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GOMA28

Author:GOMA28
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ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

Hitler contro Picasso e gli altri004

Hitler contro Picasso e gli altri
2019年
イタリア・フランス・ドイツ

クラウディオ・ポリ監督・編集
サビーナ・フェデーリ 、 アリアンナ・マレリ脚本
ディディ・ニョッキ原案

トニ・セルビッロ、、、案内人
美術史家
(元)所有者(証言者)


ドキュメンタリー映画である。
ナチスがヨーロッパ各地で略奪した美術品の総数は約60万点以上。
今でも10万点が行方不明という。
元の持ち主に戻すといっても、そこには大きな困難が控えている。
持ち主は存命であってもおおかた収容所帰りなのだ。
ナチスに略奪された絵画の所有権をいくら訴えても、絵画を購入した領収書や写真があるかなどと確認されるという。
理不尽にも程がある。
絵を取り戻すことに全財産と一生を捧げたひとも少なくないという。
現状では、孫の代である程度戻ってくれば良い方のようだ。
自分の手元に戻らずともその宝が、美術館で厳重に保管・管理されていればまだよいが、、、
行方知れずのまま孫の代でも何の情報もないときたら、その家としてはずっと苦悶を引き摺り続けることになる。
何をおいても芸術愛好家としては、その作品は大事な家族そのものなのだ。
お金以上の宝である。

Hitler contro Picasso e gli altri001

反ユダヤが前提である。ユダヤの所有しているモノは略奪しなければならない。ナチスとしてはそこから始まっている。
ヒトラーとゲーリングの略奪した絵画の奪い合いにもうんざりする。
特にゲーリングの見境ないどん欲さ、、、。
成り上がりの貴族志向。その肥満した化粧を施し奇抜な服装の男は、確かに異彩を放ち過ぎる。
自分の権威を高価な大画家による絵画によって高めようとする男。価値のある絵画を無尽蔵に収集しようとしてゆく。
そして総督は、大芸術(国家公認の古典美術)と退廃芸術(自由表現の現代美術)との間にはっきりと境界線を引く。
ヒトラーとしては、自由な表現が統制と規律を乱すという考えであった。
彼の好むテーマは、家族と母性であるという。そして母性に訴え総督の子供をたくさん作れという方向につなげるという、、、
何だ、兵隊の増産の目的か?まさかそれだけではなかろうが。
多少なりとも芸術の人々へ及ぼす力の認識とセンスは持っていたはず(元画学生でもある)。ゲーリングに関しては怪しいが。
わたしの大好きな画家たちの絵の多くが退廃芸術に放り込まれ粗末に扱われ風前の灯となる。
マルクの蒼い馬の絵を見たときは胸が詰まった。

Hitler contro Picasso e gli altri002

ゲーリングは退廃美術を売ってその金で大芸術家の絵を購入してもいたそうだ。
そのなかの最も大きな取引のひとつにフェルメールの絵がある。
彼としてはやっと手に入れ、たいそう喜んでいたようだが、死ぬ少し前にそれが贋作と判明したそうだ。
その贋作画家はフェルメールを得意としており大変な技量を持っていた(特に絵の具とマチエールの似せ方)。
本来の罪からすると量刑は軽くナチス~ゲーリングを騙した英雄と持て囃されたという。
多くの混乱のエピソードのひとつだ。

Hitler contro Picasso e gli altri003

アメリカは略奪された絵の動向を調べそれを奪還する美術史家で結成されたチームを派遣する。
「モニュメンツマン」の活躍である。
この活躍は、映画「The Monuments Men」邦題ミケランジェロ・プロジェクトで見られるものである。
ジョージ・クルーニー監督・脚本の作品である。
わたしはこれでクルーニーファンになった。おまけにマット・デイモンもフルに活躍している。
このチームの具体的な仕事についてはここではほとんど言及されていない。
「ミケランジェロの聖母像」が見つかったことが一言述べられていただけ。
そこは、「ミケランジェロ・プロジェクト」を観て補うしかないか。
(映画であるから多少ドラマチックな脚色は施されていようが)。

Hitler contro Picasso e gli altri005

まだ何処かにナチスに焼却されずに眠っている名画がかなりあるであろうことは間違いない。
2010年のグルリット事件(ヒトラー側近の画商の息子がアパートに大量の名画を隠し持っていたことが雑誌ですっぱ抜かれる)。
この他にも必ず似たようなことが明るみに出されてゆくことだろう。
わたしの大好きな「退廃芸術」が沢山日の目を見ることを期待したい。


ピカソを訪ねたナチス高官が「ゲルニカ」のポストカードを見て「これはあなたの仕事ですか」と尋ねると、「いえ、あなたがたの仕事です」と返したという。
そこからこの映画が作られたのか、と合点した。



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透明人間

The Invisible Man001

The Invisible Man
2020年
アメリカ、オーストラリア

リー・ワネル監督・脚本
H・G・ウェルズ『透明人間』、ジェイムズ・ホエール『透明人間』原作

エリザベス・モス、、、セシリア・カシュ
オリヴァー・ジャクソン=コーエン、、、エイドリアン・グリフィン
オルディス・ホッジ、、、ジェームズ・レイニア
ストーム・リード、、、シドニー・レイニア
ハリエット・ダイアー、、、エミリー・カシュ
マイケル・ドーマン、、、トム・グリフィン
ベネディクト・ハーディ、、、マーク
アマリ・ゴールデン、、、アニー
サラ・スミス、、、レックリー刑事


とても新鮮な緊張感ある引き締まった「透明人間」であった。
セシリア・カシュ の心境がとても良く分かり共鳴できる。
抗不安剤をずっと飲み続けている人の様相も充分に窺えるものだ。
(相当な演技力ということか)。
演出において空間を長回しで一定時間撮り続ける手法がそのまま意味内容として緊迫感を生んでいた。
透明人間という存在の無理~理不尽を受け容れることで、破綻は感じずじっくりと観ることが出来る。
重厚な傑作であった。

The Invisible Man003

人をコントロールする人間に捕まると内面から侵食される。
搾取された果ては、中身を喰い破られて立ち腐れで終わり。
これが、幼年期~子供時代からのことだと、もう自分自身としての未来も死もない。
最初から自分を生きることが出来ないとなれば、まさに生き地獄でしかあるまい。
ヒロインは大人の女性となって、恐ろしいサイコ男に捕まり身動きが取れなくなる。
恐らく彼女の妹であったら、最初の段階で相手を撥ね付けてしまうと思うが、セシリアはそれ程の自我を獲得していなかったのだろう。
大人になってこの状況にあるということは、幼年期~少女期~思春期にそれぞれ享受、獲得すべき愛着関係や自己信頼感や自主自立性に問題を抱えているものと思われる。
かく謂うわたしもこの点で大いに苦労した。
そして独力で~誰の力も借りず~これまでの関係性~力学を構造的に洗い出してここまでやって来た。
誰の力も借りず、ではなく周りの妨害を跳ね除けながら、がより精確である。
それに余りに大きなエネルギーを消費したため、未だに激しい憎悪を核に抱え込んでしまっている。
そのうねりが強い磁場を形成していて生の人間関係は結びにくい、必然的に相手を選ぶ。
(このエネルギーの対消滅のためには、相応の報復を必須とする)。

The Invisible Man004

ほとんどこの女性みたいである。
わたしも随分、利用され搾取されてきた。
最初は親の支配・投影・操作に始まり。
悪無限反復から抜け出ること。

セシリアはこのループから、途轍もない荒唐無稽な事件の克服によって脱するに至ったと謂えよう。
大変危険な負荷を通してである。それに押しつぶされたら文字通り死ぬか廃人だ。
彼女はやり遂げた。
相手の裏をかき相手がやってきたことを逆手に取り、小気味よい復讐である。
最後の誇らしげな自信に満ちた表情が余韻を残す。

The Invisible Man002


大きな試練を乗り越えることである。



エイドリアンの発明したスーツは何より軍が欲しがるものであり、この件は国家の軍事機密に取り込まれ事件そのもの~真相はもみ消されることになるのでは。
透明軍隊ほど無敵で怖いものはない。
ここでのエイドリアンのやりたい放題を見て実感した。
特に最後の自分の兄を替え玉にして被害者を装うということもこの透明化のトリックのなかで初めて可能となったものだ。
このテクノロジーを国家~軍が放っておくはずがない。
もしかしたらセシリアの命も危ないかも、、、。



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空飛ぶ円盤地球を襲撃す

Earth vs the Flying Saucers002

Earth vs. the Flying Saucers
1956年
アメリカ

このモノクロ映画を、2007年にカラーライズ版にしたものを観た。


フレッド・F・シアーズ監督
ジョージ・ワーシング・イエーツ、レイモンド・T・マーカス脚本
カート・シオドマク原作

ヒュー・マーロウ、、、マービン博士
ジョーン・テイラー、、、キャロル(妻)
ドナルド・カーティス、、、ハグリン少佐
モリス・アンクラム、、、ハンリー元帥(キャロルの父)


怪奇大作戦やウルトラQを見る感覚で、これを最後まで楽しんだが、どちらかと言えばわたしは向こうの方が好きだ。
このアメリカ中心主義丸出しと言うか、それが無意識的な前提であることと、自分たちが侵略者であったことから来る外者に対する徹底した排除志向~共通感覚は、見事に貫かれていた。
ただそれが潔く無反省に突っ走ってゆくので、これはこれでエンタメ的には面白いと。
あの頃のアメ車で豪快にガソリン振り撒き飛ばすような感覚もある。
但し、どうも流れがまごまごしており、動きもちぐはぐでスムーズに最後まで走り切る爽快感まではいかない。
もっさり動く宇宙人もそうだが、地球人も無防備に彼らと対面しては光線で消されたり、銃で簡単に撃ち殺してみたりでどうもお互いによく分からない感じも引き摺ってゆく。

Earth vs the Flying Saucers005

自分たちの惑星を失い、住み心地のよさそうな星を探しに来たが丁度良い地球が見つかった。
当初は宇宙開発の中心人物の博士と話し合い正式にアメリカ政府と地球への移住の手続きをとるつもりであった。
取り敢えず「第九地区」でも宛がうという発想は全くない地上の人々である。
宇宙人も他の国のことなど端から眼中にない。
アメリカナイズされた連中だ。
時間観念の違いから上手く博士にメッセージが伝わらず、のこのこ円盤から降り立ったところで宇宙人一体が射殺される。
(この、得体の知れぬヒトが降りたところで即座に撃つというのは、アメリカの伝統芸である。他のSFでもそうだ)。
それを合図に宇宙人が怪光線を放ちロケット発射基地施設の人間のほとんど殺してしまう。
お互いに侵略者気質丸出しの似た者同士である。
気の合ったところでアドレナリン放出の、本格的な戦争に繋がって行く、、、。

この当時にしてはVFXが様になっており、絵的な破綻は見られなかった。その辺は見事である。
使いまわしの絵が数回見られたのがちょっと残念であったが、特に不満はない綺麗なものであった。
UFOや宇宙人の素顔やスーツについても後の宇宙侵略者の原型となっていることが分かる。
ストーリーは見事に平坦で単純極まりない侵略ものであったが、これもその後のSFの基本フォーマットとなっていると思う。
キャストは、今一つ厚みがなく、共感を覚えて寄り添ってしまう衝動を感じる者はいなかった。ここも平坦である。
UFOに捕らえられ記憶装置として利用されたハンリー元帥が使用済みということで上空から廃棄されたが、その後も淡々と娘夫婦は軍部に協力して頑張っていた。結構ハードボイルドタッチでもある。

Earth vs the Flying Saucers004

宇宙人は地球時間で56日後に会議を正式に設定しろ、それまで待つ、と太陽に細工をして地上を混乱させ警告してきたが、アメリカ政府は(何故か大統領は蚊帳の外で軍部だけで動いていたみたいだが)、即刻兵器開発に乗り出しUFO殲滅作戦に打って出る。博士には新兵器開発を要請する。博士もやる気満々で新兵器を短時間で作ってしまう。
普通、太陽の状態が変わると電気・通信系統に大打撃を被るはずだがその描写はほとんどなかったように思える。

それよりこれから地球の代表アメリカがUFO宇宙人相手に国力を見せつけると謂うノリである。
だが通常兵器~火器では全く歯が立たない。
そこへ博士の開発した超音波砲であるが、どうも統制のとれた形で制御運用されている様子が無く、UFOにジープごと何台も消されてしまったり、どこからどう狙い撃つか分からずぼんやりしていたり、博士からそこを狙え!とか言われて撃ってみたりと折角の最新装備を軍がしっかりコントロールしているのか疑われる状況での戦闘が行き当たりばったりで続く。
円盤も何を狙って攻撃しているのかが掴めない戦闘体制に感じられ、ここでも似た者同士感が窺えてしまう。
ちょっとカオスである。
で、超音波砲で何台かのUFOを制御不能にして撃ち落とし、突然アメリカ側がどこからともなく勝利宣言をする。

Earth vs the Flying Saucer003

えっ?終わったの、、、もうUFO皆落ちたの?という感じで戦闘は突然の終わりを告げる。
潜んでいるもの、宇宙空間に退避しているのもいないのか?UFOすべての台数数えていたのか、、、心配になるが大丈夫らしかった。
平和を取り戻し、博士夫婦が海辺で、もうああいうの来ないわよね。もう来ないさ、、、みたいな。
手を取り合い海に向かって走って行く、、、エンド。


めでたしめでたし。エドウッドのSFを少し前に見ていたせいか、出来の良さが際立った。




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ランナウェイズ

The Runaways001

The Runaways
2010年
アメリカ

フローリア・シジスモンディ監督・脚本
シェリー・カーリー『Neon Angel: The Cherie Currie Story』原作
ジョーン・ジェット製作総指揮


ダコタ・ファニング、、、シェリー・カーリー(ヴォーカル、キーボード)
クリステン・スチュワート、、、ジョーン・ジェット(ギター、ヴォーカル)
スカウト・テイラー=コンプトン、、、リタ・フォード(ギター)
アリア・ショウカット、、、ジャッキー・フォックス(ベース)
ステラ・メイヴ、、、サンディ・ウェスト(ドラムス)
マイケル・シャノン、、、キム・フォーリー(プロジューサー)
テータム・オニール、、、シェリーの母
ライリー・キーオ、、、マリー(シェリーの双子の姉)

わたしは、ハッキリ言ってあまりランナウェイズは聴いて来なかった。が、日本に住んでいて彼女らのサウンドを一時期聴かないでいることは無理であった。その人気の広がりはかなりのものでありロックを聴かない人も何らかの形で知っていた。

ダコタ・ファニングとクリステン・スチュワートW主演である。
この2人が出ているのだから、まず間違いなしで観ることが出来る。
しっかりランナウェイズのチューンをふたりで幾つも歌い上げていた。
熱演である。ピッタリ成り切っていた。
元々、クリステン・スチュワートは成っていたか(爆。
ともかく、かっこよい。二人とも言うことなし。いや他のメンバーも堂に入っている。
1975年頃の雰囲気もしっかり窺える。車で特に。そこでまだ15歳くらいの反抗期の少女が暴れまくる。
まだロックミュージシャンは、女性の草分け的存在のスージー・クアトロがソロで頑張っていたくらいか、、、メインヴォーカリストで男たちのプレイヤーのなかで活動していた女性ミュージシャンは少なくないが、、、。
その極北に清らかなソプラノヴォイスでわたしを魅了し圧倒したクラシカルな唱法のアニーハズラムがいた(わたしの大好きな「ルネサンス」に)。勿論、ランナウェイズはその対極を走る。

The Runaways002

シェリー・カーリーは(父は母に実質捨てられ酒に逃げる男であるが)門限もしっかりある躾は厳しい家庭の娘であった。
バンド活動を通して(特に薬など)過激さはエスカレートしてゆき、衣装はコルセットとガーターベルトのほとんど下着姿にまでなる。
これが彼女、そしてグループのイメージとなる。攻撃性とエロティシズムというメッセージを同時に発信して売り出す。
これは矛盾とまではいかないが軋轢を生むこととなる(特にメンバー内に)。
アメリカ本国よりも日本での人気が高まり、篠山紀信がシェリーの「激写」をしたことは有名。
話題性は豊富であったが、果たして音楽的にどれだけ受け止められていたものか、、、。
映画でも日本での過剰な受け方が描かれてはいた。
様々なメディアに露出していたことは覚えている。「こまわりくん」にも出ていたし浸透していたことは確か。
(確かこまわりくんが、窓の外からチ、チ、チ、と鳥になって覗いていたところ、それがバレるとチェリ~ボ~ム!と苦し紛れに叫んで誤魔化す、、、即座に西城くんに殴り飛ばされていたような、、、うろ覚えだが(爆)。

来日演奏のシーンは、しょぼかった。日本風スタジオロケではあるが、もう少し金掛けて欲しい。
宴会場面ももうちょっとどうにかならなかったか。
彼女らは、世界のどこより日本で一番人気だったのだ。
どれほどファンが詰めかけて来たかは雰囲気的に分かるが、如何せんスケール感が無さ過ぎ。
演奏力は当時から評価は高かったが、その様子は窺えた。
(よく練習はしていたし)。

The Runaways003

プロデューサーの仕事の大変さも分かった。
まさにアーティストを作り上げる仕事だ。
これからデビューする若い娘などプロデューサー次第で決まるようなもの。
その点、彼女らは過激なプロデューサー、キム・フォウリーに捕まりデビューまでは早かったと謂えるか。幸か不幸か、、、。
「チェリー・ボム」 などほとんど彼の作詞・作曲ではないか、あれでは、、、。介入にも程がある。
彼は時代の流れから女子バンドが儲かると踏んだ。それが見事に当たったと謂える。
もう少し後になると、マルコム・マクラレンの動きとかがやたらと目立つことになる。

かなりドロドロしながらの活動光景が描かれていたが、実際もっとすごかったと思う。
というよりかなり酷かったはず。
純粋な音楽活動以外の部分で大変だっただろうところが多分に窺える。
実際、プロとしてやって行くにはクリアして行かなくてはならない、どうでもよいことや関係が山ほどあろう。
更に女のリビドーだしまくれーと何にでも咬みつくスタイルでやって来ている。
プロデューサーもこういう煽り一辺倒の売り方もあるのだろうが、まだティーンの彼女らにはキツイ。
苦悩と葛藤などと呑気に言っていられない誹謗中傷など当たり前。SNS中心の今のようなWeb社会であったならどうなっているか。
仲間内でも不公平感などが充満する。精神的にボロボロになる。薬でボロボロになる。
誰よりもロックをやりたいジョーンが何とかグループを維持しようとするが、、、
本当にロックをやりたい(ロックしかない)強力な意志が無ければ続けられない~残れない世界と謂えるか。

The Runaways004

カーリーはデヴィッド・ボウイを、ジェットはスージー・クアトロで、フォードはリッチー・ブラックモアとジェフ・ベック、、、ウェストはロジャー・テイラー(クイーン)、フォックスはジーン・シモンズ(キッス)を自分の理想のイメージに描いていたという。
グループそのものは、煽情的な歌詞とストレートでパンクな雰囲気で押していたが、それぞれ求める方向性は異なり重厚な本格派を狙っている。何となくのコマーシャルに乗った女子バンドでは全くなかったことは確か。


だが、ストーンズみたいに長続きはしなかった。気の長いおじちゃんでないと続かないか、、、
実質、ジェットとフォードの両ギタリストの方向性の違いが決定的になり解散となった。
ジョーン・ジェットはこの後、「アイ・ラブ・ロックンロール」など大ヒットを飛ばすブラック・ハーツを組んで更に活躍する。
ある意味女性ロッカーの頂点に立つ。
リタ・フォードもソロギタリストとして成功を収めている。
初期に在籍したミッキ(マイケル)・スティールは、わたしも大好きなバングルズに入って活躍した。
ジャッキー・フォックスは芸能界からは引退するが、ハーバード大学法科大学院を卒業して弁護士になる。大学時代の同期にバラク・オバマがいたことは、以前ロック番組の小ネタで知った(笑。
サンディ・ウェストは肺がんで若くして亡くなっている。
カーリーはフォックスに少し遅れて脱退したが、ソロ・アルバムをリリースして単独でのツアーを行うが、終息に向かう。
薬物から立ち直った彼女は同じような依存症の若者のカウンセラーをする傍らチェーンソーアーティスト(彫刻家)もやっているとのこと(これも以前小ネタで知る)。女優としても幾つも映画に出ていた。TV番組にもかなり出ていたはず。
確かに女デヴィッド・ボウイというルックスであった。

何と言うか自分の理想をしっかり持った人たちであったことは分かる。
プロデューサーとはそれを商業ベースに上手く乗せる腕の持ち主というところ。(マイケル・シャノンみたいなカリスマ性を漂わせていることも大事だ)。
ともかく、どちらも大変だ。


余りファンでもないが、色々と芋蔓式に出て来てしまうものである。
昔を偲ぶ年寄りみたいな気持ちになっていた(爆。



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ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ / グレイテスト・ヒッツ [CD]






ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール

God Help the Girl002

God Help the Girl
2014年
イギリス

スチュアート・マードック監督・脚本・音楽


エミリー・ブラウニング、、、イヴ
オリー・アレクサンダー、、、ジェームズ
ハンナ・マリー、、、キャシー
ピエール・ブーランジェ、、、アントン


スコットランドのグラスゴーが舞台。
文化・芸術・若者の街で、かつては工業の街でもあったという、映画でもその辺は語られる。
ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックの故郷だそうだ。
ミュージカル映画で、オシャレだが淡々と進みちょっと苦かったりもする。
音楽は全て彼のソロアルバムからのオリジナルチューンで、ポップで耳障りも良い。
(ベル・アンド・セバスチャンはアルバムも持ってはいるが、余り聴かなかった。わたしにとり、それほどしっくりくるタイプの音ではないので。劇中、ジェームズがデヴィッド・ボウイに不快感を呈するところがあったが、わたしはバリバリのボウイ派であった)。

God Help the Girl001

拒食症から精神科の病院に入院していたイヴが自分のことを曲に書き始め(医者にも勧められ)、才能も開花して、、、自己実現~自己治療へと進み自立してゆく。表現の過程というものは悉くそうしたものだ。
あんなに簡単に病院を抜け出すことが出来るとは思わなかったが、彼女は外出許可なく自由に外泊する(笑。
見つかれば叱られそれなりのペナルティが課せられはするが、全く懲りない。
自由な夢見る乙女である。オーストラリアが故郷らしい。グラスゴーは移民が多いと聞く。
イヴとジェームズがひょんなことでコンサートで出逢い、彼女が曲を書いていることから、意気投合してバンドを結成することに。
彼について音楽を勉強しているキャシーも誘う。彼女もイヴに劣らず変わっている娘でお互い気も合った。
キャシーもイヴと一緒にヴォーカルを担当する。ジェームズはギター担当。3人ともピアノは弾く。

ビラを配りバンドミュージシャンを募集すると、たくさん集まり充実した演奏が可能となる。
何故か走ってビラをまき散らし、その後を人々が走ってついて来るところなど、ビートルズ・ファンタジーみたい(爆。
ストリングスも入っていて厚みもあり豊かで爽やかなサウンドになった。
(集まった面々に説明していた時、たまたま公園で清掃アルバイトで居合わせた娘もバックヴォーカルになっている(笑)。
但し、ベル・アンド・セバスチャンというグループ名の付けられるところまではいかない。
彼の自伝ではなく、飽くまでもちょっとほろ苦い創作の青春コメディ、、、か。

God Help the Girl003

キャシーに急な連絡が必要になった際、可愛い犬を走らせ迎えにやっていたが、携帯を使うシーンが見られないというのが何より新鮮であった。
彼女を誘い出す時、窓の下から声を何度もかけて起こしたり、キャシーも窓から服を繋げて降りようとしたり、イヴに玄関から降りたらと謂われて気づいたり、、、何とものんびりした光景が広がる。
だが不良はあちこちに屯していた。結構、怖い所はあるのだ。
うち捨てられた街という暗い感じはなかったが、、、工業はすたれていた様子だ。

街中全て、自転車で移動である。
車にも乗っていなかったはず。バスには乗るが。
何としかし、彼らはカヌーは使う。
カヌー~カヤックに乗っての移動は、どんな映画でも余り見ない。
何とも長閑で(意図した演出か)個性的でどこかノスタルジックで、、、和らぐ。
一言、彼ららしい。
そう、こんなサウンドなんだ。

God Help the Girl004

ジェームズは死ぬまでに一枚CDが出せればよい。別に自分の思うような音楽が出来れば売れなくても構わないというスタンスだが、イヴは、しっかりとプロとしての活動を手堅くやってゆきたいようだ。
成功したいみたいだ。野心を抱くようになった。本人は成長したと言っている。
(確かに自分の作ったデモを録音した大事なテープを人気バンドのフロントマンのアントンに託しプロヂューサーの返事を待ってるくらい非現実的な感覚で生きてきたころからは足は地に着いた)。

とても仲の良い3人であった。
イヴが病院を抜け出て来て、即興で歌を作って唄いまくり、直ぐに打ち解け信頼し合って来た仲であったが、、、。
イヴはロンドンの音大に入るために一人旅立ってゆく。
それを見送るジェームズ。
後から気づいて自転車でやって来るキャシー。
帰りはジェームズとキャシーで二人乗りで帰って行く。
最後はとってもほろ苦い。

曲は場面にピッタリであった。
(そりゃそうだ)。


God Help the Girl005





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オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー

THE STRANGER005

THE STRANGER
1946年
アメリカ

オーソン・ウェルズ監督
ヴィクター・トリヴァス、デクラ・ダニング原作
オーソン・ウェルズ、アンソニー・ヴェイラー、ジョン・ヒューストン脚本

エドワード・G・ロビンソン、、、ウィルソン(刑事)
オーソン・ウェルズ、、、チャールズ・ランキン(高校教師・時計技師)/フランツ・キンドラ(ナチス高官)
ロレッタ・ヤング、、、メアリー・ロングストリート(判事の娘、チャールズの妻)
フィリップ・メリヴェイル、、、マイネキー(元収容所所長)
リチャード・ロング、、、ノア・ロングストリート(メアリーの弟)
バイロン・キース、、、ジェフリー・ローレンス(メアリーの父、判事)
ビリー・ハウス、、、ポッター(雑貨店主人)
マーサ・ウェントワース、、、家政婦


ヒッチコック調の雰囲気で充分愉しめた。
オーソン・ウェルズ自身は自分のこの映画が気に食わなかったそうだが。
映画の絵そのものは、まさにウェルズのものであった。独特のコントラスト、長回しも含め。
時計への拘りは作品の質感も決めている。
時計台と梯子という垂直性の際立つ構図が随所に見られ特徴的。
終盤にかけてその梯子が意味を持つ。
よく出来ていると思ったのだが、何が悪かったのだろう。

THE STRANGER004

エドワード・G・ロビンソンは映画ファンの中ではとても人気の俳優だがわたしはよく知らない。
恐らくここで初めてお目にかかった。
ベテランの切れ者刑事(戦争犯罪委員会の委員長?)を演じていたが、実に味のある役者だ。
厳しいが親しみのある物腰で頼りがいを感じる。
潜伏する元ナチ狩りに執念を燃やす。
ナチの大物高官の逮捕の為、元収容所所長マイネキーをワザと釈放し泳がし尾行する。

オーソン・ウェルズはひたすら暗い。結構、生徒たちに慕われているのに。
(相変わらず重厚な存在感だが、暗くて重くてそれだけでも奥さん大丈夫?というところ(爆)。
アメリカで身を隠し、名門校の教師となり、判事の娘とも結婚して偽装生活は完璧と言えたのだが、、、
選んだ場所コネチカットのハーパーも余所者を受け容れる良い街ではないか。
しかし囮のマイネキーがのこのこ元上官であるフランツ・キンドラに真直ぐ逢いに行ってしまう。
まさに狙い通り。ドンピシャである。勿論彼はチャールズ・ランキンで行かねばならない。
流石に元高官は簡単に尻尾は出さないが、警戒レベルを過剰に上げる。

THE STRANGER006

それにしても自分を慕ってやってきた元収容所所長である部下をいとも簡単に殺す必要があったのか?
(本当の自分をひた隠しする為だけに殺害とはリスキー過ぎないか)。
余計に面倒なことになると思うが。
相手はもう教会に絡めとられ完全に懺悔しておりどちらの陣営にとっても無害な老人である。
(自分でもわたしは変わりましたと言ってしきりに悔悛しており、またナチを復活させようとか言う危険分子ではない)。
わかったわたしも悔悛するからもう来るなと言って追い返せば、波風立たずにそのまま済んだように思われるのだが。
(身を守るには、波風を立てぬことが基本である)。
何にしても、死体を出したらもうお終いではないか。バレて追い詰められるのは時間の問題となる。
犬も絡んでいるし。

この辺の対応・処置はナチ高官にしては余りにお粗末では。
結婚相手に対して騙る嘘もちょっと厳しい。
妻以外に漏れたら確認を取られ直ぐに分かってしまうものだ。
そして邪魔だと判断すれば所長や犬と同様に殺そうとする。
自分を庇う妻でもマインドコントロールが効かなくなったと判断した時点で。
益々身を危うくする方向に進めてゆく。
よくこんな計略で行くような男にナチの若きエリート高官が務まったものだ。

THE STRANGER001

口の上手さで切り抜けていけるものをもっているのに。
一時は、鋭いウィルソンを丸め込むところまで行ったのに惜しい。
ただ流石にナチ狩り専門家は夜中にハタと気づく。
マルクスの事を「ユダヤ」呼ばわりをするのはナチの特徴だと。
眠っている時もナチ狩り思考は働き続けているのだ。
やはりそれくらい一所懸命にやっていれば、成果もあがるというもの。

夢中になって打ち込むことが大切だと言うことは、こういう場面からも汲み取れる(笑。
ナチスの残虐さを確認するうえでウィルソンがメアリーに見せる強制収容所のドキュメンタリーフィルムがあったが、この当時ではこのくらいのものかと思った。現在のドキュメンタリー番組などでは、かなり強烈でショッキングなものが流されている。

THE STRANGER003


最後の計略で教会の時計台に上る階段に細工して奥さんを墜落死させようとして呼び出した際、彼女は躊躇なく飛び出さんとしたが、マーサ・ウェントワース演じる家政婦が仮病でそれを止める。これで流れが完全にウィルソン側になった。
彼女の功績は大きい。要所要所でしっかり働く。
終わり方は、かなり劇的、というか劇画調か。
自分の直した教会の時計の動く像(天使?)に刺されて死ぬのだから。
このシーンに力を入れていることは分かる。

THE STRANGER002

オーソン・ウェルズ自身は、自分の力作は評論家には絶賛され、商業的に失敗しても評価の高い監督だが、この手の(娯楽サスペンス)作品でヒットを飛ばしてゆけば、風当たりも悪くなくなり、自由な製作も出来るようになったのでは。



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夜歩く男

HE WALKED BY NIGHT001

HE WALKED BY NIGHT
1948年
アメリカ


アルフレッド・ワーカー監督
クレイン・ウィルバー、ジョン・C・ヒギンズ脚本

リチャード・ベースハート
スコット・ブラディ
ロイ・ロバーツ
ジャック・ウェッブ
ジョン・デナー


これは良い掘り出しものであった。
過去の名作と呼びたい。
幾つもの既視感あるシーンを感じた。
恐らく映画愛好家であればたくさん見つかるのではないか。
わたしも「第三の男」への影響がクッキリ見受けられた。
硬質な夜のハイコントラストな光景。
犯人のよく知った迷路の地下道を沢山の警官たちに徐々に追い詰められてゆく最期のシーンは感慨深い。
長く続いた闘いの果てのあっけない虚しい帰結。

実話が元になっており、ドキュメンタリータッチで淡々と描かれてゆく物語。
犯人は窃盗だけでなく、邪魔とあらば躊躇なくピストルを向け撃ち殺す。
警官を撃ち殺された警察も執念を燃やし地道で執拗な捜査を繰り返す。
充分ハードボイルドタッチでもある。
最後にはモンタージュで写真を作って大量に配布して身近な警察内部から疑って人物像を絞って行く。
大変な難事件であったことが分かる。
まず、犯人が手掛かりを残さない。前科、犯罪歴もなく、親しい友人関係など、目立つ人間関係がない。
盗品をレンタル屋に卸し、大金を儲ける。特定の人間に顔が知れてもおかしくないはずだが、、、顔を知る者は一握り。
(ともかく写真がないのだ)。
犯行も周到でぬかりない。何より逃げ道、武器の隠し場所など実に巧妙である。
しかし特徴は、彼が狡猾で冷酷な男で天才的な詐欺師でもあったということよりも
この時代ではまだ、人間像を掴み難いパーソナリティであったことが大きい。

何より、彼の動機である。何を求めて何を狙って犯行を続けてゆくのか。不明のまま死んでしまったが。
病的なものも感じ取れる。
愛着障害で回避型の人間は今後ますます増えてゆくとみられているが。
そのタイプは、人間関係は極めて希薄であり、何をやるにも単独で行う。
この映画の製作された時期であれば、そういう人間は特異な存在でありとても生き難い少数者であろうが、今は全くそうではない。
パソコンとWeb環境が前提としてある。つまり彼らにとり生きるに適した環境が整っているのだ。
ある意味、Web環境のなかで無敵となる。
この犯人も電気系には極めて強い科学の造詣も深い男であった。
彼は恐らく先駆的な回避型愛着障害の人間であったようだ。
人より犬が友である。警察が家の周りを包囲すれば、真っ先に犬が知らせてくれる。
このお陰で彼は難を逃れる。初動が早かった為だ。

この事件が長引いたのも彼が情報戦でも一歩先を行っていたからである。
仲間を失った警官が通常の捜査を諦め、知恵を働かせ内部から徹底的に探っていると、警官ではないがかつて警察で働いていた無線技士に偶然行き着く。ある意味、ラッキーでもあった。
地を這うような捜査でついに彼を特定する。
アパートを探り当て、ミルク配達業に化け玄関でこれ見よがしにミルク瓶を割りその後始末をしていると、思惑通り犯人が玄関を開けて顔を見せた。ほぼモンタージュの顔であり、チェックメイトとなったものだ。


最後の迷路の地下道でも、まだ犯人はマンホールから外の夜の世界に脱出できる余裕はあった。
しかし、そのマンホールの蓋にはパトカーのタイヤが少しばかり乗っていたのだ。
命運が尽きたと謂えよう。蓋の穴から警察の放った催涙弾の煙が漏れて上がるところが何とも虚しい。


全体に古さは隠せないがチャチなところはない、過去の名作である。
一気に観てしまう作品であった。






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宇宙のデッドライン

BEYOND THE TIME BARRIER004

BEYOND THE TIME BARRIER
1960年
アメリカ

エドガー・G・ウルマー監督
アーサー・C・ピアース脚本

ロバート・クラーク、、、アリソン中佐
ダーレン・トンプキンス、、、トレーネ(テレパス)
アリアンヌ・アーデン、、、マルコーバ(科学者)
ウラジミール・ソコロフ、、、未来都市の総督
スティーヴン・ベカシー、、、カール・クラウス(数学者)
ニール・フレッチャー、、、エアフォースのチーフ
ジャック・ハーマン、、、リッチマン(医師)
ラス・マーカー、、、カーティス大佐
ジョン・ヴァン・ドリーレン、、、ボウマン博士(宇宙物理学博士)
ボイド・'レッド'・モーガン、、、未来都市の隊長


基本的に会話により物語が進行する。
とは言え、思弁的な映画かと謂えばちょっと舌足らず。殴り合ったりもするじ雑な運びも多い。
最初は雰囲気的にエドウッド派のSF監督か?と疑う要素に心配したが、流石にそれは後半に差し掛かる当たりには晴れた(笑。
ジェット戦闘機も本物を使っている(空軍の協力を得ている?)し、三角形を多用した幾何学的な空間デザインなどもそれなりに手抜きはしない姿勢が見えた。ストーリーもしっかり組まれてはいる(エドウッドはここで破綻している)。とは言え低予算映画の限界は時折気になりもする。

BEYOND THE TIME BARRIER002

そして何より内容的に新鮮さを求めるのは無理。
この映画のコンセプトが詰まらないと謂うのではなく、後の映画でこうしたモチーフはしょっちゅう使われ、科学の認識も変遷していることから来るわれわれ側の知識~感覚の問題がある。
重要なのは、まだ人類~アメリカは月に行ってはいないのだ。
これは大きい。この状況下で、アインシュタインの時間のパラドクスを組み入れたお話を主軸に持ち込んでいる。
つまり先駆的な意味はあり当時としては挑戦的な試みであったはず。
「タイムトラベル(時間のパラドクス)」、「宇宙線被害(生殖機能の破壊、またはゾンビ化)」、「パニック時の権力抗争」、「人類救済の為の犠牲(恋愛との葛藤)~ヒロイックな行動」等々、、、。
SF作品のヒントが散りばめられた作品として受け取れば、その道の人々には有難い作品となろう。

BEYOND THE TIME BARRIER003

超音速機のテスト飛行を成功させ着陸したと思ったらそこは自分のいた1960年ではなく2024年であった。
こうした不安は無意識にわれわれが持っているものだと思う。
そんなところから導入して行くところは上手い。

2024年の地球では、人類は地下生活を送っており(金のあるものは火星に逃げたらしいが)。
宇宙線による遺伝子損傷により人類は生殖不可能となってしまった。
そして言葉も失い唖になっている。
地下都市の総督の娘トレーネだけは生殖機能が正常で意思相通もテレパシーで可能ということ。
だが基本、今いる人間が死ねばほぼ終わりの状況だ。
そして人によってはミュータント化して他の人を襲って食べているという。彼らは捕らえられ幽閉されている。
ゾンビの元であろうが、ここでのミュータントは知力は残っており凄まじく素早く攻撃力が高い。

BEYOND THE TIME BARRIER001

アリソン中佐はトレーネに気に入られた為、この地での人類救済の頼みの綱扱いされる。
アリソン中佐と同様に他の時間から亜空間を介してこの世界に飛び込んでしまった宇宙飛行士も捕らえられ太陽光エネルギーの管理を任されているが、彼らもまた宇宙線の被害に遭っておらず言葉にも困らない状態であった。

アリソン中佐は自分のいた時間に戻り、宇宙線対策を呼び掛け、未来を救いたいと願った。
その障害となるのは、総督が切にこの世界の救世主~娘と結婚し子孫を残して欲しいと望むこと。
実際、ふたりは恋心も芽生えているのだった。
他の時間系からこの地下都市で燻っている3人の科学者たちも中佐を利用し元の時間に戻ろうと画策していた。
信用ならぬ連中であることが暴露される。
来た道を逆走するくらいで元の時間系に乗っかれるのか?
何でも来るときもマッハ8ほどで来たのである。
30万km/秒が光速であれば、マッハ88万に近い速度が出れば分かり易いが、、、これはここでは何とかなる勘定だ。
(別に光速に近くなければ理論が成立しない訳ではないし)。

アリソン中佐は総督と娘は結果的に説き伏せ、仲間の科学者たちは、自分が彼の飛行機を乗っ取り帰ろうとして奸計を巡らすが、結局襲い掛かり暴力で決着をつけることになる。
このいざこざでトレーネは流れ弾に当たり死んでしまう。
アリソン中佐が周りの欲張りを制圧し、総督にホントに未来を頼むと託され、逆に飛行することで、自分の時間の空軍基地に戻って来る。
しかし彼は酷く年老いて戻って来たのだった。そのありさまを見た軍の上層部はこれは深刻に考えねばならないと述べ、メッセージは伝わることとなる。

慣性系にいた者と高速系にいた者との対比である。
これってどう考えても中佐が年老いているのは逆ではないか?
またここまで極端な差は生まれないにせよ。
中佐の方が歳をとらないはずである。


ショッキングな終わり方でメッセージ性は強いものであった。





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ビタースイート

Big Girls Dont Cry001

Große Mädchen weinen nicht   / Big Girls Don't Cry

2002年
ドイツ

マリア・フォン・ヘランド監督・脚本

アンナ・マリア・ミュヘ:、、、カティ(女子高生)
ストロリン・ハーフルト:、、、ステフィ(女子高生)
デビッド・ウィンター 、、、カルロス(男子高生、ステフィの彼氏~テッサの彼氏)
ジョセフィン・ドーム、、、 テッサ(女子高生)
ティルベルト・シュトラール=シェーファー 、、、クラウス(男子高生、カティの彼氏)
ジェニファー・ウルリッヒ:、、、イヴォンヌ(女子高生)
ステファン・カート:、、、ハンス(ステフィの父)
ガブリエラ・マリア・シュメイデ:、、、イングリッド(カティの母)
テレサ・ハーダー、、、ジャネット(テッサの母)


感慨深いのは、カティとステフィは、腐れ縁とでも言うか、幼い頃から一緒に過ごし、双子の姉妹的な仲だ。
だから間にどれだけ酷い事件~裏切りが発生しようが、完全にそっぽを向けない。離れられない。
良くも悪くもである。
幼い頃に培われた関係性というものは、強固なものであることが分かる。
動物の刷り込みに近いか。
そして徹底して壊れれば、その再生時に全ては以前より良い形(風通しの良い解放された関係)に再編される可能性があるということ。これが示され希望に包まれるエンディングを迎えホッとした。確かにその通りだと思う。

まあ、最初から危なっかしくて無軌道で、反抗的で衝動的な娘たち。
更に粗暴で暴力的。
所謂、反抗期だから、と言われても手のつけようのない悪ガキぶりを発揮するのだ。
特に主導的なのはステフィの方である。
カティがそれに合わせる。
二人いれば権力関係も自ずと生じるものだ。

彼女らの場合、単なる反抗期に収まらない。
どちらもトラウマによる比重が大きいのだ。
やはり家庭~親の問題である。
カティの家は良く分かる。
母が神経症でともかく細かく直ぐに苛立ち気難しい。
父はその母の顔色を何時も見て事を荒立てないように動いている。
どちらも子供より自分の気持ちと世間体が優先であり、監視と抑制が基本の安堵感や解放のない場だ。

ステフィの方は、両親が経済力と社会的地位のある所謂リベラルな家庭のようだが、、、。
夫が派手に浮気をしているところをこれまた羽目を外して夜遊びに来ていた娘がバーで目撃してしまう。
表面的には仲の良さを演出している夫婦であったが、その実情を娘は垣間見た形か。
大変なショックを受け、その相手の女の住所を探り嫌がらせを執拗に始めてゆく。
まあ、しかしやることがえげつない。やりすぎにカティはしばしついて行けなくなる。
(この2者間の感覚~意識の差異・葛藤が物語を揺り動かしてゆく)。

その辺はトラウマの深さと個人的資質によるものであろうが、ステフィのパラノイアックな攻撃その止めることが出来ない他害衝動はもはや病的とも謂えよう。
そして何より酷かったのは、自分の父と彼女の母が浮気していたとはいえ、 何も知らぬその娘テッサを騙しポルノ映画に出演させようとしたことだ。
彼女はバンドをやっておりギターとヴォーカルを担当していた為、自分の彼氏のギタリストにまず合わせセッションさせると、思いの他歌唱力があり、曲も書いていてそれを聞いて彼氏も大変気に入ってしまう。本当はここで馬鹿にして返すつもりだったが当てが外れた。
そのせいもあってエキサイトし、危険な人物が経営する撮影スタジオに、録音の為と騙してテッサを一人送り込んでしまったのだ。
これはかなり極悪レベルの犯罪であったことが後にはっきりする。

ここでカティのこころが疼く。恨みの対象の大事にしている存在とは言え、彼女自身に何も罪はない。
はっきりとテッサが深く傷つくか生命の危険に遭遇する可能性も高いものであった。
カティはデートを途中で切り上げ彼女を助けに行く。
すんでのところで彼女を救い、騙した訳を打ち明ける。
娘の傷に気づいた母はその訳を問いただす。
母娘はそろって愛人宅に乗り込み、ステフィの父が愛しているからもう少し待てと言って逢瀬を続けていたことを告白する。
カティも交えた家族の前で明かされ、妻は離婚を宣言し、夫は唖然として項垂れ、ステフィ家は解体する。
更にこの解体を誘ったのがカティの実質的裏切りであったことをステフィは知ることとなった。
これでブチギレたステフィはカティの彼氏を誘惑してしまい、その現場をカティが見てしまう。
もう行くところまで行ってしまった。

それだけではない。そのスタジオを少し前にステフィに紹介され小遣い稼ぎに行ったクラスメイトのイヴォンヌは、その男に殺され遺体で発見されたのだ。
ここで誰もがステフィに拒絶反応を示す。

この映画、最初は何やらやんちゃな女子高生が奔放な恋愛をしてどうにかなって行く能天気なものかな~と思いかけてどうしたものかと見続けるのをためらったが、どんどん荒涼な世界に突き進んでゆくにつれ目が離せなくなった。
かなりのハードボイルドでシビアでクールな噺である。

そして学校を休んでいるステフィを心配して駆けつけたカティは、ベッドで両手首を切って自殺を図っている彼女を発見する。
幸い発見が早く一命は取り留めた。
病院で再びステフィの両親が集う。娘と共にやり直す兆しが生まれる。
テッサはギタリストの彼(ステフィの元カレ)が出来て音楽活動、恋愛が順調に進んでゆく様子が窺え、、、。
度々家を空ける娘を非難して混乱していたカティの母は、娘の逞しさと優しさを実感して彼女に寄り添う態度を示す。
恋人との間の修復は時間を要するが、ステフィを見舞い新たな関係性を築いてゆく兆しも見られた。


変なアメリカ風青春ドタバタムービーではない、かなりハードな再生劇で見応えがあった。
面白かった。



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ヒア アフター

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Hereafter
2010年

クリント・イーストウッド監督
ピーター・モーガン脚本

マット・デイモン、、、ジョージ・ロネガン(アメリカ人霊能者)
セシル・ドゥ・フランス、、、マリー・ルレ(フランス人ジャーナリスト)
フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン、、、マーカス/ジェイソン(ロンドンの一卵性双生児)
ジェイ・モーア、、、ビリー・ロネガン(ジョージの兄)
ブライス・ダラス・ハワード、、、メラニー(ジョージが料理教室で知り合った女性)
マルト・ケラー、、、ルソー博士(臨死体験を研究している医師)
ティエリー・ヌーヴィック、、、ディディエ(報道番組のディレクター、マリーの恋人)
デレク・ジャコビ、、、朗読家


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とてもよく出来た映画であった。
堪能した。
じわ~っとくる映画である。
全く別の3組の波乱に満ちたストーリーが広がりを持って動き出し重なって行くところが素敵であった。
流石はクリント・イーストウッド。この監督、上手い。

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登場人物それぞれ本当にリアリティ充分である。
誰の立場における言動にも共感できるものだ。
マーカスだけちょっと気が利き過ぎているが。
彼も何やら特異な能力~勘が働くのか、、、。

でも最後はあのような、ジャンプは確かに必要だった。
何と言うか本当に大切なものと繋がるには、平坦な文脈からの飛躍が要請されることがある。
要は、それを受け取り実行に移せるかだ。
ジョージは中盤までずっと受け身で消極的に身を守るだけの生活に甘んじてきたが、終盤に向け兄という反面教師により自分の在り方を際立たせ(自覚し)マーカス少年に背を押され「どうかしている」と言いながらも飛び込んで行ったことこそが正解であった。
彼はあの世と繋がるより強力な繋がりをこの世で掴むに至った。
ひとりの実存として自分の生を生きることが可能となった。
良い噺だ。

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確かにあの世(の人)と繋がるだけの能力など自分にとって何にもならない。
人助けになるとか言われても救われなければならないのは他ならぬ自分自身である。
失うものがさぞ多かった人生であっただろう。
素手で笑顔のまましっかり握手し合える相手に出逢えたことが素晴らしい。
やはりマーカスにはそれを感じ取る何かがあったのだろう。
(ジェイソンが入ってもいるな、きっと)。

マリー・ルレみたいに臨死体験すれば強烈な経験として以後の自分の人生を一変してしまうこともあろうが、それが自分の生をより豊かにする契機に繋がる。出逢うべき人にも邂逅する。
マーカスも兄を失ったことで(兄の本当のメッセージを聴き)、ひとりの人間として自立に向かう。

ジョージの兄が弟の孤独と苦悩を理解できるかどうかは分からぬが、少なくとも弟を利用して儲けようなどという野心は無意味であることは分かったと思う。その他の登場人物たちが皆希望の開けた良い方向に向ってゆく気持ちの良い映画であった。

Hereafter005.jpg

そう、最近こういった気持ちの良いものに然程、触れる機会がなかったことに気づく。

全てのキャストが良かったが、特にマット・デイモンは言うことなし。
ホント良い役者だな~と感慨に耽るほど。
わたしのにとっては、レオナルド・ディカプリオと近いものを感じる。
セシル・ドゥ・フランスも自分を貫こうとするインテリフランス女性の象徴みたいな佇まいで素敵であった(ベルギー出身みたいだが)。
そして尺は短いがルソー博士役のマルト・ケラーも闘う理論派のドイツ人学者の説得力を感じた(スイスの女優であるが、ユングもスイス人であった)。
その他、子役も双子を双子で演じ、なかなかのものであった。ちょっと「シックス・センス」のオスメント君にダブってしまう感じもしたが、頑張った(笑。

やはり良いものに沢山触れてゆきたい。
魂の衛生の為にも。

彼岸とは、いや死とは何であるか、常に隅に置いておくことも必要であろう。


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花くらべ狸道中

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1961年

田中徳三 監督
八尋不二 脚本


市川雷蔵、、、雷吉狸/弥次郎兵衛
勝新太郎、、、新助狸/喜多八
若尾文子、、、たより
中田康子、、、きぬた(お伝)
近藤美恵子、、、しのぶ


今日は身体の調整の為、ずっと外を動き回っていた。
これから暫く、そうするつもり。
外を歩き回るというのも気持ちの良いもの。
そういう季節となった。

特に体幹のトレーニングをしないと。
買い物も車で行かず、,
徒歩にした。
しっかり体を作り、作品作りに励みたい。

ということで何となく楽しそうな娯楽映画でKADOKAWAものを見てみることに、、、。
紹介の初っ端の文で評判が良いというか景気のよさそうなことが書いてあった本作を選んだ。
尺も短めでスッキリまとまっていれば、気持ちも良い。
キャストもここのところお馴染みのメンバー。
市川雷蔵、勝新太郎、若尾文子となれば手堅い。
何だか知らぬが狸の物語だと、、、。

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結果、な~んだ、こりゃ~であった。
中学の文化祭劇でもこれよりは遥かにクオリティーは高い。
何を狙って作ったのか、、、。
狙いが分かったとしても、これは、ない。まずないな。
脚本家の頭のネジが100本抜けてる。監督は狸であろう。

市川雷蔵、勝新太郎、若尾文子ほどの大スター(名優)がどういうつもりでこれを引き受けたのか。
勝新太郎など途中で怒って帰っちゃったりしなかったのか。
(結構楽しそうに演じているのが不気味であった)。
若尾文子も相当無理をしている。
市川雷蔵は何でも真面目に熟すにせよ。これは割り切ってやっている、、、何か契約上の理でやるしかなかったのか。
更にここに京マチ子先生が加わっていたりしたら卒倒もんである。

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もう何よこれ。
これを見せられて、ねえ皆さんこれだけの豪華スターが唄って踊って弾ける物語、贅沢で楽しいでしょう~っと言われても、、、
どんな顔して見ろと言うのか!
目が点である。

全く楽しめない笑えないコメディほど空虚なものはない。
一言、虚しい。
歌がどうの、踊りがどうの、書割や構図がどうだとかいう以前のことで、、、。それらも全く引っ掛からないが、、、
特にこの映画、進めば進むほど、終盤に行くにつれ凄まじく詰まらなくなる、というか下らなくなってゆく。
全てのプロットが解体して行く。エントロピー増大の一途を辿り、、、
もうこれ以上緩むことが不可能な場にまで落ち込んで終わる、という感じ。

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これもお仕事、とキャストは皆、割り切ってやったのだろう。
不思議に思って高評価のライナーを観てみると、何やらカルトな時代劇ミュージカルで貴重なのだ、とかいう論調である。
つまり映画愛好家に有難がられている作品みたいだ。
ちょうど、エド・ウッドの作品が珍重されるみたいなものか。
そこまでいかないか。もう少し素直な駄作か。どうなんだろう。
こういうものが面白いという人もいるということなのだろう。
しかし、、、

ホントに、勝新太郎など途中で怒って帰っちゃったりしなかったのか。






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桃太郎侍

momo1957 001

Free Lance Samurai

1957年

三隅研次 監督
山手樹一郎 原作
八尋不二 脚本

市川雷蔵、、、桃太郎/若木新之介
浦路洋子、、、百合(伊織の娘)
河津清三郎、、、伊賀半九郎(鷲塚の手先のリーダー、凄腕)
木暮実千代、、、花房小鈴(女スリ)
堺駿二、、、伊之助(桃太郎に心酔する子分)
杉山昌三九、、、鷲塚主膳(次席家老)
香川良介、、、右田外記
清水元、、、神島伊織(江戸家老)
細川俊夫大、、、滝鉄心斎
植村謙二郎、、、高垣勘兵衛
荒木忍、、、慈海和尚
浜世津子、、、千代
若杉曜子、、、お梅の方
南条新太郎、、、杉田助之進
水原浩一、、、小川新兵衛
原聖四郎、、、鷲塚大学
高倉一郎、、、藤井佐次馬
郷登志彦、、、大西虎之助
志摩靖彦、、、進藤儀十郎
浅尾奥山、、、若水讃岐守


高橋英樹主演のTV版を見た記憶が薄っすらとある。
映画でも調べてみたら、「修羅城秘聞 双龍の巻」、「續・修羅城秘聞 飛雲の巻」が1952年に衣笠貞之助監督・脚本で長谷川一夫主演で撮られている。
本作の後に、「桃太郎侍 江戸の修羅王 南海の鬼」(1960年)が、深田金之助監督のもと、里見浩太朗主演である。
更に本作と同じ題の「桃太郎侍」(1963年)が井上昭監督で本郷功次郎主演と来た。
わたしの覚えているTVシリーズは1976年以降のものらしい。
ともかく、人気のお馴染みのストーリーであったのは分かる。

momo 1957 002

双児を忌む武家の風習は初めて聞いた。
その為、兄新之介は若木家のお家を継ぐ殿様コースに、片や弟は最初からいなかったものとして里子に出され育つ。
弟は本名を語らず、桃太郎と人を喰った名を自ら名乗る。
剣の腕がありながら何処にも士官せず素浪人として流離う。
しかしどうやって金を得ているのかは分からない(この手のヒーローには誰にも言えること)。

自分が理不尽な制度によってこの世から排除された存在であることを今際の際の養母から聞かされ、それ以来システムに認められた何らかの位置に着くことを拒み続けて来た。
それは共感する。
更に曲がったことや理不尽な仕打ちには黙っていられない。
それも分かる。
昨日の斑平みたいに酷く虐げられたわけでもなさそうで、トラウマに苦しみ悶えるような面はない。
喧嘩も強いからアウトローとしてやって行ける資質はありか。

いつものように桃太郎が襲われている娘を助ける。
偶々その娘は、桃太郎を赤子の時に捨てた若木家の江戸家老の娘であった。
(出た!運命の悪戯)。
若木家は今、次席家老の鷲塚が何と新之介を亡き者とし妾腹の子万太郎を擁して藩を乗っ取らんと策謀を巡らしていたのだった。
皮肉なことである。正当な実子である桃太郎が素浪人しているというのに。
百合が殊勝な顔して若殿の警護を頼みに来るが、桃太郎はこの件には一切関わらないことを告げる。
そういうシステム上のいざこざはご免被るというところ。そりゃそうだ。
しかし謀反者の企みで兄が毒殺されかけたことを知らされ桃太郎の義侠心が疼く。
(毒を盛った悪がわざわざ若殿に合わせろとやって来る。そこへ桃太郎が若殿で現れ観ている人間誰もがざま~見ろ。基本このパタンで締めてゆく)。

momo 1957 005

ただ、桃太郎が無類の剣の使い手なのに自殺願望を抱いていたのと、オランダ由来の毒をタップリ盛られた兄の回復の早さにちょっと驚く。
わたしはこの兄が毒殺され桃太郎が義勇任侠からその後を継ぐのかと思っていた。そうしたら桃太郎は死ぬ気だし、兄は元気に蘇るし。
なかなかの双子だ。

なかなかの双子ぶりは、若殿の近くにいる百合が似てるわ、というレベルみたいだが(小鈴や若木家家臣にとっても)、その後の展開を見てゆくと、よく若殿を知ってる者どもを悉く騙してしまう入れ替わりぶりなのだ。これは間違いなくクリソツでなければ話にならなるまい。似ているどころでは弱い。
実際見ているわれわれもそっくりを見て納得して進んでいるのだ。
一卵性双生児なら当然であろう。
この辺のレトリックは微妙に思える(うちみたいに二卵性だと似ても似つかないが)。

momo 1957 004

桃太郎若様を巡る百合と花房小鈴のそれぞれの動きに物語は翻弄されつつ進む。
片や一途に、片や騙しだまされ、、、。
要所要所で伊之助の空回りしつつのコミカルな助けやチャチャも入る。
そして桃太郎に裏をかかれながらも頑張って奸計をめぐらす伊賀半九郎たち。
終盤、見事に自分から罠に嵌りに来た桃太郎を小鈴もろとも焼き殺し首尾よく運んだと安堵した矢先、、、
本物の若殿は元気に乗り込んで来るし、伊之助に助けられた桃太郎もここぞという場に参戦する。

おのれ~という勢いで桃太郎と互角の腕を誇る半九郎との一騎打ちへと、、、。
半九郎は「ゲスの知恵はどこまでもゲス!」と言われた腹いせもあるか。(かなり根に持っていそう)。
最後の見せ場、大一番である。
階段を利用したハラハラする鬩ぎ合いは、結果は当然分かっていようと見応えは充分ある。
桃太郎がどんな風に勝つのか、だけで魅せる。

momo 1957 003

船着き場で桃太郎が船から兄の一行を見送っていると、そこに駆けつけて来たのは百合であった。
伊之助あたりの手配であろうか、、、粋なものである。
馬上から兄はその様子を笑顔で窺い、踵を返して城に帰って行く。

上手い。ちょっと無理があってもエンターテイメントとして文句なしに成り立っている。
面白かった。




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