉く叩き潰さなければならないゆえ(笑。
現実のある層においての必要知というものは、ある。


さて、今日は池田理代子氏の「オルフェウスの窓」を読み~観始めた。
その9巻(集英社文庫)に渡るボリュームにまず圧倒された。
正直、眩暈がする。
例の「エカテリーナ二世」の物語も実に緻密で緊張の途切れないドラマチックな出来栄えに魅了されたが、これも先行き大いに翻弄されそうである。
しかし池田氏の本は観た後で随分、勉強になっている。
エカテリーナ二世大帝の生涯を通して随分ロマノフ朝について情報を得られたと同時に母子関係の根源的な問題~母の無意識についても考えを深めるきっかけにもなった。
また、大人の恋についても、男女の受け取り方の差異についても、その識域下のやりとりなど(特にポチョムキンとの、、、)成程と感慨深いところがあった。

そう人間は自分の知識~意識より寧ろ、無意識~身体性に向けての洞察こそが肝要である。
ヒトラーという装置について考えてみても、彼が「我が闘争」の中で繰り広げた時の政権や政治家の腐敗、経済的な苦境に於ける人々の在り様についての明晰な構造分析と自身が芸術家(画家~建築家)志望でありながら政治に向かわざるを得なくなる次第はとても説得力溢れる記述で理解できたが、どうしても優勢民俗思想が文脈に対し超越的印象で異様に引っかかっていた。
これまでの経験を素地にした出来事~苦境から論理的に進められた文脈を唐突に破り、ゲルマン民族は人類にとってプロメテウス的存在であった、といった言説が度々激情的に突き上げて来るのをもって見当がついた。
これはアーリア神話として何時しか形成された、アーリア人を絶対的優位に置いた、彼らとセム人との間の集団無意識的な根深い相克の流れであるようだ。
つまりはゲルマンとユダヤの間の全ヨーロッパ的な憎悪の結果がターミネーターとしてのヒトラーに手渡された形。
彼にその流れが行き着くまでに、その憎悪の流れは現にイギリスをはじめヨーロッパ諸国に広がり行き渡っていた。
科学的にも(科学の体裁で)ダーウィンやその甥の学者によって優生思想が民衆の無意識にまで染み渡っていたのだ。
だからヒトラーたちが何度かクーデターを企て失敗して彼が独房に入れられても、実に異例の短期間で釈放され更に過激な政治運動に邁進できている。
「我が闘争」の執筆も(ルドルフ・ヘスによる口実筆記だが)、独房に捕えられていた6か月間に行われたとは言え、ホテルのスウィート並みの部屋での暮らしぶりであったらしい。ヨーロッパ(アーリア)の無意識がヒトラーを応援していたことは間違いない。

そして場所(時空)に関係なく、恐ろしいものは母親の無意識である。
これが子供を破壊する。
エカテリーナ二世の息子であるパーヴェル1世が何故愚帝で名高いピュートル3世の人格模倣をしてしまったのかもその結果として捉えられると思う。
当代随一の読書家で知性の高い、しかも進歩的で啓蒙主義思想も軒並み取り込み、息子パーヴェルにもその教養を与えていた彼女が、実際の政治においては封建的君主制を断固貫き、ポーランド分割を他の国の皇帝よりも強行に行っていた。更に晩年には焚書政策にまで手を染める。これではダブルバインドの極みである。心ある忠臣もかなり離れたようだ。
これは単なる知識は知識、行為~言動は別物とかいう生易しいものではない。
パーヴェル自身、造詣豊かなエカテリーナ二世とオーストリアの名門貴族でこれまた知性教養申し分ない男性との間の子であり環境次第で大きく異なった運命を辿る可能性はあったはずだ。
彼は形だけの父であるピュートル3世同様クーデターで暗殺されている。
とは言え、パーヴェル1世のような単純な反動形成より遥かに孫のアレクサンドル1世への影響が根深い。
(勿論、何度か立憲君主制への動きが生じ、皇帝を傀儡化する狙いも見えたが、ロマノフ朝に引き戻されてしまうそのロシア全体にかかった呪縛も国民全体の無意識と受け取れるものだ。プロシア~ドイツの血が入りホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝となっても呪縛はさらに続く。エカテリーナ二世大帝はドイツ人である)。


何を読んでも観ても、まず無意識~構造がポイントに感じられる。




どうにもならないこと

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どうにもならないことはある。
それはほおっておくしかない。
時間が解決するかどうかは分からないが、どうにもならないことはしかたない。

自分の本来的にすべきこと、したいことを、何十倍、何百倍してゆくだけだ。
自分の感覚と考えにそって進む。
それ以外に何もすることはない。
反省すべきことも方向を変えることも微塵もない。

今現在やるべきことをただするだけ。
それが自然。

女子会

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次女が恒例の女子会を開いた。
最初は仲良し7人組が来ていたが、塾が忙しくなる子が増え、最近は3,4人くらいになった。
今日は直前に都合が付かなくなった子がいて、来る子は3人となった。
娘と5人でこじんまりやることになったが、これが丁度良い。

今日はわたしがサンタになり(爆、買ってきたピザ(フレッシュモッツアレラのマルゲリータ)二枚と娘の大好きな「子供の飲み物」(スパーリング・赤)その他4本ばかり出しておいた。その瓶に記されたコピーが「こどもだってカンパ~イ」である。今からそういうの好きなのだ、、、。後は彼女らが好きなように食べる。喋る。その盛り上がり様が丁度良さそう。
すぐにわたしはサンタを脱ぎ捨て、自室に籠ろうとした折、そのお友達のひとりのおかあさんが土産を持参してご丁寧にご挨拶にみえた。サンタのまま応対したが、大変真面目なお母さんなのか表情ひとつ崩すことがなかった。
きっと笑ったら失礼にあたると思われたのだろう。
(笑うしかない格好であったにせよ)。
有難く頂戴して片方のプリンは彼女らにデザートに出すことにした。

9人構成になると(この時期は)全体として滑らかに盛り上がる以前に、混乱に近い様相を呈し始める。
もう、途中であちこち家のなかを分けもなく飛び回りだすのだ。
驚いたことに進入禁止となっていたわたしのパソコン部屋にも入り込んで来るではないか。
輪ゴムを取りに、、、(爆。
ただ中を観てみたかったのかい。

今回は良い感じで集団でまとまって移動しつつ愉しんでいた。
落ち着いていた(爆。
入ってはいけないことになっているわたしの部屋とウォークイン・クローゼットには入らなかった。
(それが当たり前だが)。
とてもお利巧なので、一度わたしの部屋でパソコンのタブレットでマンガでも描いたらと言って遊ばせようとしたがチョイと弄るくらいで下に「ゼルダ伝説」をやりに行った。
パソコンお絵かきでも、わたしのタブレットでペン描きを始めるとかなり時間を食ってしまう。
ふたりはすでにそれを知っているので、深入りさせなかったようだ。
これは凝ってしまう。ホントに一日使うはめにもなるくらい。
とは言え、ゼルダをやってもきりがないことになる。
それに集団で遊ぶ為に集まって、個々にゲームは余りに淋しい。
(対戦スポーツゲームなら別だが、、、わたしもその導入を考えたが、今一のモノが多い)。

すぐに(いつもと違い)ゲームも切り上げ、ピアノをそれぞれ弾き合ったり、談笑を始めているようだった。
階段途中で話している時、「好きな人」がどうとか、いろいろ喋っている。
それの主体がどうやら次女の声だ。
もう友達としか喋らない話題が沢山出来ている様だった。
「好きな人ね~、、、」
そういうものかと思う。

これまでは、一緒に並んで歩いていたのに、近くのピザを買いに行くときにわたしの前や後ろを歩いていた。
長女はまだわたしと手を繋いで平気で歩くのだが、、、。
姉妹(双子)でこうも違う。うちは特に違うのだが。
ただ二人とも自我が芽生えて来ていることは確かで、、、気難しくなっている。
重々しくなっている。
言葉に過剰に反応する。わたしも言葉に拘るが。彼女らの場所でやはり言葉に拘る。

今日来た子も性格はそれぞれ全く違う。
その印象が何故かやたらと鮮烈に映った。
当たり前だが、それで世界が豊かになるのだ。


初期の粒子が光の速度のまま飛んでいたなら、宇宙は出来なかった。
質量を得て減速したため、様々な物質化が起きることに繋がった。
多様性が生まれることで世界が生じた。
多様性が事象の本質である。









外は雨

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外は大雨の音が間断なく続く。
台風の為の市の避難勧告メールが3度もけたたましく鳴った。
内容を見るとまあ、物々しい事。

わたしのいる場所は、山もないし、全くの平地で窪みもなく水も溜まらない、河もない、、、
と思ったとき、高校時代の同じような大雨台風の時の事を不意に思い出した。



それは当時、学校でいつも一緒に行動していて、帰りも飲み食いするなと注意を受けていながら、毎日学校のすぐ隣の店で必ず飲み食いして帰った友達のことだ。

彼は体が丈夫な気さくな頑張り屋さんで、ちょっとしたことでは動じないタイプである。
勉強もよくやっていたが、お父さんの影響でアウトドアの活動一般に強く、火おこしやテント張り、飯盒炊爨など得意であった。
ある日、滅多に使わない近くの有名なローカル線(わたしの住む地区を真ん中にして三角形~三辺に鉄道が敷かれているがその中で飛び切りローカルな線)に乗っていた時、その線路の間近の土手の斜面で彼がヤマトイモ(彼の後日談)を一生懸命掘っていたのを見た。そのイモは根深くて掘るのが大変なのだとか、、、。

かなりのインパクトであった!
わたしにとって彼は一目置く人間となった。
(それまでもキャンプなどで、彼の偉大さをひしひしと感じることはあったのだが)。

彼は帰りは途中まで自転車で一緒に帰るが、わたしはすぐに家に着く距離のため途中で分かれ、彼は延々と走って坂を二つくらい上り下りした先にある緑の茂る地区に住んでいた。
わたしと言えば、小・中より高校は近い場所にあり、しかもその近さでは自転車通学は認められていないのだが、抜け抜けと自転車通学を取り付けていた。規則にはことごとく抜け穴がある、、、(チョイ悪。
登校後に忘れ物に気付いても自転車で余裕で取って来ることが可能であった。
同級生に2時間半かけて学校に来る子がいて、彼ら(彼女ら)は実にしっかりしていた。
これは堕落するわと我ながら思ったものだ。

ある日、真面目で健康そのものの親友である彼が無断欠席したことがあった。
誰も気にしなかったが、わたしも珍しいとは言え不思議に然程気にもならなかった。
どうしたのかその晩に電話でもしただろうか、、、覚えていないが。
一日開けて、彼は登校して来た。
明るく挨拶を交わしたところで、誰かが、お前昨日どうしたんだと聞くと、みんな注目した。
(やはりわたしはその理由を事前に聞いていたような気がする、、、)。

日頃水枯れでほとんど水の流れのない河が彼の住む地区にあることだけは、誰もがうっすら知ってはいた。
その河が大雨で増水して氾濫(彼の言による)したのだ。
(確か早めに家に帰され夕方から晩あたりに豪雨が降り、あくる朝はもう下火で普通に登校というパタンであったような)。
彼は自転車だけでなく家に帰ると原付も乗りまわしていた。
そのバイクごと水に押し流されて次の日学校に来れなかったのだという。


彼はそれを耳にした周りから大爆笑の渦に取り巻かれた。
わたしも涙を流して腹を抱えて本気で笑い転げた。
(知っていても改めて面白さに火が付くことは多い)。
日頃、慎ましやかで凛とした知的な女子生徒(ある意味マドンナ)も大笑いしているではないか。
何がそんなに可笑しかったのかは、謎である。
ただ、あの時は笑いが爆発して止まらなかったのだ。
笑いだけがその場に存在していた、と言ってもよい。
そういえば、日頃あまり笑いがなかったようにも思う、、、。
そのお茶目な非現実性が連鎖的に、ある無意識的なスイッチを押してしまったのではないか、、、。


彼もその時ほどみんなから笑いが取れたことはあるまい。
あれからもう随分経ち、何処でどうしているかは知らぬが、彼の事である。
しっかり堅実に生きていることは疑う余地がない。


相変わらず雨音は一定の激しいリズムを刻んでいる。
明日あたりは、きっとあの河も増水していることだろう。



黄昏時

tasogare.jpg

「君の名は。」にも出て来た「誰そ彼」の時である。
誰ですかあなたは、、、君の名は、、、か。

~黄昏時、、、

黄昏時の小町通を歩いているうちに空から赤みが消え失せて行く。
まだ行く当てがあったわれわれは、急いで江ノ電に乗ったが、空はすぐに藍色に落ちてしまう。
江之島を禍時のなか、ただひたすら歩いた。
何処へ向かうでもなく、誰もが道に沿って歩き続ける。
時折、止まって橋の欄干から漆黒の外を覗き込んでも、やはりあてもなく進むしかない路を進んで逝くしかない
そんな時に呑まれる。

娘に声を掛けられ、帰路についた。
電車に乗るまでずっと手を繋いで歩いた。

昨日のことだ。
おかげで、、、
今日も一日中、微睡状態でいた。
覚醒しないまま、また夜を迎えた。

昨夜の余波で虚脱感というか充満した感覚~眩暈が続き、時間が流れなかった。
ずっと黄昏時にいたようだ。


magatoki001.jpg

~黄昏時、、、

朝でも昼でも夜でもない宙吊りの場所である。
あらゆる枠が溶け規範めいたものは何もない。
無論、善も悪もない。

ただ昏い海辺で電車を待っている感覚。
ポール・デルヴォーに出てくるマネキンのような裸婦と骸骨が蒼い闇に沢山潜んでいて、耳を傾けると何やら話し込んでいる。
だがそれは上空にいる無数の鳥たちの鳴き声であった。
俄かに界隈が騒めき立つ。


それもいつしか潮騒に引き取られてゆく、、、。

3連休の終わり。
何やら淋しい。


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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