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幻想の対象化へ

Anton Lehmden001

実際の作業には時間がかかるが、ゆっくり着実に前のめりに進めてゆきたい。
自動的に増殖するイメージの消費と相克、そのさなかでの現実の虚構化。
これはあらゆる場において留まることを知らない。

幻想=表象として思考する反復の限界と、その鏡像関係の閉塞に関して。
その欲望を投影する自明性を不透明にすること。
自己疎外のメカニズムを晒す。

無意識的で根源的な思考及び想像力の場にゾンデを垂らす。
様々な幻想の相互浸透する波間の~両義性の中へと。
だが実際、そこが生きた現実~時間ではあるのだ。

幻想を意図的・創造的に描く画家たちは、極めてそれに自覚的だ。
幻想を対象化するための強靭であり極めて脆弱な身体性に全てを委ねる。
その目覚めの時の喪失感から遡り、無時間の世界の定着を図る仕草は、、、

余りに完璧で理路整然とした果敢無い夢の断章の捕獲にも想える。



外は雨

gouu.jpg

外は大雨の音が間断なく続く。
台風の為の市の避難勧告メールが3度もけたたましく鳴った。
内容を見るとまあ、物々しい事。

わたしのいる場所は、山もないし、全くの平地で窪みもなく水も溜まらない、河もない、、、
と思ったとき、高校時代の同じような大雨台風の時の事を不意に思い出した。



それは当時、学校でいつも一緒に行動していて、帰りも飲み食いするなと注意を受けていながら、毎日学校のすぐ隣の店で必ず飲み食いして帰った友達のことだ。

彼は体が丈夫な気さくな頑張り屋さんで、ちょっとしたことでは動じないタイプである。
勉強もよくやっていたが、お父さんの影響でアウトドアの活動一般に強く、火おこしやテント張り、飯盒炊爨など得意であった。
ある日、滅多に使わない近くの有名なローカル線(わたしの住む地区を真ん中にして三角形~三辺に鉄道が敷かれているがその中で飛び切りローカルな線)に乗っていた時、その線路の間近の土手の斜面で彼がヤマトイモ(彼の後日談)を一生懸命掘っていたのを見た。そのイモは根深くて掘るのが大変なのだとか、、、。

かなりのインパクトであった!
わたしにとって彼は一目置く人間となった。
(それまでもキャンプなどで、彼の偉大さをひしひしと感じることはあったのだが)。

彼は帰りは途中まで自転車で一緒に帰るが、わたしはすぐに家に着く距離のため途中で分かれ、彼は延々と走って坂を二つくらい上り下りした先にある緑の茂る地区に住んでいた。
わたしと言えば、小・中より高校は近い場所にあり、しかもその近さでは自転車通学は認められていないのだが、抜け抜けと自転車通学を取り付けていた。規則にはことごとく抜け穴がある、、、(チョイ悪。
登校後に忘れ物に気付いても自転車で余裕で取って来ることが可能であった。
同級生に2時間半かけて学校に来る子がいて、彼ら(彼女ら)は実にしっかりしていた。
これは堕落するわと我ながら思ったものだ。

ある日、真面目で健康そのものの親友である彼が無断欠席したことがあった。
誰も気にしなかったが、わたしも珍しいとは言え不思議に然程気にもならなかった。
どうしたのかその晩に電話でもしただろうか、、、覚えていないが。
一日開けて、彼は登校して来た。
明るく挨拶を交わしたところで、誰かが、お前昨日どうしたんだと聞くと、みんな注目した。
(やはりわたしはその理由を事前に聞いていたような気がする、、、)。

日頃水枯れでほとんど水の流れのない河が彼の住む地区にあることだけは、誰もがうっすら知ってはいた。
その河が大雨で増水して氾濫(彼の言による)したのだ。
(確か早めに家に帰され夕方から晩あたりに豪雨が降り、あくる朝はもう下火で普通に登校というパタンであったような)。
彼は自転車だけでなく家に帰ると原付も乗りまわしていた。
そのバイクごと水に押し流されて次の日学校に来れなかったのだという。


彼はそれを耳にした周りから大爆笑の渦に取り巻かれた。
わたしも涙を流して腹を抱えて本気で笑い転げた。
(知っていても改めて面白さに火が付くことは多い)。
日頃、慎ましやかで凛とした知的な女子生徒(ある意味マドンナ)も大笑いしているではないか。
何がそんなに可笑しかったのかは、謎である。
ただ、あの時は笑いが爆発して止まらなかったのだ。
笑いだけがその場に存在していた、と言ってもよい。
そういえば、日頃あまり笑いがなかったようにも思う、、、。
そのお茶目な非現実性が連鎖的に、ある無意識的なスイッチを押してしまったのではないか、、、。


彼もその時ほどみんなから笑いが取れたことはあるまい。
あれからもう随分経ち、何処でどうしているかは知らぬが、彼の事である。
しっかり堅実に生きていることは疑う余地がない。


相変わらず雨音は一定の激しいリズムを刻んでいる。
明日あたりは、きっとあの河も増水していることだろう。



ロボット作り

tetsujin28

今日は、長女の助手として、木製ロボット制作に勤しむ(笑。
パソコン設定と外出先の携帯と家のプリンタを繋いで、という依頼に応えてから一休み、カルピスソーダを飲んでいたら彼女が「もしかしたら明日学校があるかも知れない」と言って宿題の相談に来た。
明日学校がなければ、ボヤ~っと遣るのを持ち越すつもりだったか?

ロボット作りが遅れて宿題で持ち帰ったというのだ。
一番の得意分野ではないか、、、家でも自主的にやっているものだろうに。
頭と胸と腕まで上半身は作ったはよいが、その後のイメージが沸かないと言う。
持ってきた材料をみたが、これと言って変わった事が出来る余地もない。
所謂、小さな木っ端ばかりである。
結構、厳しい。

「第9地区」のエイリアンを想い出し、腹はうんと痩せていてもよい(羨ましい)という考えで同意し、ウエストのうんとくびれたロボットを計画した。
脚はノコギリで同じ長さを切らせたはずだが、ノコギリの加減もありかなり片方が斜めに切れてしまった。
その傾斜部分をやすり掛けさせたのだが、長さが異なってしまう。
脚の長さは足の厚さで調整することになる。
味のあるロボットになるだろう。

厚みの違う足で長さが同じになり、胴体に接着する。
どんぐりの実が幾つもあるので、それを両目と頭につけるアンテナにも3つほど接着した。
脚とアンテナがかなり長い上半身だけマッチョなロボットが出来た。
チャームポイントは長いアンテナである。

この作品は、生徒全員の屋外の作品展に出品するものらしい。
時期から謂って、雨は大丈夫であろうか、、、。
搬入~展示~搬出と先生方には大変な行事となろう。

今日は朝の洗濯物のやり繰り(笑、から鉢植え植物の移動に始まり、かなりの仕事量であった。
ただ休みの日は、食事はゆっくり出来ることが救いである。
どこかでゆっくり出来ないと、、、娘たちはこれからが色々やることも増えてきて大変だろうな、、、。
他人事とは言え(爆。


結構面白可笑しいロボットになったので写真に撮った。
作品展から戻ったらアップしたい(笑。



パソコン戻る~速い

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結局、パソコン本体のハードエラーということで、取り換えとなって今日の昼過ぎに届く。
すぐさま箱から取り出し、ネットにつなぎプリンタに繋ぎ、必要なソフトを軒並みインストールし、但しくれぐれも使う頻度の少ないものはインストールしないようにして(ここが肝心。あれば便利かな、とかいうソフトは入れない。必ず使うもののみにする)、使用準備を整える。

4時前に全て済み、外付け光学ドライブでBlu-rayの映画を観る。
ちょっと迷ったが、ジャッキー・チェン主演のもの、二つばかり、、、。
問題なく観切った(笑。

面白かったが、映画の感想は書くほどのものではない。
ただ面白かった、ではどうにも、、、。

何故、外付かと言えば、DVDの読み書きの光学ドライブしか付いていないのだ。
家にドライブがあったのでUSB接続でこの先もやっていくつもり。
メーカーによっては、ハイエンドでさえもBlu-rayドライブは付けないところが幾つかある。
(それどころか、光学ドライブを付けない薄っぺらいタイプがどんどん増えている)。
そういう流行(Macから広まった)であり、メーカーのポリシーでもあるのだ。

それはともかく、とてもキビキビ動いて気持ち良い。
体感速度が速い。
それに越したことはない。
データ上速いことになっているが、ちっともそう感じないモデルもあったりする。
これは思いの外、速い。
このスペック、8Gメモリで240GのSSDで、Core i 5であると、DVDドライブとは言え新品は安いところでも11万円代はしてしまう。
オフィス互換ソフトも付いており、普通に文章書いたり、表を作るのには困らない。
コスパは凄く良いと思える。一番、好感を抱くのは速さだ。


筐体の程よい使用感(笑、を隠すために娘たちが持っている可愛らしいシールを貼ってみた。
シールが貼られているノートパソコンを見て以前、勿体ないと思ったことがあったが、これには丁度良い。
子供にもわたしにも充分使えるペイントソフトもインストールした。(GIMPの他に、お絵かき専用のものを子供が欲しがっていたため)。
音楽編集ソフト、エディター、リネーマー、画像比較ソフト、勿論Blu-ray再生・書き込みソフト等々は入れた。
しかし余計なものは入れない。
所謂、SSDをシステム、HDDをデータという構成ではなく、SSDのみなので、必要最小限で行かなくてはならない。

ともかく、キビキビ動くのでかなりの満足感はある。
ソフトは少なめが良い。
データは基本的に外付けHDDに入れてしまうので、本体は大きいものは必要ない。
今企業のノートなど、本体には一切データをしまう事が出来ないものになっている。
これで盗まれたり壊れても問題はない。
でも全てクラウドというのも何とも、、、仕事用ならそれまでか。
自分のパソコンであったら、これはHDDにこそしっかりとっておきたいという愛着あるものが自ずと出来るものだ。
昔3Dで制作した「鉄人28号」や絵本用のクロッキーは、外付にも内蔵にもしっかりとってある。


ともかく、今度の新しい(中古)パソコンは、結構使える予感がする。
娘たちのものが主になるだろうが、、、
沢山お気に入りデータを作ってしまいそうだ(笑。




続きを読む

マルセル・デュシャン

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画家、彫刻家、チェスプレイヤーである。
絵画(油絵)を1912年以降、放棄してからは、チェスに没頭していたようだ。
ダダの芸術家たちとの接触、一時はその中心的位置(ニューヨーク・ダダ)にいたが、シュールレアリストとのコラボも経てゆく彼は、そのいずれのグループにも所属はしなかった。常に違和を唱えていた。
何らかの組織に帰属することは徹底して拒んでいる。
そして彼はヨーロッパ(フランス)に見切りをつけアメリカに飛んでいる。

但し、ダダイストであるフランシス・ピカビアには多大な影響を受けたようだ。
『人間機械論』のピカビアである。(わたしは彼の「機械の時期」が大好きだ)。
ピカビアの追求した機械の美しさはデュシャンに色濃く受け継がれていると見られる。
『チョコレート磨砕器』、『回転ガラス板』、『地上稀なる絵画』等に特に色濃く反映されていると思う。
勿論、『大ガラス』を忘れてはならない、、、。

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『階段を下りる裸体』(No.2)が未来派やキュビズムの画家たちにすら理解されなかった。
これ以降、彼は絵画制作から急速に遠ざかる。
「裸体は階段を降りない」という批判はこの絵画に対する批判たり得るか?馬鹿げている。
「題名だけでも変えろ」などという忠告も受けデュシャンは呆れかえった。
ここには他のどんな絵画よりも「運動」が優れて捉えられている。
未来派やキュビズムの最高の成果とも受け取れるものだが。

クールベ以降の絵画は「網膜的になった」という批評を美術界に放って以降、彼の作品は油絵からコンセプチュアルアートと呼べるものへと移行する。
単なる「網膜的な愉しみ」に終始している藝術を終わらせる彼の企てであろう。
レディ・メイド、匿名芸術、複製芸術、死後の芸術、インスタレーション、、、
などの様々な方法論によって「観念芸術」を試み、意欲作を作成する。
チェスにも通じる「思考の愉しみ」の為の芸術か。
レディ・メイドをはじめそれ等に対し彼は明確な定義をはぐらかすような言葉「私は何もしていない」などと騙っていた。
特にレディ・メイドは、既製品をそのまま、叉は手を加え(修正し)て自分のサインすることで出来上がりとするオブジェ作品である。
この衝撃は実際、大きかった。
実質、ここからコンセプチュアルアートが始まっている。

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絵具や支持体を使わぬ作者の手もほとんど介さぬ作品群である。
もっとも『大ガラス』はガラスを支持体にはして何年もかけて(確か8年くらい)入念に制作されている。
ガラスの間に埃などを挟んだりしていた。
無論他にも、油彩、ガラス、鉛の箔、ヒューズ線も挟んでいる。

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ローズ・セラヴィ名義で作品発表、、、自身の「性」と「宗教」の移行でもある。男ー>女、カトリックー>ユダヤ教となる。
女装もしている。何処となく南伸坊さんを思い浮かべる。森村 泰昌氏のそれとは違う。
作家自身も変身~作品化するのだ。
『ローゼ・セラヴィ、何故くしゃみをしない』(鳥篭に角砂糖型の大理石と温度計とイカの甲が詰められている。見るからにクシャミしたくなる。しかもたいそう重そうだ)、『ベラレーヌ: オー・ド・ヴォワレット』(リゴーの香水瓶のラベルを自作のものに付け替えている、、、こういうのやってみたい)。この辺はローズ・セラヴィ名義である。

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彼の作品は、その題名が重要な役割を果たしている。
少なくとも作品を読む糸口には違いない。題名が作品の一部とも謂えるものもある。

『階段を降りる裸体 No.2』キュビスム更に未来派の手法を用いて描かれている。「屋根瓦工場の爆発」と揶揄されるが本作でデュシャンの名が知れ渡る。
『泉』逆さまにした男子用小便器に「リチャード・マット」と署名した作品。レディ・メイドの傑作。アルフレッド・スティーグリッツによる写真が残されている。尚「泉」は誤訳で「噴水」であるという説があるが、わたしもそちらに賛成である。
『彼女の独身者によって裸にされた、花嫁さえも』(『大ガラス』)運搬中にガラスに罅が幾つも入ってしまったことを彼は喜んだという。これは、本当に大作というオーラを感じる。結局、未完ということになった。
『遺作』「1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」は彫刻であり、インスタレーションである。木の扉の穴から中を覗くと、見事に仕掛けられた白日夢(と、よく謂われているが)の世界が広がっている。
視覚のシステム~問題を様々な形で批評して来たその最後の作品と謂えるか。

『自転車の車輪』、『ビン掛け』の両作品は妹によってごみと間違えられたか処分され、現存しているのはその再現作である。
『折れた腕の前に』レディメイドの最初の作品。
『秘められたる音に』レディメイドの初期の作品。
『L.H.O.O.Q.』モナリザに髭を付けた作品。
『グリーンボックス』メモ集。断片的な解説?箱に収められている。ちょっとドキドキする。箱に入れておく意味は小さくない。
『トランクの中の箱』限定300個制作。
『髭を剃られたL.H.O.O.Q.』モナリザの複製画に自分のサインを施した作品。複製品のまんまでもある。
『ホワイト・ボックス』メモ集。科学的なもの(4次元に関する)。箱に収められている。これもドキドキする。
『贈り物』アイロンに釘が一列に接着されたもの。
等々、、、。

題名がやはり示唆的で意味深い。
その作品鑑賞に分かちがたく結びついている。
更に『グリーン~ホワイト・ボックス』など、作品制作の設計図~全体的なコンセプトも併せて用意された。
中西夏之の作品も設計図?を元に後世の人が制作できるようなものとなっていたが。

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『大ガラス』上部の「花嫁」の領域と下部の「独身者」の領域に分けられるこの作品は観ていて飽きない。
わたしにとって、とても不思議な作品だ。
複雑さがこれほど美しい造形を生むのはとても衝撃的で新鮮で不安でもある。
マルセル・デュシャンというとやはりこの作品が真っ先に頭に浮かぶ。
この作品の謂わば解説のようなものが『グリーンボックス』である。
読むと彼の思考プロセスとコンセプトが浮かぶと同時に更に謎が深まる類のものだ。
それもデュシャンの仕掛けのひとつであろう。
アンドレ・ブルトンに高く評価された作品でもある。

この作品については、またの機会に触れてみたい。余りに絶妙過ぎて、深入りする気はないが(爆。

夜のしじま

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今夜は、昨夜に続き、佐治晴夫博士の例のエッセイで、はじめて知った詩人の詩を読んで眠るつもり、、、


そう、昨夜書くのを忘れたのだが、「考えることを省略する方向に向かっているこの社会は、恐ろしいですね。」
とあった。
考えなくても流されていけば何とかなるという風潮に対しての結びである。


自分にとって自明であること。
いや、意識が対象化すらしない事柄。
それらがかなり肝心な(実に不安定な)下部構造~基盤であったりする。

人の身体は何故、このような形体をとっているのか、、、。
佐治先生の本では、、、
1.太陽と地球との距離が1億5000万㎞だったこと。
2.地球の大きさが、直径1万mだったこと。
3.地球の重さが6の24乗㎏だったこと。
この3つから、いまあるこの形でなければならなかったことが物理学的に導かれることがさらっと記されていた。
パラダイム(思考の枠)について考える以前に、こんな疑問と解明があって然るべき。
(この辺から思考し想像してゆくSF映画が作られないといけない)。


更に、自分とは何かと考える前に、「自分で自分の顔を見ることは、一生ない、、、」という現実~生理を受け止めておく必要があった。
謂うに及ばず、「写真や鏡で見る自分の顔。」しか観ることは叶わない。
それは、左右反対であったり、極小の点~銀粒子や光点や編み目の集合体であったりする。
自分の顔を自分で観ることは一生ない。(この顔から目を引き離せない身体性の特性)。
純粋に関係性から思考と想像によって考えるしかない必然の大元なのかも知れない。
つまり「あなたは、あなたでないものからあなたになっている、、」事実の重さである。
自意識と哲学の生じる間~場であろう。

ほんとうにさらっとした、優しいエッセイであるが、汲出そうとすれば底知れないものが浮かび上がりそうだ。
自己解体の契機ともなる刺激に充ちている。
(この本には彼のお得意な数式や計算、グラフなどは一切ない)。


ここで初めて読んだ詩人の「しずかにしてね」(こわせたまみ)

しずかにしてね

しずかにしてね
ふうりんさん
ならないでね
いま
あかちゃんがねんねしました

しずかにしてね
カーテンさん
ゆれないでね
いま
あかちゃんがねんねしてます


今宵はいつになく外が静まっている、、、。
鳥は寝静まり物音ひとつしない。
こんななか、、、

(重力波はしっかり人の耳に聴こえる。その音はTVで流されていた。これ程録画しておいてよかったと思ったことはない)。


お休みなさい、、、、。


好きなことをやる

gravitational wave

理論物理学者で理学博士の佐治晴夫氏の最近の本を読んでいたら、その文脈で大変納得出来るところであった。
(「ぼくたちは今日も宇宙を旅している」PHP出版)

「好きなことをやる。特に、芸術。」
「自然体で、、力を抜いて、ポジティブに楽しく。
自分の気持ちに無理をさせない。」
という箇所が特にこころに残った(笑。

勿論、本全体が魅惑的で示唆的なセンテンスで一杯なのだが、今日はこれが一番ひっかかった。
この本は先生の必ず数式の一杯出てくる他の書とは異なり、優しい詩集のような雰囲気のエッセイである。
(絵本でさえ数式だらけである。それが魅力のひとつではあるが)。
何でも身近な自然現象から138億光年先の宇宙の事件まで全て数学で語ってしまう人だが、その間の言葉も面白くて、そのコンテクストで妙に光って引っかかり気になる言葉があったりする。

最近、わたし自身、運動不足から体調が気になっていることもあってか?
体重増加は問題である。(以前は細すぎてひとから心配されてきたのだが、、、その頃が懐かしい(爆)。
そして「好きなことをやる」ことが、元気で長生きの秘訣と結ばれる。
全く道理であるが、こういう方から謂われると深く納得してしまうものだ。
親から謂われても何も感じないだろうし、第一そんなことは言われた試しもない。
真逆なことはしょっちゅう言われてきたものだが。

やはり覚醒と自覚の問題である。
それ以外に、ない。

ぼくたちは今日も宇宙を旅している、のである。

中性子星の合体による重力波の初観測に成功 のニュースで天体好きは色めきだっている。
これまで4回はブラックホール合体の重力波検出であった。
しかし今回は重力波望遠鏡だけでなく、電磁波観測でもその現場をピンポイントで確認した。
(「マルチメッセンジャー天文学」と謂うそうだが)。
光で捉えたのは初めてである。
美であるとしか謂えない。
未来派の画家たちであったらそれをどう消化~昇華するだろうか。
そこなのだ。
われわれがこのような素晴らしい成果がありながら、日常ルーチンの中に埋没してただ線状的生活を送っているだけだとしたら、何と勿体ない事か、、、。

自分なりに引き付けた(自分の生活史に関連付けた)形に接続~生成してみるドキドキ感はもってゆきたいものだ。
恐らく絵はその方法のひとつだろう。
作曲の好きな人は、音楽づくりに、、、。
詩も勿論、、、リルケなんてまさにそれ。
日本でも沢山いるが、その極北は、稲垣足穂かも知れない。
あの「一千一秒物語」
あの書物は、宇宙のゆらぎや素粒子の振る舞いの文学における実験の香りがする。
それはきっと重金属の生成の時に発するものだ。

何と今回の発見で、鉄よりも重い金やプラチナ、レアアースなどの、重元素の誕生シーンもとらえられたという。
Advanced LIGO(アメリカ)とAdvanced Virgo(ヨーロッパ)の共同観測でこれが中性子星の合体であることを知り、世界中の電磁波観測チームに連絡をしたらしい。(スバルとか、、、)
それで可視光やガンマ線、X線や赤外線、、、による観測も可能となった。
(やたらと出来過ぎの劇的な画像が一杯目に付くが、、、確かに劇的なシーンには違いない)。


1億3000万光年の距離にある出来事である。

今夜の夢に出そうだ。


中古パソコンを買ってはみたが、、、

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娘に実は今から4年半くらい前に宮沢賢治のCD絵本を見せたいばかりにXPノートを二つ買い与えた。
この頃すでにWin7がリリースされている時期であるが、エミュレーションソフトのバーチャルPCをXP上で動かすしかなかったのだろう(もうはっきり覚えていないが)。絵本ソフトの起動環境がWinSEまでであり、確か7上ではそのエミュレーションソフトは使えなかったはず。7でも他に手はあったかも知れぬが、XPまでで作動するアプリケーションが結構たまっていて、その環境を残しておきたい理由もあった。

キッド・ピクスや学習ソフトなどを(遊び感覚であるが)やらせながら(学習の為として買った名目上)、何よりも古い「幻灯機」を見せるような感覚で「やまなし」などを絵本風にバーチャルPC(エミュレーションソフト)上で見せていた。
わたしがまず観たかったのであるが。
残念ながら今聞くと娘たちはもう覚えていない、、、。

もうここのところ見る余裕もない毎日を送っているが、改めてじっくり観てみたいものだ。
特に「やまなし」はたまらない。
言葉にならない「遊星的郷愁」に染まる。
切ない気持ちにすらなっている。
これについては、姉妹ブログの”夏にもってこいのお宝紹介!1点 ”やまなし”画本宮沢賢治CDROM”にあるので、詳しくはそちらを参照の程を。
ただし、夏もよいがどちらかと謂えば、冬の方が合っていると思う、、、これからである。
ただ単に、夏に観たとき感動したくらいのはなしではないだろうか(当時どう思ったものか忘れたが)。

だが、そのノートいよいよ普通に使うのが厳しくなってきた。
最近はキッド・ピクスではないお絵かきソフトを使いたがるし、もうネット接続も出来ないOSである。
パソコンの動きも遅くなっている。
アニメ映画の鑑賞には使っていたが、、、
それもだんだん遠のいて来た。
しかしそろそろ、文章入力をやらせたい。
パソコン上でのお絵かきもしっかりやらせたい。
ということで、一台だけ宮沢賢治・絵本鑑賞用に残して片方を処分し、4年くらい前に出たCore i 5の第三世代プロセッサーにサムソン製SSD240GBに8GBメモリのノートの中古を買った。
以前娘たちに買ったパソコンよりスペックは上である。

いま家で主に使っているのがCore i 7のSkylake-HQ世代の4コア(8スレッド)のもので、SSD(システム)とHD(データ)の組み合わせでメモリは16GBのもの二台で全てやり繰りしている(主にBlu-rayの映画もそれらで観ている)。
片方にはNVIDIAのGeForceのグラボがついているが、(3D)ゲームはやらないのでちょっと無駄である。もう片方はタッチパネル操作が出来るが、わたしはタッチパネルが好きではないため、ここにも無駄がある。
いろいろコスパと使い勝手も考え、大胆に使うことも考慮に入れると数年前のミドル級パソコンでも普通に動けば、スペック的には問題ないということで、今回初の中古パソコンの導入に踏み切った。


しかし、しかしである、、、。
箱を開けて、ノートを取り出すとやはり使用感が少なからず、ある。
中古なのだからそれについては文句は言えない(やはり、、、)。
起動すると軽快にとても速く起動した(SSDだし)。
好感を持つ。
インストールされたソフトを一覧から確認すると、見た感じは余計なソフトはないようだ。
(ただしユーティリティなどここに見えないソフトはいくつもある)。
とりあえずは安心した。

だが、システム情報を見てびっくり。
メモリが4GBなのだ!
メモリは作業にとても影響大である。それより商品仕様が異なるのだ。まずそこが問題であろう。
ずさんな店なのか、たまたまのミスか、それともそういう店なのか、、、不安になった。

すぐにショップ・サポセンにメール連絡。
一日待ったが連絡なし。
あくる朝電話をすると、取り敢えずの謝罪はあれど、メモリスロット実際開けて確認してだと。
システム情報に出ない~物理的に認識しないモノが実際入っていたりでもしたらそれこそ問題であろうに。
実際開けてメモリを取り出し、ルーペで文字を確認すると2つのスロットに2GBがそれぞれ一枚ずつ、合計4GB(笑、であった。
笑ってる場合じゃない。
メールでお詫びの内容が届き、4GB×2を送ります。2GB×2は送り返してください、とあった。
パソコン自体を送り返す気でいたが、その方がこっちも楽かということで承諾。
手元に2GBメモリがあっても邪魔なだけだから、送料もたないので送り返すことはやぶさかではないが、それもメンドクサイ。
実際余計な時間をどうしても取られる。こちらはそんなに暇ではないのだ。

1日待つと、、、イライラしたが(本日)メモリが届いた。
電源外しバッテリー外し、やけにデカい裏面カバーを外し(メモリだけでなくHDに一緒にアクセスできるようにもなっている。大まかな作りだ)素早くメモリを交換した。もうノートだけで30台くらいやって来たし(ディスクトップ・タワーの方がずっと内部へのアクセス経験は多いとは言え)たかがメモリ交換である。そして、また電源を入れて立ち上げてみたところ、、、何と?
「メモリがreadになることはできませんでした」という不思議な呪文~アラートが出て、その先なんにも出来なくなってしまった。
初めて見たメッセージである、、、。
メモリの挿し方の問題かと思い、何度か抜いては挿しを繰り返したが全く事態は変わらない。

大概、特定のソフトとの関係というが、まだソフトのインストールも何もやっていない。
かつてわたしは、メモリエラーに悩んだ経験があり、メモリを送って貰う時、入念なチェックをお願いした。
(DVD鑑賞中に決まって途中で落ちる症状で、メモリ交換によってたちどころに不具合が消えたケース)。
今回は恐らくメモリ自体の物理的問題と謂うよりパソコン本体・ソフトの問題だと考えられる。
ユーパック封筒に入れる前に前の4GBに戻してみても、同じ症状が発動しているのだ。
そして、先ほどのメッセージを見るとその上部にNPSpeed.exe‐アプリケーション エラーとあった。
これはどうやらNECノート固有のシステム管理ソフトが何かをしているようだ。
NECも大昔に二台くらい使っていた記憶があるが、特に使い易かったり難かったり、トラブルの記憶もないのだが、、、。

パソコン自体が実質動かない~機能しないためそれを調べることが出来ず、サポートメールをしたがもう時間外である。
その結果は明日以降、、、。
かなり使っているパソコンでそのエラーが出た場合、問題を切り分けるには、最近やったことを想い出して行けば突き当たるようだが、(多くはインストールしたソフトが邪魔をしている。その関係が白であればメモリの物理的な問題となるか)。


わたしは、サポセン待ち(爆。
今日のところは以上。
明日は娘たちの社会見学で朝が早いため、わたしもお休みなさい(笑。





野の花~夜のひととき

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そろそろ娘にも弾かせたい遊佐未森の楽譜(表紙)

長女が最近、寝る前に読んでいる本が、(漸く自分で漢字も読めるようになったこともあり)「夢旅行」(ジナ・リュック・ポーケ)である。以前、読み聞かせをしてあげてからオウム返しみたいに読ませていた絵本だ(笑。
今は自分だけで何とか読める。

テーマが何かあるというものではない。
所謂、「おはなし」である。
(この「おはなし」を寝かしつけるとき、即興で作って話そうとかつて何度か試みたが思いの外、難儀なのだ。何でもないようなおはなしはかえって難しいものかも知れない)。

少し前まで寓話の王様みたいなイソップ物語の教訓にちょっと暑苦しさを覚え始めてきたこともあり、少しは教育的な含みは感じるが、情景を思い描くことに重点を置いている「絵本」でもあるこの本にしている。
特に彼女のお気に入りという訳でもないが、どことなく優し気でとっつき易いようだ。
ただし絵は面白い個性だが、そのエキゾチックさが、さほど親しめる類のものでもない。(日本人には恐らく)。

今日そのなかの「幸福の山」を読んだ。

草木のもえる幸福の山の周りに、道路が増えてくる。
そこをとても速く車が走って来るようになる。
次第に人々は忙しなくなってゆき、考えることもしなくなる。
機械が幸福の山のすぐ麓まで寄って来る。
山の管理人の庭師が、沢山の花の種を蒔き、花の力でまた道を覆っていってしまう。

また花を眺めながら人々がゆっくり考えごとに耽ったりできるように、、、。

特にどちらがどうという決めつけなどない。
ただ、人が草花を眺めて夢想に耽る時間は作りたいという想いはちょっと伝わる。
機械の速度は人を夢想や考える時間から遠ざけてしまう面は確かにある。


最近、庭のポーチュラカが少し離れた玄関の菊を植えた鉢にポツリと咲いていた。
それを見て面白がっていたのだが、風か鳥に種が運ばれたのだろうかと、話題にしていたところであったが、種から花が咲くことの面白さ~その神秘を実感している今日この頃だ。


夜ベッドに入るときは決まって「遊佐未森」を聴いている。
7枚くらいのアルバムからわたしが選曲したCDをかけているのだが、一番最後に入れた「野の花」が一番のお気に入りらしい。
わたしも大好きなチューンであるが。
その曲が流れるまで、聴いていることは50%くらいのようだ。
どれも儚げな草花の薫る自然のなかでの情景に充ちた曲ばかりだ。
途中の心地よい曲で不覚にも眠ってしまう事も多い(笑。


風吹けば君を想うよ 
いつでも
早過ぎる季節の丘に
生まれた花びら
差し出した僕の指先に
顔そむけて
吹きつける砂に散りそうな
薄紅色

時はいつも伝えきれない
想いだけを残して
春風が吹き始めるね もうすぐ
丘の上みんな目覚めて
寂しくないよね
空っぽの花瓶が窓辺で
影のばして
変わってく陽射しの角度を
眺めてる

                  、、、、 「野の花」(遊佐未森)

今夜は二人で、最終曲まで聴いていた。

先程、起き上がって来てこれを書いてまたすぐ眠る予定、、、。



犬神家の一族

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1976年
市川崑 監督
横溝正史 原作
小杉太一郎 箏曲「双輪」作曲

石坂浩二 、、、金田一耕助
島田陽子 、、、野々宮珠世
高峰三枝子 、、、犬神松子
三条美紀 、、、犬神竹子
草笛光子 、、、犬神梅子
あおい輝彦 、、、犬神佐清/青沼静馬
地井武男 、、、犬神佐武
坂口良子 、、、那須ホテルの女中・はる
小沢栄太郎 、、、古館恭三弁護士
加藤武 、、、橘警察署長
大滝秀治 、、、大山神官
寺田稔 、、、猿蔵
岸田今日子 、、、琴の師匠
三国連太郎 、、、神佐兵衛
川口晶 、、、犬神小夜子
川口恒 、、、犬神佐智
金田龍之介 、、、犬神寅之助
小林昭二 、、、犬神幸吉


今日は画家の噺でもと、思っていたらタイムリーにこれがBSで入っていた。
「犬神家の一族」は、”無責任シリーズ”と共に、観たいと思っていた映画であったので丁度よかった。
石坂浩二主演による”金田一耕助シリーズ”の第1弾となる。
(無責任シリーズに一族シリーズともに大ヒットした)。
お釜帽とトランクと絣の単衣の着物と羽織によれよれの袴で、ぼさぼさ頭と飄々としたスタイルは最初から確立されていたようだ。
(フケ症はちょっとやり過ぎかなとも思う)。
「わたしが全部作ったの。何が一番美味しかった?」(はる)と聞かれて普通に「生卵」と答えるところなどよい。
そして何より若い。走る姿も軽快だ。
(ちなみに、中原中也がお釜帽を好んで被っていたみたいだ、、、写真を見ても)。

他のキャストも豪華な顔ぶれである。
所謂、オールスターキャストというものか。三国連太郎があまりに勿体ない使われ方であったが。
島田陽子や坂口良子は実に瑞々しい煌めきがある。
特に最初の頃、犯人と疑われるなかでの野々宮珠世(島田)の毅然として凛とした姿は美しい。
身の危険もありながら湖の真ん中に単身ボートで出て行き、昼寝をしている余裕も素敵だ。
恐らくこの頃が一番女優としても良い時期だったのでは、、、。
女中・はる(坂口)もとても初々しく金田一に協力を惜しまない気さくで一途な姿に好感をもつ。
ただの女中にしては出番も多く金田一との掛け合いなどで映画のよいアクセントになっている。

そして何より「マスク姿の佐清」と「水面から突き出た足」である。
これは当時、色々な場面で使われたようだ。単なる真似やパロディで。
かなりのインパクトがあったことは想像がつく。
怖くて不気味で面白い。
受けるはずだ。(プールで真似した人が多かったらしい)。

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あくまでも金田一耕助は、探偵であり刑事ではない。
人を捕まえたり裁くことには興味はない。
捕まえるのは、ここでは「よし分かった。奴が犯人だ。」とすぐに早合点する橘警察署長であり、誠に頼りない。
単純で粗暴で暴力的である体制~世間の象徴的存在でもあろう。
ここで、風来坊(アウトサイダー)の彼が見事な推理で風穴を空け、颯爽とというよりそそくさと帰って行く。
(依頼者からのお金の受け取りシーンを丁寧に描くところも面白い)。

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基本、金田一耕助は人受けがよく、知り合う女性からは誰からも好感を持たれ、この物語で強面の猿蔵にも好かれてしまう。
母性本能を刺激するというか、どことなく頼りなげで人懐っこく、誰をも和ませる身体性がある。
そんなパーソナリティであるから、彼にはあなただけには喋りますがと、気を許してペラペラ大事なことまで語ってしまう。
あの口の堅い(自分で謂っている)大山神官でさえ、そうである。
彼が優秀な探偵であるのは、この辺がベースになっているところは大きい。
勿論、事件の謎解きや殺人のトリックを明かすことを無上の喜びとしている結果ではあるが。
(一族の相関関係図をとても丁寧に筆で書いている姿が全てを表している)。


ちなみに、わたしは犬神家の一連の殺人事件の犯人は皆目見当がつかなかった。
犯人が分かった後でも今一つ、実感はなかった。
そこまでやるか?という違和感は残った(爆。
ただ最後に野々宮珠世がしきりに犬神佐清に疑いの目を向けていたのは、彼の事を愛していたからだという事はよく分かった。
そこは成る程、と納得した(笑。


一度見ておいて損はない映画だと思う。
わたしとしては、島田陽子と坂口良子を発見した作品であった。


トイ・ストーリー

Toy Story002

Toy Story
1995年
アメリカ

ジョン・ラセター監督
ランディ・ニューマン音楽

ウッディ(カウボーイ人形)、、、声:唐沢寿明(確かに顔が似ている)。
バズ・ライトイヤー(スペースレンジャー人形)、、、声:所ジョージ
アンディー(ウッディやバズたちオモチャの持ち主の少年)
シド・フィリップス(オモチャを虐める悪ガキ)


もうこれが出てから20年以上経つとは、、、。
風邪をひいている娘と一緒に観たが、未だに古さは感じない。
(娘はモンスターズインクを見たがったが強引にこちらにした。あれはもう何度観たか知れない)。

しかし、、、流石は”Pixar”(Pixar Animation Studios)だ。
iPhoneといいiTunesといい、このPixarといい、スティーブ・ジョブスの慧眼による。
やはり彼の偉大な功績である。


普段、彼らは「おもちゃのルール」に従い、人間が来ればただのオモチャとなり、人気がなくなると生きた魂を持つ存在となる。
(この姿、はっきり言って今のAIロボットなどより1000年進んでいる、、、それ以上か)。
子供時代の一時期、そんな妄想に耽った経験は誰にもあるだろう。
オモチャは子供にとって不気味な何者かでもある。
特に人形は神秘(呪術)的な力もあり、持ち主との心の結びつきは強い。


さてここは、カウボーイ人形のウッディとスペースレンジャー人形のバズの出逢いから友情の芽生えまでのスリリングな物語の展開となる。人間はあくまでも脇であり、彼ら二人を主体とした噺である。
バズがアンディ一家にやって来るまでは、ウッディがオモチャ仲間のまとめ役で、信頼も篤かった。
しかもウッディは持ち主のアンディの寵愛を一心に受けていてその事が彼の誇りとなっていた。
だが、流行の最先端で機能も盛りだくさんの新入りのバズがアンディのお気に入りとなってしまいウッディは穏やかではない。
ウッディは背中の紐を引くと、「銃を捨てろ、手ぇあげな」くらいのものである。(数パタンあるが)。
そして何と言ってもカウボーイである。
バズの方は、アクションボタンでレーザービームを照射したり、翼が開いたり、ヘルメットが開閉したり、、、「無限の彼方へ さあ行くぞ!」(その他いろいろ)である。
ウッディは味があるが古さは隠せない木製の人形。バズはクールな最新のアクション人形である。
ウッディはバズに何かと突っかかる。
お互いに反目し合う。

Toy Story

ただ一つバズにも困った問題があった。
バズは自分が子供のオモチャではなく、本当のスペースレンジャーだと信じ込んでいたのだ。
ウッディがいくら言っても信じない。
成り切っていると、かなりの事が平然と出来てしまう事も分かる。
(空から落ちていても飛んでいるようにカッコつけて舞い降りてきたり、、、ある意味、真理かも知れない)。
ウッディが妬んで絡んできても超然とした態度で跳ね返し、物語通り銀河の平和を守るヒーローの志で行動をとっていた。
だが、アクシデントで窓から落ち、彼はオモチャを残酷な遊びで壊しているシドにウッディ諸共、捕られる。
シドの家のテレビで偶然、自分のCMを見る事で自分が最近売りだし中のオモチャのひとつだという事実を知り、意気消沈してしまう。(オモチャの自己認識の違いとは面白い点を突いたものだ)。
もうそれまでの勢いも何も無い。

ウッディの方は仲間のオモチャたちからは、妬みからワザとバズを窓から突き落とした悪者扱いされ「オモチャ殺し」とまで言われる始末。
ウッディもバズをシドの家から救おうとして二人とも捕まってしまい危機に陥る。
シドは強力なロケットをバズに取り付け空高く飛ばすつもりであった。
何とか助かろうと手を尽くすが、アクシデントもあり追い詰められる。
ウッディがかつての仲間たちに助けを請うも、人望を失っており協力を得られない。

シドの手から逃れ、引っ越しするアンディー一家の車に何とか戻る為に、ウッディとバズは力を合わせ奮闘する。
シドにグロテスクに改造されたオモチャの人形たちもウッディに快く協力してくれ、はじめて「オモチャのルール」を破りシドを懲らしめることに成功する。
シドはすっかりオモチャに怯え、もう残酷な悪戯は出来そうもない。
それはそうだ。相手が物ではなかったのだ。(かなりの外傷経験に違いない)。

後はスリリングでスピード感あるアクションの連続である。
この映画、取り残される、置いてけぼり、のシーンが幾つもあり、小さな人形が(車で走り去る等の)ご主人のところに如何に追いつくか~戻るかという心細いシチュエーションで惹きつける。
この関係性を上手くプロットに利用している。
特に子供には感覚的に共感するところは小さくないと思う。
よく駅やデパート、広場などで、親と不意に距離が出来てしまった事に気づいた瞬間、泣き叫ぶ子供を見たりするが、そんな潜在する記憶~思い出を擽るはずだ。

最後は散々な追跡レースの末、シドにくっつけられたロケットでバズとウッディが豪快に空を飛び仲良くアンディの車のサンルーフから座席の箱にすっぽり収まるという荒唐無稽でアクロバティックなハッピーエンドである。
それまでの展開から言っても、この流れは充分あり得る(笑。

試練を通してウッディはバズと親友になり信用も回復。
ただ面白い。こういう映画もたまには観ないと、、、。

Toy Story003

PLANET OF THE APES/猿の惑星

Planet of the Apes007

Planet of the Apes
2001年
アメリカ

ティム・バートン監督


マーク・ウォールバーグ 、、、レオ・デイヴィッドソン大尉
ティム・ロス 、、、セード(猿の将軍)
ヘレナ・ボナム・カーター 、、、アリ(人間の理解者の猿)
マイケル・クラーク・ダンカン 、、、アター
エステラ・ウォーレン 、、、デイナ
ポール・ジアマッティ 、、、リンボー
ケイリー=ヒロユキ・タガワ 、、、クラル
デヴィッド・ワーナー 、、、サンダー


是非続編が見たくなるような傑作であった。
オリジナルよりも面白かったかも。
『猿の惑星』のリ・イマジネーション作という位置づけのようだ。
確かにリメイクではない。
一から考え、作り直されている。
最後のショッキングさはオリジナルに引けをとらない。
ただしオリジナルはそのモニュメンタルな廃墟に絶望するがあくまでも距離を持った思想的な絶望となる。
だがこちらはもう思想どころではない現実の切羽詰まったパニック~絶望である。実際驚愕して唖然として思考停止状態であるはず。

最初からスリリングで惹きつける。
何とお猿が宇宙飛行士かい?
しかし彼はトラブルに遭遇し操縦不能でパニックとなる。
あわやと思うが、それはシュミレーション訓練であった。
もう掴みはOK。

土星間際での大型宇宙船において、猿も動員しての深宇宙の探査を進めている場面であった。
そんな矢先に船にも影響を与えている強力な電磁場を発見する。
その正体を探る為、例の猿がポッドに乗り込み磁場めがけて飛び込んでゆくも消息が途絶える。
強力な磁場からは、発せられてきた過去の電波が跳ね返されていた。
何とその断片の中にはその宇宙船の船長の緊急事態を必死に告げる画像もあった、、、。
不穏な空気のなか、レオは自分の手塩にかけて育て訓練して来た猿を自らポッドに乗って磁場に向かい救いに行く。

Planet of the Apes008

ポッドは翻弄され制御を失い、あらぬ星に不時着~着水する。
湖の中からレオは何とか岸にたどり着くと、地球に酷似した環境のその星には、地球と変わらぬ人と猿が棲んでいた。
ある意味、これは驚きではないか。ただし、人と猿の立場は完全に逆転している。
人は猿の支配下で奴隷として何とか生きながらえている有様であった。
しかしオリジナル同様に、テクノロジーは(敢えて)発達させていない。人間の轍を踏まぬためか?
その潜在的な脅威もあってか人に対する攻撃欲は酷く、レオも勿論囚われ過酷な目に逢ってゆく。

かなり強い野生を残した逆上し易い知性をもった猿たちである。
その猿メーキャップは、これまでに見た猿のなかでも際立って悪賢い威厳も備えた顔であり、個々の猿の内面~思想の個人差も見て取れるほどに雄弁な表情を持つ。この人格ではなく猿格の表現の多様さと深さは凄い。
どこか仏像の表情の描き分けにも通じるところを感じた。

人は虐待の限りを受けて虐げられており、猿はその実質的に支配的位置にいるセード将軍が彼らの超自我を神話なども利用して統率していた。特に人に対する憎しみの感情~意思のコントロールである。

Planet of the Apes005

しかし、セードの思いを寄せる権力者の娘アリは、その知性の高さから彼らの規範的な感覚から逸脱している。
彼女は人の知性の可能性に注目し、彼らに対し親和的な意思を持つ。セードには強く反撥している。
アリは自分の立場より自らの思想に忠実に生き、レオに深入りしてゆく。
同じくレオに思いを寄せる人間の娘のデイナと共にレオを支えることになる。

オリジナルと同様に、神話で忌諱されている場所にレオ達一行は踏み込んでゆく。
わたしたちの起源の謎がある場所よ。
勿論、それを現実に信じている訳ではないの。起源の物語によって猿たちの無意識を集合させまとめているだけの噺なの。
というところだろうが、そこで飛んでもない事実が判明してしまう。
ここからがこの映画の真骨頂だ。
何とその遺跡は、レオの乗っていた母船の墜落した姿であった。
エネルギーのまだ残る船体の操作系統を立ち上げ過去の航行記録を調べて一同驚く。
優秀な知性を持つ猿が反目し他の猿を煽り、乗組員を襲わせこの星にやってきたのだった。
セード将軍はそのボス猿の血をひき、先祖から人に対する敵意を叩き込まれてきた存在であったのだ。
猿と人の文字通りの起源の場所であった。道理で地球人と猿がその姿でこの地にもいた分けだ。

レオの事を聞き及んで集結して来た人と猿の軍隊との総力戦を迎える事となる。
到底人の勝ち目はない。
母船のエネルギーを利用し脅しをかけても、圧倒的な体力と腕力の差は如何ともし難いものだ。
絶体絶命の状況に陥るが、丁度そのタイミングで磁場に巻き込まれたあの猿がポッドに乗って彼らの群れのなかに光芒を放ち見事に着陸を果たす。「お前俺より着陸上手いな」(レオ)。
皆、跪いてそれを拝む。
神話通りの奇跡が起きたというのだ。

レオはその猿を迎え、猿たちにその事実を説く。
そして将軍以外の猿は、人との和解の道を選ぶ。
だが、セードは決してこれを受け容れることはしなかった。
散々抵抗するが、防弾ガラスの中に閉じ込められ意気消沈する。

Planet of the Apes006

レオは優しく賢いアリや美しいデイナに引き留められるも、もう彼の気持ちは地球に帰るモード100%になっていた。
彼はこの地に新しい世を切り開いた伝説の男となって、皆に惜しまれ地球に向けて発つ。

宇宙船を迎える管制塔の指示は、耳慣れたものであった。ただ制御の効かぬポッドは、ワシントンD.C.のリンカーン記念堂前に胴体着陸となった。
やっとのことで地球に戻れた彼は、すぐに記念堂へと入って行く、、、。

リンカーン像を目の当たりにして、全くレオと同時にわたしも仰天した!
(こんなことは映画を観てきてほとんどない。大概こちら観客は知っていることを主人公が知るのを見て感慨に耽るのだが)
まさか、セードが猿の解放者としてリンカーンの位置に祭られていようとは、、、
しかもこの世界を一瞬にして知ることのできる象徴的な場所にピンポイントで不時着するなんて、ついているのかいないのか、、、
ともかく劇的である。(ここは植木等映画的な強引さである)。

つまり、強力な磁気嵐の中でそれぞれが異なる時間系に乗ってしまったのだ。
面白い事に、最初に磁気嵐に突っ込んだ猿は、その後に発ったレオにかなり遅れてそこに到着し、レオを捜索するうちに猿たちの反乱で磁場に巻き込まれた宇宙艇が実は彼らの中で一番最初にその地に墜落している。
どうやら入った順番と逆に時間的にそこから吐き出される構造をもっているらしい。
であるため、一番最後に磁気嵐に入ったと思われるセードがレオより数世紀早く地球に到着して猿の支配する世界を樹立していたのだ。(例の猿からセードは母船に幾つもあるポッドの操作法を聞き出していたはずだ)。

時間のダイナミズムの波打つ作品であり、天晴だ(笑。

Planet of the Apes009

と言っても、これ程ショッキングな終わり方というのもなかなかあるまい。
猿たちに逮捕されたレオは心底、アリやデイナのいる~しかも猿たちと和解した~星に留まっていればよかったと思ったことだろう。磁気嵐を抜けた後、地球を捉え、峠の我が家気分で着陸したはずである。まさか、、、。
究極のやっちまった、、、である(爆。

いや彼の胸中、察するに余り有る。
流石はティムバートン。座布団三枚。いや脚本家にか、、、。
(ここでハッピーエンドでは、確かにちょっと物足りない。とは言え、これではいくら何でも、、、)。

この続編も観てみたいものだ。もう役者は総入れ替えとなろうが、主人公が充分タフな男であったし、あの地獄からの帰還、、、何処へ帰還かはともかく、何かもうひと暴れしてもらいたい。
20年ぶりの続編、期待したい。

プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
コメント、メッセージ頂ければ嬉しいです。

*当サイトはリンクフリーです。

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