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GOMA28

Author:GOMA28
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戦場のピアニスト

The Pianist001

The Pianist
2002年
フランス、ドイツ、ポーランド、イギリス

ロマン・ポランスキー監督・脚本・製作
ウワディスワフ・シュピルマン原作
ロナルド・ハーウッド脚本

エイドリアン・ブロディ、、、ウワディスワフ・シュピルマン~ウェイディク(ピアニスト)
トーマス・クレッチマン、、、ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉
エミリア・フォックス、、、ドロタ(ユーレクの妹、チェロ奏者)
ミハウ・ジェブロフスキー、、、ユーレク(ウェイディクの親友)
エド・ストッパード、、、ヘンリク(ウェイディクの弟)
ルース・プラット、、、ヤニナ(旧知の歌手)
ダニエル・カルタジローン、、、マヨレク
ロナン・ヴィバート、、、アンジェイ(ヤニナの夫)
ヴァレンタイン・ペルカ、、、ミルカ(ドロタの夫)
ロイ・スマイルズ、、、イーツァク・ヘラー(ユダヤ人ゲットー警察署長)


ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元に描いた重厚な作品。
トーマス・クレッチマンのピーター特派員を演じる15年前のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉が凛々しい。
実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンという人には大変興味深いものがある。
(勿論、ショパンをホントにここまで弾きこなすエイドリアン・ブロディは凄い、、、代役なしである)。
ロマン・ポランスキー監督もかつてゲットーにいた人であるという。
そうでなければ描けない実体験のディテールを随所に感じる。

The Pianist004

第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台とした映画。
ユダヤ人迫害の凄まじさを淡々と見せつけられる。
彼らは、ユダヤ人専用の居住区(ゲットー)に強制移住させられ、ダビデの星の腕章を腕に付けることを義務付けられた。
突然、兵がアパートの一室へ雪崩れ込んだかと思うと、車椅子の老人をベランダから突き落とし、路上に出した他の家族を走らせ狩りのように銃で撃ち殺してゆく。そんな光景を他の家族は窓越しに観る(この老人や体の不自由な人を窓から突き落とすような行為は、ファシストは決して行わない。ナチズムとファシズムの決定的な違いである)。

この頃、フランスとイギリスの宣戦布告を知り、楽観的になるユダヤ人も少なくなかったようだが、逆に厳しさは増すばかりであった。
就労証明書のない者は強制収容所送りという噂が立ち、ウェイディクが何とか家族全員分の証明書を揃えたのも束の間、全員が収容所に連れて行かれてしまう。ウェイディクだけは、ヘラーにその隊列から掴みだされ命は助かる。
この時期には、ごく普通にユダヤ人の銃殺されてゆく光景が街角で日常化してゆく。
散歩の途中といったノリで、ランダムに選んだ老人たちを舗道に俯せにさせ、パンパンと撃ち殺してゆく様は、余りにあっけらかんとして乾ききっている。ドイツ人にとってユダヤ人とはこれほどまでに単純な記号に過ぎなかったか。
(ユダヤ人にも、何か麻痺した極限状態の姿を覚える)。

The Pianist006

ゲットー内に残り、強制労働に就いていたウェイディクは、ユダヤ人が武装蜂起を計画している事を知り、彼らに協力するが実際に蜂起する前にそこから伝手を頼って出てゆく。出てゆくとき「出るのは簡単だが、生き残るのは困難だ」と謂われるが、まさにその通りであった、、、。
ゲットーに残って蜂起したユダヤ人もほぼ全滅する。結局50万いたユダヤ人で残ったのは20人であったという。
旧知のヤニナに頼みこみアパートに匿ってもらうが、大きな(皿を割る)音を出してしまい隣人に怪しまれそこからも脱走することに。
この辺から非常に厳しい逃亡生活が始まる。
アンジェイから渡された緊急用の住所に行くと、そこはかつて恋心を抱ていたドロタのアパートであった。
(ここでは安全の為、外から鍵をかけられ一人残されるも、2週間ほっぽらかしを喰らい栄養失調で死にかける)。
彼女の夫ミルカからもよくしてもらうが、結局子供を安全なところで産むために彼を残し夫妻はそこを去って行く。

The Pianist002

ワルシャワ蜂起が起こると、ウェイディクが隠れ潜んでいたアパートも全て無残に焼き払われる。
この死に絶えたワルシャワ一帯の光景はデビッドボウイの「ワルシャワ」を呼び覚ました。
(ボウイの「ワルシャワ」がこの空間に流されてもよかったかも知れない)。
そして廃墟の中を彷徨い、漸くある家で缶詰を見つける。
その缶がなかなか開けられない。
うっかり下に落としてしまったところを、その家を拠点として使っているドイツ軍のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉に見つかってしまう。

The Pianist003

主人公の好みであろうが、いくちゃんの好きなショパンが沢山演奏されていた。
ノクターンが何曲か、、、。「華麗なる円舞曲」もあった。
と謂うより、ウェイディク~エイドリアン・ブロディが弾く曲はみなショパンではなかったか。
特に「バラード第1番」は圧巻であった。
ホーゼンフェルト陸軍大尉に弾いて聴かせたものだ。これで彼は命拾いする。食料ももらう。缶切りまでも。
これほどの”芸は身を助く”はあるまい。弾けなかったら銃殺であろう。
映画で流れるのは、わたしが普段聴かない重厚な難曲ものばかりであったが、聴いてみるとやはり聴き入ってしまう。
(これから意識的に聴いてみようかと思う。LPしかないのだが)。

屋根裏部屋にウェイディクが身を隠している時に、どこからか流れて来たベートーベンの「 月光 (ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調)」はホーゼンフェルト陸軍大尉が弾いていたのだ。廃墟の夜に密かに響き渡る、夢か現か判然としないめくるめく音色。
(ショパン以外では他には、ドロタが弾いていたバッハの「無伴奏チェロ組曲」であり、ともにウェイディクが耳を凝らして聴く曲である~弾くのではなく)。
ホーゼンフェルト自身がピアノの素養を持っていた為、ウェイディクはピアノで救われたのだ。
いや、純粋に音楽~芸術の力でここは、人のこころを癒したと言うべきか。
(それは確かに言える。イタリアで日本のバイオリン奏者が屋上からコロナ医療に携わる人々に向けた演奏は率直に凄いパワーを感じた)。
それにしてもやはりそれを受け取れる人に恵まれた部分は大きいと言わざるを得ない。
とても運の強い人だ。
何度、こんな風に絶体絶命のピンチを運よく切り抜けて来たことか、、、。

The Pianist005

ユダヤ人ゲットー警察署長ヘラーにアウシュビッツ行きの列車に乗せられる寸前に助けられたところから、強運だと思ったが。
タイミングよくその場を抜け出していたり、銃殺されてもおかしくないところで、何故か救われている。

ソ連軍の侵攻に押され劣勢になったドイツ軍は退却をはじめ、ホーゼンフェルト陸軍大尉は残りの食料とコートをウェイディクに与えて廃墟から立ち去る。

ポーランド国歌を鳴らして走る車を見て思わず歓び勇んで飛び出すが、そのコートからドイツ兵と間違えられ誤射される。
漸くポーランド人と認められこれまた危うく助かる。
ホーゼンフェルトはソ連軍に捕まり戦犯捕虜収容所でその後、直ぐに亡くなってしまったという。
最後は、ウワディスワフ・シュピルマンの「華麗なる大ポロネーズ」を幸せそうに弾いている姿でエンディング。


ショパンが沢山聴けた死に塗れた映画であった。
また見たいとは思わぬが、大変な力作であることは間違いない。












タクシー運転手 ~約束は海を越えて~

Taxi Driver0001

Taxi Driver
2017年
韓国

チャン・フン監督
オム・ユナ脚本


ソン・ガンホ、、、キム・マンソプ(ソウルのタクシー運転手)
トーマス・クレッチマン、、、ピーター(ドイツ公共放送連盟(ARD)東京特派員)
ユ・ヘジン、、、ファン・テスル(光州のタクシー運転手)
リュ・ジュンヨル、、、ク・ジェシク(通訳担当の大学生)
パク・ヒョックォン、、、チェ記者

ソン・ガンホの演技が圧巻である。
ユ・ヘジンの熱演もこの実話にとてもフィットしていた。

韓国の光州広域市(当時、全羅南道光州市)で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件を実話ベースで描く。
この事件を取材するドイツ人ジャーナリスト(実名はユルゲン・ヒンツペーター)と彼のソウル~光州の往復を請け負ったタクシー運転手を中心に展開する。
1980年5月のことであり、その時代の街や家屋、車がしっくり揃えられていた。
キム・マンソプはノックダウン生産モデルのマツダファミリアの年季の入った車を何とか走らせていた。

Taxi Driver0005

11歳の娘(うちと一緒ではないか)と二人暮らしの個人タクシー運転手のマンソプは、10万ウォンも家賃を滞納している状況でともかく金が欲しい。
そこへ日本からやって来たドイツ人ジャーナリストのピーターがソウル~光州の往復を10万ウォンで(他のタクシーに)依頼してきた。
それを自分は英語が出来ると言って横取りしてマンソプとピーターの二人で、すでに軍部が道路を閉鎖している光州にあえて向かう。
前半はマンソプの緊迫感のない呑気なノリでコミカルな雰囲気が醸された場面もある。
特に光州に入ってすぐにおにぎりをもらい、外国記者を検問を掻い潜って連れて来てくれたドライバーということで持て囃され良い気分になっている頃がピークであった。
突然の軍隊の攻撃を境にジェットコースターの天辺からまっしぐらの状態になってゆく。

Taxi Driver0004

マンソプは政治などに全く関心のない小市民である。
金に釣られて光州まではるばるやって来たが、そこがにわかに信じ難い危険地帯であることに驚き、来たことを後悔する。
彼には学生たちが何故デモをしているのか全く理解していなかった。
勉強もしないでデモなどしていて、道が混んで迷惑だ(確かに運転手にとってはそう感じよう)、、、と呆れていた程度の認識なのだ。
それも無理はなく、ソウルに住んでいる限り、TV・新聞メディアから流れるニュースは嘘ばかりであった。
弾圧・迫害に抵抗する市民や学生を平和を乱す暴徒として扱い、多くの死傷者を出しながらも、それを一切公表しなかったのだ。
無理もない。しかし昨今このような言論~情報の統制が日本にはないなどと高をくくっている状況ではない。
(特に政府の公表するデータ)。

ここでひとつ、何故光州が強い共同体意識によってこれだけ政府に対抗できたのか。
その他地域との関係が、恐らく歴史的・政治的にあると思われるが、ここではその辺を匂わすトピックは無かった。
その温度差は少し気になったが、この地域住民の学生を含め、非常時の団結はとても濃いものを感じた。
特に外国人記者やソウルのタクシー運転手を迎えた際の持て成し等で。

Taxi Driver0006

光州の街の様子は、メディアからの情報からは全くかけ離れた、戒厳司令部によって投入された空挺旅団が一般民衆を次々に射殺する無法地帯の様相を呈していた。
後の天安門事件でも民主化を求める学生たちに対し軍は武力行使によって鎮圧を図った。外国の報道機関を締め出し、自国の報道に対しては厳しい統制をかけた点も同様である。
どうしてもこのパタンに落ち着くのか。
最近もアメリカの人種差別~人権侵害から起きた警官の黒人殺害事件も抗議デモと機動隊の衝突のエスカレートがただ事ではない。トランプ大統領は州から要請があり次第、軍隊を出すと呼びかけている(アメリカの場合こうした騒ぎに乗じて商店を狙い派手な強奪も起き、暴徒化は確かに存在するが)。
基本、このパタンは変わらない。

マンソプは、目と鼻の先で繰り広げられる、軍部が怪我を負って逃げる学生を狙い撃ちして殺してゆく光景に目を疑う。
しかしそれが事実なのだ。
そしてずっと行動を共にして来て打ち解けていた気の良い通訳の学生もピーターのフィルムを守ろうとして軍部に捉えられ殺されてしまう。(今ならネットでデータを送れば済むことだが、フィルムを持って届けなければならない)。
衝撃が続く。
これをピーターは顔を顰めながらも撮り続ける。
必ず世界にこの事実を公表しなければならない。
死んでいった誰もがそれを願っていたのだ。

Taxi Driver0003

マンソプは、娘の事が気がかりでもあり、ピーターを光州に置いて、明け方ソウルに向け帰って行くが、途中で引き返す。
「お客さんを乗せて帰らなければならない」からだ。
それがタクシードライバーの使命である。無論、それだけではない。
無理に明るく歌を唄って帰路に就くが、どうにも自分を誤魔化せなくなる。
娘に電話をかけ、悲壮な覚悟であの銃声の轟く街に再び入って行く。
(どのような思想、信条を持っていようが、銃を一般市民に向け乱射するような土地から逃れて来たのにまたそこに戻るには相当な覚悟を要するはず。この人は身をもってその使命を内面化したのだ)。

最後は、タクシーと軍用ジープのカーチェイスである。
パワーの上で圧倒的に不利であるが、ここでずっと救援活動などを共に行ってきた光州のタクシーたちが加勢してマンソプのタクシーを逃がしてくれる。
だがその際、何度も窮地を助けてもらった光州タクシーのボスをはじめ、助っ人に来てくれたタクシーは全滅してしまう。
「必ずこの実態を世界に知らせてくれ」という誰もの願いを叶えることがマンソプの至上命令であった。
暫く車を停めてから、空港に向かって走って行く。

ピーターは予約した飛行機をキャンセルしてその前に出る飛行機にギリギリのタイミングで乗り換える。
無事に離陸したことをマンソプは確認し胸を撫でおろす。

光州事件ははっきりとメディアに載った。


2003年チョンアム言論文化財団とハンギョレ新聞社が授与する第2回ソン・ゴンホ言論賞を受賞したユルゲン・ヒンツペーター氏は「勇敢なタクシー運転手キム・サボク氏に感謝する。彼に会いたい」と切々と語っていた。
結局、二人は空港であの時に別れた後、一度も逢うことはなかった。

Taxi Driver0002









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残酷で異常

Cruel Unusual004

Cruel & Unusual
2014年
カナダ

マーリン・ダービスビック監督・脚本

デヴィッド・リッチモンド=ペック、、、エドガー(教師)
ベルナデッタ・サクイバル、、、メイロン(エドガーの妻)
ミシェル・ハリソン、、、ドリス(自殺した母)
リチャード・ハーモン、、、両親を殺した高校生


死後、肉体を失い想念~イメージだけの世界にあって、空間化した時間を行き来しつつ自分と他者との関係性を捉え直し浄化されてゆく過程を描く。
カトリック教で謂えば、煉獄の場であるか。
彼はその煉獄の間~モニタに映る指導者(審判を下す者か?)に従い犯した罪を語り合うグループディスカッションの場に耐え切れず、何度もそこから脱走しようとする。だが、これまでの世界に戻ると妻を殺害するまさにその場面を体験することになり、その度にドアを開くとこの場に引き戻される。
それを繰り返すうちに、自分が妻を誤って殺してしまったこと、自分もすでに死んでいる事、、、自分の罪に気づいて行く。
この場所を起点にして、何度も妻殺しの場面を異なる角度から再体験しているのだった。
その度にわれわれも彼らの置かれた状況がピースを加えて絵が見えてくるように詳しく分かって行く。そしてエドガーも知らなかった事実が文脈に新たに加わり彼の物語も更新されてゆく。
そしてついに妻の連れ子のゴーガンにシンクロし彼の置かれた状況を察し、妻のメイロンにもシンクロし自分の思い込みのせいで彼女の追い詰められた心境を理解する。
自分の愛が重すぎたことを認識する。

Cruel Unusual003

このグループのなかで知り合った女性ドリスが自殺によってこの場にいることが分かる。
自殺は、少なくともキリスト教においては罪であり、彼女はここで相応の扱いを他の人殺しのメンバーから受けていた。
彼はこの部屋を出たり戻ったりを繰り返していくうちに多くを悟って行くが、形作られてゆく文脈に落ち着くことは出来ない。
ドリスが子供たちの目の前で首を吊って死ぬことも、自分の愛する妻を殺してしまうことにも納得できない。
彼はドリスを連れて彼の世界の扉を開き、彼の日常の文脈に彼女を無理やり引き入れる。
彼女は抵抗するが、彼は賭けに出る。ドリスの協力を得て、妻を誤って手に掛けることがことが出来ぬように部屋に鍵をかけて閉じ込める。しかし彼は妻に呑まされた毒で死ぬことになる。そうなれば、妻が自分と同じような煉獄の責め苦に合うことになる。
考えあぐねていると、いつの間にか空は晴れ渡り昼間となっており、彼の家の庭がドリスの家の庭となっている。
彼女の幼い二人の娘がテラスで無邪気におやつを食べていた。
それを間近で眺めるドリス。

Cruel Unusual002

そして庭の木に今にも首を吊ろうとしているドリスをエドガーは認め、直ぐに説得して彼女を梯子から降ろす。
彼は彼女の替わりに梯子を登り、ロープを首に掛ける。自分が首を吊ることが、妻とドリスを救うことが分かったのだ。
妻にとって重すぎた自分の愛情から、彼女を解放するには、これしかない。
ドリスが首を吊ることを思い留まらせるにも。
エドガーは妻への遺言をドリスに託し、首を吊る。
その瞬間、子供の目には見えなかったドリスが実体化し彼女の存在に気づく。
妻も命を落とすことなく息子との穏やかな生活が開けることとなった。

最後は、妻と息子のゴーガン更にドリスがエドガーの首を吊った木の下に花を手向ける。
彼の死は無駄ではなかった。
彼はまた、例の煉獄~グループディスカッションの場にいた。
そして他の殺人犯たちの前で確信に満ちた表情で自分の罪を騙り始めようとしている。
(果たして審判が、自殺と受け取るか自己犠牲と受け取るかである)。

Cruel Unusual001


よくある安易でチャチなタイムリープものとは明らかに一線を画する、必然性と説得力のある物語だ。
(わたしは、タイムリープものは大嫌い)。
過激な視点を秘めた名作と謂って良い映画だと思う。
この監督の作品は、今後も注目したい。







まったく同じ3人の他人

Three Identical Strangers001

Three Identical Strangers
2018年
アメリカ

ティム・ウォードル監督


デヴィッド・ケルマン
エドワード・ガーランド
ボビー・シャフラン
ローレンス・ライト(ジャーナリスト)


薄くて軽い映画であった。出て来る三つ子もアメコミギャグアニメを地で行ったような、それはそれでグロテスクな迫力は感じたが。

1961年7月12日シングルマザーの元に三つ子が生まれた。
彼らをユダヤ系養子縁組機関と精神科医ピーター・B・ヌーバウアーの指示によりブルーカラー、中流層、富裕層の家庭に三つ子であることを伏せて、それぞれに養子に出し、研究チームがその後の生育状況を詳細に追跡しデータを蓄積していったらしい(しかしその研究データとその結果は長いこと閲覧禁止の機密事項であった)。
この映画は三つ子を追ったものだが、研究対象は双子を基本に、一人ごとに違う里親に出し、その後の成長状況を調べ研究するもので、何組の双子(三つ子)を対象に調べられたかはまだ明かされていない。恐らくかなりの数に上るはず。

彼らが19歳で大学の入学を機に3人が出逢うことになる(偶然か仕組まれたのかはともかく)。
それから、興味本位でマスコミ・TVに取り上げられてゆく中で、この問題の真相をジャーナリストのローレンス・ライトが資料や関係者を見つけて追ってゆくのだが、、、。

しかし1980年代に入らないと、本格的な双子研究・行動心理学は始まらない。
それ以前は、この映画のケースのように双子を別々に育てたらどうなるかが半ば秘密裏に研究されていたみたいだ。
別々に育っていれば、兎角似ているところに目が向き易い。
離れて育ったのに、そんなことまで同じだなんて、、、一卵性なら遺伝情報は100%同じなのだ。
当たり前だが似ているところにフォーカスして驚いてみたい。そしてやはり遺伝が決定要因なのだと、したくなるもの。
逆に一卵性が共に暮らしていれば、同じ遺伝子情報の下、同一環境下で全く同じになってしまうかと謂えば、そんなことはまずない。
両者のほんの僅かの差が殊更に取り上げられ、かえって大きな評価の差となって表れ当人たちに多大な影響を与える場合がある。
更に通常、年齢が上がって行けば、同じ家に住んでいようが生活環境が広がり複雑化するにつけ各自の経験に大きな違いが現れるのは当然で、住むところの違いでどうのという問題でもあるまい。
(確かに幼少期の影響は絶大である。その頃の親からの愛着関係で決まるところは大きいのだが)。

うちみたいに二卵性双生児であると遺伝的には50%くらいで、普通の姉妹と同レヴェルということになる。
一卵性と二卵性の双子を比較して研究しているところは多い。
遺伝情報の比率以外は同じ条件として見ることが出来る為。
ちなみにうちの双子は何から何まで異なる。性格、個性・特性、顔、体格も普通の歳の離れた姉妹より遥かに違う。
(ここでこれについて語り出すと大脱線になるのでやめるが、よい比較にはなると思う(爆)。

能力~才能を遺伝に重きを置き過ぎると優生学(Eugenics)みたいなものに繋がりそれを極端に推し進めればヒットラーのナチス党のような政策(人種政策)にも突き進んでしまう。まあ、このヌーバウアー博士もその流れをくんだ研究者である可能性は高い。
ただ、遺伝が大きく作用することは、DRD4遺伝子からも科学的(実体的)に裏付けされてゆくことになる。

ここでポイントは、親に何らかの精神疾患のある者を選んでいることだ。
(彼らの母が何と診断されていたか忘れたが、、、)。
どうしてわたしは、あの三つ子が不気味に思えて仕方なかったのか、、、。
それは、あの出逢った直後からずっと続く能天気なバカ騒ぎ振りである。
明らかに常軌を逸した燥ぎようには、引くしかない。
あの過剰な笑い顔にはやはり病的なものがしっかりと貼りついていた。
3人とも10代に精神を病み入院などの経験があったという。
これは、引き離されて育てられたことに関係するわけはない(当人も里親も知らぬことであり)。
まずは母の精神疾患が遺伝情報として彼らにも発現したととるべきであろう。
(更に成育環境による愛着障害なども洗わなくてはなるまい)。
単に明るい仲良し同士というものではなく、何をか隠した無意識的で過剰な演出であったのだ。
その無理が続かなくなり、一人が鬱症状のなかで自殺してしまう。
それ以前に、共同経営の店の運営に関する対立で一人が抜けてしまっていた。
映画の中では、里親のひとりが彼らが協調し妥協するような経験を積むことが出来なかったからだと言って、3人を分断した研究の弊害のように語っていたが、三つ子の件は事後的に分かった事実であり、何らかの適応障害に苦しんでいたとすれば、母からの精神疾患の遺伝によるものか、生育環境~愛着関係によるところのもの、またはその相乗作用によるものと考えられよう。
わたしは、もともと母譲りの精神気質をもった当人が里親との関係が上手く取り結べず成長する過程で症状が発現・悪化し不幸な結果を招いたのだと思う。
自殺したひとりの里親(父親)の教育姿勢からして、子供を操作し頭から道徳を押し付ける典型的な毒親であり、それに反抗するしなやかさを持ちえなかったところが発病に繋がったのだ。他の里親は、遺伝形質を発現させない安定した愛着を示していたようだ。つまり成育環境はとても大切なものだと言える。

母の精神疾患がどのようなかたちで発現するかという研究であったならば、預ける家族は単に経済~教育レベルの異なるパタンといよりどのような愛着パタンをもって育成出来る家庭かで分けるべきだろう。恐らくそこまで考察した上での里親選定であったようにも受け取れる。ある意味、起こったことは全て想定済みのものであったかも知れない。


Three Identical Strangers002








みかんの丘

Tangerines001.jpg

Tangerines
2013年
エストニア、ジョージア


ザザ・ウルシャゼ監督・脚本
ニアズ・ディアサミゼ音楽

レンビット・ウルフサク、、、イヴォ(みかん箱作る老人)
ギオルギ・ナカシゼ、、、アハメド(チェチェン人傭兵)
ミヘイル・メスヒ、、、ニカ(ジョージア人兵士)
エルモ・ニュカネン、、、マルゴス(みかん農園主)
ライボ・トラス、、、ユハン(医師)


「世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかった」と監督の意図が良く分かる作品であった。
南コーカサス地方~ジョージア西部のアブハジアでエストニア人が昔から住む集落が舞台。
ジョージアとアブハジア間の紛争によりエストニア人はほとんど国に帰ってしまうが、イヴォとマルガスは残っていた。
マルガスはみかんを収穫せずに腐らせていまうことは忍びないということで収穫を急いでおり彼自らこの戦争を「みかん戦争」と言って収穫に賭けている。そしてその箱作りをしているイヴォは本当に残る理由は語らない。

Tangerines003.jpg

いよいよこの集落にも戦闘が迫って来る。
近くで機関銃とバズーガ砲の音がして、行ってみると何人もの兵士の死体が転がっていた。
彼らの車を道脇に落として隠し、彼らを埋葬しようと近づくとまだ生きている兵士が2人いるではないか。
一人はアブハジアを支援するチェチェン人、もう一人はジョージアの兵であった。
この敵同士の負傷兵をイヴォの家に匿い手厚く介抱することとなる。

Tangerines004.jpg

外も機関銃の音がしたり、どちらかの陣営の車がやって来たり、物騒であるが。
家の中も緊張の走る非常事態である。
医者を呼んで治療して貰うが、どちらも助かると言う。
傷が癒えて来て、ベッドから立ち上がれるようになれば、一触即発の事態が見えてくる。
イヴォは2人が口をきけるようになったところで、わたしの家で争うこと殺し合うことは許さないと告げる。
2人は彼の威厳と受けた恩からそのことを固く守る。

Tangerines005.jpg

単に立ち場が違うだけの人間同士である。
共に一つ屋根の下で過ごすうちに、いがみ合う必然性を失ってゆく。
お互いの身の上噺などをしながら打ち解けてゆくのだが、、、
イヴォの家と外部世界の時間は相当なズレを生じていた。

こんな時世となり、みかんの収穫と出荷のことで悩んでいたマルゴスであったが、兵士が40人ほど手伝ってくれることになりホッとした矢先、大きな攻撃が始まり、約束した一隊がどうやら壊滅的打撃を受けたようであった。
家も燃え、ミカン園も大打撃を受けてしまう。マルゴスの心境に同情する流れが一同に生まれる。
厳しい表情ばかりであったイヴォが冗談交じりの話でニカ相手に笑うシーンがとても印象的だ。
安心した後、奈落の底に落とされたマルゴスであったが、イヴォの家で過ごす4人にはいつしか連帯感が生まれていた。
お互いをただの人間同士として暖かく思いやるような。

Tangerines008.jpg

しかし外部の戦闘は激化し、イヴォの家の庭先で薪割りをしていたアハメドとマルゴスに兵隊が銃を向ける。
アハメドに対しお前はジョージア人だなと迫り、チェチェン語で応対しない彼を撃ち殺そうとする。
だがその瞬間、二階からニカがアハメドを取り囲んだ兵士たちを一掃するような銃撃を始めた。
隙を付いてアハメドもニカから自分の銃を投げてもらい応戦し、襲ってきた兵士を全員殲滅したかに見えた。
だが銃撃の最中、アルゴスは流れ弾で命を落とし、死んだかに見えた向うのリーダーが二階から庭に降りて来たニカを射殺してしまう。

この最後に外部から起きた激しい銃撃戦で、イヴォの家に生まれた時間が切断されてしまった。
戦争という即物的暴力が一様な時間性を押し流してきた。

ふたりをそれぞれ埋葬するイヴォとアハメド。
アハメドはジョージア人に戦争で殺された息子の墓の隣にニカを何故埋葬するのかと聞く。
「誰であろうと変わりない。」「そうだろ。」「そうだ。」
アハメドはイヴォに礼を述べ、ジープで去って行く。
ニカがクシャクシャになって飛び出てしまったカセットテープをいつも直していたのだが、そのカセットテープをセットし、聴きながら暮れなずむ路を走り去って行く。



静かで淡々として進行するなか、シンプルな民族音楽がとてもシーンに合っていた。
とうもろこしの島」に似た質感を持った大変優れた作品だと思う。








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オリーブの樹は呼んでいる

El olivo003

El olivo
2016年
スペイン

イシアル・ボジャイン監督
ポール・ラヴァーティ脚本
パスクアル・ガイーニュ音楽

アンナ・カスティーリョ、、、アルマ(養鶏場で働く20歳の女子)
ハビエル・グティエレス 、、、アーティチョーク(アルマの叔父)
ペップ・アンブロス、、、ラファ(アルマに好意を抱く青年、養鶏場のトラック運転手)
マヌエル・クカーラ、、、ラモン(アルマの祖父)


脚本家が『わたしは、ダニエル・ブレイク』の人であったこともあり、観てみた。
何とこの女性監督さんの旦那だそうだ。
つまり夫婦で作った映画か。
それからこの監督、「エル・スール」で15歳のエストレーリャを演じた女優さんでもあった。
(だから何なの、であるが興味は深まった)。

お転婆娘を中心にして動く~というより振り回されて展開するが、全体として静かな雰囲気の映画であった。
樹齢2000年のオリーブの木を巡る噺である。
木についての映画をつい先ごろ観たばかりでもあり、、、期待は膨らむ。

El olivo001

オリーブの樹をおじいちゃんと孫娘が大事に守って来たのだが、目先の金欲しさに家族(父)が重機で引っこ抜いて人に売ってしまう。
木(親木)を守り続けて生きていた時は貧しかったかも知れないが、木を売って事業を始めても上手くいかず、貧困に喘ぐことに。
貧困を呼ぶ問題は他にあった。
オリーブの木と共に生きて来たおじいちゃんは、その後痴呆状態に。
食事もまともにしなくなってしまう。
誰とも口をきかず、時折徘徊するようになる。
大概、孫娘が見つけ出す。
木のあった頃は、いつもおじいちゃんと孫はこの木を中心に語り合い遊んでいたものだ。
孫とおじいちゃんにとってはここがひとつの宇宙であり神聖なる空間であった。
幼い少女は、今にも掘り起こされそうな木に登り泣いて抗議したがなす術もなく、結局おじいちゃんが少女を抱いて降ろす。
樹齢2000年のオリーブというだけあり複雑怪奇なフィギュアであった。「怪物くん」と少女があだ名を付けるのも、もっともな形だ。
その枝振りは全て切り落とされ運ばれて行った。それから10年、、、

El olivo005

孫は気の強い(チャーミングだが影のある)20歳の娘に成長するが、おじいちゃんはかつての姿など見る影もなく衰え、口もきかず食事もまともにとらない。
外部の事にはほとんど何の反応も示さない状態にあった。
娘はそれがとても悲しい。
何とかしたい。あの木を取り戻せないか、、、。木が戻ればおじいちゃんも元気になるのでは、、、。
どうにかその木が載っているパンフレットは手に入れる。
現代っ子で弾けているがとても頼れる親友に相談すると、その木が今何処にあるか直ぐにウェブで探してくれた。

デュッセルドルフのエネルギー会社のエントランスホールに綺麗に品よく飾られており、その会社のロゴマークにもなっていた。
アルマは、特に何の策も買い戻す資金もないまま、闇雲にその会社目掛けてゆくことにする。
周囲の人々には、ドイツの持ち主が亡くなり教会が木を預かっているが、最初の育て主に返還することが望ましいと言っていると嘘をつき、取りに行くと告げる。
それならば、とばかりに、叔父のアーティチョークとアルマに好意を抱くラファが会社の大型トラックを無断で借りて3人でドイツへと出発する。
(親友はじっくり戦略を練り事に当たろうと、引き留めようとするが、かたく抱擁して出発して行く。スペイン気質か?手段や方法という概念がないのか?ソウルだけは感じる)。

El olivo004

途中で叔父の金を騙し取って事業を潰したという男の邸宅に立ち寄り、プール脇に立っていた自由の女神をトラックに積み込んで行く。
この女神がその後どのように使われるのか、ちょっと楽しみにして見ていたのだけれど、叔父が癇癪起こして自分で叩き割ってしまい、それまで。
わざわざデカいものを乗せてはるばる旅してきた意味もなく伏線にもならない。
ちょっとがっかりしする(笑。
そして会社に着くも、教会も牧師もおらず、ついて来た2人は唖然とする。
どうするんだとアルマに詰め寄っても彼女の頭には初めから何もない。直ぐに会社を追い出され会社の前の広場でずっと3人でなす術もなく過ごす。そうなのだ、肝心な時にいつもなす術もないのだ。

途中で頼りになる賢い親友が何やら策を授けてくれるかと思ったがこれと言ってなく、、、。
ただ、彼らのことをSNSで宣伝してくれたお陰で環境保護団体の目にとまりマスコミの注目も集めることになる。
しかし会社の広報担当者は交渉に応じることを拒否する。
会社に人々の注目が集まり、過剰な森林伐採やそれによる集落の移動をするなどのロゴのイメージとはかけ離れた事業内容がクローズアップされることに。
しかし、アルマお目当ても木については正当な取引によって会社が購入したものであり、何の問題もない。
(市長に賄賂を払ってこの取引を成立させたのは、アルマの父側である)。
SNSで集まった環境保護団体の抗議に晒され会社にとっては、とんでもない疫病神か。

El olivo002

抗議集団~圧力集団が一斉にロビーに雪崩れ込んだ隙にアルマも勢い込んで入り込み、かつてのように木に登った。
綺麗に今や剪定された木であるが。
その木のてっぺんでアルマが頑張っている時、叔父の携帯に連絡が入る。
叔父の表情が変わった。
叔父がアルマに伝えることばは、声は一切入らない、群衆の喧騒の中の静寂の瞬間。
涙を流し、アルマが泣き崩れる。
(この無声の演出は秀逸であった)。

El olivo006

娘はその木から若い枝をひとつ無意識に手折って来ていた。
かつておじいちゃんから教えられた植樹のやり方を実践し、砂利をどかして元の木のあった場所にそれを植える。


2000年スパンの再生が始まる。
木の世界とはそういうものなのだ。
(あのおちゃらけ主人公の「WOOD JOB!」にもそういう件がある)。










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ライムライト

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Limelight
1952年
アメリカ


チャールズ・チャップリン監督。製作、脚本、音楽

チャールズ・チャップリン、、、カルヴェロ(喜劇役者)
クレア・ブルーム、、、テレーザ・アンブローズ(バレリーナ)
バスター・キートン、、、カルヴェロのパートナー(ピアノ芸人)
シドニー・チャップリン、、、ネヴィル(作曲家)
ナイジェル・ブルース、、、ポスタント

赤狩りで、チャップリンがアメリカから追放された年の映画であるから、アメリカ最後の作品となるか。

素顔のチャップリンは二枚目であった。
謂わば、生身の登場である。
感慨深い。
老境に達した表現者~道化の姿が描かれる。
そこには深い哀愁が影を落とす。

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明らかにチャップリン自身の生涯が重ね合わされている。
ある意味、集大成か。主人公の落ち目のかつての喜劇王は、攻撃を受けアメリカを追放されるシリアスな~素顔の自分である。
そう言えば、若い女性テレーザに言い寄られるが、彼自身生涯に何度若い女優と結婚していたか。
余り興味はないのでよく知らぬが、泥沼の恋愛も(結婚まで行かないケースも含め)数えれば相当のものになるか、、、。
(愛は実ってもその分、破局もかなりのものであった、、、)。
やはり集大成だ(笑。悲哀の中に笑いもあり、ともに深みを増す、、、。
長いブランクを経て舞台に返り咲き、何故か熱狂的に受け容れられ、大変な音楽コントを熱演した後、舞台袖で愛するテレーザの踊る姿を見ながら息をひきとる。道化師は死んだ。

チャップリンの次男のお父さんに似ている事。びっくりしてしまった。
作曲家役として出て来た時に直ぐにそれと分かった(笑。
息子も良い男である。

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人を励ます時、誰が一番その言葉に影響を受けるか。
相手以上にその言葉を発している当人である。
そしてその言葉を受け取り、救われた相手がその言葉をこちらが一番必要な時に返してくれる。
(それを語っている当人がやはりその言葉を噛み締めている)。
そういうものだ。
精神の力学とも謂えるか。

カルヴェロとテレーザのやり取りがまさにそうである。

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何であっても、シリアスな素顔のチャップリンの映画である。
カルヴェロ、テレーザ、ネヴィル三者ともに、皆芸術家として成功を手にしているのに、愛は上手く繋がらない。
相手の事をどれだけ深く思っていても、それはこの現実という場所においては、苦悩を生み出すことにしかならない、、、。

調べてみて驚くが、次男どころではなく、親族を片っ端出演させている様だ。
やはり彼にとって特別な位置にある作品なのだろう。

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バスター・キートンとチャールズ・チャップリンの芸が終盤特別な尺でタップリ見れると言うのも貴重なフィルムだ。
(そこだけ、別個に挿入されたみたいな感じで何とも言えない空気感であった(笑)。














グッド・ライ 〜いちばん優しい嘘〜

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The Good Lie
2014年
アメリカ、インド

フィリップ・ファラルドー監督
マーガレット・ネイグル脚本

リース・ウィザースプーン、、、キャリー・デイヴィス(支援センター職員)
アーノルド・オーチェン、、、マメール(スーダン難民)
ゲール・ドゥエイニー、、、ジェレマイア(スーダン難民)
エマニュエル・ジャル、、、ポール(スーダン難民)
クース・ウイール、、、アビタル(スーダン難民)
コリー・ストール、、、ジャック(牧場主、支援者)



スーダンのロストボーイズの噺。
9.11以降であれば、暫くはこのような受け入れも無かった。
最近、トランプ政権下でも受け容れ基準を厳正化した上で再開している。

まず前半は極めて過酷なスーダン内戦の様子が描かれる。
突然軍隊に村を急襲され逃げ惑う人々。
目の前で親・兄弟を殺される。子供は叫び声をあげ物陰に隠れ機を見て逃げる。
途中、これから行こうとしていた方角から武装兵から逃げて来た集団に出逢い目的地を変える。
数千キロを年端も行かぬ子供たちだけでケニア国境まで歩く。
この途上、水が無く病に倒れ兄弟(必ずしも血縁ばかりではない)がひとりまたひとりと亡くなって逝く。
そして漸く水が飲める河にやって来る。そこで何とか渇きを癒すが、我らが主人公一行の長兄がその先の危険を察知し集団の後に付かず独自に河を横断して叢に逃げることに決める。
その川沿いに歩いて行った先から銃声が次々に聴こえ、やがて河に沢山の死体が流れてくる。
長兄の判断は正しかった。だが、叢の中の移動で何気なく兄弟が立ってしまった時に兵士に見つかる。
絶体絶命となった時、長兄の機転で彼が立ち上がり「仲間から逸れた」と言って囮となって敵に捕まり、その隙に年下の兄弟たちはその場から逃げ去る。兄弟たちは長兄の「優しい嘘」によって命を救われる。
長い時を経てケニアの難民キャンプに付いた時は、彼ら兄弟の残った4人だけであった。
それから10年以上、病の蔓延する酷く環境の悪い、必要最低限のものにも困る場所で耐え忍ぶ生活が続く。
国連が漸く衣服や食料を届けてくれるようになった矢先、審査に通ればアメリカに受け入れられることとなる。
彼らは4人ともアメリカ移住が叶う。

The Good Lie005

彼らの時は、スーダンから3600人の受け入れがなされた。
慣れない飛行機の旅で、空港まで着くがここで姉のアビタルは制度上の理由で兄弟から引き離され一般家庭に預けられ、他の兄弟はカンザスシティーのアパートに一緒に住む事となる。
ここは法に従う他はなく彼らは納得しないが、ここでの生活は協力者にも恵まれ決して悪くはない。
しかし当然、食事、冬、学校、会話、、、カルチャー(ネイチャー)ショックも大きかった。
アメリカである。水道をひねると水とお湯が出る。シャワーもいつでも浴びれる。
この水がない為に、ここに来るまでに兄弟が死んだ。
歩かなくても車でどこまでも行ける。公共交通機関も充実している。
しかしそれでも最低限の意思疎通ができないと極めて厳しいものだろう。
電話もマクドナルドもコカ・コーラもピザも知らないのだ。
彼らは英語を学んでからアメリカに来た。そこは良かったと思う。

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アフリカの事など何も関心のない支援センター職員キャリー・デイヴィスが彼らの就職サポートを担当することになる。
素っ気なく事務的に彼らに接して行く。効率的に仕事を熟そうとする。
まずは彼らに合った職を探さなければならない。
同時に彼らとしては徐々に環境に慣れること、周囲の人に馴染む事である。
そして、習慣や常識さらに共通感覚を取り込んでゆくこと。
手先の器用なポール仕事を効率的にまじめにやり過ぎて、同僚から薬を勧められ体験してトラブルを起こしたり、、、
穏やかなジェレマイアはスーパーに勤めしっかり仕事は熟すが、ホームレスに賞味期限切れの食品を与え厳重注意を受け「間違った仕事は出来ない」と仕事を辞めてしまう。極端な食糧難の国からやって来てまだまだ食べられるものを毎日大量に廃棄している現実に納得できない。

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しかし何より目的である。全くの異文化においてブレずに生きるには、、、。
強力な目的が無ければ、価値観の違いや偏見、差別から非行や暴力、犯罪に押し流されるところは大きくなると思われる。
マメールは難民キャンプにいたころから医療に従事しており、ここアメリカで医者になることが目標であった。
仕事を二つ掛け持ち、彼一人学校に通っていた(学費が高く彼しか学校には行けない)。
しかしその目的意識を強く持たない場合、やはり揺らぎは大きく現れる。
実存的な葛藤に悩むポールと信念に生きるジェレマイアは、それぞれ日常的なズレによって問題も生じる。
兄の犠牲についてしこりをもっているマメールもこの機に心がざわつき始める。兄弟同士の衝突も起きる。新たな文脈のなかで必然的に生じる自らの対象化。その内省において様々なことが問題化され立ち上がって来る。そうしたものだ。何故かつて長兄が犠牲にならなければならなかったのか。何故姉が離れ離れに暮らさなければならないのか、、、。

The Good Lie006

ただでさえ就職の困難な状況で彼らに新たな仕事の斡旋をするなど対応に苦慮しながらもキャリーは彼らに対する理解と認識を深めてゆく。自らスーダンの現状に関して調べるようにもなる。彼らにとっての姉の重要性にも気づき、自宅の部屋を片付けて開け、彼女を引き取る為に奔走する。これが州をまたがると面倒な問題であった。
しかしクリスマスの日にそれを実現させる。
彼らと関りキャリーたちも随分変わった。こうして多様性が連動して行けばよいのだ。
皆でスケートを愉しむ。兄弟で初めて氷の上を経験するのだ。
これでハッピーエンドとなれば良いのだが、もう一つ驚くべき情報が舞い込んでくる。
何と彼らの長兄がケニアのキャンプで彼ら兄弟を探していたという。生きていたのだ。
マメールはキャリーたちの協力のもと、ケニアに戻り10万人の中からやっとのこと兄を探す。
再会を喜ぶも兄は病に犯されていた。しかも背中には痛々しい傷があり。
兄を早速アメリカに連れて戻ろうとするが、すでにアメリカの受け入れは閉鎖しておりどうにもならない。
マメールは兄に自分に成りすましてアメリカに行くように仕向ける。
戸惑う兄に、これはついても良い嘘なんだと言い聞かせ、、、(かつて兄がしてくれたように)。
自分はケニアのキャンプに残ることをマメールはキャリーに伝える。
長兄はそのまま無事アメリカに向い、空港で兄弟たちとの再会を喜ぶ。

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スーダンから来た兄弟は皆、元難民であったり少年兵であった素人が演じていた。
説得力充分な演技であった。










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WOOD JOB!

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矢口史靖 監督・脚本
三浦しをん 『神去なあなあ日常』原作


染谷将太、、、平野勇気
長澤まさみ、、、石井直紀
伊藤英明、、、飯田ヨキ
優香、、、飯田みき
西田尚美、、、中村祐子
マキタスポーツ、、、田辺巌
有福正志、、、小山三郎
近藤芳正、、、林業組合・専務
光石研、、、中村清一
柄本明、、、山根利郎


大学入試に滑ったチャラけた男子、平野勇気が、パンフレットの美女に惹かれ軽い気持ちで林業の研修に深い山中の街にやって来るところから始まる。
その美女はその街に住む石井直紀で、程なく彼は実物に邂逅することになる。
彼女は小学校の先生であり、バイクを乗り回すアクティブな女性でもあった。
彼は直ぐに惹かれるも彼女は全く素っ気ない。彼は引き受け先の飯田家のヨキにその後しっかりとしごかれる。
直紀は美女であるだけでなく何かと活発で目立つ存在であり、ヨキはその土地の樵のスター的存在である。
その二人からタップリとダメ出しをされながら勇気は、あっけらかんと林業と自然と人々の中に打ち解けてゆく。
この辺の取っ掛かりからもう先の読める定石通りに進んでゆく間違いのない物語であり安心して観てゆける。

WOOD JOB!002

平野勇気の受ける林業の世界でのカルチャーショックがまず面白い。
携帯の電波が届かないというのが、何より大きかった。
ウォッシュレットが無いとか言う前に。
マムシ料理やお尻に沢山くっついた蛭とか(それから悪ガキに「ヒル」と綽名をつけられる)、マムシが耳に噛みつくとか、、、これはもう悲惨な体験であった。
そもそも川の清水に枯葉の欠片が浮いていただけでダメなのだから、最初のうちは逃げ出すことばかり考えて過ごす。

WOOD JOB!005

だが、天を衝く巨木を見上げる行為など経験なかっただろうし、それが倒れてくる様には圧倒されるばかり。
めくるめく光景に彼の表情も変わって行く。
あの自然の元にあったら、もう携帯どころではなくなる(何か憧れてしまう)。
そして何より彼をそこに繫ぎ止めたのは、石井直紀の存在。
森林の美しさが更に幻想的になるというモノ。
夢見心地で届けてもらったお弁当を並んで食べる。
そんなときに、気まぐれでお地蔵さんにおにぎりを半分供える。こころの余裕か。

WOOD JOB!001

良い環境だ。あらゆる点において。
ギスギスした都会で携帯ばっかり気にして暮らしているより、明らかに健康に良い。
マムシ料理に慣れれば猶更、元気溌剌というもの。
画面越しに見ているこちらまで、気持ち良くなる映画というのも、なかなかない。
これこそロケの醍醐味だ(これをセットでやることは不可能)。

仕事を通して自然を相手にする過酷さと清々しさが骨身に滲みてゆく。
その過程が見て取れる流れはとても良い。
石井直紀にちょっと見直されては愛想をつかれつつも、徐々に距離を詰めてゆく。
身体にこの自然と林業を生業とする人々の魂が同調して来る。
代々受け継がれてきた植林技術を知り感慨を深めた「植林した結果が分かるのは、自分が死んだ後のこと」。

WOOD JOB!003

離れた街のショップまで修理の済んだ携帯を取りに行ったとき、昔の彼女からの連絡が入る。
彼女の属する大学のサークル(スローライフクラブ)が彼を頼りに林業を営む人々の生活を取材に来た。
しかしそこでの、彼らの物見遊山な無礼な態度に平野勇気は切れSDカードをビデオから引き抜き捨てて、彼らを追い払ってしまう。ここで、彼の林業~山の男の度合いがかなり高まっていたことが周囲にも分かる。
ヨキに認められた瞬間か。

山には必ずと言っていいほど神社があるが、ここでもしっかり御神木など山や森を対象とした山岳信仰は窺えた。特に節目となる祭を控えそこに参加する人員を決めてゆくが、ヨキの推薦もあり余所者の勇気も選ばれることに。
祭の役員の多くは余所者を祭空間の神山に入らせると罰が当たることを警戒したのだが、直紀の甥にあたる子供が山に迷いこんでしまったときに勇気が何者かの導きでその子を見つけて麓まで背負って降りたことで彼は受け入れられる。
(恐らくあのおにぎりが利いたのだ。日本昔話ではないか)。

WOOD JOB!004

終盤、切り倒した御神木に勇気が乗ったままジェットコースターのように山頂から街へと滑り落ちる面白シーンはどうやって撮ったのか?
もう街のヒーローではないか。相変わらず挨拶もまともに出来ないチャラけたままだが(基本的に成長とかしているわけではない)。
1年間の研修が終わりヨキと感動の別れをして家に着くと何故か近所から木の香りが、、、すでにそういう感覚を身体化していたのだ。
そう、人間はこのように感覚が拡張し多様性が身について行くことが肝要なのだと思う。
妙な分別を持った大人に成長する必要などない。
新築する家で生々しい木材を目の当たりにして、勇気の気持ちは固まる。彼は家の玄関にお土産のマムシ酒を置いてそのまま列車に乗ってにやにやしながらとんぼ返りする。
林業のパンフレットの最新版の表紙は笑顔の勇気が載っていた。


キャストの本当に地元のその道の人と謂った自然な感じがとてもしっくりした。
地味な長澤まさみには好感を持った(笑。





500ページの夢の束

Please Stand By001

Please Stand By
2017年
アメリカ

ベン・リューイン監督
マイケル・ゴラムコ脚本・原作

ダコタ・ファニング、、、ウェンディ(脚本家志望の自閉症の少女)
トニ・コレット、、、スコッティ(ソーシャルワーカー)
アリス・イヴ、、、オードリー(ウェンディの姉)
パットン・オズワルト、、、フランク(スコッティの息子)


大好きなダコタ・ファニング主演とくれば、観てみたくはなるもの。
最近は妹の出演する映画を観ることの方が多くなったが。

自閉症のスタートレックおたくが、「スタートレック」の脚本コンテストに自分の渾身の力を込めた作品を応募する噺。
自分を明らかにスポックに投影している。
どうやらカーク船長はお姉さんらしい。
そして郵送による応募に色々あって間に合わない状況となり、ロサンゼルスのパラマウントピクチャーズまで一人で数100キロを旅する。
自閉症の人が一人旅というのは、かなりの困難を呼ぶことになるが、果敢に挑戦する。
ここが普通?の自閉症の人とは異なる特殊な例かも知れない。
厳密なルーチンを少しでも乱されるとパニックになるものだし、突然の音や光にも混乱するし、、、しかし一つの事への尋常でない集中力はしっかり見て取れた。

この困難を極める長旅をスタートレックの冒険にも準えているのだろう。
音を遮断するためにいつもイヤホン付けてiPodの音楽を聴いている。
後、出来事を極力、ルーチンの内に落とし込もうとするノートを首に下げている。
これらの装備の上でいざ、広大な宇宙へという感じか。
非常に強い「脚本を届けたい」という要求なしに自閉症の人がこんなトライをすることは考えられない。

しかし、彼女の独創性を感嘆するスコッティの謂うように、人とのコミュニケーションに困惑しながら様々なハプニング(事件)に対しビックリする対応を取る。
その度に”Please Stand By”を唱えていたか。

Please Stand By002

彼女の困難は、普通の人であっても大変なもの。
姉夫婦に子供が生まれたことで、一緒に暮らすとこができず、ソーシャルワーカーのスコッティと施設で過ごす。
しかしここでは思うように脚本を書く時間が取れない。
勿論、姉と一緒に暮らしたい。
そして奮起して旅に出るが、ロス行きのバスを途中で降ろされる。連れの犬がおしっこをしてしまったのだ。
此処で、まだ目的地まで270キロを残していた。
姉の娘に似た赤ちゃんを抱く女に出逢い、彼女に同調しようとするが、ロスに一緒に行こうと言う口車に乗りお金とiPodを奪われてしまう。誰でも大変動揺してしまうものだが、彼女は自らの方法で心を落ち着かせる”Please Stand By”

Please Stand By006

店でなけなしの小銭まで騙し取られそうになるが、彼女の様子から彼女の抱える問題を観抜いた老婆に助けられ、老婆の乗るバスに促され乗り込むが、運転手の居眠りで事故に遭い、病院に運ばれてしまう。
もう彼女に時間はない。早く原稿を届けなければ。
看護師の目を欺き(窓から逃げたと想わせ隠れた収納から機を観て逃げる)、病院から抜け出す時に、人に接触し原稿を100ページ分ばかり風に舞い落としてしまう。拾おうとした時に病院スタッフが駆け寄って来た為、拾いきれないと悟り逃げる。
この拘りを捨てた機転は、われわれでも利くかどうか分からない。
柔軟な対処には目を見張る。これも原稿に一点集中するところから来る英知であろうか、、、わたしには分からない。
そしてコピー屋の前のゴミ箱から拾った紙の裏を使い失った原稿を手書きし始める。
わたしでは、思いつかない。凄すぎる自閉症だ。
ロス行きバスに乗るお金はもうなかったが、荷台に忍び込み、とうとう目的地まで着いてしまう。

Please Stand By004

彼女の足取りを病院から知ったスコッティにフランクとオードリーは、舞い落ちていたウェンディの原稿を全て拾い集め、何とかパラマウントピクチャーズの手前(警察署)で彼女に手渡すことに成功する。
その前に捜索願の出ていた彼女を見つけた警官が彼女に「クリンゴン語」で話しかけるなどの粋な働きかけもあり救われる場面があった。
しかし最後のゴールにあっても、原稿の担当者は郵送以外は認めないと彼女を突っぱねる。
だがここで初めて彼女は感情を顕わにする(スポックが稀にそうするように)。
そして強引に原稿を投函して皆で帰って来る。

Please Stand By005

皆、彼女の力に驚きを隠せない。彼女のポテンシャルに感心し見直す。
脚本は、惜しくも入選からは漏れるが、才能は高く評価され今後も書き続けて欲しいというメッセージを受け彼女は満足する。
最後に、姉を訪ね彼女の赤ちゃんを抱き、エンディングへ。

ダコタ・ファニングの演技力と存在感で全て説得してしまった感がある。
まさに力技か。
とてもウェンディが魅力的な女性に思えた。

Please Stand By003

印象に残る良い映画であった。








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独裁者

The Great Dictator001

The Great Dictator
1940年
アメリカ

チャールズ・チャップリン監督、脚本、製作
メレディス・ウィルソン音楽

チャールズ・チャップリン、、、トメニア国の独裁者アデノイド・ヒンケル、ユダヤ人の床屋
ポーレット・ゴダード、、、ハンナ(床屋の彼女)
ジャック・オーキー、、、バクテリア国の独裁者ベンツィーノ・ナパロニ
ヘンリー・ダニエル、、、内相兼宣伝相ガービッチ
レジナルド・ガーディナー、、、シュルツ司令官
ビリー・ギルバート、、、戦争相ヘリング元帥
フローレンス・ライト、、、ヒンケルの秘書


ホロコーストのことを知っていたらこの映画は作れなかったと思う、と後に述べているチャップリンであったが、確かにヒトラーまんまのヒンケルでかなり危ういおちょくりをしている。1940年という時期が実に微妙な風刺だ。
床屋の方は、これまでの無声映画における放浪者の風合いを保っている(つまり2度美味しいということか)。
公開に当たり、各方面からの圧力(妨害)はかなりあったようだ。
架空のトメイニア国の独裁者とゲットーに住むユダヤ人の床屋にそれらを繋ぐシュルツ司令官で回り出す。
(あの訳の分からぬ言語はトメイニア語なのだろう、、、ちょっとドイツ語っぽい)。

後にローワン・アトキンソンに受け継がれる動きを幾つか見るが、他のチャップリン映画に比べるとその面で笑える箇所は少なめだ。だが(放浪者部分が少し抑えられているが)アイロニカルでニンマリするところは、かなりある。
ヒトラーは彼にとっては、パントマイムやバーレスクの要素も充分に生かせる題材でありとても美味しかったはず。
思う存分自分の技を生かせる。その象徴のような、独り地球儀(風船)で優雅に滑稽に戯れる夢見心地なシーン。
突然地球が割れてしまい子供みたいに泣くところまで、見事な流れ~演出であった。

The Great Dictator002

ゲットーでは突撃隊が嫌がらせや暴力を振るう日常が続いていたが、視察に来たシュルツ司令官がかつて戦場で自分の命を救った床屋がリンチに遭っているところに出くわし、その一角の暴力行為を抑える。
しかしヒンケルは自分の党への資金援助をユダヤ人資本家が断ったことに怒り、その腹いせにゲットーは壊滅される。
オスタリッチ国が彼らユダヤ人にとって最後の希望の地となり、床屋の彼女であるハンナらはその国に逃げ込む。
だが平穏な日々を送るオスタリッチ国に、ヒンケルは侵攻を決めるのだった。
そこへ一足先にバクテリア国のナパロニがオスタリッチ国境まで侵攻していたことを知らされる。
明らかにイタリアのムッソリーニであろう。実に尊大である。ガービッチ(何という名前だ)の進言でヒンケルが一生懸命相手を威圧しようと試みるシーンも滑稽で面白い。スタイルだけローワン・アトキンソンが取り入れていた。
ここで交わされる独裁者同士の誇張された滑稽な牽制の様~会談はまさにチャップリンの本領発揮というところだ。
イチゴとパンに大量のマスタードで両者ともに話すことすら出来なくなるところなど、どれだけ日本のドリフに使われたものだろう。
そう、ペンキ缶を被るところやフライパンで頭を打つところも、、、。

シュルツ司令官は、ユダヤに対する政策を批判した為、ヒンケルの不興を買い床屋と共に強制収容所に送られてしまう。
ハンナは、オスタリッチ国から床屋に向けて手紙を書く。ここはとても良い所なので、収容所を出たら早くこちらに来てね、と言った内容のものだ。このように、収容所がどういう場所であったのかの認識は持っていなかったことが分かる。

The Great Dictator003

有名な最後の演説にまで行く流れがやはりスリリングでもあり面白い。
やはりどこか長閑な強制収容所をシュルツ司令官と共に脱走して軍服で歩けば、理髪屋はもうヒンケルそっくりなので、そのまま成り済ませる。シュルツもその傍らを歩けば恩赦を得たのだと誰からも自然に受け取られる。
一方、ヒンケルは侵攻作戦で鴨を撃って潜んでいる最中に軍服で無かった為、間違って捕えられてしまう(笑。よくあるパタン。
床屋たちの脱出は、完璧であったが、後は大集会における総統としての演説である。床屋は司令官に無理だと伝えるが、演説すること以外にこの場を逃れる方法はないと言われ、意を決する。

無声映画時代とは全く異なる形式で、彼はメッセージをストレートに訴える。
「ことば」(の身体性)をフルに使うのだ。身体は直立して動かず真正面から切々と語り、終盤に向っても声の抑揚で表情を付けるのみ。ジェスチャーは最後の最後に腕を振り上げたときだけだ。無声映画からずっと身体~ことばの研究を続けて来た彼にだけ出来るスピーチへの収斂であった。

ことばの物質性が顕わとなり、ダダイストのパフォーマンス~実験のようなアナーキーなパワーを見せつけた。
本来の言葉とはどういうものか考えさせるところでもある。
ヒンケルはことばというモノの暴力~煽動的側面を大変効果的に使用していた。
(詩人は、それとはまた異質な物質性~リズムに気づいた人であろう)。
彼の言葉を拾う秘書のタイプライターの動きも絶妙で愉しめた、、、言葉数に同期しない打ち方。内容はほとんど無いのだ(笑。

The Great Dictator004

床屋の語りは、明瞭でこころを打つ誠実なものであった。
その後での優しいトーンでのハンナへの労りの言葉も。

受け取る側のポジションによって妙な解釈をして批判する向きは少なくなかったようだが、ユダヤ人受けは特に良かったようだ。
ハリウッドの映画会社創設者は皆ユダヤ人であるところからも、彼らの支配力~影響力は無視できるものでは無かろう。

この映画がその時期に上映できた事は大きいものであったはず、だが。

The Great Dictator005










ダーケストアワー 消滅

The Darkest Hour001

The Darkest Hour
2011年
ロシア、アメリカ

クリス・ゴラック監督
ジョン・スペイツ脚本


エミール・ハーシュ、、、ショーン(アメリカから来たIT起業家)
オリヴィア・サールビー、、、ナタリー(モスクワに遊びに来たアメリカ女性)
マックス・ミンゲラ、、、ベン(ショーンの相棒、IT起業家)
レイチェル・テイラー、、、アン(ナタリーの親友)
ヨエル・キナマン、、、スカイラー(モスクワのIT起業家)
ヴェロニカ・ヴェルナドスカヤ、、、ヴィカ(ロシアの少女)


エイリアンのフィギュアの斬新さと幾ら人を殺しても灰しか残さぬ点に品を感じる。
光の使い方と無慈悲な他者観が物語をスッキリシンプルなものに際立たせていた。
「地球滅亡までの~」とかいうコピーが昨日からの繋がりに思え観てみたが、地球としては安泰のようだ。

モスクワのクラブでショーンとベンはアメリカ人の女性ナタリーとアンと出逢う。
意気投合して仲良くなりかけたところで電気が消える。
何が起きたのかと、他の客と共に外に押しだされるように出てみると、夜空に妙な光が無数に灯っており、ふいに落下すると光は消え去った。
そこを調べようと警官が近づいた途端、彼は一瞬にして粉々になり灰と化してしまう。
皆驚き、チリチリに逃げ惑う。その光の物体に触れたところで人は直ぐに破壊され灰となって行く。
彼ら4人も逃げ回るが結局クラブの中に籠ることとなる。そこに商売敵?のスカイラーも加わる。
数日後恐る恐る外に出てみると、辺りには砂が積もっているだけで人の気配はなかった。
それから彼ら5人は、生存者を探して静まり返った街の捜索に出てゆく。
人っ子一人いないモスクワの荒れ果てた廃墟のような街がなかなかのもの(これはセットでは無理)。

The Darkest Hour004

相手は電磁波生命体なのかと思って観ていたのだが、どうやら電磁波のバリアで身を守るエイリアンであるようだ。
面倒なのは光るとき以外は人間の目には見えないこと。
接近してくるときに、電球が光ったり、携帯が鳴り出したりする。それを手掛かりに立ち向かうことになる。
敵は生体電磁波に反応し人を見つけては殺傷していた。
人間のような視覚や声に対する感覚はないようだ。
かなり秀逸なエイリアンデザインである。レベルが高い。

われわれは身を隠すときは、ガラスに身を寄せる。
電磁波を吸収する為、相手から察知されないで済む。
ただ逃げるにも、電気系統が駆動の重要な役割を持つ自動車、バイクなどは全てえんこである。
何であっても全力で走って逃げるしかない。
ここは心許ない。追いつかれたら御終いなのだ。

The Darkest Hour005

逃げてゆくうちにビルの中に灯を認める。だが、その灯を見つけたスカイラーはエイリアンに敢え無く殺されてしまう。
どんな場合にも確率的に何処かに生存者はいる。
そして生き残っているということからして、必ず状況に対し何やらアドヴァンテージをもっているもの。
マッドサイエンティスト風の技師が、ファラデーゲージで守られた部屋に潜みエイリアンを撃退する電磁波砲を作っていたのだ。
そこには、この部屋の灯を頼りにやって来たロシア少女のヴィカもいた。
登場人物にはさして重きを置かれていないこの劇中、ヴィカには感情移入可能なキャラクタ性を感じる。
(実質的ヒロインのような)。

The Darkest Hour006

ここで作戦を練るが、物資を集めに行った帰りにエイリアンに見つかり、ゲージに慌てて帰るなかでアンも命を落とす。
そして電磁波砲開発者のロシア人もその武器の有効性を見せつけたのだが、2発目を撃つ前に殺害される。
このような展開が続き、緊張は途切れることが無い。
ほぼ主役で安心していたベンも窮地に陥ったヴィカを救援する際に敵に見つかり灰にされてしまう。
このかったぱしから先住民を片付けているエイリアンの目的は、どうやら空高く地中から吸い上げている地球の地下資源であるらしい。資源だけ吸い尽くして星間移動する連中のようだ。

The Darkest Hour002

プロメテウスのスタッフによる作品とあったが、特別凝ったことはせず手堅くストレートにタイトに進む。
ロシア人のマッチョな愛国者によるエイリアン撃退チームと3人は邂逅し、例の電磁波砲も複製し、河に停泊する原子力潜水艦に乗り込む目的でエイリアンが沢山待機する地区を皆で横断する。この時、彼らが乗る船が座礁し、エイリアンが攻撃を仕掛けてきた際、ナタリーが逸れてしまう。
潜水艦の出発を延ばしてもらい、彼ら全員で彼女の救出に向かう。
ここで、バスに彼女が隠れていることが分かるが、すかさず敵も乗り移って来る。ショーンは電磁波砲を撃つがとどめにならず彼の直ぐ足元まで光の触手が伸びてくる。このときわれわれは荒唐無稽な追撃を目の当たりにする。撃退したエイリアンのプロテクターの破片をバックから取り出し、相手目掛けショーンは投げつけるのだ。何なんだ?と思ったがそれが功を奏したらしく、敵は爆破して消える。
結果良ければすべてよし。テンポの速い映画であるから今のは何かなどと踏みとどまる分けにはいかない。
作戦で狙っていた水を使った連鎖攻撃もヴィカの機転で成功する。これは分かる範囲だ。

The Darkest Hour003

結局マッチョ隊も皆無事で彼らは引き続き祖国を守るため残り、3人は潜水艦に乗り込み、侵略者を本格的に迎え撃つ希望に燃える、、、。
世界中がエイリアンに対して反撃に転じたことが艦内で確認される。
希望を感じさせつつエンドロールへ。


何と言うかスーパーフラットな(SF)映画であった。









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