夏の妹

Dear Summer Sister
1972年
大島渚 監督
田村孟、佐々木守、大島渚 脚本
武満徹 音楽
栗田ひろみ、、、菊地素直子(中学生)
石橋正次、、、大村鶴男(ツルの息子)
りりィ、、、小藤田桃子(浩佑の婚約者、素直子のピアノ教師)
小松方正、、、菊地浩佑(素直子の父親、判事)
小山明子、、、大村ツル(浩佑、国吉の旧知の女性)
戸浦六宏、、、照屋林徳(唄者。鶴男の師匠)
殿山泰司、、、桜田拓三(船内で知り合った旅行者)
佐藤慶、、、国吉真幸(地元警察の部長、浩佑の旧知)
1972年に返還された直後の沖縄県が舞台。
特に政治的思想が前面に浮かぶような妙な力みは見られない。
本土と沖縄の人間との間の齟齬などと謂うより、沖縄に兄を探しに来た素直子と義母となる桃子との鶴男を巡る確執が軸になって動いているように見える。

この2人の女性の良い意味で素人っぽい演技がとても魅惑的な展開を生み愉しむことが出来た。
大島渚監督はキャストに素人を抜擢することが多く、しかもミュージシャンを好んで選ぶ。
この映画でもまさにそうだ。
それが大当たりという感じである。
ベテラン女優がやったらこんなに瑞々しく擽ったい爽やかな雰囲気にはならないと思う。
もっとずっしり情感が重く圧し掛かるようなものになりそうだ。
鶴男が桃子を一度も逢っていない自分の妹、素直子と勘違いして、夏休みに沖縄に誘う手紙から始まり、出逢った3人の思惑がそれぞれ作用しあい動き出してゆく仕掛けである。

カラッと明るい沖縄観光ムービー的には、勿論ならない。
沖縄独特の光の下で終始不穏な空気が漂っている。
この微妙なバランス感覚が異色の作品に感じられるのだが。
やはりヌーベルバーグか。そのしなやかさにおいて。
音楽(音響)が武満徹である。この演出効果がとてもマッチしている。
(大島監督の音楽の趣味は良い)。
野坂昭如とのプロレスラーの場外乱闘みたいなのをやらかすセンスが活きているのか。

夜のホテルの宴会と真昼の浜辺の登場人物が全員集まり雑談を交わすシーンも、とても微妙で構図の動きも面白いのだ。
癖のある人物が集まり、どうでもよいようなところから噺出すのだが、語りも歌も間もそれぞれの動きも何とも言えない。
感覚的なことばでキャッチボールを愉しむようなものではないが、論理的に主題を突き詰めてゆくようなものでもない。
明るくも暗くも軽くも重くもないような。やはり一番の中心に成ってしまうのが素直子の兄探しを巡る話題となるところ。
栗田ひろみの菊地素直子とりりィの小藤田桃子が絶妙な立ち位置で混じっている作用は大きい。
脚本とか演出も意図したものだろうが、やはりキャストそのものの素材的な魅力であろう。

飽くまでも自分の素性を明かさず勘違えを(実は気づかれているが)正さず、流れに身をもたせてゆく桃子の気持ちに、素直子同様惹き付けられてしまう。
桃子の後を尾行して彼らの様子~逢瀬の一部始終を盗み見するところなど、こちらも素直子と同じ視座で見てしまうのだ(笑。
いずれにせよ、鶴男は桃子(素直子ととりあえずしているが)が実の妹でないことが分かった前提であのように付き合ったのだろう。ホントに勘違いしたままでは、到底無理である。
また、鶴男は、自分が大村ツルと国吉真幸との間の子なのか菊地浩佑との間の子なのか、という疑問に悩み葛藤するような素振りが全くなかったが、その辺に囚われない性格なのか。沖縄が本土に還ってこようがそうでなかろうがどうでもよいといった感じの青年でもあった。
最後に、ロングショットで捉えられる、ずっと一貫して日本と沖縄の問題を抱え持っていた日本代表の桜田拓三と沖縄代表の照屋林徳が船の上で急にもみ合いとなり桜田が照屋を海に突き落として突然エンディングとなる。
この切り方がとても印象深い。
贖罪の言葉を神妙に語っていた桜田は、浜辺の集まりなどでは全くそんな気持ちなどないような会話を楽しんでいたものだ。
その男が最後に照屋を突き落とす。ちょっと監督のメッセージは感じざるを得ない。
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