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遠くの公園

aikawa002.jpg

「登ってみてえな~っ」と言って見上げている若いお父さんがいたが、気持ちは分かる。
ボルダリングとかが流行っているし、その感覚で見れば、まさに手足を引っかける手ごろな凹凸でもあれば絶妙な「面」であろう。
わたしには、そんな感覚はないが、見るだけで快感を覚えてしまうロケーションではあった。


少し遠くの公園に行ってみた。
いつもの公園の4倍ほどの距離にある。
(同じ公園ばかりでは、ちょっと寂しい感じがしたのだ)。
山々が背景に聳える小高い丘に広がる場所だ。でっかいダムもある。
道路は広く整備されているが、上に登るカーブは激しい。運転は面白い(笑、が長女が酔わないように気を付けなければならない。
昼頃の時間に行くと渋滞や駐車場で大変な目に逢うはずなので、朝公園が開く5分前到着を狙って家を出た。

高校時代、この地区からわたしの通う高校にバス、電車で来ている友人が何人かいた。
片道、2時間半である(それ以上か、、、)。
でもそういう人ほど、休まない。
ほとんどが「皆勤賞」だったと思う。
皆、真面目で勉強熱心な生徒であったし。
そんなことを思い出した。

丁度、門の開く5分前に駐車場に並ぶ自動車の列に並び、楽々駐車である。
600台以上停められる場所なので、このタイミングで来れば心配ない。
ただし昼頃着いたら危ない。
(休日の公園はどこもそうだ。いつも行く近くの公園も5つ大駐車場があっても空いていないことがある)。

aikawa003.jpg

いつもの公園と違い、高低差が激しい。
平らに広がる面を歩くのではなく、登り降りなのだ。
見下ろしたり見上げたりのロケーションを愉しむ。
その空間の深みのスケールは普段味わえない。
暫くボーっと眺めいってしまう。

ほとんどは汽車型のバス?やエレベーターで移動するので、あまり階段やスローブの辛さはない。
勿論、階段派も充分愉しめるのだが、わたしたちが使わないだけである(笑。
ともかく広いので、ハイキングの感覚で運動にもなる。
わたしたちは運動と謂うより、気晴らし目的といった方がよい。
風は時折強く吹き、ベンチに座ってスマフォ弄っているお父さんの頭部に飛んできたテントが直撃したりしていた。
家族用の小さなテントが夥しい数あちこちにあったが、テントの設置技術~マナーが問われるところでもある。

川(人工の池みたいなところ)があって、子供で賑わいほとんどが水着でキャーキャー遊んでいた。
うちは何故か、よりによってふたりが足に怪我をしていて、水に入るどころではない。
次女など左足はギブスに包帯なのだ。
それでも、その近くに並ぶ巨大な白いトランポリンに飛び乗る。
これはしかたない。
目にしたとたん吸い寄せられてしまったのだ(爆。
これを始めると、なかなかやめられない。
あのピョンピョン跳ねる上下動が心地よいのか、いつまでもやっている。
(これは待つ方には、いささか退屈である)。

竹をばちで叩いたりするのも不思議にのめり込む。暫くふたりでユニゾンを愉しんでいた(笑。
工芸作品の製作体験コースやその工房で作った椅子や机を売っていた。
どうやって麓の駐車場まで運ぶのかは知らないが。
やはりそこで作られた和紙の灯篭が幾つも灯っていて、その涼し気な薄闇のなかでスナップを撮った。
売店では弁当を売っているが、公園でのお昼はお弁当持参と決めている。
(タコウインナーがなかったら一大事ではないか)。

aikawa001.jpg

ここは水の公園と言ってよい。なかなか風情を感じる小さな滝もある。
遊具(アスレチック)はあるが混んでしまって充分に遊びにくいし、並ぶのもメンドクサイ。
(運動会の親子種目みたいに親子でやらないと出来ないものもあるが、あっという間にゴールで終わってしまうのだ)。
それよりダム側に行って、上から貯水湖を眺めたり、遥か下の河を臨んだりした方が清々しい。
解放的な気分に浸れる。
疲れないし汗もかかない(それでよいのか、、、これでよいのだ(爆)。

小ぶりの第二ダムもあり、そこはもう少し水に近づける。
とは言え大きな欄干のある鉄筋の頑丈な橋から湛えられた水を距離を持って眺めても余り強烈な威圧感はない。
わたしは子供の頃、これ程大きなダムではないが、湛えられた水とほぼ同じ高さのコンクリの堰の上に何故だか立っていた記憶が鮮明にある。立ちすくんでいたと言った方が正確か、、、。そんなことになった経緯は分からないが、、、。
今でもその感覚を覚えているのだが、分厚く深い圧倒する緑色の不気味さと謂ったら例えようがない。
、、、どういうつもりだったのか、、、。

謎の多い少年時代、、、。

謎と謂えば、謎の塊のようなふたりである(爆。
これについては言及しない。話し始めたらきりがなくなる(苦。
ここで苦労話をしてもはじまるまい、、、(泣き笑。


再び聳え立っているダムの外壁をしげしげ見上げて、アイスクリーム食べて帰ることにした。
(牧場がすぐお隣にあるのだった。自動的に行ってしまうではないか)。






トラピスト1に寄せて

TRAPPIST 1 001

TRAPPIST-1
みずがめ座の方角にある直径が太陽の10分の1ほどの赤色矮星である。
その惑星が7つも見つかり何れも地球とほぼ同じ大きさ~つまり岩石惑星であることがわかる。
確か2017の2月の事だ。

あの4光年先に見つかったプロキシマ・ケンタウリbが2016年のことであった。
この辺から皆、色めきだったと思う。
それにしても何故これ程、他の惑星の生命に拘るのだろう、、、。
丁度、エドワード・シザーハンズを面白がりたいのと同じ心境か。

究極的には、他者に対する根源的な畏敬の念~神の希求が無意識にあるのか?
第二の地球などという言い方からすると、自分に都合の良い対象を求めるだけの単なる自我の拡張意識からくるものか?
本当にそこに「他者」~エイリアンがいたらどうするつもりなのか?!
生存欲に根差す覇権主義、、、移住を狙っての、、、やはり「新天地」が一番のウエイトか。
、、、個人的な富と名誉と権力欲も絡み、資源をまたも枯渇させて増殖してゆく侵略者たち、、、、


ケプラー宇宙望遠鏡が星のひしめいている明るい場所を捜索している時、見つかった惑星は4000以上、、、と言ってもスーパーアースがほとんどで、大きさが微妙に大きく岩石か氷か分からない惑星ばかりであった。本当に地球型(岩石惑星)と思われるものは20程と謂われている。生命を考えるとまずは岩石惑星が基準となった。しかもそれは3000光年先であったり、500光年先(2014年)であったり、1200光年先(2015年)であったり、でおよそ現実的な範囲のものではなかった。遠すぎて詳細も掴めない場所にあるのだ。

しかし、、、
ケプラー宇宙望遠鏡の姿勢制御機構に故障が生じ、偶然天の川の暗い場所を捜索することになった時に、それは見つかった。
見つかってしまった、、、これはなんにしてもはっきり一つの段階が進んだものだと言えよう。

これまで宇宙の4分の3を占める(多数派の)赤色矮星に照準を合わせることが無かったため、このような好条件の惑星が発見されなかったようだ。赤色矮星は小さく暗いが、その前を惑星が過るとその明るさの変化はとても大きい。波長の異なる光の変化も掴みやすい。つまり酸素があるかどうかの光の波長の詳細も掴める(トランジット法)。生命を考えるなら、この酸素の波長が決め手になる(酸素を生成する生物の存在が推定できる)。
これが太陽大の恒星の前を地球大の惑星が過っても光の変化は微々たるものであり、そのせいからこれまでよくってスーパーアース(地球の数倍、天王星のような氷惑星よりは小さいもの)までしか見つけにくかったのかも知れない。

そもそも惑星そのものは観測は出来ない。
光るものの影でその存在を推し量ることが出来る。
そう、われわれ自体、電磁波と重力の賜物であった。


プロキシマ・ケンタウリbは4光年先でうっかり現実性を感じてしまう距離だが、如何せん地球から見ると恒星の前を通過しない(横切らない)惑星なのだ。
であるから、公転する惑星の重力により生じる恒星の揺れでその存在を推し量ることになる(ドップラー偏移)。
影も掴めないのだ。(それなのにNASAのHPを見ると行って来たかのような凄いイラストが描かれているではないか)。
だがそこから分かることは、大まかな大きさと公転周期くらいであり、詳細を知るには観測機を実際に飛ばすしかない。

そうなると、4光年先であっても詳細情報を得るまでに少なくとも44年を要することになる(もっとかかる可能性は高い)。
これがスターショット計画”Breakthrough Starshot”(ホーキング博士お墨付きプロジェクト)である。
(ホーキング博士は以前から、人類は他の星に移住するべきであると主張しておられる)。
お金はロシアの大富豪が持ってくれるらしい。ほんとに移住可能な星ならその富豪の孫の代には飛んでもない大富豪と化していよう。
地球からのレーザー光線で推進する超小型探査船である。
切手大のチップに様々な機能が乗っている(ナノテクノロジー)。それを1m程の帆にとり付け高速の20%を実現するという。
一度に一杯飛ばすようだ。沢山飛ばして精度を高めるのだ。
だが現在はプロジェクトを立ち上げた段階で、技術開発に入ったばかりだという、、、娘にどうなったかあちらで聞くことにしよう(爆。その探査船そのものは魅力的である。

Breakthrough Starshot


そうなると恒星の前を揃って通過するトラピスト1惑星系の方が詳細判明は遥かに早い。
ちょっと忘れていた頃にNASAが大発見ニュースを報じるはず。
b~hまでの7つの地球大惑星が小さく暗い赤色惑星のすぐ近くに密集して公転しているのだが、そのうちのefgがハビタブルゾーンに当たるという。単に水が液体であるだけでなく、恒星の活発なフレアの影響をどう対処する機構を生命(いたとしたなら)が身に付けているか、環境がそのフレア、X線、宇宙線を良い形に転嫁できているか(オゾン層の生成とか)も大きい要素だと思う。

一番遠いhの公転周期が20日という近さの内に彼ら(彼女ら)はひしめく。
太陽系では最も内側の水星が88日だ。
しかし恒星に対し余りに近い為、潮汐ロックがかかっている。(地球に対する月のように)。
永遠に昼の部分と裏側の夜の部分に分かれる。しかし、水が液体として存在する環境であれば、大気があり雲も生成され、海(海流による)対流があり、その循環によって裏側もそれほど寒くはならない。
温暖な気候が保持されている可能性はある。

世界も赤の感度を基本にした豊かな色彩世界~その表象により成り立つのだろう。
地球人は知っての通り黄色の感度を元にした色彩世界に生きて、藝術を育んだり語ったりしている。
基本、彼らが(いたとしても)共通感覚は期待できない他者である。基本(究極のパラダイム)が違うのだから。
しかし、かなり安定した(落ち着いた)世界を想う。
地球のように公転と自転をもつ環境は変化が激しい。朝から昼、夜と一日だけでも大きく移り変わる。
知性をもつにしても観念~概念の差は大きいはず(度合いの問題ではないか)。

但しefgの何れにも生命が誕生し進化を遂げているのならば、星同士お互いに知り合う知性は備えているだろう。
赤色矮星の寿命は長く、時間は充分に与えられている(太陽は100億年。赤色矮星は核融合がゆっくりだから1兆年~10兆年をゆうに超えたりする。質量によるが、これは面白い。宇宙の誕生から現在までの時間より遥かに永いのだから、まだ死んだ赤色矮星はひとつもないのかも知れぬではないか。不慮の事故?とかなければ)。

TRAPPIST 1 003

すでにお互いに差別し合い(生存と存続に排他性がどれほどの基本的属性であるかであるが)、泥沼の闘いに至っていたなら、地球人の移住どころの噺ではなくなる。
その悪魔の侵略者に対し3つの星が結束する契機を提供することになるか。
地球でも移民問題は大きい。決して彼らもわざわざリスキーな外者を受け容れようとはしないだろう。
どう考えても受け容れて得はない。特に地球人である。のこのこやってくる頃には事前調査の済んでいる可能性は高い。
恐らく、巨大宇宙船などで近づいたところでたちどころに総攻撃に出喰わすはず。
まあ、侵略者が滅びて和平がしかれるならそれに越したことはない。
面白いが他人ごとである。


どうでもよい妄想に浸っていてもしかたないが(笑、
まだまだ、地球の表面でも分からないことだらけであるし、地球の過去についても謎だらけである。
ヒトにおいても、、、。まさにそうだ。
これまでに生命は幾度も滅亡と隆盛を繰り返して来た。
地球が滅亡するのならそれに最適化されて生かされてきたわれわれも運命を共にするのではいけないのか。

その辺は、科学や哲学の役割だけでなく、まずはSF映画などが人々に対し果敢な仮説を提示していってもよいはず。
ジュールベルヌみたいに、、、。

TRAPPIST 1 002



花の取り換え時期

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先日、次女が家出をすると言って出てゆくところを車に迎えたは良いが、その時に持って出た赤い大きなナップザックが車の中にまだ置き去りになっていたので、家に戻したついでに中を見ると、何と厳選された縫ぐるみで一杯であった。
勿論、家出をするのだから、着替えは入っていた。それから筆記用具と携帯。
わたしは、ひとりで家出するのだから食べ物(缶詰めとかカロリーメイトやチョコ、ペットボトルなど)や着替えとサバイバルグッズなどを連想してしまっていたのだが、お気に入りの縫ぐるみとアクセサリーがとても幅を利かせているのが感慨深かった。
筆記用具は、学校で何処に行くにも持たされるから習慣化したのだろう。それは良いことだ。できればスケッチブックも持たせたい。
ジャケットのポケットにお財布くらいは入れていただろうが、、、。
確かに生活感覚は希薄である。
しかし、価値意識(自分流の美意識)というか、拘りは持っているなとは思った。
その感覚~感性がまず肝心である。
それなしの生活は、あり得ないし。


今日も娘の下校が早かったので、3人で買い物ついでに、ホームセンターで「デルフィニウム」のミントブルーを買った。
夏に弱いと聞いているが沢山店頭に出ており、元気そうなので思わず買ってしまった。
丈も高い。
宿根といっても枯れるものは一年で枯れてしまう。
もともと寒いところの(モンゴルだったか?の)花である。
心配はある。以前、NHKの園芸番組で観て欲しいとは思っていたものだ。
忘れたころに巡り合うものは結構ある。
文字通りの「青い花」である。そこがポイントである。
(花言葉は「高貴」らしい。そういった目で見ると確かに頷ける)。

もうひとつ、「トコナツナデシコ」というナデシコを買った。
耐寒性多年草とある。さらに「四季咲き」とあったので気に入った。
こちらは赤である。赤のグラデーションが美しい。
しかし多年草でも一年で枯れるものは多い。
管理が上手にできるかどうかであろう。
(ちなみに花言葉は「純愛」みたいだ。)
今日買ったのは何れも寒さに強いようだが、これから春~夏を迎えようとする時期である。
何で暑さが好きな多年草を出していないのか、、、。

どちらも冬以外は水はタップリのようだ。
日当たりと風通しの良いところが好きだが、あまり暑いのはダメそうだ。

肥料はデルフィニウムの方が意識的にあげないといけないみたいだ。
ナデシコは月一固形肥料でよいようだ(以前もそんな感じで3年位咲いていたか、、、)。

白い波の中で、赤と青がリズムを豊かにする。


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今日から4年生♡

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この話題を引っ張るのは、本日まで(爆。
何と今日の下校時刻が9:00なのだ!
こんなことがあってよいのか、、、である。
案の定、わたしがカメの水を取り替えている最中に次女が帰宅して来た。
次女はいつでも早い。走って来る。
長女が帰るのは、決まって次女より45分遅れるのが常だがその通りに今日も遅れて帰って来た。
風呂掃除をしている最中であった。
何でもともだちと魔法の練習をしながら帰って来たそうな。

今日は明日の持ち物で、4年生用の新たな名札が必要かどうかが二人の間で論争になっており、長女は絶対必要と説き、次女はそんなもんいらないと吐き捨てていた(論争ではない)。今日帰ったらともかく買いに行こうと誘っていたのだが、次女はそれをきっぱり断っていた。
だが、持って帰った予定表の持ち物欄を見ると、明日の持ち物に4年生の名札も入っている。

次女は「いいも~ン」といって、3を4に斜線で直してクラスが同じだし(偶然)といって直して済ませている。
いつからこういう娘となったのかと訝りながら、長女と買い物ついでに名札を買いに行く。
(名札くらいでそもそも何で言い合いになって意地を張るようなことになるのか)

そこそこ離れたところに学校専用の文具店がある為、ふたりで道沿いの家庭の花をぼんやり見て歩くと、まあよく手入れされていて、皆綺麗に小さな花々が咲き誇っているではないか、、、。ビオラ系が多かったが、、、スミレ、パンジーなどもかなりあった。
中には巨大なウチワサボテンが家の丈位までそそり立っており、ちょっと嬉しくなる家もあった。
中南米でもあるまいし、冬をどう越しているのだろう。

二人に帰ってすぐに聞いたところでは、今度の担任はどちらも新しい(新任に近い)男の先生であるらしい。
4年生はある意味、一番新しい先生に任せ易い学年でもある。
いずれにせよ、家庭訪問もあるし、名札と支柱の他に、ほぼ瀕死状態にある家の鉢植えの花を更新しようという事になった。
つまり花屋にも寄ることに。(花に興味のある先生かどうかは分からないが)

文房具屋では、名札を「二つ」買った。
支柱と丸い囲いはその近くの100円ショップにも丁度良いものがある。
それらを持って(担いで)、ちょっと足を延ばして花屋で花を物色。
最近、白が家ではブームの為、白い花でそれ程、道々で見なかった花にしようという事になる。
結局、丈の大き目の真っ白なマーガレットを二種類買った。
他にもスミレ系の可愛らしい赤と黄色のものも加えた。
(持って歩くのは、意外と大変であることに気付く。いつもは車である)。

ちょっとマーガレットが大きすぎたが、鉢はかなり余っていたので適当なものが選べた。
多年草であることも良い。長女は地植えを望んだが鉢の方が顔色を窺って場所の移動が出来る。
瀕死の鉢物は裏の方へと移し、正面にそれらを置くことに。
土の調合は長女に任せた。保水性・排水性をもつ団粒構造の土とはよく言われているが、、、わたしがやるように彼女も、、、
基本的に、鉢底石を敷いてから赤玉と鹿沼土とバーミキュライトに腐葉土を適度に混ぜて作っている。

まだ、これだという確信の持てるフォーマットは出来てはいない。
当然、植物によっても異なるものだし、、、難しいものだ。
兎も角、出来合いの培養土は直ぐコチコチになるので、使わないことにしている。

わたしはその間、枯れ葉が庭の至る所に落ちている為、とくに射干やミニトマトやイチジク周辺にそれが多いので、虫害を考え徹底的に落穂拾いを行った。モネを想いうかべる余裕もなく、ちょっと自閉的に事を進めていた(笑。
3年ほど前からある名前も知らない端正な青い花を今度、写真に撮って調べることにした。
恐らく鳥が運んできた花である。
この狭い範囲でも、そういう花(多年草)がかなり定着しているオープンスペースであることをつくづく認識する。

かなりきつかったがビニール袋3個分ちょっと危険因子が集まっていた。
その後、暫く寝込んで休んだことは言うまでもない。
まだ、体調も良くなく、睡眠も取れていないのだ。
(眠剤が普通の病院では今後出せなくなってくるらしい)。
わたしも健康的な睡眠スタイルに移行するつもりなので頼らないようにしている。
弱い導入剤であっても痴呆症に繋がる危険は以前より囁かれてきた。


われわれ共々生命の微妙な息吹の(リズムの)絡み合いで環界を生成している。
この極狭い場であっても何とも言えない一体感を醸している。
ミニトマトが採れるだけでもとっても嬉しくなるし、それは買った物より味が濃くて美味しい。
(トマト独自の臭みと酸っぱさが生命力を感じさせる)。
庭に何処からか運ばれてきて定着した花であっても自分の身体性の輪郭内或いは縁に常に存在して揺らいでいる。
それがこちらの意識に登らなくなると(感覚にひっかからなくなると)、枯れていたりするものだ。

次女に真っ新な名札を渡すとまんざらでもない笑顔で受け取った。
ほとんど、庭の植物と変わらぬ反応である。直ぐに名前とクラスを書き込んでいた。
かなり遠回りして、買ってきたというのに、長女は間違えて3年と書いてしまい、それを適当に4に直していた(残。
、、、全く、、、そういうものなのだ。

流れが不意に千切れて逆立したり喪失したり妙な具合に繋がってみたり、、、不協和音も軋むなか、、、
何であっても、、、
健康的な流れに全体として乗ってゆきたいものだ。

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胡蝶花~射干(しゃが)が咲き誇る

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”Iris Japonica”

3年目についに咲く。
しかもすごい勢いで一気に咲き乱れている。
昨日はまだ蕾であった。
つまり、今朝咲いたのだ。
3年前に公園の土手で自生していたのを一株抜いて、家の庭の壁の脇、日陰に挿しておいたらどんどん株自体は強力な地下茎を張り巡らしつつ増殖していったが、一向に(この2年間は)花をつける気配すらなかった。

3年目にやっと咲いたのだが、まだまだ蕾が沢山あり、全部咲くとかなりの花の群れになる。
これだけで気持ちが晴れやかだ。
白い蝶が群れて舞う。
軽やかなリズムに接続する。
とっても爽やかになる。

アヤメ科の常緑多年草で黄色と紫の斑点が絶妙であり、わたしは以前公園の大木の下や湿地に群生していたのをよく眺めながら通り過ぎていたものだ。
色々な公園や神社の日陰に咲いているのが目につき、いつも気になっていた。
今年は近くの公園やお寺では、まだどこにも咲いていない。
(夕方にしぼむのだが、午前中に行っても咲いていない)。

中国原産の帰化植物らしい(しかしとても古くの)。
葉は結構鋭い剣状で檜扇(ヒオウギ)に似ているところから、その漢名である「射干」と名付けられたそうだ。
「胡蝶花」は、ひっそり日陰に咲く様が、蝶が群がっているように見えることからついた別名とのこと。
わたしは後者の方により共感する。
ちょうどそのような感じで眺め入ってきた。
とてもお気に入りの花のひとつだ。
近くで暫く見ていたい。
飽きのこない花なのだ。

全体が青紫のものは、「姫著莪」と呼ばれる。


今うちの庭で沢山咲いているのが、この胡蝶花こと射干と白に薄紫のクリスマスローズと多肉の小さなアーティフィシャルな花々だ。サボテン系の花はなぜこうも人工的な雰囲気なのか?(やはり夕方しぼむ。勤め人には拝めない花かも)。
ツツジも咲いてきた。どれも白が基調でとてもよい。


白はよい。
ちょっと他の色の混ざった白、、、。


リズムの問題

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風邪で家族全員、屋内待機状態である。

もう何も手に着かない為、ボヤっと過ごす。
子供は二人とも外に出れないので、朝から晩までゲームをしている。
調子悪くてもゲームをする体力はあるのだ。
その後は、訳の分からぬナンセンスアニメをアマゾンプレミアム動画で見ている。
感覚的な堕落はどこまでも出来る。
そういうものだ、、、。
(しかし最近訳の分からぬアニメが多い)。


わたし以外、みな病院に行き、たんまり薬を飲んでいる。
わたしは、血圧関係の薬を7種類毎日飲んでいるので、更に増えると訳が分からなくなる。
だからもう薬は貰わない。
医者との関係も最小限としたいのだ。
それを言うと、店との関係も最小限にしたい。
(全てウェブ取引と宅配にしようかと思っている)。
こちらが主体であるにも関わらず、注意しないとかなりそれを揺るがそうという動きに出てくるからだ。
油断できないし疲れる。


二人はピアノをいつまでもやらないのだが、こちらも寝ていて声をかけられない。
どうにか9時半にやらせることができた。
二番目にやる長女は12時までやることになる。

咳が酷いがやらせる。
次女はリズムがどうにもとれていない。
いつもの事だが、そのあたりの甘さで、上がらないことがある。

何時だろうがやらせたいのだが、騒音を考えて、明日にその分をやらせることにした。
何とも甘い。


躾は出来ていないかと思う。
確かに物語は教え込んでおく必要はある。
それは健康にも影響してくるはず。

リズムの問題である。
リズムを身体性のレベルから教え込むものである。
優秀なスポーツ選手のコーチが言っていることを聞くと、どうやらその辺に骨格があるなと踏むことがある。

理論をサラッと説いたところで、身にはならない。
反復してもっとも好ましいリズムに身体を馴染ませるエクササイズが必要だと最近とみに感じる。
毎日のルーチンを大切にしたい。


ここのところ明治プロビオヨーグルトR-1の瓶入りのものを宅配で毎日飲ませているが、これもそのひとつだ。
飲み終わった瓶を湯直ぐのも含め、繰り返しをひとつでもふやしてみたい。
別に明治の回し者ではない。
先日たまたま親戚を駅に送った帰り道に入った店(オーケー)でそれを複数買おうとレジに持っていったら、ひとり一本だと言われ強制的に一本だけ残して他は戻されてしまった。
これはショックであった。「どうして?」と聞くと
その時、「つれはいるのか?」と聞かれ何のことか分からず唖然としているうちに、「持ってって」レジ店員が別の店員に指示を出し、さっさとレジを終わらせてしまった。「なるべく多くのお客に飲んでもらう為です」とかなんとか言っていた。
そこで何やら言い争うような真似はする気もなかったのだが、、、
「つれはいるのか?」ってどういう意味なのか、、、未だに分からない。

娘に最低2本必要であったため、他の店で購入したが、他の店は購入制限などなかった。
(どこがオーケーだ?)
もうそこ(オーケー)には二度と行かないが、そもそも行く必要もないが、ろくな店ではない。
それは断言する。
娘ふたりに飲ませる分も提供できないくらい入荷が覚束ないのなら、そもそも店頭に出すな!
それからレジにゴロツキを置くな!

噺は逸れたが、なるべく店と病院の関わりは最小限としたい。
リズムの乱れる関係性は極力排除したい。

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カメの冬眠を巡り

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家のカメは今度の4月でやっと2歳である。
誕生月は店で教えてもらっているが、誕生日は不明である。
そのため、4月の最初の日曜日にケーキで祝うことにはしている(笑。
今度は、公園に連れて行って思いっきり歩かせよう、などと長女が提案したが即座にみんなで却下した。
あの速さで二匹が違う方向へ走り出したらたちまち迷子で、恐らく見つかるまい。
放送もかからない、と次女が念を押していた。


カメは冬眠する。
家の銭亀も冬眠する水棲カメのひとつだ。
子亀は冬眠は難しいという話を聞いているので、うちのはまだ子亀というより幼亀でもあり、当分の間冬眠はスルーするつもりだが。
観ていても到底冬眠するどころではない。
多動みたいにひっきりなしに動いている。
餌を断って、うんちを出し切り、綺麗な水で水温5度ピッタリに保ち、甲羅の高さ位に水を張っておくと、砂(ミズゴケ)の中に自ら潜り込み冬を越すという。春になると何となく起きてくるらしい。
しかし失敗する場合もあり、冬眠が永眠に繋がってしまう。
大きくなったカメでもそれは起こり得ると。
野生のカメでも冬眠に失敗することはみられるという。

それを聞くと、リスキーなことはしたくない。
以前テレビで何とかという女優(名前を忘れた)が、毎日のカメの水取り換えがめんどくさいのよね~、冬は冬眠するからいいけど、などと言っていたが、水の取り替えくらいがメンドクサイ家で、冬場の冬眠中の環境管理(準備期間も含め)がしっかりできているのだろうか?しかし実際冬眠できてしまっているのか?
水温が何かの手違いで0℃まで低下してしまうと、カメは間違いなく永眠してしまうそうだ。
何かの拍子にコンセントが外れたなんてことがあったら、一巻の終わりとなる。


ウェブ上で冬眠中の管理を以前観ていたら、時折砂から掘り起こして脚を突っつき反応があるか調べて、また埋めるなどという記事もあった。いちいち眠っている時に体を突っつかれても迷惑な話に思える。カメも悪夢を見ないか?
水温だけでなく、準備期間中にしっかり腸内のうんちが出し切れていることも肝心なようだ。
もし残っていると、そこから細菌が増殖して眠っているうちに死に至るという。
しかしレントゲンで調べる訳にも行くまい。ホントに出きっているかどうか、これは絶食期間から推し図るくらいだろう。


冬眠中ずっと気をもんでいるよりも、普通に餌やりをしながら水の取り換えをしている方がずっと気楽で実際に楽である。
家は水温管理と日光については心配ない場所に置いているし。
同じく掲示板のアドヴァイザーの話だと、冬眠中カメを観察して(やはり掘り起こすのか?)もし具合が悪そうならすぐに温度を元に戻し通常の生活に戻しましょうとあったが、カメの寝顔を見てこれは具合悪そうな顔だと判断できる自信がまだわたしにはないため、当分は普通に冬だろうがいつも通りの生活を送らせるしかない。
あの生意気そうな表情がちょっと違う感じになるのだろうか?
想像しにくい(笑。
きっとどこか体全体の感じ、雰囲気が違って見えるのかも知れない、、、。
ちょと神秘的だが、生き死にに関わるのでは大変である。

奥が深い。
やはり余程見慣れて彼らのことを熟知しておかなければなるまい。
娘たちは、今度は猫がいいなどと言っているがとんでもない。
カメの餌すらまともにあげられないのに、他の動物どころではない。
(ほとんどの世話を全てわたしひとりでしている現状だ。猫が来たらまたわたしが引き受けることになる)。
ペットが我が家に増えることなど当分、ない。


まずは、みんなでカメに馴染みたい(爆。





花を植えまくる

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これまでわたしは、サボテン・多肉ならそれ用の培養土、観葉植物一般ならその土、バラならそれ用、ランならその土という感じでお任せ土を使ってきた。
しかし、農業の研究をしている叔父のところで読んだ本の影響で、それはやめた。
かと言って専門的なところに走る気も余裕もない。
ただ、土は無菌の(衛生的な)赤玉土(小粒)に鹿沼土(硬いもの)、そこへパーミキュライトと腐葉土(葉っぱのみで作ったもの)を適度(わたしの場合、丁度良い色合)に混ぜて、植え込む。挿し木の場合は、100%鹿沼土にする。
観葉植物も100%鹿沼土でもよいらしい。
酸性が強いため、それを好まぬ植物には向かないと言われているが、日本の植物なら問題ない。
日本は元々雨は酸性である。

海外から取り寄せた花であれば、調べる必要はあろう。
なんでもラン科の植物(対称性を破る生物のひとつ)も鹿沼土のみでスクスク育てている「鹿沼土専門家」もいるそうだ。
基本的に、ほとんどの植物は赤玉(弱酸性)などと一緒に使っていって問題ないはず。

わたしこれまで、根腐れでかなりサボテンや観葉植物を失ってきた。
サボテンなどポーカーフェイスであるため、死んでいても活きてるような顔をしているから気付かないでいたこともある。
或る夜、疾風に乗って鉢の上をシルクハットの如くサボテンが滑るようにすっ飛んでいったときは、言葉を失った。
根が腐って、それがそのまま本体全体に及んでいたのだ。
とっても軽そうであった。外皮だけだったのだ(拝。
余りに呆気ないお別れであった。
そのころは、ひどく忙しくほとんど何もしてやれなかった。

しかし、そうではなく、ホントに何もしなければまだよかったのかも知れない。
水と肥料を時折、与えていたのだ。(風通しと日光の問題はなかったとは思うが)。
水と肥料の分量と与える頻度がもとで根腐れが起きた可能性が高かった。

だが、叔父の書籍によると、一概にそうも言えないようなのだ。
出来合いの培養土を使うと最初の内は水はけと保水性もよいように窺えるが、暫くすると急速に固くなる。
これは体験上、よく分かる。
水はけが悪くなるだけでなく、悪い菌も繁殖する。
その辺が、根に悪影響を及ぼす。
頻繁に植え替えをすればよいかも知れぬが、それはなかなか出来ないし、その作業で根を痛める場合もある。
結局、菌のいない硬質の赤玉や鹿沼土を使用して自作することが好ましいようだ。

植物による比率も本には詳しく載ってはいるが、わたしは自己流でやっている(やりはじめた)。
色的に丁度良いところで、植えている(笑。
最後に土の表面には隈なく鹿沼土を覆いかぶせる。
水の湿り具合がよく分かるし、清潔感があるため(実際清潔で、虫も避けるみたいだ。粒の形状からも)。
更に、鹿沼土に場合、多少水をやりすぎても適度にはけ、菌もない為、根腐れは起こし難いという。

見た感じそのように思える。
暫く、この線で面倒をみてゆきたい。


今日はピアノのリズムがいよいよ難しいと言ってきた長女の為、MuseScore(UNIX系のフィナーレに近いソフト)に写譜してパソコンで聴かせた。実際に自分で弾きながらなんとか掴んだ方が勉強になるかとも思ったが、、、聴いてもそのまま弾くのが難儀そうであった(笑。
そんなことをしているうちに、読書もままならず、今日は終わりだ。
自分の過去に描いた気に入った絵をここのところ毎日探しているが見つからない、、、。
そんな感じで、、、一日が短くてほとんど何もしないままに終わっている実感がある。
だがホントに短くなったみたいだ。
その上今日は、午前中を歯医者で潰したのが痛かった(文字通り痛かった)。


学生時代は結構、長かった。
今思うと確かに、いろいろ出来たものだ。
そういうものかも知れない。

明日から学校

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制度としての時間を意識する生活となるが、時間を忘れる愉しい事が少しでも多ければ良い。
気が付いたらもう帰りの時間だった、、、なんて感じで過ごせれば、言うことない。
まだかなあ、とずっと思いながら過ぎる時間の長い事。

まあ、最初の取っ掛かりだけの問題ならば、その流れに乗せればよいだけである。
前日早く寝かせようとしたが、なかなか寝ない。
ダラダラ、伸び伸び過ごしてしまったこれまでの日々より若干、早く寝た。

明日、早めに起こすだけである。
そこにかける。
フリーズしなければ、帰りまで普通に暮らしてくるものだ。

学校という集合場所に集まれればそれでよい。
暫くは、それを習慣化し、そのなかで自分のことばを見出してゆく。
制度を受け容れつつ創発性を発揮してゆく過程である。

兎も角、人間、朝が大事だ。
(夜の準備なしにそれは無理だが)。
朝の出だしが肝心であることは間違いない。

後は何とかなるものなのだ。
わたしの実感からして。
勿論、すんなりは無理だとしても。


さて、わたしも眠ろう。
朝の再生にむけて。
朝は確かに気持ちはよいのだ。


濃密な無音

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うちの娘たちは温泉が大好きで、今日はお台場にある温泉に朝早くから出掛けて行った。
その帰りに温泉からそう遠くない義兄の家に泊まる。
夜はそれで実質わたしの他は誰も家にはいない。
明日も、夜まで帰ってこない。

人の声がしない夜を過ごす。
暖房の音が微かにするだけ。
朝と違い、鳥の音も聴こえない。
夏ならかなり遅くまでセミの鳴き声が響くものだが、、、。

濃密に充満する無音が圧迫する。
やはり、自分の目の届く範囲に彼女らが息づいていることで安心できるものがある。
たまにはこの空虚感もよいが。
伸び伸び出来るかと言えば、そうとも謂えない。

今日は昼間から、コズミックネクストの「第九惑星」と映画の録画で入っていた「蠢動」、「ゴッドファーザーⅡ」といつもの「ぼのぼの」を見ていたらもう日が落ちていた。(第九惑星に惹かれる)。
ここのところ一日があっという間に終わっている印象なのだが、今日はそれが特に顕著であった。
周囲に異なる時間の流れがないと、殊更単調な意識流を生きる羽目になるようだ。

学校がまた始まると、例の切れ切れの時間が重層してくる。
これもじっくり沈潜して何かに取り組むことは難しくなる。
明日は誰もいない我が家に、友人が顔を見せに来てくれる日だが、其れを機に新しいルーチンを自らに課したい。
絵と読書、、、それから、、、効率的な運動である。




今年も何とか終わる

StrawberryMoon001.jpg
今夜はさいごにイチゴを食べた。
それで眠ることにする。

深く眠って良い夢を観ようと思う。

一年間の疲れを癒したい。

そして良い目覚めを、、、。

やるべきことは、まだまだあるし、やりたいこともたくさんある。

明日の朝は、目覚めに本を読みたい。

今年は終盤に1か月以上お休みしたが、来年はどうなることか、、、
一言は、毎日書いてゆきたいとは思う。
一日の内に何かしら想うところはあるものだ。


いろいろ有難いメッセージやコメント(電話含む)をよせて戴いた方には感謝したい。
なかにはそうでない、意味不明のもの~礼儀知らずの排泄物もあったが、わたしの文章の内容には微塵も掠るところの無いものであったため、そのままスルーであった(反応しようのないものであった(笑)。
途中休み休みでも1560記事以上書いていれば、一つ二つ不純物が確率的に入り込んできても可笑しくない。
(FC2サービス当局にスパムメール扱いにして削除してもらったので痕跡はないが4日ほど残してはおいた)。


来年は何より、健康に暮らすことを目標にしたい。
やはりウォーキングかな。


それではお世話になった方にはお礼を申し上げます。
よいお年を。

余剰次元

butterfly.jpg

昨日、掘り起こしていた畑から、幼虫が見つかった、、、カナブンか。
カブトムシより二回りは小さい。
他の幼虫もいた。
また埋めた。
このあいまいな地に。


幼虫~イモムシが蛹となり蝶に変態したとき、もうそれには幼虫時代の記憶など残っていない。
蝶として生きる~身体性を持つことに支障が出るからだ。

われわれのこの身体はまさに3次元+時間にピッタリの生存形式であろう。
だが、そのことが余剰次元の経験を原理的に不可能とする。
数学的にその構造と存在可能性を導き出せても。

われわれにとって、知る・認識するとは、身体諸共の知的再構築~新たに身体化を起こす=変態することでもある。
この身体そのものを解体(ブラックホールに落下するように)して、異なる身体性を構成することは不可避であると思われる。
それでなければ知が生きることと離反してしまう。
本来的にその矛盾が大きな軋轢や抗争を生んできてはいないか。
この世界に内包出来ない~生きることの不可能な言葉は本質的に、異なる世界~次元で発せられなければ有効ではない。
どうやら重力があるべき次元にどのように絡んでいるのか分かっていないことに似て。

完全な解体と再構成、いや再生(宗教的には復活)は、この世界内~地平においては不可能である。
同一時空~同じ場に新旧ふたりの自分は物理的に存在できない。見えない。


死と生がまさにこれに相当すると謂えるだろう。
幼虫から成虫への変態は、幼虫としての死であり、同時に成虫の(もはや彼・彼女にとり何の連続性もない)誕生に他ならない。
自分の誕生と自分の死は誰も認識できない。その中間を何もかも忘れた自分として生きて逝く。

死者たちはいったいどこに行ったのか?
思いの外小さくない、次元にコンパクトにまとめられて存在しているのか。
死者たちはどこにいるのか?


わたしは知的異星人からのメッセージより死者からのメッセージが聴きたい。
どれだけ有効なものか。


プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

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