PICKUP
ハイヒール
お嬢さん
とうもろこしの島
セールスマン
トラピスト1に寄せて
「労働疎外より人間疎外」によせて
カッシーニ グランドフィナーレ
カッシーニ グランドフィナーレⅡ
シチズンフォー  スノーデンの暴露
スノーデン
シャイン
鑑定士と顔のない依頼人
英国王のスピーチ
やさしい本泥棒
末期の目
レヴェナント: 蘇えりし者
透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
Balthus ~ バルテュス展行ってまいりました。
「ゴールドベルグ変奏曲」 バッハ  ~グールド ~P・オトゥール ~ニーチェ
大昔のスケッチ(詩画集のための試作)
すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1
スヌーズレン002
情報リテラシー  ~華氏911 ~不都合な真実
南伸坊「歴史上の本人」
プラトーン
カレンダー
01 | 2019/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -

10億ドルの頭脳

BILLION DOLLAR BRAIN001

BILLION DOLLAR BRAIN
1967年
イギリス


ケン・ラッセル監督
ジョン・マッグラス脚本
レイ・デイトン原作
リチャード・ルーニイ音楽

マイケルケイン、、、ハリー・パーマー(英国の諜報局員)
フランソワーズ・ドルレアック、、、アーニャ(ソ連の工作員)
エド・ベグリー、、、ミッドウィンター将軍(打倒コミュニズムを唱えるタカ派、自由十字軍を組織)
カール・マルデン、、、レオ・ニュービギン(旧友、自由十字軍に所属)
オスカー・ホモルカ、、、シュトーク大佐(KGB)
ガイ・ドールマン、、、ロス大佐(MI5の上司)


『国際諜報局』と『危機脱出』の前二作があり、これはそれに次ぐ三作目にあたるようだ。
傑作『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』のケン・ラッセル監督によるもの。
畳み掛ける迫力ある編集は刺激的であったが。

合言葉、「今や我らが不満の冬」緊張の続く冷戦下に膨らむ陰謀、、、。
ヘルシンキの雪に合う、いやスパイの哀愁を湛える音楽~テーマは妙に合っていた。

『10億ドルの頭脳』とはメインフレームを指すようだ。
テキサスの危険な石油王の反共産主義者ミッドウィンター将軍の所有するホストコンピュータである。
大掛かりな巨大なコンピュータがカタカタ動く味のある光景だ。
パンチカードと紙テープ、、、お茶の水博士を思い出す、、、。良い雰囲気だ。
この「頭脳」の指令に彼の組織「自由十字軍」の部下たちが従っているらしい。
神懸った狂信者の集団であるが、中には思惑絡みの者もいるようで、レオ・ニュービギンもその一人か。
そして彼の如何にも怪しい恋人役をしている謎の美女アーニャなど怪しさのかたまりか。
(レオは本気でアーニャを愛しているようだが)。
利用し利用され、騙し裏切る世界である。狂信者も洗脳の賜物による。兎角、そういうものだ。


ハリー・パーマーは大真面目にウイルス卵運びをする。
金に弱い。
ともかく、雪の中をしこたま歩かされることとなる。
最初から最後までずっと雪と氷ばかりで相当寒い思いをしたはず。
そのなかでイギリス流のユーモアもタップリで、007と比べてかなりマッタリしている。
いやコミカルでもある。
お間抜けですらある。
(勿論ジョニーイングリッシュまではいかない。真面目な劇なのだ)。

保安局を辞め私立探偵をやってコーンフレークばかり食べていたが、かつての上司ロス大佐から国家的重要任務に戻ることを促される。
それを断り、依頼された妙な指示の仕事を引き受けるが、殺人事件に巻き込まれ、、、
成り行きでMI5に復帰しカーナの後任に任ぜられる。
昇進と昇給で納得する。
それは危険組織「自由十字軍」の内情を探る任務であった。

フランソワーズ・ドルレアックは正体不明の美女をミステリアスに演じている。
チェロを弾いているがとても初心者丸出し。
その辺が妙に可愛い。
「頭脳」の言うとおりにハリー・パーマーを殺そうとしながらもシュトーク大佐の下で働く工作員というのも、どうなのか?

レーニンの語ったという、一時的利益というのは面白い。
人民を歴史的使命から逸脱させる快楽だという。
これに応えてハリーは、英国人民の歴史的使命は一時的利益が主だという。
やりとりは、ほぼこんな調子だ。
旧友のレオと行動を共にするが、常に彼に裏切られ命を狙われるのだが、いつまでも無防備に彼と付き合っている。
得体の知れない自由十字軍と名乗る従兄集団に警戒もなく混ざってしまったり、この人大丈夫なのかと思うが、絶対死なない人だとすぐに分かる。

そういった意味ではほとんどスリルも緊張感も何もない。
隙だらけでしょっちゅう敵に捕らえられたりするが、拷問にもかけられず、うまいことKGBのシュトーク大佐に助けられる。
(頭を一回叩かれたときは痛そうだったが、、、そんなものだ)。
MI5は何やってんのか?KGBのアンテナが凄い、というよりハリー・パーマーがマークされているだけなのか。
やはりMI5は何やってんのか、である。
普通のスパイとかなら、すでに何度も殺されている。
ともかく、やたらとシュトーク大佐が濃い。
何でそんなに身近にいるのか。

自由十字軍~ミッドウィンター将軍はラトヴィアが蜂起寸前だと信じており、それに加担しコミュニズムを一掃すると軍事的な準備を進め、ついに実行に移す。が、大挙して進軍~侵攻するが氷が割れてトレーラーもろとも水没し、野望は呆気なく水の泡となる。
ここでもハリーはひとり生き残る。
氷の上にヘリでまたもやシュトーク大佐が降り立ち、一噺してから、アーニャの素性を明かす。
ハリー・パーマーは最後まで飄々としている。

「違う世界であなたに逢いたかった、、、」アーニャ~フランソワーズ・ドルレアックは軍用ヘリで飛び立ってゆく、、、。
この最後のシーンは如何にも不吉だ。
とても胸が痛くなる。
何とも、、、無常な。



お終いに取り戻したウイルス入り卵がひよこにすり替わっているオチは、余りにベタで誰もの期待を裏切らない。



マイ・カントリー マイ・ホーム

MY COUNTRY MY COUNTRY001

MY COUNTRY MY COUNTRY
2018年
ミャンマー、日本

チー・ピュー・シン監督

ウィ・モン・シュエ・イー、、、ナン(パティシエを目指す女子高生)
アウン・イェ・リン、、、トゥラ(サイの店の従業員)
ヤン・アウン、、、サイ(ナンの父、ミャンマー料理のレストラン店主)
森崎ウィン、、、木村アウン(ミャンマー出身の日本の歌手)
川添野愛、、、ミユキ(サイの店の従業員)


高校の道徳の教材にもってこいの映画であった。
(プロパガンダ的な要素のある教育的な作品であった)。
ナショナリズムとか難民問題とか討議する題材によい。
しかしそれにとどまらない恋愛やファッション、文化(スウィーツ)や習慣、ミャンマーの景色も窺えて薄っぺらさは回避している。
だが映画と謂うよりテレビドラマに近い作りである。

民主化運動の様子はアウンサン・スーチー氏の動向などから日本でも垣間見ることは出来たが、かなり大変な過程を経ていることはわかる。ナンの両親もコアな政治運動の活動家であった(そうあることを強いられた)。

ナンは日本に難民として両親が逃れてきた後に生まれたため日本しか知らない普通の女子高生である。
(その割に日本語はたどたどしい。恐らく日程の関係で充分な練習がつめなかったのでは、、、)。
しかし父が母国語をしっかり教えていたため、ミャンマー語の会話と読み書きには不自由しない。
(ミャンマーの女優であるからそちらは楽そうであった)。
父のサイは自国の文化に誇りを持ち日本にいても、こころは常にミャンマーにある男だ。
(彼にとっては日本はあくまでも仮の住いに過ぎない)。
店で稼いだ金をミャンマーの教育機関に毎年寄付している。
同胞を救う気持ちから職場をクビになったトゥラを自分の店に雇う。
そんな人であるから、娘がミャンマーになどに帰りたくない、日本でパティシエの夢を叶えると言い張ることに対し苦慮している。
しかし、それは自然なことであろう。母国語を教えながらも娘の主体性~個性を尊重して育てて来た結果であり、民主化を推し進めてきた人間の正しい教育によるものである。ここで妙な愛国心を強要して来なかったのは正しい。
そんなものは外から植え付けるものではない。

MY COUNTRY MY COUNTRY002

しかしナンにとってのショックは、自分が無国籍であることを父の会話から知り、当然日本国籍をもっていると信じていた基盤を失ったことであった。
実質、ここから物語は始まる。
彼女の、自分は何者なのかという問いと葛藤である。
その中でナンは一度、父と亡き母の故郷を訪ねる決心をする。
そして彼女とミャンマーの人々との関りを通した彼女のこころの変化を追ってゆく。
勿論、彼女のアイドルである木村アウンからの影響も大きい。
彼は二国を故郷に持つことに矛盾も不安も感じず誇りをもって活動している。

MY COUNTRY MY COUNTRY006

彼女も悩みはするが、ミャンマーという異国を自分の母国と感じるまでの過程が淡々と描かれる。
その間に恋愛も経験し、ミャンマーの親戚や父の親友との交流を通し両親の足跡を辿ることで自分のルーツを感じ取ってゆく。
この歳になるまでは理解は難しいだろうと父が伏せていたことを、タイミングは良く知ることとなった。
しかも、店を継ぐ意思のないことで、父はパティシエの専門学校進学に反対だと考えていた彼女だが、実は専門学校の費用も貯金して準備していてくれたのだ。娘の理解の行き届いた良い父である。
父娘の関係のギクシャクは解消までほぼ分かる流れで進むが、恋愛関係はかなり表現が粗雑であり余計に見える。
アイドル木村アウンの熱狂的ファンであり、彼が父の店を訪ねたことから、直接彼と遭って相談などする仲になったナンに嫉妬するトゥラであるが、彼女の気を引こうとミユキを当てつけにデートに誘うところやそれ以降のやり取り場面など学芸会レベルである。
このナンとトゥラのふたりのラブコメ関係はどうにも作りが甘い。
もうちょっとナンとかしろと言いたい(笑。

MY COUNTRY MY COUNTRY005

ミャンマーには将来的に戻るのだが、パティシエの資格はしっかり得ることが出来る。
つまり自分のやりたい職業には就ける。
向こうの地で店を開けばよいのだ。
何も日本の激戦区で店を構える必要はない。独り勝ちの可能な場所で発展させる方が有利だ。
有名歌手とも仲良くなったことだし、彼に宣伝を頼む手もある?
(森崎ウィンは役と現実の自分がほぼ同じではないか。妙な気はしないものか)。

MY COUNTRY MY COUNTRY004

ナンがトゥラをお供に連れて父と母の国であるミャンマーを訪れるシーンでやはり映像がガラッと変わる。
ミャンマーである。場所が違う。寺院が違う。なかなかよいミャンマー紹介ビデオである。(そういえば最初の方で手持ちカメラが揺れていたことも思い出す)。
ミャンマーはとても綺麗に撮られている(宣伝の要素もかなり窺える)。
あちこち金ピカである。
僧院に開かれた寺子屋では、サイから贈られた寄付金で子供たちがパソコンの授業を受けていた。
これまでに寄付をして来た人名表に父と母の名前がしっかり刻まれていることを知る。
両親のこの国(の未来)に対する深い愛情を実感するナン。
父と母の人物像が彼女にとり、より豊かに身近になってゆく。
現地の人々との交流を通してナンの気持ちがミャンマーに対して親和的になるのは判るが、やはり両親の発見に魅了されてゆくところが大きい。父と距離を持ってみてはじめて父の存在が強く大切に感じられる。
共感できる部分であった。
ここでは「大事なところ」では靴を脱ぐ。

ナンは、両親が大学時代に共にデモ行進をした現場で靴を脱いで深く一礼する。
彼女はこの国をルーツとして受け入れ、将来こちらに帰る決心をする。
抹茶ケーキが彼女の得意だが、ミャンマーにも茶畑発見。これが彼女の希望にもつながる。

オマケに、まさにオマケに思うが、ナンに思いを寄せるトゥラの気持ちを彼女が受け入れる。
彼女にとって木村アウンは憧れのアイドルであり親友であり、トゥラにとってのミユキは信頼できる友達であることをはっきりさせる。
(どうでもよいところだが。ただ、ミユキ役の川添野愛の演技はとてもしっかりしていた)。

MY COUNTRY MY COUNTRY003

気持ちよく、すんなり観られる作品である。
ただし、これを観て何をか考えたりするような気持ちには特にならなかった。
キャストは、皆爽やかである。
観ていて楽しい。

音楽はもっとミャンマーぽいものを聴きたかった。



ミスエデュケーション

The Miseducation of Cameron Post001

The Miseducation of Cameron Post
2018年
アメリカ、イギリス

デジレー・アカヴァン監督
デジレー・アカヴァン、セシリア・フルギュエーレ脚本
エミリー・M・ダンフォース『The Miseducation of Cameron Post』原作


クロエ・グレース・モレッツ 、、、キャメロン・ポスト
サシャ・レーン 、、、ジェーン・フォンダ
ジョン・ギャラガー・Jr 、、、リック・マーシュ神父
フォレスト・グッドラック 、、、アダム・レッド・イーグル
ジェニファー・イーリー 、、、リディア・マーシュ医師
クイン・シェパード 、、、コーリー・テイラー
エミリー・スケッグス 、、、エリン
ダルトン・ハロッド 、、、 ジェイミー


最近流行りのLGBT映画。
まだ同性愛者が差別されていた1990年代の噺。
そして今回も信仰の問題が妙に絡む。
シャレにならない茶番を真面目にやっている。
そこが不気味でならない。
「アダムス・ファミリー2」では、クリスティーナ・リッチが見事に中央突破してサマーキャンプを壊滅状態に追い込むが、、、あくまでもギャグ満載のはコメディであり痛快で面白い。
こちらは、ストイックで真面目だがピントが根本的に狂ってる。
だから”Miseducation”なのだが。
一番鬱陶しいパタン。


交通事故で両親を亡くし叔母のもとで暮らしていた女子高生のキャメロン・ポストであったが、同性愛の相手に裏切られ~密告され「神の約束」という更生施設送りこまれるはめとなる。
すでに名前からして如何わしい、、、「神の約束」だと。
信仰の強制が見え見えではないか、、、。

叔母は何とか彼女を真っ当な人間にしようとして迷わずここに連れて来た。
「神の約束」では、キリスト教の信仰を盾に、入所者を正しい人に更生するカリキュラムが実施されていた。
高校生たち~弟子と呼ばれる彼らは、間違った人間という自覚からはじまり、正しい人間に向けて矯正されてゆくのだ。
入っていきなり荷物検査で神を賛美していない物は没収とくる。
「ヘブンピクス」というエアロビも実に気持ち悪い。
集団のディスカッション?がもっとも気色悪いが。
芝生に横たわってのひと時にすら、彼らお互いに告白を矯正して来る。
告白と言う制度を内面化している。
ジョークではない。滑稽を通り越している。


同性愛が病~悪という考えをベースにするにしても、神への信仰つまり神の意志に反しているという宗教観の次元から教育し直そうというのは、信心深くても信仰に関心がもてなくても、困難なことだ。
罪の意識を植え付けるにせよ、真面目に信仰しているキリスト教徒なら、日々罪悪感に苛まれ自分を誤魔化して(抑圧して)快方に向かおうとするかも知れず、無神論者や宗教に無頓着な者なら、別にどうでもよいことであり、適当に合わせてともかく早い出所を狙うだろう(刑務所と一緒である)。いずれにせよより内面化を深め他者との距離は広がるばかりだろう。

LGBTは生にとって本質的なものであり、簡単に変われるものではない。
その人間の個性であり人格そのものである。
そのような荒唐無稽な更生施設に少しばかり入ったところで何が変わるものではない!
性は死よりも本質的で地球上における歴史も長い。

だがそこで真面目に関わり、自分を追い詰め、変わろうとし、それでも不完全だと非難され自殺を試みる者がでる。
信仰とはそもそも何なのか。
差異~個性を周囲が全く認めない。
当たり前だが、どうあがいても誰もが違うのだ。
その違いの、ある部分を厳しく差別する。
しかしその人間にとって、そこがもっとも肝心である場合どうなるのか。

他者から存在を完全否定されるわけだ。
人を治すという名目で、人の魂の殺害を行っている。

The Miseducation of Cameron Post003
欧米人のこういう感覚がたまらなく嫌いだ。
自分を素直に解放しているシーンなのだろうが、余りに無神経でわきまえていない。
何でシステムキッチンの台に土足で上がれるのか?
これを自由と呼んでいるのならわたしは、彼らの神経の治療も必要だと考える。

この施設や教師に虫唾が走るのは当然だが、ここにいる入所者にも色々な面で不快感をもつ。
感覚的にも体質的にも。
何でこんな施設に適応を図ろうとするのか、と言うだけでなく、自分を信じようとしないのか。
更に自分が知らず学習して身に着けてしまった感覚の対象化も肝心である。
そして何より、、、
保護者や教師の力で強制的に収容されたのだろうが、何故怒りを感じ、反旗を翻さないのか。

キャメロン・ポストが終盤口にする、「自分自身を憎ませるのは、精神的虐待だと思う」は当然。
その程度でも、言うだけましか。彼女と悪友二人はこの施設をきっぱり否定する。
後は、とっとと逃げて行けばよい。すぐに権力に絡めとられるが、気づいたときにまた逃れればよい。
そうするしかない。

暴力=制度からの逃走である。
トラックの荷台に飛び乗ったは良いが、3人の悪友同士でこれからどうするか、虚ろな表情だが何となく楽観的な感じである。
そんなものだ。何とかなるかも知れない。
悪い映画ではない。


クロエ・グレース・モレッツについては「キック・アス」は勿論だが、「ヒューゴの不思議な発明」、「アクトレス 女たちの舞台」、「フィフス・ウェイブ」などで好演していたものだし、いくら「クリミナル・タウン」が酷い代物だとしても怒りに任せてハイさよならというのは惜しい気がして、とりあえずもうひとつだけ観てみる事にはした。

The Miseducation of Cameron Post002

だが、期待するほどのものではなかった。
大した映画ではない。
月並みである。



バラバ

Barabbas.jpg

Barabbas
1961年
イタリア

リチャード・フライシャー監督
クリストファー・フライ、ナイジェル・バルチン、ディエゴ・ファッブリ脚本
ペール・ラーゲルクヴィスト原作
ディノ・デ・ラウレンティス製作

アンソニー・クイン 、、、バラバ
シルヴァーナ・マンガーノ 、、、ラケル
アーサー・ケネディ 、、、ピラト
ジャック・パランス 、、、トルヴァド
ヴィットリオ・ガスマン 、、、サハク
アーネスト・ボーグナイン 、、、ルシウス
ハリー・アンドリュース 、、、ペトロ


BSでやっていたのを観て、わたしもすでに持っていたことを思い出して観てみた(笑。
まさに映画の手法で作られた重厚な映画であった。
(最近、映画とは思えない映画が多い)。

キリストの身代わりに生きることを運命付けられた男の数奇な人生を描く。
それにしても壮絶である。
彼には死ぬことが許されない。
死ぬべきところで三度も生かされる。
そして信仰を心より欲したところで召されるのだ。
2000年以上前のエルサレムにはじまる。


死刑にされるキリストの身代わりで釈放というのも、まさに途轍もない巡り合わせだ。
彼はキリストが光の中に佇む姿も十字架を背負って歩むところも彼の死後、真昼の空が真っ暗闇になったことも知っている。
そして三日目に蘇ったことも確認する。だがそれを認めたくない、、、
それは、信じることを伴うからだ。

キリスト教徒となっていた愛人のラケルの説く話に彼は耳も傾けず、放蕩を続けているうちに彼女は反逆の罪で処刑されてしまう。
彼は怒りに任せかつての仲間を統率し強盗を続けるが、怒りに我を忘れているうちに再び捕らえられてしまう。
シチリア島の硫黄鉱山に送られ劣悪な環境で過酷な重労働を課せられるが、サハクというキリスト教徒の相棒が出来る。
地下の坑道が陥没し誰もが押しつぶされ焼け出され死んでゆく中、バラバと彼が助けたサハクだけが生き残る。特にバラバの体力、生命力は尋常ではなく、皆から不死身と呼ばれる。そう彼は生きる運命を強いられていた。
ひょんな切っ掛けで彼らは剣闘士養成所に取り立てられる(彼は度々特別な運命が与えられる。その為大変波乱万丈な生を歩む)。
だがサハクは決闘で闘った相手にとどめを刺さなかったかどで彼もまた反逆罪でトルヴァドに処刑されてしまう。
サハクは奴隷~剣闘士の前で人間の魂の平等とお互いに尊重し愛し合う尊さを説いて聴かせた。
奴隷たちの間で明かな動揺が走る。
バラバはそれを無言で聴いており、それをすでに思想として理解しているがまだそれ以上には踏み出せない。
すぐにサハクの言動は咎められ、危険思想として処刑を言い渡されることになる。
こうして身近な人が次々に殉教して逝く。

葛藤しながらも信仰には踏み込めないバラバではあったが、盗賊の長をしている頃から、人は置かれた立場~枠の内で自分の欲望を満たして生きるだけの存在であるという認識は持っていた。
たまたま自分は娼婦の息子に生まれ、こう生きる以外に道はなかったと。
盗賊の罪で捕えられたときに、州総督に向かって堂々とそちらは単に法の中にいて好き放題に殺戮と搾取を繰り返しているだけで、俺もお前も所詮変わりはないという実に真っ当な認識をぶつける。
かなり時代のパラダイムから外れたアウトサイダーとしての洞察を彼は早くからものにしていた。
枠自体を考察する視座をもっていた為、思想の相対化は容易いものであっただろう。
しかし信仰に生きるということは、言うまでもなく考えるのではなく信じることである。
心的構造が変質することを意味する。わたしには到底できない。わたしは信仰からは限りなく遠い存在である。
果たしてバラバのような人間が信仰に身を投じるということがあり得るのか、、、?

バラバは次々に貴族の見世物としてトルヴァドに処刑されてゆく剣闘士を見ながら自分の順番が巡ってくるまでに策を練る。
作戦が功を奏し見事彼らの上に君臨していたトルヴァドを仕留めることに成功した。
彼はその活躍ぶりを観客たちから熱狂的に讃えられ、国王から自由の身を勝ち得る。

キリスト教徒たちが秘密の集会をもつカタコンベにサハクの亡骸を運ぶが、キリスト教徒たちはバラバを受け入れない。
何故今更やって来たのか。もっと早く彼が救えなかったのかと。
彼らはバラバを非難し蝋燭を手にして真っ暗な闇の回廊に消えてゆく。
この時、彼はまさに文字通り、道に迷う。
彼に初めて明確に、新たな未知の道が示唆された。
本当に寄る辺ない不安な幼子のような顔で彼は闇の中を彼らに追いすがろうとする。

このカタコンベのシーンを見てこれが映画だと身に染みた。
バラバの不安が直接こちらにひりつくように響く。
そして漸く光る出口を見つけ出てみると、何とローマが燃えているではないか、、、。
見渡す限り一面の火の海なのである(現在のVFX効果を利用すれば遥かにインパクトある画像が得られたと思ったが)。

このシチュエーション~インプレッションは強烈この上ない。
すぐにかつてのサハクの言葉をありありと思い出す。
「古きものを焼き払い新たな王国が生まれる、、、」
彼は建物に火をつけて回る。
信仰に身を投じた瞬間だ。
彼は現行犯で捕えられ、自分はキリスト教徒でわれわれが火を放ったと自白する。
捕えられたキリスト教徒たちの中に20年以上も前にエルサレムで遭ったパウロがいた。
われわれが火を放つわけがない。またしても君は誤った。これはキリスト教徒を弾圧するための皇帝による姦計であると。

、、、犬死だ。後にはいつも死骸と苦痛しか残らない、と呟くバラバに対してパウロは語る。
「君はこころのなかでいつも戦いを繰り返してきた。それこそが神への道であり、そのこころのうねりこそが神の国の到来を促すのだ」と。
これにはわたしも説得力を覚え共感する。


一日の終わりが来た。
苦痛の後には眠りがある。
祈ろう。

殉教者たちの夥しい磔刑の姿が闇に浮かび上がる。
そのなかのひとりにバラバの姿が、、、
「すべてを主に委ねます」バラバは息を引き取る。





続きを読む

死霊院 世界で最も呪われた事件

The Crucifixion002

The Crucifixion
2017年
アメリカ・イギリス・ルーマニア

ザヴィエ・ジャン監督
チャド・ヘイズ 、 ケイリー・W・ヘイズ脚本

ソフィー・クックソン、、、ニコール(ジャーナリスト)
ブリタニー・アッシュワース、、、バドゥバ(シスター)
エイダ・ルプー、、、アデリーナ(シスター)
コーネリウ・ウリチ、、、アントン神父


The Crucifixion003

「はりつけ」である。
こっちの方がインパクトある。
2004年にルーマニアに起きた悪魔祓いの死亡事件を描く。
修道女アデリーナが”アガレス”という強力な悪魔に体を乗っ取られ、彼女は完全に異なるペルソナを呈する。
アデリーナを救うためディミトル神父が過酷な悪魔祓いで対抗するが、途中で邪魔が入り、中途半端な形で投げ出されたことで彼女は死亡してしまう。
その衰弱振りから、警察は悪魔祓いの儀式による殺害と断定しディミトル神父は7年の刑に処せられる。
つまり宗教を盾に取った殺人とされたのだ。
確かに三日に及ぶ激しい儀式であった。それを三日間続いた虐待による死と捉えるのが合理的な判断なのであろう。
果たして悪魔は実在するのか彼女は精神を病んでいただけなのか。

ただ、医者の言うように彼女が統合調症であったにしては尋常ではない症状を呈していた。
外部からの憑依によるものとしてしか見えない姿と言動そして異様な力の誇示である。
そして何より「目に闇が宿っている」のだ。この表情はもはや人間ではない。
明らかに彼女のものではない力~どこから発せられているのか分からない力が周囲を圧倒し畏怖させる。
(エクソシスト映画によくみられるショッキングな~観慣れたシーンではあるが)。
さらに何故か室内だけに雨が降る、、、聖水を使わせないためだという。

The Crucifixion001

この修道女はドイツに赴いたときに現地の男性と恋に落ちてしまった。
信仰心の揺らいだ脆弱な心にそれは忍び寄って来るという。
帰国後その罪悪感に悩む心に付け込んで悪魔が乗り移ったそうだ。

それに対し、彼女の精神科医は幼いころ目の前で父が自殺した経験が、父代わりであったゲイブリエル神父の飛び降り自殺を目の当たりにして、抑圧から解かれ蘇ったことによるショックが症状の原因だという。
当然大変な衝撃には違いないが、それにより起きる統合失調症の幻聴、幻覚の域は「物理的に」踏み越えてはいないか。

全く無信仰のジャーナリストのニコールは神も悪魔も端から信じていないが、自分の身に起こる超常現象に悩まされるにつけ、信仰のフィールドに引きずり込まれてゆく。
偏見を持つとそこに付け込まれるとアントン神父に諭されるが、もうすでに彼女のパラダイムは変質している。
彼女も全く信仰の世界に無関係というわけではなく、母は厳格なキリスト教徒であり彼女の死に際し信仰の世界に誘われた。
だがニコールは母の臨終のときの気持ちに応じられなかった。それがずっとトラウマになっており、今回の事件の真相を追う無意識的な要因にもなっていた。
終盤になるともう彼らの論理でものを考え対処しようとする。
死んだアデリーナが襲ってくるあのような状況に呑み込まれればそれ以外の方法はもはや見出せないだろう。

特に彼女に取り憑いたアガレスの納屋での派手な(荒唐無稽な)暴れようである。
駆け付けて悪魔祓いをするアントン神父の「悪魔の実在を信じなと君を救えない!」という叫びが説得力をもつ、と謂うよりそれしかあるまい。
部屋のなかでの大雨のなか、神父とニコールが辛くも勝利を収める。
静寂が戻るその際に、彼女は母に遭ったという。

The Crucifixion004

ドーンという何度もびっくりさせる効果音と衝撃波やテレキネシス等は既視感タップリの演出とは言え、只管力技で押してくる。
ここは先日見た「アンダー・ザ・シャドー」の控えめなシーツの畳み掛けとは大きく異なる。
(そこが目的の映画でもある)。

だが、それを観ているこちらは、ほとんど神も悪魔もない日常にいる。
いや単に見えないだけだと言われればそれまでだが、その両極に程遠い温い場所にいる感覚は否めない。
「実話」を描いたにせよ、その距離感は余りに大きい。
(ルーマニアに対する偏見がかえって深まった感もあるくらいだ)。

このような映画が撮られること自体、われわれの無意識が内属するパラダイムに安住できない軋みを覚えるからではないか。
科学ももう一つの論理による信仰に過ぎない。
かと言って魔女狩りの頃のような状況に陥ることは避けなければならない。
ただ、今のわれわれの世界が余りに平坦で均質になっている危険性は大きいのではないか。
闇が闇でなくなっていることで、光もはっきり感じられない。
うすぼんやりした灯りの元、何も見えなくなってはいまいか?
(われわれが夜空に星々を眺めたくなるのも、こういった精神の渇望から来るのではないだろうか)。

このような映画がひとつの問題提起というか、外にはみ出す為の刺激剤になるのではないか。
わたしの苦手なホラー映画とはまた一線を画する作品であった。

The Crucifixion005

ディミトル神父は出所後も精力的に悪魔祓いを続けているという、、、。









アンダー・ザ・シャドー

Under the Shadow001

Under the Shadow
2018年
イギリス・ヨルダン・カタール・イラン

ババク・アンバリ監督・脚本

ナルゲス・ラシディ、、、シデー(医学部復学を願う母)
アビ・マンシャディ、、、ドルサ(シデーの娘)
ボビー・ナデリ、、、イラジ(シデーの夫、医者)
レイ・ハラティアン、、、エブラヒム(隣人)
アラシュ・マランディ、、、シデーの元学友の医者


イランのホラー映画ということで、観てみた。
イラン・イラク戦争下のテヘランが舞台。
マンションに住む医者の一家に迫りくる得体の知れない不安と恐怖、、、。

Under the Shadow003

その一家には様々なストレスが重層していた。
イラクがいつミサイルを撃ち込んで来るか分からぬ状況。
(これは日本人には実感しにくい日々の恐怖と不安である)。
若い母親は大学の医学部に復学を熱望しているのだが、大学側がかつて学生運動に参加していた過去を理由にそれを認めない。
(戦時下において、かつての反体制活動はまさに国賊のような扱いであり、彼女にとってはこれが最も大きなストレスであろう)。
医者になる夢が絶望的なために医者の夫に対し八つ当たりをしたり、娘の養育も絡み夫婦仲もぎくしゃくしている。
娘も妙な人形に拘り、両親を戦争で亡くし近所に引き取られた緘黙の男子の影響で、”ジン”という古くからの言い伝えの精霊を観たと言って不安定になっている事から来るストレスも大きい。
(得体の知れないものが見えるという娘自身のストレスもかなりのものだ)。
合理的思考に馴染んだシデーにとってジンは、子供を怖がらせるだけの迷信に過ぎなかったが、徐々に超常現象と思しき経験~悪夢との区別が困難である経験~をするにあたり自分の信じる世界の基盤が揺らいでくる。

Under the Shadow002

マンションにミサイルが着弾するも爆発に至らなかったが、その部屋の老人がシデーの救護にも拘らず死んでしまう。
彼女は天井を突き破って着弾したミサイルによる心臓発作によるものだと断定するが、その男の娘によるとその直後は元気に話をしており、暫く後に悲鳴が聴こえて亡くなったという。ドルサが言うように誰かを観たことによる死ではないかとその娘は訝る。
シデーはそれを頑なに否定し、その件でドルサに話を聞きたがるその娘を遠ざけるが、徐々に彼女もその世界に引きずり込まれて行く。
ミサイルが呪われたジンを呼び込んだということばを話さない少年の「言葉」を信じるドルサ。
ドルサは彼らと密かに話もしており、母より彼らを選ぶというような言動もとるようになる。

Under the Shadow004

後半から只ならぬ素早く移動する人影がミサイルによって出来た天井の罅割れから降りてきたりするようになる。
これが悪夢なのか幻想か実際の何者なのかがはっきりと判断し難い。
だが、ドルサが肌身離さず持ち歩いている人形の「キミア」がいなくなり、彼女は「あの人たちが持ち去った」と主張する。
その人形を必死に探すがカギの掛かった母シデーの戸棚からバラバラになったその人形が見つかった。
シデーの毎日見て実践しているジェーン・フォンダのエアロビクスのビデオもテープを引き出されゴミ箱に捨てられている。
そういったシーンが連打されてゆく。

風に乗って移動しながら人に取り憑くジンという邪悪な精霊が見え隠れするようになる。
後半から終盤にかけてその存在が彼女らにとって最大のストレスとなる。
実際、戦争の激化によるミサイルの飛来に怯えるというより、ジンの恐怖から逃れるようにして、マンションの住人は次々に疎開して消えてゆく。
もう残っている家は夫が召集令状が出て前線に赴いている母と娘の二人だけになった彼女らだけになる。
(最後の隣人もジンにとり憑かれないようにと言い残して去って行った)。

Under the Shadow005

シーツに囚われたり黒いタールのようなものに足を取られたり、はっきりとクリーチャーのような具体物は出さず、最後まで過酷な重圧によるストレスの産物なのか実際の何者なのか分らぬうちに車で開かないガレージの扉を突き破り這う這うの体で夫の義母の家へと脱出を図る母娘の姿で終わる。

狙いは良く分かる映画であった。
だが、イライラの募るストレス一杯の家庭状況は実感できたが、得体の知れぬもののインパクトはいま一つであった。
少しずつ煽って行く心理ホラーである。
強いて言えば母シデーのヒステリックな怒りがかなり怖いものであった。
(特に夫にとっては、、、夫に共感した)。

イラン、、、というか中東ホラーは、かなり渋い。

おバカ映画二連発

Terminal.png

アニー・イン・ザ・ターミナル
Terminal
2018年
イギリス/ハンガリー/アメリカ/香港

ヴォーン・スタイン監督・脚本

マーゴット・ロビー 、、、アニー / ボニー
サイモン・ペッグ 、、、ビル
デクスター・フレッチャー 、、、ヴィンス
マックス・アイアンズ 、、、アルフレッド
マイク・マイヤーズ 、、、クリントン / ミスター・フランクリン


キャストに文句はない。
ただ、映画が酷いだけ。
まさに末期的な映画。もう瀕死。
マーゴット・ロビーもここでは全く空回り。
ホントにくだらん映画に出てしまった。
世界観そのものが噺にならない。
スタイルだけで何かの形にしようとしても元になるものが何もないから何も出来ない。
これ程つまらぬものを近年見たことがない。
言語道断。



November Criminals

クリミナル・タウン
November Criminals
2017年
アメリカ

サーシャ・ガヴァシ監督・脚本

クロエ・グレース・モレッツ 、、、フィービー
アンセル・エルゴート 、、、アディソン・シャクト
デヴィッド・ストラザーン 、、、テオ・シャクト
キャサリン・キーナー 、、、フィオナ


何処がクリミナル・タウンなのか、、、?
ここでも途轍もなく邦題が酷い。
しかし映画自体が問題外。
こんなひどい映画に出てるとキャストの魅力も失せる。
と謂うより、これは映画か?
高校生でもこんな噺~脚本まず書かない。
一体何を撮りたかったのか、である。
俳優も出る映画を選ばないと、バカかと思われる。
(もう選べる立場だろうに、クロエなど)。
ホントに、この本を読んで納得して演じたのか、、、?幻滅!

この映画に出ている俳優には全く興味を失くした。
今後、このキャストの映画を観ることはない。


―――――――――

今日は酷い一日であった。
憤る前に気が抜けた。
時間は大変貴重である。
これらについて何か書くだけ無駄。
今後、気を付けたい。






告白小説 その結末

Based on a True Story001

D'après une histoire vraie  Based on a True Story
2017年
フランス・ベルギー・ポーランド

ロマン・ポランスキー監督・脚本
オリヴィエ・アサヤス脚本
デルフィーヌ・ドゥ・ヴィガン『デルフィーヌの友情』原作
レクサンドル・デスプラ音楽

エマニュエル・セニエ、、、デルフィーヌ(小説家)
エヴァ・グリーン、、、エル
ヴァンサン・ペレーズ、、、デルフィーヌの夫


作家が作品を創造する過程の内的葛藤をサイコサスペンス調に描いた作品。
その内面を二人の女性作家同士の対峙の形で現す手並みを堪能する映画であろう。

デルフィーヌが生み出した幻想のペルソナ(人格)であるエル~彼女は、デルフィーヌの無意識であり罪悪感であり、スランプ状態を打ち砕く創造的なリビドーでもあろう。
エルというデルフィーヌに対する忌憚ない意見を吐きつつ献身をみせるエヴァ・グリーンの大変ビビッドな姿で描かれるため、ふたりの作家の間の危うく激しい創造的なやりとりとして可視化されるが、実際籠って悶々として破滅的な幻想の世界を生きているかと思うとぞっとする。

Based on a True Story003

やはり家族の不幸や問題をネタにした小説で大人気作家になってしまったことが、無意識的に余程の負い目となってしまったものなのか。
通常の人格から乖離した批判的でヒステリックな人格を知らず(疲労混迷する意識に)立ち上がらせてしまったのだ。
(まずは彼女の意識に、とても話の分かるファンであり信頼に足る助言者のような存在として現れ)。
だがその分、不安と自己批判も高まる。
そんななか何より大事な4冊の創作ノートがなくなる。
(わたしも時折、大事なものをどうやら知らぬうちに処分してしまっていることに気づくことがある)。
共同生活をエルと始めるが、自分の過去や秘密を彼女に探られていることに慄く。
更にエルから貰った(恐らく新たに買った)ノートも影の人格であるエルが破り捨てている。
不安と猜疑心と恐怖と命の危険も覚えるのだが、、、

肝心のデルフィーヌの意識レベルでは、エルはどうにもならない他者であり続ける。
(自分の中の他者は誰にも存在し得るが)。
これがこのような心的状態での危うさとその手強さともいえるか。

Based on a True Story002

デルフィーヌのエルに対する無防備さパソコンのパスワードからメールその他何もかも突然現れた女性にすべて任せてしまうこと自体、彼女が本当の他者ではない証左である。(一体どこの誰が他者に自分のパソコンの中身を見せ、メールの返事までお任せにするか?)果ては替え玉講演まであっさり頼んでしまう。この度を越した依存ぶりは半ば彼女が自分自身、または自分の影の分身であることを前提として知っていると受け取る方が合理的だ。
映画のシーンに一度でもエルが第三者と何らかの接触ややり取りを持っている描写はない。
終盤、ガソリンスタンドで出逢った講演を頼んだ高校の司書が、デルフィーヌがすっぽかしたことを怒り激しく非難する場面があった。
エルは替え玉で講演などしていなかったことがはっきりする。
デルフィーヌが毒を飲まされ雨の夜に外に脱し、そのまま道端に倒れ気を失うが、彼女を追うこともなくエルが消えていることも合わせ、エルが幻想の産物であることを如実に示している。つまりここが終盤での種明かしだ。

Based on a True Story004

母親の自殺を元に家庭を晒しものにしてベストセラー作家になった事実に圧し潰されそうになって、自分への非難メールやフェイスブック炎上の自作自演やついには自ら食事に毒を混入させるところまでエスカレートする。
アパルトメントの階段を落ちたのもわざとやった感がありありであった。
創造の影の部分~ダークサイド・オブ・ザ・ムーンが鮮やかに描かれた映画と謂えよう。


最後はちゃっかり、またヒット作が生まれて大ファンの行列が出来てスッキリした表情でサイン会を行っている。
この作品はまさにこの映画そのものを描いた小説であろうか。
またいつエルが現れることか、、、。
こうしてみると、作家の創造の場の極限的な危うさを扱ったものであることは分かるが、透明化したエルを通してなんともあっさり新作が出来てしまったのにはちょっと拍子抜けするところでもあった。
だが、そんなものだろう。
この作品はエルの側が書いたのだ。




風が吹くまま

THE WIND WILL CARRY US001

THE WIND WILL CARRY US
1999年
フランス、イラン

アッバス・キアロスタミ監督・脚本・製作

ベーザード・ドーラニー 、、、ベーザード(TVディレクター)
ファルザド・ソラビ、、、ファザード(小学生の男子)
バフマン・ゴバディ、、、先生


イランのテヘランから北700キロにあるシダレという山村が舞台。
物凄い異国情緒を愉しめる。
一面の石と岩の丘。
道案内に大きな木が目印。
漸く着くと少年が待っている。
用を頼むが彼はテストで忙しいと、学校のことばかり気にしている。
一応、客の接待と世話を頼まれているらしいが、学校の勉強とテストのことで頭が一杯らしい。
こんな生活、子供にとっては良いようだ。
電話のない村だ。

岩山を刳り貫いて作った住居。
入り組んだ階段を上ってゆく。頭に注意する必要のある高さの通路もあり、、、。
白い壁に青い窓枠。肌色の模様。
テラスで洗濯物を干したり、赤ん坊のハンモックがあったり、、、
上の段から出来たばかりのスープを下のテラスの住人に手渡したり、踊り場みたいなところで膝の上でスープを飲んでいたり、、、。
ちゃんと紅茶を出すカフェもある。良い雰囲気だ。
そこの女店主と旦那が口喧嘩するが、内容は何ら日本と変わらない。

THE WIND WILL CARRY US004

飲み物は、紅茶と牛乳ばかりが出て来た。
ヤギの乳もあったか、、、どうか。
もう、この光景だけで魅了される。

噺はまた面白い。
TVディレクターとそのスタッフ一行がシダレの村独特の葬式のロケのために、車で道に迷いながらやっとのことでやって来る。
当初、3日で撮影、取材を済ませて帰る予定であったのだが、危篤のおばあちゃんがいつまで経っても亡くならない。
ディレクターが暇を持て余してイライラしながら時を過ごすだけの映画だ。
彼と一緒にこちらも只管待つためともかく長い。
BGMもなく、上司からの電話に言い訳をして何とか滞在を引き延ばすのを観ているうちに知らず眠ってしまい慌てて起きる。
これの繰り返し。
面白かったのは、野原をのんびり散歩していた陸亀に八つ当たりして靴で亀をひっくり返して車に乗って帰って行くところがあったが、その後亀が自分で起き上がって歩き始めたので安心した。
同じようなシチュエーションで、ふんころがしが一生懸命働いているところにやけくそディレクターの視線がロックされたとき、何をしでかすつもりかと、ちょっと気になったものだが、ちょうどそこに会社からの例のお小言の電話が来たので助かった(ふんころがしは)。

村では彼のことを技師さんと呼んでおり、葬式の番組を撮りに来たと知っているのは、知的な風貌の小学校の先生くらいだ。
葬式を撮りたい等と言うと、如何にもおばあさんが早く死ぬのを待ちわびているように受け取られるため伏せている。
とても友好的な関係が結べており、パンやミルクを分けてもらったりしている。
そして一たび携帯が鳴ると、いつも慌てて車に飛び乗り高台まで走って登ってから通話する、と言っても上司の文句を何とか宥めるといった対応ばかりだが、いちいちそんなに電波を気遣って電話をするなら普通の固定電話の方がよっぽど便利だ(笑。
まあ、電話のない村だから仕方ないが、真剣に電話している分、笑える。
村人との会話も真面目なのだが、ユーモアがあって愉しめるものだ。
なかなか雰囲気の良い村で、いつか滞在してみたい。
というよりも、この長回しのうえに、正面からの接写が多いが、俯瞰した景色も絶景のこの映画を堪能するうち、自分もこういう映画を撮ってみたいという気持ちが湧いてくる。
不思議な魅力の映画だ。

THE WIND WILL CARRY US002

とても長く感じるがこれがディレクターの焦燥感に同期するもので、われわれは生理的にその引き延ばされた空虚感を彼と共に味わうことになる。この長さは映画の意味~内容そのものだ。
全般にわたり、とても物質感があってリアルである。

特徴的な部分は、ディレクターが独りであくせく暇を持て余して車ともどもオーバーヒートしているのだが、、、
同行したはずの他の撮影クルーは何をしているのか一切画面には出てこない。会話はあるが声だけであり姿を見せない。
この姿を見せない~不在なのがミソであり、危篤のおばあちゃんも全く画面には出てこない。
都会から見舞いに来ていた息子が帰っても、体調が戻ったから帰ったという説と再度会社に休暇を申請しに戻ったという説が入り乱れる。薬の面倒をみる家族も回復してきたと言う人もいれば、もうダメだという医者もいる。
家族や医者以外は部屋には入れないようで、ディレクターは彼らの言説に踊らされるばかり。
しょっちゅう確認の電話をよこす上司にも対応に窮するが、取り敢えず「順調です」と応え取材の延長の申請を出す。
「待つしかない」待たせるしかない(爆、のだ。
彼がいつも電話の際に登る墓のある丘の上で只管穴を掘る男も一度だって顔は見せない。
ディレクターと会話はするが、いつも穴の底からなのだ。
オマケに穴掘り男にミルクが欲しいことを伝えると俺の彼女に貰えと言われ名前だけ教えてもらう。村に戻ってその名を伝えるとその娘はまだ16歳で、何と家の地下室の暗闇にいて顔も見せない。
暗闇で娘が乳絞りをしている間、ディレクターは彼女に(彼氏に対してと同様に)語りかけ、詩を暗唱して聴かせる。
面白い。これがイランという国か。
ちなみに、ミルクを入れるポットは他の家で貸してくれたものだ。
器をもって中身を貰いに行くというのもなんとも風情があり趣き深い。

医者のバイクの後ろにも乗せてもらうが、そんなときも医者が詩を暗唱する。
「うん、いい詩だ」と後ろで感心する。
こんなに美しい自然が鑑賞できるんだから死ぬ気にはなれない、みたいなことを語り合う。
彼らの走る飛んでもない景色は、まさに異景とでも呼ぶしかない。
(単に美しいというものではなく)。

THE WIND WILL CARRY US003

荷物をまとめて車で帰るときに葬式があげられ喪服の女たちの列に遭遇する。彼は彼女らの写真を撮る。
ディレクターは拾ってずっと持っていた人骨を川に投げ捨てる。
骨は川の流れのままに流されてゆく。
彼も風が吹くまま身を任せるしかない、、、。
という感じで、どう終わったのか記憶はない。
そんな映画だ。


映画というものが何なのかを、睡魔のなかで感じさせる作品だ。



planetarian~星の人~

planetarian003.jpg

2016年
津田尚克 監督
アニメーション映画

声:
すずきけいこ、、、少女ロボットゆめみ(プラネタリウム解説員)
小野大輔,、、、星の人(元屑屋)


恐らく事前に「Planetarian ~ちいさなほしのゆめ~」を1~5話まで観て、この映画を鑑賞することがベストのようだ。
わたしは、そのアニメ番組を観てはいない。だが、それでも伝わるものは伝わる。


非常にシンプルな構成だ。
登場人物も舞台もスッキリ絞られており、無駄な脱線も伏線もなくストレートに伝わる。

ゆめみの声が非常に良かった。
このロボットの個性(霊格)そのものであり、違う声であったら成り立つまい。
舞台で演じてもインパクトのある作品に充分になる。
キャスト次第ではあるが。

地上は完全に廃墟となっており、デパートのプラネタリウムに打ち捨てられたロボット解説員ゆめみがお客様を待ち続けている。
数十年もだれも来ないなかで。
電力供給もすでになく、予備電流で辛うじて起動出来ていた状態である。
そこに屑屋の男がやって来るところから始まる。

planetarian004.png

「わたしこわれてますから」自分が壊れているかどうか、自問自答するロボットである。
そこいらのバカな人間より遥かにマトモな存在である。

純粋に一途に生きることはロボットにしかもはや出来ぬか、、、
「人の危険を看過してはならない」(ロボット工学三原則第一原則)
屑屋の言いつけ「そこを絶対動くな」の重要命令を破って行動をとったのは上位原則があったためか。
この階層性の元の判断。どうなのだろう?価値判断に思えるが。
何れにせよ彼女の犠牲的行為によって屑屋の命は救われる。

planetarian001.jpg

演出も極めてシンプルだが説得力がある。
ゆめみが事切れる間際に降り注ぐ雨が瞳にも流れそれが確かに涙となって滴ってゆく。

彼は「屑屋」から「星屋」となる決意をし、コロニー間をプラネタリウムを見せて歩くうちに「星の人」と呼ばれるようになる。
やがて年老いた星の人は、深い雪の中で行倒れとなるも、三人の元気で好奇心旺盛な子供に助け出される。
そのコロニーも小規模で成員を食べさせるだけで精一杯の状況であった。
もはや星の人の居場所はなかった。
星の人は、子供たちとプラネタリウムの傘作りをし、彼らに星を見せる。
生まれて初めて星の存在を知り驚愕した子供たちは自分たちが後を継ぎ星の人になることを熱望する。
星の人は彼らに機材と貴重な本とゆめみのスロットから抜いた宝物であるメモリーカードを手渡し、後を託す。

星の人は死の間際、ゆめみの128エクサバイトのメモリーカードを「女神」のメモリースロットには挿せなかった。
もうこの世界には、「星の人」が役目を果たす場がないという諦観からなのか。
いや、世界が荒廃し先に見えるのが滅亡しかないのなら、尚更のこと「星を見ること」が必要なのだ。
空が無くても雪しか降らなくても地下にあっても、星は見える。
隠されていようが、あるものはあるのだ。
そしてそれを論理で見るのが人間の本質である。
目~思考を逸らしてはならない。
そしてそれを信じること。
その先に天国があるのだ。
天国のたったひとつの扉の先に、ゆめみはずっと待っている。

神とは何か?
それは、地上での行いを確かに見届けてくれる存在である!
それをもって人は、はじめて報われるのだ。
ゆめみは星の人をずっと見守っていた。
彼の、涙が堰を切って溢れ出したのは、あまりに自然なことだ。


まっすぐな少年少女レビ、ヨブ、ルツの三人にカードを託したのは正解であっただろう。
もしかしたら彼らが星の人として必要とされる世界が開ける希望がないとは謂えない。
それが役に立つ時があれば、まだ地球は持つはずだ。
三人がお礼に星の人に渡した宝のペンダントは、「女神」を彼が起動したときから共鳴して緑に灯っていた。
それで彼女は静かに星の人を看取りにベッドまで訪れたのだろう。

planetarian002.jpg


ゆめみは天上にあって、すでに涙の流れるバージョンにアップしていた。
(廉価版ではなくなったのか)。


続きを読む

スピーシーズ 種の起源

Species002.jpg

Species

1995年
アメリカ

ロジャー・ドナルドソン監督
デニス・フェルドマン脚本

ベン・キングズレー 、、、ザビエ・フィッチ(研究所所長)
マイケル・マドセン 、、、プレス・レノックス(問題解決屋)
アルフレッド・モリナ 、、、スティーブン・アーデン(人類学者)
フォレスト・ウィテカー 、、、ダン・スミスソン(霊能力者)
マージ・ヘルゲンバーガー 、、、ローラ・ベイカー (分子生物学者)
ミシェル・ウィリアムズ 、、、少女シル
ナターシャ・ヘンストリッジ 、、、シル


ここでもエイリアンのデザインはH・R・ギーガーの手による。
似ている。リドリー・スコットの「エイリアン」に。
このフィギュアが業界スタンダードとなった感あり。

SETIにより1974年送ったメッセージ(人間のゲノム情報、太陽系の図、地球の人口)に対しその位置(場所)は特定できぬが驚くべき返事が来た。1993年だそうだ。
現実にはいくら待っても何にも来ないのが実情なのだが(時折ガセ情報が入るくらい)。
地球外知的生命体からのメッセージである(願望が先走る!)。

ひとつはメタンの触媒の構造式で、エネルギー問題を解決するほどのものであり、これをもって地球側としてはその送り主を好意的な存在と踏んだ。そしてもうひとつが新しい謎のDNA配列を示すものであった。
当然世界中で話題沸騰することは間違いないのだが、どうやら政府が伏せてしまったのだろう。
秘密裏にザビエ・フィッチ所長の元で、送られてきた通りの塩基配列を人間の卵子に注入すると驚くべき速度で分裂をはじめ急速に成長し、見かけは人だが全く違う生命体が出来てしまった。
これに危機感をもった実験者~当局はその生命体~女の子を抹殺することにする。
だが彼女の生命力と運動能力は予想以上のもので、ガス室から脱出して逃亡してしまう。

Species003.jpg

それからは彼女は邪魔なものを躊躇なく殺戮し食欲を思う存分充たしつつ遂に列車の中で蛹となり、やがて成体となる。
一方彼女を秘密裏に処理するためのコンパクトなチームが結成され彼女の後を追う。
始末屋と霊能者と分子生物学者と人類学者による最小限のハンター組織である。
研究所の所長は軍用ヘリをはじめかなりの軍組織を必要とあれば自由に行使できる立場にあるようで、要所要所で使用しつつも一般~マスコミには真相を隠し続ける。
彼らは彼女の足取りを追い被害状況を検証していくうちに彼女が子孫を残し繁殖を図ろうとしていることが判明する。
すでに少女期の姿から大人の女性となり体勢は整っていた。

Species001.jpg

派手にこの混血エイリアンが殺しや破壊をしていることから事態をいつまでもひた隠しには出来ない上に交配をして子供を産んでしまったらその成長速度からして、人類の存亡を揺るがすことは目に見えている。
最早一刻の猶予もないという流れでスリリングに展開してゆく。

そのキャストが素晴らしい。
「ガンジー」のベン・キングズレー、「ラストキング・オブ・スコットランド」のアミンのフォレスト・ウィテカー、後に「マリリン 7日間の恋」でマリリン・モンローとなるミシェル・ウィリアムズ、、、と凄い面々が揃っている。
特にフォレスト・ウィテカーの独特の繊細な演技がしっかり窺える(それにしてもあのアミンの繊細で激情的な狂気の演技は凄まじかった)。
それに加え、人類とエイリアンの混血児であるシルのナターシャ・ヘンストリッジのクールビューティな存在感も際立っておりとてもお洒落だ。そう、ホラー・エイリアンムービーとも言える本作だが大変ファッショナブルでお洒落な印象を与えるのは、彼女のお陰である。
マイケル・マドセンとマージ・ヘルゲンバーガーの物語の中心的カップルも程よいマイルド感を醸していてエンターテイメント性を高めていた。始末屋~殺し屋にしては親切で人が良く、分子生物学者の女史は妙に色っぽいのだ。この付加価値が映画に厚みを加えている。一人犠牲となる人類学者~アルフレッド・モリナもナターシャと好対照の人間的な良い味を出していた。
それだけではない。ツイン・ピークスの警官もモーテルの支配人で出ている。
その目で見るとまだまだ隠れた名優がいそうだが、わたしは俳優に詳しくないため、見つけられない。

冷酷非道のエイリアンとしてもっとも印象に残っているのは、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のスカーレット・ヨハンソンである(彼女も最終的には実存的不安に圧し潰され自滅して行くのだ)が、このナターシャ・ヘンストリッジ~シルは、最初から悪夢に悩まされ、自分が何処から来て、一体何者なのか、、、これから殺そうとしている人間に問うこともしている。
彼女としては全く異なる種として人類の只中に投げ出されたのだ。
そして一度は少女期に殺されかけている。
そんな過酷な地にあって、自らの生存欲と種の保存を図る目的で子供を作りたいという本能は、正統なものであろう。
ダン・スミスソンもシルの足取りを追う中で、彼女は恐れている、と霊視している。
謂わば過去にあった勢力争いのひとつとも言える。
ここに終盤ネズミが出てきて最後に不穏な存在と化しているが、ネズミこそ人類にとって湿地帯を争ってきた往年のライバルであった。

ここではすべての立場は相対化され善も悪もない生存を賭けた闘争~死闘として平板に展開している。
実際、こういう事態が起きてもおかしくはない。


もう地球人の無意識的願望として、高度な知的生命体に何でもよいから出逢いたいのね~。
他者を認める気などないくせに、漠然とETを欲している。
自分に都合の良いETを。
だから半面の危険意識~悪夢のパタンも想像し易い。






恋は雨上がりのように

koiha.jpg

2018年

永井聡 監督
坂口理子 脚本
眉月じゅん『恋は雨上がりのように』原作

小松菜奈、、、橘あきら(短距離記録保持者女子高生)
大泉洋、、、近藤正己(橘あきらのバイト先ファミレスの店長)
清野菜名、、、喜屋武はるか(橘あきらの親友、陸上部部長)
磯村勇斗、、、加瀬亮介(ファミレスバイト店員)
葉山奨之、、、吉澤タカシ(ファミレスバイト店員、橘あきらに心を寄せるが相手にされない)
松本穂香、、、西田ユイ(ファミレスバイト店員)
山本舞香、、、倉田みずき(他校の短距離走実力者)
濱田マリ、、、久保(ファミレス店員)


小松奈々の綺麗な走りが印象的であった。
恐らく陸上をやっていたのでは。
終盤に出て来た山本舞香も粗削りで精悍な雰囲気が良いアクセントになっていた。
コミック原作の恋愛ドラマというが、設定に強調・単純化は観られても無理は感じない。

小松奈々の凛とした佇まいの魅力で最後まで観てしまった。
何と言うか、日本のレア・セドゥという感じか(小松奈々の方が綺麗だが)。
大泉洋という人は、これまたよく出てくる人だ。
俳優もたくさんいるはずなのだが、何故この人ばかりがこうも売れているのか?
この作品ではピッタリな役だとは思うが。
(他にこのような役のできる俳優はいなかったのか)。

小松奈々~橘あきらは群れてお喋りをして依存しあうよくいる女子ではなく、独りで淡々と何でもやってしまうタイプの女子だ。
しかし対人関係は得意ではない。率直で誠実だが、自分の気持ちの伝え方などかなり不器用である。
一方、大泉洋~近藤正己の方は対人関係にはこなれている、誰にも優しい接客のプロである。
一見頼りなげに見えて、大人としての分別がしっかりとある男だ。

両者ともに挫折を味わい、雨に降られている状況か?
あきらは高校短距離走の記録保持者であるが、アキレス腱断裂で現在リハビリ中であり競技人生に大きな不安を抱えている。
近藤は小説家志望であったが、今は生活のためファミレスの店長をしている。だが自分の部屋にはいつでも書き始められるように白紙の原稿用紙とペンが机に置かれている。書きたいという気持ちは捨てていないのだ。
また、あきらは父がおらず、近藤は離婚しており時折息子と逢って世話をしているという境遇である。

koiha003.jpg

あきらにとって近藤は父ほどの年齢であり、しかも自分の持たない人を和ませる豊かな包容力をもった異性であった。
雨宿りした近藤店長のファミレスにたまたま立ち寄った経緯で、彼の人柄に惹かれ性格的に合っているとは言い難い店員の仕事をそこで始める。
詰まり最初からあきらは近藤に好意を抱いており、それとなく言動や素振りや所作のなかで好意を伝えるのではなく、ある時彼をじっと睨むように見詰め、ストレートに「店長のことが好きです!」と告白してしまう。
これには店長も腰を抜かして驚く。

彼女はめげず、たじろぐ店長に対し何度もストレートに告白して迫る。
しかし店長も彼女のことをとても大切に思っているため、それをそのまま受け入れる訳にはいかない。
店長は頑なに彼女の気持ちは受け入れられないことを告げる。これは店長の人格をよく示すところである。
ふたりで図書館に行き、彼女が本当に読みたい本を探させて彼女の内省を促す方法もとる。
この辺のやりとりの流れがとてもコミカルで、結構シリアスでもあり勿論、噺の中心軸として展開する。
彼女は結局、短距離走の本を借りてしまう。
店長は昔の親友が出した小説を借りることに。
やはりふたりとも自分の抱え持っていることが何かがはっきりしたと謂える。

koiha004.jpg

店長は彼女に、海辺で自分の息子に走り方を教えて貰い、走ることの素晴らしさを思い出させようとする。
アキレス腱断裂を経験してもしっかり治療すれば、好タイムを出すことが出来ることをライバルの倉田みずきは証明してみせた。
彼女はあきらに憧れて練習を重ねてきた他校の優秀なアスリートであり、彼女も以前アキレス腱断裂から立ち直った経験者でもあった。このみずきの存在があきらを競技の世界に引き戻す装置として働く。

koiha002.jpg

最後に背中を押すのは店長である。
「もう来週からシフト出さなくていいから。やることがあるでしょ」と言ってもうバイトに来ないでよいことを諭す。
それを少し寂しげながら爽やかな笑顔で受け入れるあきら。

近藤もその後、長いこと書けないでいた小説を執筆し始める。意欲が湧いてきたのだ。
あきらが部活に復帰しトレーニングを続けているところへ近藤が車でやって来る。
彼は自分が会社で昇進したことを伝えに来たと言ってあきらの様子を窺いにやって来たのか。
あきらは彼に意外な申し出をする。
「メールしあいましょ」と、、、。
お互いに笑顔を交わし合う。


つまり、陸上も小説もお付き合いも継続して行くということか、、、。
ともあれ雨は上がった。




プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

*当サイトはリンクフリーです。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: