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おせっかい

StrawberryMoon002.jpg

ピンク・フロイドのアルバムではない。
(”echos”また聴きたくなった)。
今日も長女のお友達がやってきて、二度目だからわたしはいいかとは思っていたのだが、、、。
ゼルダ伝説を一時間ぶっ続けでやっているようだった。
目に悪いではないか、、、心配になり、お茶の会に切り替え、少し休んで談笑しなさいと、また介入した(爆。
ゼルダ伝説のゲスト・アカウントをその子の名前に変えた。
これでいつでも自分のゲームが出来る。

まさに「おせっかい」である。

暫くお茶~ジュースを飲んで、クッキーやら大福やらチョコ系のお菓子を幾つか、何故かプッチンプリンなども食べて、今度は次女(いつの間にか入っているのだ。ゲームをやる気配を感じるとテレポーテーションするらしい)の考えたオリジナルゲームで「スパイゲーム」というのをやりだした。実際に人が動くのである。氷鬼とかそういう遊びみたいに。
彼女はちゃんと律義に付き合ってくれるのである。
かなりの人格者と見た。

そのゲームがひと段落したところで、暫く娘たちも見ていなかった顕微鏡で動植物の細胞を見せた。
プレパラート作っておいてよかった。
「そら豆の芽」とか「水草の芽」や「竹の茎の断面」に「グミの厘毛」など喜んでくれた。「蚊の頭」は娘につまらないからと止められた。
絵を描くときなど参考になるよととは言ったがもっと見たい感じではなかった。
うちの娘ももう新鮮味は覚えないようだった。他の標本を作らねば。

それでは今度はとばかりに、まだうっすらと青い空に浮かぶ「半月」を天体望遠鏡でみんなで見た。
高倍率で部分的に見るより、全体をすっきりと低倍率で見た。
双眼鏡でも何とか見えるレベルで見たため然程の感動はなかったみたい。
でも青空の月は好きだ。

そのついでに、わたしのパソコン部屋にある”パタン・シーケンサー”と”フレーズ・シーケンサー”3台で音出しセッションをやってみた。編集管理用に繋いでおいたiMacが壊れて亡くなったので、音を試しに鳴らし合うだけであったが。
(娘たちがかつて作ったデータもオジャンであった)。
今日は音も機能もほんの僅かをいじっただけである。
そのうちやり方を教えて、その場でそれらしいハウスミュージックなどを作ってみたい。
どっちみちパソコンに繋がないとハードディスクレコーディング出来ないから環境を考えたい。
そこそこのスペックのものを一台設えよう。

全て触りだけであり、ゼルダと創作ゲームが面白かったようだ。
余計な介入をしてしまったかも知れない。
また来てくれるかどうか、少し心配になった(笑。

次女に聞くと「うん、また遊ぶよ」と言っていたので大丈夫だろう。
この辺の感覚は長女にはほとんどないので、聞いても分からない。
いずれにせよ、音遊びシステムだけ作っておいて、今度はわたしはゆっくり本でも読んでいよう。

明日は子供祭りで、次女が祭りの後、おともだちを複数連れて来るという。
これは籠っているつもりだ。
溜まった片付け仕事をやってしまおう。



センター・オブ・ジ・アース

Journey to the Center of the Earth004

Journey to the Center of the Earth
2008年
アメリカ

エリック・ブレヴィグ監督
マイケル・ウェイス、ジェニファー・フラケット、マーク・レヴィン脚本

ブレンダン・フレイザー、、、トレバー・アンダーソン(大学教授)
ジョシュ・ハッチャーソン、、、ショーン・アンダーソン(トレバーの甥)
アニタ・ブリエム、、、ハンナ・アスゲリソン(山岳ガイド、火山学者シグビョルン・アスゲリソンの娘)


「地震計」繋がりである。
表の世界は退屈でも地下~垂直的世界にはきっと何かが待っている、、、。

この映画は気に入ってしまった。
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の香しい雰囲気が立ち籠めている。
全体のアトラクション的構成も子供のいる家族での鑑賞に最適かも。
充分に愉しめるファンタジー映画だ。

Journey to the Center of the Earth001

大量のダイヤをショーンが採取したところは、羨ましい。
よく地底探検の映画では、ダイヤがしこたま見られる場面がある(巨大な塊など)。
だがここでは、採取し易いかたちとサイズで、さあ持っていけとばかりに散りばめられている。
やはりファンタジーだ(笑。
光る鳥がいてもよいとわたしもずっと思ってた。
この鳥はショーンにペットとして地上に持ち帰られたがどうだろう。
どうやらペットにはなりそうもない。
ショーンの物欲はなかなかのものだ。
(わたしもダイヤは必ず持ち帰る。他に自由に持ち帰れそうなところと謂えば、超新星爆発の際の重力波衝撃で生成される星間ダイヤモンドとか。何百光年先の宇宙空間よりは、まだ地底の方が拾える確率は高い?)


かつてジュール・ヴェルヌに触発され、地底世界の発見~探検に向かったきり消息を絶った兄の遺志を継ぎ、兄の息子と兄と親交のあった火山学者の娘と共に地震計の置かれたアイスランドの火山から地底探検へと赴く。

ある意味、こういった探検物のお約束の定石コースかも知れぬが、地下空間に次々に巻き起こるハプニングがスリリングで面白くて申し分ない。
どうしても出てくるのはトロッコシーンで、スリリングな動きの要素として欠かせないのだろうが、少年期の夢想を刺激する世界にとっても必需品であるかも知れない(わたしの友人のS君の絵にもよく出てくるアイテムだ)。
地盤が白雲母であったことに気づくところや間欠泉の出る川を筏で目指す冒険などこの映画ならではのシーンも際立ち、退屈はない。ショーンが切れたマストにつかまったまま強風で飛ばされてゆくところなど見せ場も多い。
マグマの活動により、この世界を脱出しなければならないタイムリミットもあり、緊張感も充分である。

Journey to the Center of the Earth003

だが同時に、地下世界は実に魅惑的で幻想画のように美しい。特にアーティスティックな湖と空である。
地上とは異なる自然が支配している。
巨大キノコの化石など大小の感覚も擽る。
恐ろしい食虫植物や獰猛なピラニアや恐竜などのデンジャラスなもの達もたくさんいて命からがら逃げ惑う。
特にギガノトサウルスは迫力満点であった。3Dで映画館で観たら相当なものであろう。

その間、しっかり父の亡骸との邂逅もあり、親子と支えてくれる身近な者との関係の深まりも描写される。
こういった映画では、(特にハリウッドでは父子関係の愛情は)なくてはならぬ要素でもあるし。
これだけ凝縮した時間を共に過ごしているのだ。
探検を通して絆が深まることは、納得できる。
トレバーとハンナの間に愛が芽生えることも最初から想定されているとはいえ、予定調和の着地点としてほっとさせられるものだ(笑。

しかし最後にマグネシウムの付着する岩を発火させて砕き、水を呼び込みマグマの熱で水蒸気にして舟ごと押し上げられベスビオ火山火口から飛び出るという脱出劇はいくら何でも荒唐無稽過ぎないか、、、笑うに笑えない終盤ではあった。

Journey to the Center of the Earth002


親子で楽しむ映画としては最適な部類の映画である。
ジュール・ヴェルヌの香りが感じられて心地よい。




健康

sun001.jpg

わたしにとって今一番のテーマは「健康」である。
自分を苛む「あやふやなもの」はなくなったところで、全てに的確な対応がとれる。
地図は明瞭になり見通しは明るい。
自分の作ったシステムに乗っかり愉しんでゆけばよい。

無自覚な「病」の連鎖は、はっきりと断ち切らねばならない。
引き継がれてしまった歴史は葬り去る。
わたしの場所で全て清算する。

まずは焼き潰す。


後には残さない。
特に娘たちには。


青い空だけ残る。

blue sky




トレーマーズ

Tremors001.jpg

Tremors

1990年
アメリカ

ロン・アンダーウッド監督
ブレント・マドック、S・S・ウィルソン脚本

ケヴィン・ベーコン 、、、ヴァル(ヴァレンタイン)・マッキー(何でも屋)
フレッド・ウォード 、、、アール・バセット(何でも屋)
フィン・カーター 、、、ロンダ・ルベック(地震学研究の大学院生)
マイケル・グロス 、、、バート・ガマー(村人)
リーバ・マッキンタイア 、、、ヘザー・ガマー(村人)
ボビー・ジャコビー 、、、メルヴィン・プラグ(村人)
ヴィクター・ウォン 、、、ウォルター・チャン(村人)


よくあるSFクリーチャーものは夜や闇のなかでのショッキングな殺戮などが圧倒的に多いが、この映画は白昼のスリリングだがどことなく長閑な攻防がメインだ。
地下に住む怪獣だが、外連味なくしっかり姿を現す。
悪臭も凄いらしい(笑。

ネバダとはこんなに砂漠と荒涼とした荒野の広がるところなのか。
ここはそこにあって特に退屈で辺鄙な田舎町のようだが。
何もないところで獰猛な地底生物が突然、僅かしかいない住民を襲う。
まるで特設舞台にも感じられる。丁度ウルトラマンが戦うための人里離れた空き地(何とも都合のよい場所)みたいだ。
路を塞がれ電波も届かない状態のその閉ざされた場所で人間対怪物の一騎打ちが繰り広げられる。

凶暴で巨体なのに面白い。そしてユーモラスでもある。
アイデアと特殊効果が良い。
定石であるが、ちょっとずつ飛んでもない死に方の変死体を見せつつ興味と期待を煽り、ここぞとばかりに犯人の獰猛な姿を見せつける流れは鮮やか。
それにしても砂漠のなかから突然、巨大なナマコ(みたいなの)が出てくるのだ。
しかも振動計から複数の揺れが検出され、一頭倒したのに、まだ3つもいるというところも充分楽しませてくれる。

それは人が走るのより速く地中を移動し、人の音声や気配を感知し襲ってくる。
固い岩の上ならとりあえず安心ということで、岩から岩へ棒高跳びみたいにして移動するところなどとても和む。
口から蛇みたいな触手を幾つも出して探査するところも細かい設定~描写で何やらワクワクさせる。
学習能力があり、同じ手は食わない。
そのくせ、激突死や転落死で片が付いてしまう。ちょっと血の気が多いのか?
火器による徹底攻撃による根負けや爆弾を食っての爆死はありがちであったが。

最後の方はもうひと展開あるかと凝視して待ったが、主人公のヴァルとロンダのラブラブでほのぼのと終ってしまった。
この映画は主人公ふたりとヒロインの大学院生の性格の肉付け充分であるが、その他のガンマニアの夫婦などの登場メンバーもなかなかの個性で描かれていた。怪物も後から出てくるものほど頭が良くなる。
登場キャラに厚みがありノリは軽いが内容的に充実していて迫力と緊張感とニンマリもある。


久々に映画を観たいが、重いのは嫌だしつまらないものは御免だ、という向きに最適かも。
クリーチャーもののユーモアもタップリあるパニックアクションの佳作と言える。


Tremors003.jpg


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Epitaph ~ Sea Song ~ Grand Hotel

今は亡きグレッグ・レイクによる” Epitaph ”



クリムゾンの” Epitaph ”が少しスマートになっている。
音楽の歌詞に最初に共感した曲。


そしてロバート・ワイアットによる” Sea Song”



感性が溢出する。箍を外れて、すべてを覆い尽くすほどにひたすらそれは美しくてよいのだ。


絵とロックとコンピューターそしてカフカをはじめ何人かの作家がいなかったら、わたしはどうなっていたことか、、、。


最後に、わたしにとっての唯一のロックグループ、プロコル・ハルムの”グランドホテル”


ロビン・トロワーとマシュー・フィッシャーがいないが、彼らの最高傑作が生まれた。


病を完全にあっけらかんと対象化しきっている。
一分の隙もなく完璧な構築美によってぬけぬけと作品にしている。
わたしの方向性がはっきり見えた。



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一言

blue sky

わたしの場所で絶つ。








リボーン Reborn 

Moonwalker002.jpg

現在の状況を作っている原因が掴めると、まずは落ち着いた足場が与えられる。
それを的確なことばで顕わにできれば揺ぎ無い体勢がとれる。
繊細な作業となるが自分のなかで腑に落ちてゆけばよい。

しかしそれを元にした再生への具体的な対処方法を明確に打ち出せるかとなると問題がある。
この時、他者(第三者)の協力を不可欠とする場合、それを得る当てがないと何らかの代替存在が必要となる。
(たとえどれほど優れたAIをもってしても身体性がなければ意味はない)。
となると、自分しかない。
自分の中に自分の上位存在を出現させなければならない。
超自我を食い破ってもよい。
自分がかなり明瞭にふたりになるか。

新たな自分が親を引き受けることになる。
それ以外に、ない。

生まれ直す。

果たして人は自分独りで”Reborn”可能か。
この実験となる。
もっともまったく記憶にない時期についての情報~素材は、他から収集しなければならない。
出来る限り準備は整える。

そして
大きく変えてゆく。


人は生れて来たからには、健康に生きたい。


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長女の作品展受賞式

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長女の作品展受賞式に出る。
昨年も一昨年も人数制限などの理由でわたしは参加出来なかったため、今日は出る事は決めていた。
事前に知らせておけば主席に問題ない式である。しかも歩いて行ける距離なのだ。
滅多にないことで、出ないわけはない。

何故か受付より1時間半早く会場に行き、入選、入賞した全作品を見て回る。
わたしはギリギリで良いと思ったが、余裕を持って行ったため(家族に無理矢理連れてこられ)あちこち見て回れたのは、それはそれで良かった。

かなりダイナミックな作品があり、楽しめたものだ。
子供の作品は面白い。
制約がないほど面白い。
学年が上がる程、型が見えて来て上手い割に面白味は失せる。
だが全体に、やんちゃで無鉄砲な絵が多い。
元気になる。
癒される。
解放される。
こちらも無邪気に遠慮なく笑える。

今、わたしに最も必要なのは、笑いではないか、ということに気づく。
久し振りに笑った。
何と言うか、一瞬でも柵から解かれ自由を実感する。無となる。
これは大切な事だ。
これから一日に一度は笑えるようにする。
これは気づきかも知れなかった(爆。
絵を観てこんなことを思ったのは、恐らく初めてだ。
(大画家の崇高な思想に圧し潰されそうになることはよくあることだが)。

審査員の先生に会場で出遭い、どの絵か聞かれ(長女が)指さすと、構図をしきりに褒められた。
「こんな構図は初めてだ」こう言われて嬉しくないはずはない。
わたしの指南だ(爆。
娘も描いている時はどうかな、という顔でいたが今は納得しているようだった。
(忽然と蝶やヤギが現れるところについても)。

その後、時間が空いてダラダラ、ボンヤリ過ごす。
こういう時間が体にとって危ない。
些かコーラを飲み過ぎた。

だがその後の式は長い。あまりに長い。噺が長いのだ。しかも似たような内容が。
特に次から次に来る来賓挨拶はキツイ。その後の審査員挨拶も同様だが。
「本当に皆さんの作品には感動しました」確かに謂わないわけにもいくまいが、、、その後もほぼ同様の運び。
欠伸をしたら涙が出てきた。
これが学校のかつての朝会なら、バッタバッタと倒れる生徒続出であろう。
ああ、あの光景、懐かしい、、、。
(一時間目のはじめに額から血を流している女子がいたっけ。鼻も真っ赤だったような)。


ボロカメラを一つ下げていったが、ちゃんと保護者が写真を撮る為のスペースが設けてあって、皆物々しい一眼レフで撮影していた。夫婦そろってビデオと高級カメラでバシバシやっているのを見ると執念を感じる。
これには参った。
こちらは手ぶらで行くつもりが、出るときについでに昔のコンパクトカメラを首にぶら下げて来たものだ。
取り敢えず撮れたが、その前に撮ったスナップの方がずっと良かった。
賞状を貰う時の写真はやはり退屈だ。式全般、そういうものだ。


ともかく、いつも残念なのは作品が戻らないことだ。
高解像度のコピーが賞状と一緒に貰える場合もあるが、ほとんどが冊子や画集に小さく印刷が載る程度。
やはり額に入れて飾りたいので、コピーが欲しい。
これさえ貰えれば嬉しいものだが、、、。

でも作品は返してくれても良いのではと思う。
(ずっと保管管理など出来るとも思えない。その後どうするのだろう)。


最後に集合写真を撮って、帰り際にシクラメンの鉢植えを頂いた。
(色鉛筆セットとかサインペンセットにスケッチブックとかいう、よくある副賞はなかった)。
シクラメンは上品なピンクで、一度は絵に描かせたい。
冬はシクラメン、クリスマスローズ、冬咲きクレマチス、ジュリアン、パンジー、ノースポールなど家にあるだけでも描ける花は多い。


さて来年はどう狙うか。





長女のお友達が来た

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次女は女子会と銘打って大量に友達を連れてきてドンチャラ騒ぎを時折やるが、日頃ほとんど自分から声をかけない長女が初めてお友達をひとり家に連れてきた。
ピアノ友達で、今年度の合同音楽祭で同じ曲の伴奏者に名乗りを上げ、長女がその役に、お友達の彼女は他のステージを借りて行う音楽発表会の伴奏者になった仲である。何度も学校の休み時間に一緒にピアノ練習する機会があり、徐々に親しくなったらしい。
しかし聞くと幼稚園でも同級生の時があって、それまでもお互いに知らない相手ではなかった。

その子はピアノの上手な優等生で人気者とのこと。
実際に会うとまさにそういう子で、受け答えもハキハキしてしっかりしている。
お互いにピアノを弾いて、お菓子やジュースでお喋りをそこそこ(ぎこちなく)愉しみ、ゲームをひっそりやって、次女も加わりわたしの勧めで迷惑な振りも見せず律義に花の写生もして、最後は書庫で暗い空間にランタンを灯し次女お得意の怖い話をフ~ンといって聞いて帰って行った(お疲れ様。

次女開催の女子会の際は、わたしは部屋に籠り、絶対に部屋には来ないように次女に伝えて一切関知しない。
それでも騒ぎは響き渡り、階段をドカドカ上り下りする様子も手に取るように分かる。おまけに開けないようにと言われた部屋ほど気になるようで(それは人情である)、そおっとふたりの子の目がドアの隙間から覗いていたりする。
こちらと目が合うと「ぴ~っ」(キャーではない)と声をあげてまたドカドカ下りて行ったりする。
まあ、こちらとしてはモノを壊さぬ範囲でやってくれたらよいという構えである。

しかし今回の長女の会?は、余りに無音でわたしも心配になり、ついつい下に様子を確認しに行ってしまう。、
静かにハーブティを入れているところだ。それはよいが茶道ではない。ちょっとは、お喋りなどしながらでもよかろうに。
わたしの方からピアノのことやら何やら幾つか質問などして、入っていったついでに、自分で食べようと確保していたお菓子やジュースなどを幾つか提供する。
そしてまた部屋に戻るが、まだ下がお通夜のように無音なのだ。
また気になり、今度は絵は好きかどうか確認し、長女の絵を冊子や本に印刷されたのを見せたり、ついでにわたしの教科書の絵や社会教育課からの依頼で描いた絵を画集で見せたりすると興味は結構もったようなので、帰り際に絵をひとつ描いてみることにした。

来ていきなり絵では絵画教室のお試しみたいで趣旨が違うため、まずはピアノを弾き合うことを勧めた。
やはり彼女はキータッチがしっかりしていて、音が確実でリズムもブレない。
(うちの娘は、ペダルに少し酔っている)。
それでふたりは気持ちもほぐれたか、ボソボソ会話らしきものもあったが、、、すぐに途切れる。

ゲームはどう?と(ホントは任せればよいのだがお節介に)聞くと、かなり好きそうな返事が返ったので、「ゼルダ伝説」を勧める。
長女もそれで背を押されたようでニコニコしながらふたりでゲームを始めた。
するとゲームの気配を察して次女が何処からともなく普通に入って来るのだ。
いつもなら自分が主体になって騒ぎながらやる次女だが、今回は静かにふたりがやるのを眺めている。
とても静かな淡々とした新鮮なゲームの光景があった。
(最近の子はゲームは手馴れている)。

暫く自室に戻り片付け事をしているが、次女もいるのにやけに静かで気になり、また声をかけにゆく。
随分介入してくる保護者だなとは思われたはず(爆。
今度はアイスクリームを差し出し、そろそろ絵でも描くか聞いてみる。
ちょっとめんどくさそうな感じも受けたが、シュタイナー・シューレで使う蜂蜜で練ったクレヨンを渡すと彼女は描く気が盛り上がったみたいで、次女を交え黄色い菊二鉢をモチーフに描いてみることにした。
長女と次女は種類の違うパステルを使う。日頃勿体ないので使わせなかった画材を今日は奮発した。
その分(かどうかはともかく)活気が出て、ようやく適度に騒がしくもなってきた(主に次女のお喋りだが)。

正直、三者三様の個性の光る、思いのほか面白い絵が出来た。
お友達の彼女は、少し硬くまだ来たばかりのお家で本領発揮まではいかないだろうが、終盤なかなか思い切った表現にトライしてきて、描き進めると面白いことになる期待値が高まった。
うちのふたりはいつもの作風だが、持ち味がスムーズに出ており独自の世界が芽生えてきている。
やはり描けば描いただけのことはある。描かせるべきだ。

そしてそろそろ帰る時間30分前のところで、次女主催の怖い話コーナーとなる。
最近物置状態と化している手狭な書庫で、暗いままでランタンと「野田屋電気」で購入したランプも灯して行われたようだ。
わたしは、そこからはもう部屋に戻って自分の仕事を進めていた。
携帯で呼ばれた家の方が迎えに来て「また遊ぼうね」と言って彼女は帰ったという。
後で、怖い話はどうだったと長女に聞くと、お友達は「ふ~ん」と聞いていたそうだ。
とてもよくわかる、その突き放したような反応。充分光景が目に浮かぶ。
大概話している本人だけ凄いノリノリなのだ(笑。


次に遊びに来てくれた時に、長女は「美女と野獣」を弾いて聴かせる約束をしていた。
かなり前の、ピアノ教室のステージ発表演目である。もうすっかり忘れて弾けない状態のようだ。
ちなみに、お友達はヤマハ音楽教室で、うちはカワイ音楽教室である。
(実はわたしもカワイ音楽教室でフルートを習っていた。もう10年以上吹いていないし、触ってさえもいないが)。

わたしもまた何かやりたくなった。
彼女らも創造意欲が増したみたいだ。
次女はその後、パソコンで自分の作った怖い話を書き込んでいた。

友達関係がその方向で活きれば申し分ない。







ブルー・マンデー


何度もリフレインされる
”Tell me how does it feel”
”Tell me, how do I feel”


わたしの今の心境を表す曲か、、、
聴きたくなった。
フロッピーディスクのジャケットだ。
その制作コストから売れるたびにファクトリーは赤字になったという。
これは、NewOrderにとっての最初のヒット曲だ。

NewOrder010.jpg

話を聞いていても何も受け取れてはいない。
自分の言葉にも確信がない。
かつての人々は確信に満ちた言動がとれたし、後から振り返ることもなかった。
でもいまわたしは言うべきことを伝えられるとは思えない。

わたしがどんな気持ちなのか分かる?

きっとわたしは間違っていたんだ。
あなたの話を聞いたと思っていたのに。

港に停泊するあの船に乗り込んでもいい。
あなたの不幸がなければ、今日は天国の気分だろう。

あなたと岸辺を歩いているとき、わたしはほっといて、と言った気がする。
あなたはその時どう感じていたんだろう。
こころが冷たく凍えていったのか。

今わたしは、ここに立ち尽くすばかりだ。


ことばの過剰な意味がただ溢れてゆく。
Emulatorによってどこまでも反復する。
それは暴力的であやふやだが、どうにもならない。
こころもあやふやなのだ。
コミュニケーションなど所詮成り立たない。
ただ、このことを身体でどう感じているか。
どう感じてゆくか。
いや、どう感じたらいいのか。
教えてくれ。


それを確かめるしかない。
不在のあなたに対して。


IanCurtis001.jpg





激変を迎え

Michelangelo Pieta003

すべてが大きく解体する。
変動する。
しかし本当に生きようと進めてゆけば、必然的に崩壊するものは当然ある。
容赦ない動き。
そして消滅。
それに耐えきれるかどうか。

想定も見通しもたたない。
何も分からない。
不安しかない。


完全に解体すべき時には、そうなる他ない。
どうにもならない。
暗闇のジャンプ。


なるように成る。
なるように成るだけ。
自然の摂理のように。


最後に正しさを実感できれば良い。

Michelangelo.jpg

回復プロセス

StrawberryMoon002.jpg

プロセスに入るにあたり、親との関係をまず断絶するする必要がある。
勿論、言葉の通じない者や邪悪な輩とも如何なる関係も断ち切る。

すべてをニュートラルに、中庸に保つ。
身体の深く、より深くへと言葉の境界にまで沈潜しなければならない。

余計なノイズはカットする。
純粋領域を掘り返す。

新たなことばを見出す。

これは科学だ。
実験でもあり観測でもある。

永遠に拒絶された愛の果てに延びる路を探るための。
新たな可能性にかける意味でも。

このプロセスは機械的に自動的に始まる。
冷徹に進行する。

プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

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