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風呂で寝る

sun001.jpg

ここのところほぼ毎晩、風呂で寝てしまう。
気持ちが弛み切って自分の外に自分が全て流れ出てしまうのだ。
風呂からあがると何も残っていない。
フレームだけのわたし。

空っぽの身体に、冷えた牛乳をマグカップで2杯流し込む。
これが染み渡って、クーっと気持ちよい。
夏ならプレミアムモルツだったりするが、、、(宣伝するつもりはない)。

部屋に戻ると、だらっと椅子に沈み込む(笑。
生まれてこの方、たまりにたまった蓄積疲労を全て何処かに垂れ流しているのだ。
重力が他の次元に流れ出てゆくように。

それから、新しい星が見たい。

激変を迎え

Michelangelo Pieta003

すべてが大きく解体する。
変動する。
しかし本当に生きようと進めてゆけば、必然的に崩壊するものは当然ある。
容赦ない動き。
そして消滅。
それに耐えきれるかどうか。

想定も見通しもたたない。
何も分からない。
不安しかない。


完全に解体すべき時には、そうなる他ない。
どうにもならない。
暗闇のジャンプ。


なるように成る。
なるように成るだけ。
自然の摂理のように。


最後に正しさを実感できれば良い。

Michelangelo.jpg

心地よい入眠

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以前は睡眠導入剤が必要だったが、最近は飲む必要がなくなった。
夜が更けるころになると、起きているうちからすぐに朦朧としてきて、ばったりと眠れる。
病院の高血圧科にも通院はしているが、ほとんど125/70前後を維持しており、問題はない。
数値に振り回されたくはないが、この辺の数値であるとすっきり過ごせる。
生活の質は、快不快で左右される部分が大きい。

極力、不快・不安要素は取り除きたい。
それでも怒りだけは激しく噴出する。
これは、まだ当分収まるまい。
反復・回帰~再現がある限り、鎮火することはなかろう。

変わらないのだ。
基本的に人は変わらない。
やはり自分が大きく変わり、健康になることだ。
ことばの真の意味での。
ニュートラルに。

まずは、身軽になっていこう。
拘り~自我から少しづつ解かれて。
そう、どうでもよくなってゆけばよいのだ。
だが、まず前提としてやるべきことがある。

よく専門書にも出てくる幼年期からのこれまでの自分を想起し、その時期における欠如を埋め合わせてゆく作業を実質やっておきたい。どれほど有効か、はともかく。
少なくともその最も大事な時期は霞の中なのである。
断片は幾つも、幾つも拾い集めた。
拾える範囲は自ずと限られるが。
独りでやる他ない。
それに不足分を与え生気を蘇らせて統合出来れば、自分の足場として確立するか。

何をするにせよ、土台は必要なのだ。
土台の上に、何度も何度も建て直す必要がある。
最終的に更地にするにせよ。

何かを作りつつ、解体の準備もしてゆく。
その過程で「存在」が屹立してくる。








最近、よく夢を見る

moonbow002.jpg

夢と言うのが、大変現実的で緻密な光景なのである。
しかし、考えてみればそうでない夢など見たことがない。
夢は常にディテールがしっかりしており、へたな映画よりずっとリアルである。

そして変に入り組んだ複雑な映画の脚本より、もっと複雑でダイナミックである。
物凄い出来の良い詩的な映画みたいだ。
そう、タルコフスキーの映画に似ている。(ベルイマンのものにも)。

    タルコフスキー以外では、、、
    わたしは「去年マリエンバートで」は好きだが、「メランコリア」に寧ろ究極的なリアルさを感じる。
    「メランコリア」は人類にとって正夢かも知れない、、、。

うんと苦しい夢の時は、「ストーカー」である。
そんなときは、寝汗もかいている。
何を求めて彷徨ったものか、忘れていてもどっと疲れているものだ。

「鏡」みたいな夢も見たが、その他となると、定かでない。
(「サクリファイス」は知らぬうちに見て忘れてしまった夢であったかも知れなかった)。
いま、緊張感と言うか一種の研ぎ澄まされた濃密さを感じる。

高濃度の時空である。
酷い疲労を誘いつつ、、、。
逆らい難い眠気を纏わせ

ひんやりと醒めている、その時空がこの夜のしじまにすでに嵌入して来ている。
稠密なタルコフスキー時に連結していた。
このまま「ノスタルジア」に導かれそうだ、、、。

   あの回廊は何度も歩いた。
   何度も過った。
   その先を眺めやった。

そんなとき、何故かわたしは決まって自転車に乗っているのだ。
遠藤彰子かジョルジョ・デ・キリコに借りた自転車である。


驚異的に明るい崖の裏面に漆黒の闇が貼りついている。


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オウムアムア

Oumuamua001.jpg

ʻOumuamuaー1I/2017 U1
ここのところずっとNHKのBS番組ばかり見ているような(NHKアレルギーであったのに)。
科学番組で観た未知の天体「オウムアムア」(インターステラー)を巡っての想定外の在り様に対する考察はかなり刺激的であった。
(この番組のテーマ音楽がとても好きだ。”カッシーニ グランドフィナーレ”の回では号泣した)。
1I/2017 U1、、、観測史上初の恒星間天体である。
軌道分析から太陽系外から来たことが断定された。
”1”ははじめての1(番目)。”I”は、InterstellarのIである。
「遠い場所から初めて呼びかけて来る、使い」という意味のハワイ語のオウムアムアと名付けられる。
天文関係者が色めきだった。
初めての太陽系外から来た天体の発見に沸く。

Oumuamua002.jpg

太陽系圏外からやって来て二度と帰らない~太陽系軌道には乗らない~コースで凄いスピードで去って行った。
またいつか、他の太陽系を横切るのだろう、、、。
いつも思うが、こうした天体譚には何とも言えない郷愁と風情がある。

勿論、必ずUFOじゃないか?と取り敢えず騒ぐ人が出るがいつものことだ、、、言ってる本人も信じていない。
連星(一般的に謂って恒星は連星のパタンの方が多いらしい)の微妙な重力バランスによって弾き飛ばされてやって来た小惑星と考える人もいた。
われわれの太陽系では木星と火星の間に夥しい小惑星帯があるが、太陽の重力が強いため系の外に脱出する可能性はない。
大概、小惑星は恒星の近くで作られるものであり重力の拘束力は大きい。
恒星から遠く離れた領域で出来た彗星であれば、近くの大きな惑星の影響で加速を受け系を飛び出す可能性はあり得る。

可能性としてはわれわれの太陽系で謂えば、エッジワース・カイパーベルト~太陽系外縁天体(オールトの雲含む)にある夥しい数の氷の天体である。
表面は高エネルギー粒子や放射線に晒され茶色くなっている(炭素化)。

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ハワイの望遠鏡が最初に発見したというが、ハワイにはかなりの望遠鏡がある。
日本のすばる望遠鏡もマウナ・ケア山山頂にあるが、かなり各国の望遠鏡が密集している。
チリの高原も望遠鏡設置には良い場所だ。今回もチリの望遠鏡が活躍している。
但し、最も大きな貢献をしたのは、ハッブル望遠鏡であった。

物体の明るさの変化から物体の形が推定できると言うのは、成程と思った。
縦横の比率に変換できる。
ここで、オウムアムアは1:10の細長い形態であることが割り出された。
回転しながら移動する全長800mの細長天体である。
ドバイのブルジェ・ハリファビルと同じような形態であるようだ。

わたしが、この天体譚に感心したのはここからである。
彗星であることが優位に立った時、最初の報告者の博士が、彗星説を否定し惑星であることを主張する。
何故か。彗星であれば太陽に近づいたときに青白い尾を発生させるものだ。
確かにこれまでは皆そうであった。
しかしこの天体はどの望遠鏡で調べても尾を見せていなかった。ガスや塵を発生していないことから、彗星と見ることが出来ない為、岩石で出来た小惑星と捉えることを選んだのだ。

だが、尾を出さない彗星の可能性を示唆する博士が出て来る。
アイスクリームをメレンゲで包んで、ガスバナーで表面を焼いて仕上げるスウィーツである。
ブランデーで香り付けするのも忘れずに、、、。
つまり氷は炭素の皮(宇宙線の照射により凝縮された炭素の外皮)で守られた彗星となっている、と。
だからガスも噴射しない。

だが、最後の詰め~どんでん返しが、ハッブル望遠鏡の長時間観測データの解明によってなされる。
オウムアムアは単に太陽によるスウィングバイの重力効果以上の加速をして遠ざかっていたのだ。
これはオウムアムアが何らかの推進力を独自に持っていることを意味した。
ここからがわたしにとって特に瞠目した部分である。
その博士は太陽系の彗星のガスとは成分の異なるガスが放射されていたという事実を推測したのだ。シアン化物の光~色を発していないことから。
一度は通常の青白い尾~ガスのないことを決め手に彗星説を否定した博士が太陽系では観られないガスによる推進を果たす彗星であることを導き出した。
尾は地球のこれまでの目=言語では検出されなかった、というだけなのだ。
そう、他者なのだ。その成分も太陽系のものではない、という認識の獲得。
これは科学(の言語)でしか到達できないユリイカ~イメージである。

これこそが科学の醍醐味で、他の領域にないエレガントで崇高で愉しいところである。

そして最後に、たまたま地球近傍をオウムアムアが通過したという事実は、太陽系に他の系からやって来た天体が少なくとも1000個は存在すると考えられ(数学的推論)、過去に太陽系の周回軌道に捉えられたモノがあることも実際に分かった。
オウムアムアだけではないのだ、、、。かつて存在した数はどれほどのものであったか、、、。
そしてそのインターステラーの地球への衝突が生命誕生の秘密を握っているかも知れないのだ。
(わたしもそこには大いに関心がある。生命は彗星から来た、、、チャンドラ・ウィックラ・マシンジ=フレッド・ホイル)。
系から系へ。この壮大なる交通空間。
われわれは何処から来たのか。そして何処へ行くのか。そしてわれわれとは何か(ゴーギャン)。



やはり科学程、イマジネーションを解放できる世界は無いと謂える。



ことばとひかり

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ーー実際に星は見えなくとも論理に照らせば
        あるべき光の列が見られるーー

夜空を眺められて
こんなニュアンスのメッセージを下さったあなた

それは
あたかも
論理と想像力の協奏のようで
とても素敵な時の重ね方と

改めて
学びを戴きました。

ほんの少しの心配りで
随所に息衝く生のコンチェルト

何気ない
日常の些事が

束の間の休息さえも
きらきらと輝き出すようです・・・。


いつもながら音楽性溢れる美しい文(文体)でとても心地よかったので、全文引用させて戴いた。
(部分に切れないものであったので)。エストリルのクリスマスローズ*より。

 何気ない日常の些事が
 束の間の休息さえもきらきらと輝き出す生活は*Author:様が実現されていることは、ブログから実感しています。
 その文章と写真から、、、
 わたしも、人間はどのように時を重ねてゆけるか、にかかっていると思います。
 論理と想像力の協奏、、、テーマとします。


夏休みでのこと、、、。
iPhoneを夜空に翳すと、その場所の星座がパネルに現れるアプリで娘と遊んでいたのだが、飽くまでも実際の空の下でやりたい。
雲があったり、光で多少明るくても、やはり火星は見えていたし、ベガ、アルタイル、デネブは見えていた。
しかしその他となるとなかなか見えない。雲と明かりの影響は大きい。

久々に空を見渡す、、、夜は気持ちがよい。夜の散歩なんてまた格別である。
飛行機がゆっくりと過る。
雲が白く過る。
長女が言う。
雲は凄いスピードで飛んでいるんだよ。
わたしは、まだ飛行機は両手の指くらいしか乗っていないが、娘たちはすでに30回位は乗っている。

雲の中も飛んでいる。
窓際のシートが大好きだと、、、。
いろんなモノが見えるから。
どれもみんな飛んでるから。
見てる自分も飛んでるんだ。
もともと全てが、、、ピアノ曲線を描き、、、
そのうちに夢の中を飛んでいる。

自分などというものの無い場所から

見るという事の神秘と創造を想う。
生命(力)がひとつの志向性をもち、感情~感動と共に母音を発した、、、「海を見てウ~っと」(吉本隆明)
そんな場所から、ことばは有機的な分節をもって生成されていったのか、、、。
このことばの出現はわれわれの精神~思考と同時に自然に変質を齎してゆく。
思考はことばにより飛躍するにしても。
自然も大きく変わる。


ベテルギウスはまだあるのか、もうないのか、、、
わたしと娘も一瞬、リルケになって想いを巡らせる。


詩的関係、物質的想像力、、、なんていう言葉を思い起こす。


ことばがはじめてはっせいしたときのうちゅうがみたい



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重陽の節句

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9月9日は一番大きな数が重なる為、「重陽の節句」と呼ばれるようになった。
ちょうど季節の節目でもあり「無病息災」を祈願する行事の日となる。

うちでも簡単にこの別名「菊の節句」を行うことにしている。
そもそも、うちでは昔からやっていたのではなくわたしがブログを始めたころ、ブロ友の方が記事でそれは印象的に紹介されていたことに影響を受けて恒例の行事となった。とは言え、実に簡素にやっている。

早速、昼も近くなったので、近所に買い物に出たが、普通七夕やお月見などの行事では必ず特設コーナーが小さくも設置されるのに、どこにも何もない。「重陽の節句」が完全に無視されていることが分かった。うちの近所の店では、、、。
ちなみに、今年のお月見は9月24日になる。この日はお団子だ。このコーナーは出来るはず。月にお団子で分かり易いのか?

娘のバースデーに必ず頼むケーキ屋にも置いていない。
焦って他のお菓子店にも電話したが、ないのだ、、、。
和菓子専門店ならあるはずだが、ずっと長いこと続いていた大きな店が一週間ほど前に閉店したばかりだ。
(ここのところ、長く続いた店舗も含め、閉店ラッシュである。わたしも日頃の買い物はほとんどアマゾンだし)。
昨年はちょっと遠出した先の大きなデパ地下で前日に買ったと思う(たまたまである)。
菊の花と菊のお菓子。

仕方ないので、菊の花を3種類ばかり買って花瓶に挿した。
後はお酒と三色串団子を買って来た。
大人はお酒に菊を浮かせて、娘は麦茶に菊を浮かせることにした。
栗ご飯を夕食に焚くことにしたので、それで慎ましく行うことにした。


夜は菊を浮かべたお風呂に、これから入る。
まだ夕方だが。
一番は次女から、、、。
今日はゆっくりしたい。

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花火が煩い

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昨夜、メインノートが壊れる。
電源部分の故障のようだ。
スーッと落っこちて、98%書いたブログ記事が消えた。
通常は60%くらい書いたところでエディターにコピーするのだが昨日は何故かしなかった。
一度落ちても、再起動すると、データの復元を聞いてきて大概続けて入力できるのだが昨日のパタンでは出来なかった。
セカンドノートから23時にアップする予定も叶わず、24時チョイと前にそれまで書いたものとは全然異なる文をアップはした。同じ文は書けない。

だが、何かの遺り滓的なイメージが強く、一旦削除して最初に書いたものに近づけてアップし直した。
(これが最善のはずはないが)。
気持ちの問題かもしれないが、二度目のものは、形は違えど最初に書いたモノを整理して書いた感じに落ち着いていた。それが妙に気に喰わない。
いきなり浮かんできたものには、それがどんなものであってもそれなりのアウラがあるものだが、それが全然ないものになってしまうととても虚しい。
やはり一番搾りが美味しいのだ。

結局、自分が最初に書いたものに似たものにしてアップした。
こちらの方が、整理報告文よりはまだ多少はマシであった。
恐らく一定期間、読んでくださってる方々には分かってしまうに違いない。
「か」の抜けたビールみたいになっている。(この言い回し通じないヒトもいる。ローカルなのか)。

夜中にパソコン関係でゴタゴタするのはキツイ。
以前はそればっかりしていたものだが。
自分でやる根気がなくなっている。
タワーのデカい類のものならやる気も自然に起きるが、ノートは気が進まない。
メーカー修理に出そう。梱包がメンドクサイが,そのうち、、、。


どこで上がっているのか分からないが、先ほどからずっと花火の音がしている。
窓から覗いても分からず、テラスからでも見えない。
庭に出てみたが、テラスから見えないものが見えるはずもなかった。
星は静かなのだが、花火は音ばかりが煩い。
ある意味、人を呼ぶためのものだ。

以前、TVで星(恒星)の音を流していた。
通常では聞こえない音だ。
楽器と同じく反響音だ。凄いスケールの。
名状し難い音だが不思議に記憶に残る。
何でも音を出していることに気付く。


音だけ聞いて想像するというのは、楽しいものだが花火にはそんな気にはなれない。
、、、出て来るパタンが知れている。寧ろ静かに花火そのものだけひっそりと見たい。
ペアになってる音はきっとお祭りを連想させるのか。
時折、心地よい音に聴こえたりもするが。

星はイメージすらできない。
ケプラー望遠鏡の捉えた恒星の音であったが、どこか昔のSF映画で使われていたUFOの効果音にも似ていた。しかしそれでいてチープさはなく、強い存在感ある音であった。

星の音を捉えるような感覚が稀にある。
自分の作ったモノに自然に接続できると、嬉しくなる。


昨夜は遅くまで起きていて夜食も食べ過ぎた。
これでは感覚も鈍るし太る。
今日は何もせず早く寝よう。



NASAの衛星が捉えた地球の音は、もうそれ自体が飛び切りの音楽であった。
クラウトロックも近い音を出していたが、これは「本物」~アウラである。






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トトロの雨

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昨日、台風の中、長女とドライブをした。
ワイパーをうんと速くしても前の見える時間は僅か。
風の唸りとシャワーの細かく鋭い連続音。
この水のお陰か、車内の空間密度が昇まる。
濃密になって来る。

桜並木の中央通りに差し掛かると、雨のシャワーとは全く別の水の塊の落ちる低音が不規則に天井に鳴り響く。
ちょっとユーモラスな太鼓の音だ。
後ろの席で、彼女が「トトロ、トトロ」と歓ぶ。

確かにそうだ。
トトロだ。

ドン!と鳴るとキャハっと笑う。
また、、、ドン!と鳴るとこちらも一緒に笑ってしまう。
ドドン!(笑。
ドドドン!(爆。


トトロサウンドとシャワーで音も視界も密閉される感覚が嬉しい。
この状態がもっと進めば、走るアイソレーション・タンクとなるか?
アルタード・ステイツへとコズミック・ドライブ!(笑。

豪雨の日はスピードがより際立つ。
水しぶきを豪快にあげて走る。
気持ち良い。
水の四重奏だ。
離脱する。

特別な浮遊感。


離脱。



さあ、どこに再接続するか、、、


totoro002.jpg







夏場の冬眠

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外に暫く水撒きに出ただけで滝のように汗が流れて着替える。
ここのところ少し用事で外出するたびに汗だくとなりシャワーを浴びて着替える。
そんなことを日に4回くらい繰り返す。

今日は日中は一歩も外に出ず、ここ2週間利かせっぱなしのクーラーの下でひんやりしながらずっと寝ていた。
時折、眠り半分目覚め、またウトウトしつつ、、、。
チョット寒い感じであったが、気にせず寝ていた。

何もしない快感である。

とは言え、西部劇「荒野の用心棒」と「ハンガーゲーム2」を観てしまった(笑。
(近いうちに感想でも書きたいが、黒沢の「用心棒」と「ハンガーゲーム3,4」を観てからにしたい)。

全く何もしないというのは難しい。
おっとそれから、トイレに起きた後で「乃木坂工事中」を観た。これが一番面白かった。

やはりトップアイドルの女子たちの溌溂としたクリエイティブなパワーは小気味好い。
鬱屈する暑苦しい外界~日常とは異次元だ。
ひと頃、「お笑い」も観ていたが、それ以上の清涼感と解放感がある。

しかも充分笑えるのだ。
気持ちよく笑わせてくれるヒトがわたしにとっていま最も必要な人である。


(こんなに暑い中、娘たちは喧嘩ばかりしているし、、、)。



夜気に浸る

yaki.jpg

夜の冷気にはホッとする。

”六気を餐いて沆瀣を飲む”という

沆瀣(こうがい)は「露の気」でもあり仙人の食べ物でもある、、、。

意識に清澄な大気が流れ込む

そう、濁り白んだ器を漆黒の冷気が一気に清めてしまう。


すると何やら気配がする

静まり返った闇の幾層もの微細な空間から、それは小さなもの音たちが

わたしを押し戻そうとしていた。



公園での読書

sagamihara p


最近ハマっているのが、これである。
わたしは図書館での読書が好きではない。
雰囲気が暗く閉塞的で空気も悪そうな気がするのだ。
ひっそりと本を読みたいのだが、人が何分多すぎる。

図書室だと声が出せない。
そのくせ咳が(強迫的に)やたらとあちこちでしたりする。
全く自分の中に入っているならよいが、妙に相互監視している節がある。
何かピリピリしているのだ。

公園であると、噴水を見ながらベンチでのんびり独りきりで本が読める。
鳩や烏も風の仲間で気にならない。
青空のもとで解放感に浸りながら時々欠伸をして。
不意に、持ってきたチキンを食べたりする。
(そう急に食べたくなるのだ)。
喉が渇けばDr.Pepperと決めている(笑。

自然に食べたくなり、飲みたくなる。
(あの時代のギリシャの人ならパンとワインか。対談いや対話もあんな風にしてみたい)
わたしは本を読むときかなり食欲が出る。
であるから、図書館は基本的に、無理なのだ。
誰かの家の書斎で呑むなんていうのもいいな、と今思う。


食べたいときに食べ、、、
読みたいときに読み、、、
観たいときに観る、、、
少しの間、映画は休みたい。

寝たいときに寝る。
散歩したいときにして
買い物を思いついたら買いに行く
泳ぎたいときに泳ぐ。
(大概娘と一緒だが)


取り敢えず、まずは公園でぼ~っとしてから決める。

最近、車に読みたい本と水着は入れて走っている。

ただ、本を入れるものを手提げバッグからナップザックに変更した。
手に色々持っていると最近、一つ落っことしたりする。
この前は新品のこれから読む本二冊の入ったバッグを落とし角が見事に潰れてしまった。
わたしは使用しているうちに自然に摩滅して行くのは寧ろ心地よく感じるのだが、事故で痛んだりするととても落ち込んでしまうのだ。とてもその辺が神経質なのである。

そうだ、今度は話もしてみたい、、、。
最近、とんと人に逢っていないのだ。
もうかなり長いことそうである。
(今気づいた)

独りでいるとどうも細かいことに気が行ってしまう。



yokoyama park





プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

*当サイトはリンクフリーです。

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