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オウムアムア

Oumuamua001.jpg

ʻOumuamuaー1I/2017 U1
ここのところずっとNHKのBS番組ばかり見ているような(NHKアレルギーであったのに)。
科学番組で観た未知の天体「オウムアムア」(インターステラー)を巡っての想定外の在り様に対する考察はかなり刺激的であった。
(この番組のテーマ音楽がとても好きだ。”カッシーニ グランドフィナーレ”の回では号泣した)。
1I/2017 U1、、、観測史上初の恒星間天体である。
軌道分析から太陽系外から来たことが断定された。
”1”ははじめての1(番目)。”I”は、InterstellarのIである。
「遠い場所から初めて呼びかけて来る、使い」という意味のハワイ語のオウムアムアと名付けられる。
天文関係者が色めきだった。
初めての太陽系外から来た天体の発見に沸く。

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太陽系圏外からやって来て二度と帰らない~太陽系軌道には乗らない~コースで凄いスピードで去って行った。
またいつか、他の太陽系を横切るのだろう、、、。
いつも思うが、こうした天体譚には何とも言えない郷愁と風情がある。

勿論、必ずUFOじゃないか?と取り敢えず騒ぐ人が出るがいつものことだ、、、言ってる本人も信じていない。
連星(一般的に謂って恒星は連星のパタンの方が多いらしい)の微妙な重力バランスによって弾き飛ばされてやって来た小惑星と考える人もいた。
われわれの太陽系では木星と火星の間に夥しい小惑星帯があるが、太陽の重力が強いため系の外に脱出する可能性はない。
大概、小惑星は恒星の近くで作られるものであり重力の拘束力は大きい。
恒星から遠く離れた領域で出来た彗星であれば、近くの大きな惑星の影響で加速を受け系を飛び出す可能性はあり得る。

可能性としてはわれわれの太陽系で謂えば、エッジワース・カイパーベルト~太陽系外縁天体(オールトの雲含む)にある夥しい数の氷の天体である。
表面は高エネルギー粒子や放射線に晒され茶色くなっている(炭素化)。

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ハワイの望遠鏡が最初に発見したというが、ハワイにはかなりの望遠鏡がある。
日本のすばる望遠鏡もマウナ・ケア山山頂にあるが、かなり各国の望遠鏡が密集している。
チリの高原も望遠鏡設置には良い場所だ。今回もチリの望遠鏡が活躍している。
但し、最も大きな貢献をしたのは、ハッブル望遠鏡であった。

物体の明るさの変化から物体の形が推定できると言うのは、成程と思った。
縦横の比率に変換できる。
ここで、オウムアムアは1:10の細長い形態であることが割り出された。
回転しながら移動する全長800mの細長天体である。
ドバイのブルジェ・ハリファビルと同じような形態であるようだ。

わたしが、この天体譚に感心したのはここからである。
彗星であることが優位に立った時、最初の報告者の博士が、彗星説を否定し惑星であることを主張する。
何故か。彗星であれば太陽に近づいたときに青白い尾を発生させるものだ。
確かにこれまでは皆そうであった。
しかしこの天体はどの望遠鏡で調べても尾を見せていなかった。ガスや塵を発生していないことから、彗星と見ることが出来ない為、岩石で出来た小惑星と捉えることを選んだのだ。

だが、尾を出さない彗星の可能性を示唆する博士が出て来る。
アイスクリームをメレンゲで包んで、ガスバナーで表面を焼いて仕上げるスウィーツである。
ブランデーで香り付けするのも忘れずに、、、。
つまり氷は炭素の皮(宇宙線の照射により凝縮された炭素の外皮)で守られた彗星となっている、と。
だからガスも噴射しない。

だが、最後の詰め~どんでん返しが、ハッブル望遠鏡の長時間観測データの解明によってなされる。
オウムアムアは単に太陽によるスウィングバイの重力効果以上の加速をして遠ざかっていたのだ。
これはオウムアムアが何らかの推進力を独自に持っていることを意味した。
ここからがわたしにとって特に瞠目した部分である。
その博士は太陽系の彗星のガスとは成分の異なるガスが放射されていたという事実を推測したのだ。シアン化物の光~色を発していないことから。
一度は通常の青白い尾~ガスのないことを決め手に彗星説を否定した博士が太陽系では観られないガスによる推進を果たす彗星であることを導き出した。
尾は地球のこれまでの目=言語では検出されなかった、というだけなのだ。
そう、他者なのだ。その成分も太陽系のものではない、という認識の獲得。
これは科学(の言語)でしか到達できないユリイカ~イメージである。

これこそが科学の醍醐味で、他の領域にないエレガントで崇高で愉しいところである。

そして最後に、たまたま地球近傍をオウムアムアが通過したという事実は、太陽系に他の系からやって来た天体が少なくとも1000個は存在すると考えられ(数学的推論)、過去に太陽系の周回軌道に捉えられたモノがあることも実際に分かった。
オウムアムアだけではないのだ、、、。かつて存在した数はどれほどのものであったか、、、。
そしてそのインターステラーの地球への衝突が生命誕生の秘密を握っているかも知れないのだ。
(わたしもそこには大いに関心がある。生命は彗星から来た、、、チャンドラ・ウィックラ・マシンジ=フレッド・ホイル)。
系から系へ。この壮大なる交通空間。
われわれは何処から来たのか。そして何処へ行くのか。そしてわれわれとは何か(ゴーギャン)。



やはり科学程、イマジネーションを解放できる世界は無いと謂える。



ことばとひかり

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ーー実際に星は見えなくとも論理に照らせば
        あるべき光の列が見られるーー

夜空を眺められて
こんなニュアンスのメッセージを下さったあなた

それは
あたかも
論理と想像力の協奏のようで
とても素敵な時の重ね方と

改めて
学びを戴きました。

ほんの少しの心配りで
随所に息衝く生のコンチェルト

何気ない
日常の些事が

束の間の休息さえも
きらきらと輝き出すようです・・・。


いつもながら音楽性溢れる美しい文(文体)でとても心地よかったので、全文引用させて戴いた。
(部分に切れないものであったので)。エストリルのクリスマスローズ*より。

 何気ない日常の些事が
 束の間の休息さえもきらきらと輝き出す生活は*Author:様が実現されていることは、ブログから実感しています。
 その文章と写真から、、、
 わたしも、人間はどのように時を重ねてゆけるか、にかかっていると思います。
 論理と想像力の協奏、、、テーマとします。


夏休みでのこと、、、。
iPhoneを夜空に翳すと、その場所の星座がパネルに現れるアプリで娘と遊んでいたのだが、飽くまでも実際の空の下でやりたい。
雲があったり、光で多少明るくても、やはり火星は見えていたし、ベガ、アルタイル、デネブは見えていた。
しかしその他となるとなかなか見えない。雲と明かりの影響は大きい。

久々に空を見渡す、、、夜は気持ちがよい。夜の散歩なんてまた格別である。
飛行機がゆっくりと過る。
雲が白く過る。
長女が言う。
雲は凄いスピードで飛んでいるんだよ。
わたしは、まだ飛行機は両手の指くらいしか乗っていないが、娘たちはすでに30回位は乗っている。

雲の中も飛んでいる。
窓際のシートが大好きだと、、、。
いろんなモノが見えるから。
どれもみんな飛んでるから。
見てる自分も飛んでるんだ。
もともと全てが、、、ピアノ曲線を描き、、、
そのうちに夢の中を飛んでいる。

自分などというものの無い場所から

見るという事の神秘と創造を想う。
生命(力)がひとつの志向性をもち、感情~感動と共に母音を発した、、、「海を見てウ~っと」(吉本隆明)
そんな場所から、ことばは有機的な分節をもって生成されていったのか、、、。
このことばの出現はわれわれの精神~思考と同時に自然に変質を齎してゆく。
思考はことばにより飛躍するにしても。
自然も大きく変わる。


ベテルギウスはまだあるのか、もうないのか、、、
わたしと娘も一瞬、リルケになって想いを巡らせる。


詩的関係、物質的想像力、、、なんていう言葉を思い起こす。


ことばがはじめてはっせいしたときのうちゅうがみたい



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重陽の節句

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9月9日は一番大きな数が重なる為、「重陽の節句」と呼ばれるようになった。
ちょうど季節の節目でもあり「無病息災」を祈願する行事の日となる。

うちでも簡単にこの別名「菊の節句」を行うことにしている。
そもそも、うちでは昔からやっていたのではなくわたしがブログを始めたころ、ブロ友の方が記事でそれは印象的に紹介されていたことに影響を受けて恒例の行事となった。とは言え、実に簡素にやっている。

早速、昼も近くなったので、近所に買い物に出たが、普通七夕やお月見などの行事では必ず特設コーナーが小さくも設置されるのに、どこにも何もない。「重陽の節句」が完全に無視されていることが分かった。うちの近所の店では、、、。
ちなみに、今年のお月見は9月24日になる。この日はお団子だ。このコーナーは出来るはず。月にお団子で分かり易いのか?

娘のバースデーに必ず頼むケーキ屋にも置いていない。
焦って他のお菓子店にも電話したが、ないのだ、、、。
和菓子専門店ならあるはずだが、ずっと長いこと続いていた大きな店が一週間ほど前に閉店したばかりだ。
(ここのところ、長く続いた店舗も含め、閉店ラッシュである。わたしも日頃の買い物はほとんどアマゾンだし)。
昨年はちょっと遠出した先の大きなデパ地下で前日に買ったと思う(たまたまである)。
菊の花と菊のお菓子。

仕方ないので、菊の花を3種類ばかり買って花瓶に挿した。
後はお酒と三色串団子を買って来た。
大人はお酒に菊を浮かせて、娘は麦茶に菊を浮かせることにした。
栗ご飯を夕食に焚くことにしたので、それで慎ましく行うことにした。


夜は菊を浮かべたお風呂に、これから入る。
まだ夕方だが。
一番は次女から、、、。
今日はゆっくりしたい。

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花火が煩い

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昨夜、メインノートが壊れる。
電源部分の故障のようだ。
スーッと落っこちて、98%書いたブログ記事が消えた。
通常は60%くらい書いたところでエディターにコピーするのだが昨日は何故かしなかった。
一度落ちても、再起動すると、データの復元を聞いてきて大概続けて入力できるのだが昨日のパタンでは出来なかった。
セカンドノートから23時にアップする予定も叶わず、24時チョイと前にそれまで書いたものとは全然異なる文をアップはした。同じ文は書けない。

だが、何かの遺り滓的なイメージが強く、一旦削除して最初に書いたものに近づけてアップし直した。
(これが最善のはずはないが)。
気持ちの問題かもしれないが、二度目のものは、形は違えど最初に書いたモノを整理して書いた感じに落ち着いていた。それが妙に気に喰わない。
いきなり浮かんできたものには、それがどんなものであってもそれなりのアウラがあるものだが、それが全然ないものになってしまうととても虚しい。
やはり一番搾りが美味しいのだ。

結局、自分が最初に書いたものに似たものにしてアップした。
こちらの方が、整理報告文よりはまだ多少はマシであった。
恐らく一定期間、読んでくださってる方々には分かってしまうに違いない。
「か」の抜けたビールみたいになっている。(この言い回し通じないヒトもいる。ローカルなのか)。

夜中にパソコン関係でゴタゴタするのはキツイ。
以前はそればっかりしていたものだが。
自分でやる根気がなくなっている。
タワーのデカい類のものならやる気も自然に起きるが、ノートは気が進まない。
メーカー修理に出そう。梱包がメンドクサイが,そのうち、、、。


どこで上がっているのか分からないが、先ほどからずっと花火の音がしている。
窓から覗いても分からず、テラスからでも見えない。
庭に出てみたが、テラスから見えないものが見えるはずもなかった。
星は静かなのだが、花火は音ばかりが煩い。
ある意味、人を呼ぶためのものだ。

以前、TVで星(恒星)の音を流していた。
通常では聞こえない音だ。
楽器と同じく反響音だ。凄いスケールの。
名状し難い音だが不思議に記憶に残る。
何でも音を出していることに気付く。


音だけ聞いて想像するというのは、楽しいものだが花火にはそんな気にはなれない。
、、、出て来るパタンが知れている。寧ろ静かに花火そのものだけひっそりと見たい。
ペアになってる音はきっとお祭りを連想させるのか。
時折、心地よい音に聴こえたりもするが。

星はイメージすらできない。
ケプラー望遠鏡の捉えた恒星の音であったが、どこか昔のSF映画で使われていたUFOの効果音にも似ていた。しかしそれでいてチープさはなく、強い存在感ある音であった。

星の音を捉えるような感覚が稀にある。
自分の作ったモノに自然に接続できると、嬉しくなる。


昨夜は遅くまで起きていて夜食も食べ過ぎた。
これでは感覚も鈍るし太る。
今日は何もせず早く寝よう。



NASAの衛星が捉えた地球の音は、もうそれ自体が飛び切りの音楽であった。
クラウトロックも近い音を出していたが、これは「本物」~アウラである。






続きを読む

トトロの雨

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昨日、台風の中、長女とドライブをした。
ワイパーをうんと速くしても前の見える時間は僅か。
風の唸りとシャワーの細かく鋭い連続音。
この水のお陰か、車内の空間密度が昇まる。
濃密になって来る。

桜並木の中央通りに差し掛かると、雨のシャワーとは全く別の水の塊の落ちる低音が不規則に天井に鳴り響く。
ちょっとユーモラスな太鼓の音だ。
後ろの席で、彼女が「トトロ、トトロ」と歓ぶ。

確かにそうだ。
トトロだ。

ドン!と鳴るとキャハっと笑う。
また、、、ドン!と鳴るとこちらも一緒に笑ってしまう。
ドドン!(笑。
ドドドン!(爆。


トトロサウンドとシャワーで音も視界も密閉される感覚が嬉しい。
この状態がもっと進めば、走るアイソレーション・タンクとなるか?
アルタード・ステイツへとコズミック・ドライブ!(笑。

豪雨の日はスピードがより際立つ。
水しぶきを豪快にあげて走る。
気持ち良い。
水の四重奏だ。
離脱する。

特別な浮遊感。


離脱。



さあ、どこに再接続するか、、、


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夏場の冬眠

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外に暫く水撒きに出ただけで滝のように汗が流れて着替える。
ここのところ少し用事で外出するたびに汗だくとなりシャワーを浴びて着替える。
そんなことを日に4回くらい繰り返す。

今日は日中は一歩も外に出ず、ここ2週間利かせっぱなしのクーラーの下でひんやりしながらずっと寝ていた。
時折、眠り半分目覚め、またウトウトしつつ、、、。
チョット寒い感じであったが、気にせず寝ていた。

何もしない快感である。

とは言え、西部劇「荒野の用心棒」と「ハンガーゲーム2」を観てしまった(笑。
(近いうちに感想でも書きたいが、黒沢の「用心棒」と「ハンガーゲーム3,4」を観てからにしたい)。

全く何もしないというのは難しい。
おっとそれから、トイレに起きた後で「乃木坂工事中」を観た。これが一番面白かった。

やはりトップアイドルの女子たちの溌溂としたクリエイティブなパワーは小気味好い。
鬱屈する暑苦しい外界~日常とは異次元だ。
ひと頃、「お笑い」も観ていたが、それ以上の清涼感と解放感がある。

しかも充分笑えるのだ。
気持ちよく笑わせてくれるヒトがわたしにとっていま最も必要な人である。


(こんなに暑い中、娘たちは喧嘩ばかりしているし、、、)。



夜気に浸る

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夜の冷気にはホッとする。

”六気を餐いて沆瀣を飲む”という

沆瀣(こうがい)は「露の気」でもあり仙人の食べ物でもある、、、。

意識に清澄な大気が流れ込む

そう、濁り白んだ器を漆黒の冷気が一気に清めてしまう。


すると何やら気配がする

静まり返った闇の幾層もの微細な空間から、それは小さなもの音たちが

わたしを押し戻そうとしていた。



公園での読書

sagamihara p


最近ハマっているのが、これである。
わたしは図書館での読書が好きではない。
雰囲気が暗く閉塞的で空気も悪そうな気がするのだ。
ひっそりと本を読みたいのだが、人が何分多すぎる。

図書室だと声が出せない。
そのくせ咳が(強迫的に)やたらとあちこちでしたりする。
全く自分の中に入っているならよいが、妙に相互監視している節がある。
何かピリピリしているのだ。

公園であると、噴水を見ながらベンチでのんびり独りきりで本が読める。
鳩や烏も風の仲間で気にならない。
青空のもとで解放感に浸りながら時々欠伸をして。
不意に、持ってきたチキンを食べたりする。
(そう急に食べたくなるのだ)。
喉が渇けばDr.Pepperと決めている(笑。

自然に食べたくなり、飲みたくなる。
(あの時代のギリシャの人ならパンとワインか。対談いや対話もあんな風にしてみたい)
わたしは本を読むときかなり食欲が出る。
であるから、図書館は基本的に、無理なのだ。
誰かの家の書斎で呑むなんていうのもいいな、と今思う。


食べたいときに食べ、、、
読みたいときに読み、、、
観たいときに観る、、、
少しの間、映画は休みたい。

寝たいときに寝る。
散歩したいときにして
買い物を思いついたら買いに行く
泳ぎたいときに泳ぐ。
(大概娘と一緒だが)


取り敢えず、まずは公園でぼ~っとしてから決める。

最近、車に読みたい本と水着は入れて走っている。

ただ、本を入れるものを手提げバッグからナップザックに変更した。
手に色々持っていると最近、一つ落っことしたりする。
この前は新品のこれから読む本二冊の入ったバッグを落とし角が見事に潰れてしまった。
わたしは使用しているうちに自然に摩滅して行くのは寧ろ心地よく感じるのだが、事故で痛んだりするととても落ち込んでしまうのだ。とてもその辺が神経質なのである。

そうだ、今度は話もしてみたい、、、。
最近、とんと人に逢っていないのだ。
もうかなり長いことそうである。
(今気づいた)

独りでいるとどうも細かいことに気が行ってしまう。



yokoyama park





雨の公園~朝のチキン

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雨が降りしきる時間帯に車で公園に向かう。
反対路線の車の混みようが尋常ではない。
この時間帯はいつもそうなのか、帰りは違う道を使おう。

駐車場はガラガラに空いていた。
誰もいない公園。
貸し切り状態であった。

独りの贅沢を愉しむ時間。
家にいると独りが贅沢に思えない。
家事をしてしまうからだ、それは予定調和の片付け仕事である。

突然雨が止んだかと思うと
一陣の風が雨滴を舞い上げて行った。
木々が大きくそよぐ。

足場が何か揺らぐ。
雨と風と揺れで輪郭が撹乱する。
ブレる。

木漏れ日の路に入るところで、木に鳩が登っているのを見る。
初めて鳩が木に登るのを見た。
雨で人がいないことをよいことに、好き勝手な事をしている連中がいるのだ。

低いところ
高いところで
密談が微かに零れる。

木漏れ日の路で空を見上げると、曲がった軌道で雨粒が落下してくるのを具に見ることが出来た。
水滴は真直ぐは落ちない。
時折、でかい鳥の鳴き声。

突然10時を知らせる花時計のオルゴールが鳴る。
聴いているのはわたし一人か。
いや、鳥も何処かで猫も聴いている。

外の独りはヒトの会話がないだけ。
密かな情報のやりとりに取り巻かれる。
鳥は明らかに喋っていた。

何故かお腹が空いたので、コンビニに行く。
チキンナゲットを買う。
女子大生が沢山いたので車に戻って食べた。

こんな時間にもうお昼を買いに来るのだ。いやおやつか?
コンビニのチキンは種類も多く美味しい。
もっとも、彼女らはサンドウィッチを買ってたみたいだが、、、

食べてしまったら、気持ちが一区切りついてしまった。
もう帰ることにする。
朝のおやつチキンも悪くない。


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プール

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むすめ二人とひさびさのプールに行った。
抵抗ない冷たさで水面が心地よく煌めく。


こんな水に浸かると
何か安心する

何かうきうきする
からだがうくばかりではない

こころもまたうく

ラッコになってポッカリうく

わすれる

きっと重力から救われるからだ
重力は記憶に関係する

記憶と離れることで
ほぐれる

純粋に現在の身体だけになって
本来のかたちに展開する

ふと身体だけの重さとなり


あと二つの大事な重さと向き合う
笑う


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遠くの公園

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「登ってみてえな~っ」と言って見上げている若いお父さんがいたが、気持ちは分かる。
ボルダリングとかが流行っているし、その感覚で見れば、まさに手足を引っかける手ごろな凹凸でもあれば絶妙な「面」であろう。
わたしには、そんな感覚はないが、見るだけで快感を覚えてしまうロケーションではあった。


少し遠くの公園に行ってみた。
いつもの公園の4倍ほどの距離にある。
(同じ公園ばかりでは、ちょっと寂しい感じがしたのだ)。
山々が背景に聳える小高い丘に広がる場所だ。でっかいダムもある。
道路は広く整備されているが、上に登るカーブは激しい。運転は面白い(笑、が長女が酔わないように気を付けなければならない。
昼頃の時間に行くと渋滞や駐車場で大変な目に逢うはずなので、朝公園が開く5分前到着を狙って家を出た。

高校時代、この地区からわたしの通う高校にバス、電車で来ている友人が何人かいた。
片道、2時間半である(それ以上か、、、)。
でもそういう人ほど、休まない。
ほとんどが「皆勤賞」だったと思う。
皆、真面目で勉強熱心な生徒であったし。
そんなことを思い出した。

丁度、門の開く5分前に駐車場に並ぶ自動車の列に並び、楽々駐車である。
600台以上停められる場所なので、このタイミングで来れば心配ない。
ただし昼頃着いたら危ない。
(休日の公園はどこもそうだ。いつも行く近くの公園も5つ大駐車場があっても空いていないことがある)。

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いつもの公園と違い、高低差が激しい。
平らに広がる面を歩くのではなく、登り降りなのだ。
見下ろしたり見上げたりのロケーションを愉しむ。
その空間の深みのスケールは普段味わえない。
暫くボーっと眺めいってしまう。

ほとんどは汽車型のバス?やエレベーターで移動するので、あまり階段やスローブの辛さはない。
勿論、階段派も充分愉しめるのだが、わたしたちが使わないだけである(笑。
ともかく広いので、ハイキングの感覚で運動にもなる。
わたしたちは運動と謂うより、気晴らし目的といった方がよい。
風は時折強く吹き、ベンチに座ってスマフォ弄っているお父さんの頭部に飛んできたテントが直撃したりしていた。
家族用の小さなテントが夥しい数あちこちにあったが、テントの設置技術~マナーが問われるところでもある。

川(人工の池みたいなところ)があって、子供で賑わいほとんどが水着でキャーキャー遊んでいた。
うちは何故か、よりによってふたりが足に怪我をしていて、水に入るどころではない。
次女など左足はギブスに包帯なのだ。
それでも、その近くに並ぶ巨大な白いトランポリンに飛び乗る。
これはしかたない。
目にしたとたん吸い寄せられてしまったのだ(爆。
これを始めると、なかなかやめられない。
あのピョンピョン跳ねる上下動が心地よいのか、いつまでもやっている。
(これは待つ方には、いささか退屈である)。

竹をばちで叩いたりするのも不思議にのめり込む。暫くふたりでユニゾンを愉しんでいた(笑。
工芸作品の製作体験コースやその工房で作った椅子や机を売っていた。
どうやって麓の駐車場まで運ぶのかは知らないが。
やはりそこで作られた和紙の灯篭が幾つも灯っていて、その涼し気な薄闇のなかでスナップを撮った。
売店では弁当を売っているが、公園でのお昼はお弁当持参と決めている。
(タコウインナーがなかったら一大事ではないか)。

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ここは水の公園と言ってよい。なかなか風情を感じる小さな滝もある。
遊具(アスレチック)はあるが混んでしまって充分に遊びにくいし、並ぶのもメンドクサイ。
(運動会の親子種目みたいに親子でやらないと出来ないものもあるが、あっという間にゴールで終わってしまうのだ)。
それよりダム側に行って、上から貯水湖を眺めたり、遥か下の河を臨んだりした方が清々しい。
解放的な気分に浸れる。
疲れないし汗もかかない(それでよいのか、、、これでよいのだ(爆)。

小ぶりの第二ダムもあり、そこはもう少し水に近づける。
とは言え大きな欄干のある鉄筋の頑丈な橋から湛えられた水を距離を持って眺めても余り強烈な威圧感はない。
わたしは子供の頃、これ程大きなダムではないが、湛えられた水とほぼ同じ高さのコンクリの堰の上に何故だか立っていた記憶が鮮明にある。立ちすくんでいたと言った方が正確か、、、。そんなことになった経緯は分からないが、、、。
今でもその感覚を覚えているのだが、分厚く深い圧倒する緑色の不気味さと謂ったら例えようがない。
、、、どういうつもりだったのか、、、。

謎の多い少年時代、、、。

謎と謂えば、謎の塊のようなふたりである(爆。
これについては言及しない。話し始めたらきりがなくなる(苦。
ここで苦労話をしてもはじまるまい、、、(泣き笑。


再び聳え立っているダムの外壁をしげしげ見上げて、アイスクリーム食べて帰ることにした。
(牧場がすぐお隣にあるのだった。自動的に行ってしまうではないか)。






トラピスト1に寄せて

TRAPPIST 1 001

TRAPPIST-1
みずがめ座の方角にある直径が太陽の10分の1ほどの赤色矮星である。
その惑星が7つも見つかり何れも地球とほぼ同じ大きさ~つまり岩石惑星であることがわかる。
確か2017の2月の事だ。

あの4光年先に見つかったプロキシマ・ケンタウリbが2016年のことであった。
この辺から皆、色めきだったと思う。
それにしても何故これ程、他の惑星の生命に拘るのだろう、、、。
丁度、エドワード・シザーハンズを面白がりたいのと同じ心境か。

究極的には、他者に対する根源的な畏敬の念~神の希求が無意識にあるのか?
第二の地球などという言い方からすると、自分に都合の良い対象を求めるだけの単なる自我の拡張意識からくるものか?
本当にそこに「他者」~エイリアンがいたらどうするつもりなのか?!
生存欲に根差す覇権主義、、、移住を狙っての、、、やはり「新天地」が一番のウエイトか。
、、、個人的な富と名誉と権力欲も絡み、資源をまたも枯渇させて増殖してゆく侵略者たち、、、、


ケプラー宇宙望遠鏡が星のひしめいている明るい場所を捜索している時、見つかった惑星は4000以上、、、と言ってもスーパーアースがほとんどで、大きさが微妙に大きく岩石か氷か分からない惑星ばかりであった。本当に地球型(岩石惑星)と思われるものは20程と謂われている。生命を考えるとまずは岩石惑星が基準となった。しかもそれは3000光年先であったり、500光年先(2014年)であったり、1200光年先(2015年)であったり、でおよそ現実的な範囲のものではなかった。遠すぎて詳細も掴めない場所にあるのだ。

しかし、、、
ケプラー宇宙望遠鏡の姿勢制御機構に故障が生じ、偶然天の川の暗い場所を捜索することになった時に、それは見つかった。
見つかってしまった、、、これはなんにしてもはっきり一つの段階が進んだものだと言えよう。

これまで宇宙の4分の3を占める(多数派の)赤色矮星に照準を合わせることが無かったため、このような好条件の惑星が発見されなかったようだ。赤色矮星は小さく暗いが、その前を惑星が過るとその明るさの変化はとても大きい。波長の異なる光の変化も掴みやすい。つまり酸素があるかどうかの光の波長の詳細も掴める(トランジット法)。生命を考えるなら、この酸素の波長が決め手になる(酸素を生成する生物の存在が推定できる)。
これが太陽大の恒星の前を地球大の惑星が過っても光の変化は微々たるものであり、そのせいからこれまでよくってスーパーアース(地球の数倍、天王星のような氷惑星よりは小さいもの)までしか見つけにくかったのかも知れない。

そもそも惑星そのものは観測は出来ない。
光るものの影でその存在を推し量ることが出来る。
そう、われわれ自体、電磁波と重力の賜物であった。


プロキシマ・ケンタウリbは4光年先でうっかり現実性を感じてしまう距離だが、如何せん地球から見ると恒星の前を通過しない(横切らない)惑星なのだ。
であるから、公転する惑星の重力により生じる恒星の揺れでその存在を推し量ることになる(ドップラー偏移)。
影も掴めないのだ。(それなのにNASAのHPを見ると行って来たかのような凄いイラストが描かれているではないか)。
だがそこから分かることは、大まかな大きさと公転周期くらいであり、詳細を知るには観測機を実際に飛ばすしかない。

そうなると、4光年先であっても詳細情報を得るまでに少なくとも44年を要することになる(もっとかかる可能性は高い)。
これがスターショット計画”Breakthrough Starshot”(ホーキング博士お墨付きプロジェクト)である。
(ホーキング博士は以前から、人類は他の星に移住するべきであると主張しておられる)。
お金はロシアの大富豪が持ってくれるらしい。ほんとに移住可能な星ならその富豪の孫の代には飛んでもない大富豪と化していよう。
地球からのレーザー光線で推進する超小型探査船である。
切手大のチップに様々な機能が乗っている(ナノテクノロジー)。それを1m程の帆にとり付け高速の20%を実現するという。
一度に一杯飛ばすようだ。沢山飛ばして精度を高めるのだ。
だが現在はプロジェクトを立ち上げた段階で、技術開発に入ったばかりだという、、、娘にどうなったかあちらで聞くことにしよう(爆。その探査船そのものは魅力的である。

Breakthrough Starshot


そうなると恒星の前を揃って通過するトラピスト1惑星系の方が詳細判明は遥かに早い。
ちょっと忘れていた頃にNASAが大発見ニュースを報じるはず。
b~hまでの7つの地球大惑星が小さく暗い赤色惑星のすぐ近くに密集して公転しているのだが、そのうちのefgがハビタブルゾーンに当たるという。単に水が液体であるだけでなく、恒星の活発なフレアの影響をどう対処する機構を生命(いたとしたなら)が身に付けているか、環境がそのフレア、X線、宇宙線を良い形に転嫁できているか(オゾン層の生成とか)も大きい要素だと思う。

一番遠いhの公転周期が20日という近さの内に彼ら(彼女ら)はひしめく。
太陽系では最も内側の水星が88日だ。
しかし恒星に対し余りに近い為、潮汐ロックがかかっている。(地球に対する月のように)。
永遠に昼の部分と裏側の夜の部分に分かれる。しかし、水が液体として存在する環境であれば、大気があり雲も生成され、海(海流による)対流があり、その循環によって裏側もそれほど寒くはならない。
温暖な気候が保持されている可能性はある。

世界も赤の感度を基本にした豊かな色彩世界~その表象により成り立つのだろう。
地球人は知っての通り黄色の感度を元にした色彩世界に生きて、藝術を育んだり語ったりしている。
基本、彼らが(いたとしても)共通感覚は期待できない他者である。基本(究極のパラダイム)が違うのだから。
しかし、かなり安定した(落ち着いた)世界を想う。
地球のように公転と自転をもつ環境は変化が激しい。朝から昼、夜と一日だけでも大きく移り変わる。
知性をもつにしても観念~概念の差は大きいはず(度合いの問題ではないか)。

但しefgの何れにも生命が誕生し進化を遂げているのならば、星同士お互いに知り合う知性は備えているだろう。
赤色矮星の寿命は長く、時間は充分に与えられている(太陽は100億年。赤色矮星は核融合がゆっくりだから1兆年~10兆年をゆうに超えたりする。質量によるが、これは面白い。宇宙の誕生から現在までの時間より遥かに永いのだから、まだ死んだ赤色矮星はひとつもないのかも知れぬではないか。不慮の事故?とかなければ)。

TRAPPIST 1 003

すでにお互いに差別し合い(生存と存続に排他性がどれほどの基本的属性であるかであるが)、泥沼の闘いに至っていたなら、地球人の移住どころの噺ではなくなる。
その悪魔の侵略者に対し3つの星が結束する契機を提供することになるか。
地球でも移民問題は大きい。決して彼らもわざわざリスキーな外者を受け容れようとはしないだろう。
どう考えても受け容れて得はない。特に地球人である。のこのこやってくる頃には事前調査の済んでいる可能性は高い。
恐らく、巨大宇宙船などで近づいたところでたちどころに総攻撃に出喰わすはず。
まあ、侵略者が滅びて和平がしかれるならそれに越したことはない。
面白いが他人ごとである。


どうでもよい妄想に浸っていてもしかたないが(笑、
まだまだ、地球の表面でも分からないことだらけであるし、地球の過去についても謎だらけである。
ヒトにおいても、、、。まさにそうだ。
これまでに生命は幾度も滅亡と隆盛を繰り返して来た。
地球が滅亡するのならそれに最適化されて生かされてきたわれわれも運命を共にするのではいけないのか。

その辺は、科学や哲学の役割だけでなく、まずはSF映画などが人々に対し果敢な仮説を提示していってもよいはず。
ジュールベルヌみたいに、、、。

TRAPPIST 1 002



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GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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