プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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アンホーリー 忌まわしき聖地

The Unholy001

The Unholy
2021
アメリカ

エヴァン・スピリオトポウロス 監督・脚本・製作
ジェームズ・ハーバート『奇跡の聖堂』原作

ジェフリー・ディーン・モーガン、、、ジェリー・フェン(ジャーナリスト)
クリケット・ブラウン、、、アリス・パジェット(聾唖の少女)
ケイティ・アセルトン、、、ナタリー・ゲイツ(医師)
ウィリアム・サドラー、、、ヘイガン神父(アリスの育ての親、叔父)
ディオゴ・モルガド、、、デルガード司祭( バチカンから派遣された司祭)
ケイリー・エルウィス、、、ジャイルズ司教


なんでこうもアメリカのホラー映画はキリスト教を題材としたものが多いのか。
それほど、キリスト教はホラーなのか?!ホラーと実によく馴染む。
宗教絡みのホラーを観ると必ず途中で寝てしまうのだが今日も例外ではなかった。
もう既視感一杯で退屈なのよ。

The Unholy004

神と悪魔も表裏一体。似たようなことをヘイガン神父も語っている。
実際、神なんだか悪魔なのか何だか分からない。だいたいそもそも悪魔とは何なの?
ここでは、神の恩寵~奇跡に見せかけ悪魔がひとを集め礼拝時に一気に魂を奪おうというモノ。
アリス・パジェットという聾唖の少女が突然聖母マリアの言葉を発し、人々の病が治癒されるに及び、村人たちは彼女に神の奇跡をみるようになる。

そりゃ、突然聾唖の少女が有難い言葉を発し、病を治すようなことがあれば、人々はそこに善を信じようとするのは無理もない。
彼女を利用しようとする教会とその危険性に気づき阻止しようとするチョイ悪ジャーナリストのおやじの駆け引きが始まる。
そして当然悪魔の力は強く、その企みに気づいたヘイガン神父や人形に再びソレを封印しようとするデルガード司祭は殺される。
かつてメアリー・エルナーという悪魔の力を借りて人々を治療していたといわれる女性がおり、その正体を暴いたプレスコット神父により仮面を打ちつけられ人形に魂を封印されたものを、ジェリー・フェンが記事のネタに壊してしまったことから事件が起きた(チョイ悪じゃないなこれ)。
この辺は、わたしの意識も朧気であったのだが、これが所謂、魔女狩りによる犠牲者であるならば、時を経ての子孫の身体を使った無念を晴らす為の復讐ともとれる。何と教会の調べによるとアリスはメアリーの子孫にあたるのだ。

The Unholy003

「子を通して生きる」確かに現代の悪魔である毒親こそまさにそうだ。
うちもそのパタンである。
そこからの解放は非常に根が深く、一筋縄ではいかない。
ここでもその悪魔だか犠牲者だか定かではないが強力な呪いの力を持つソレは、アリスの口を使い人々の魂を奪おうとする。
(まさに毒親も子供の魂を奪う)。
災難であることには変わりない。
脱線はこのくらいで、、、

ともかく多くの村人が犠牲になろうとするところを記事による金儲けの悪夢から覚めたジャーナリストが体を張ってそれを阻止しようとする。
確かにそこにおいて災いの種を蒔いたのは彼自身に他ならない。もはや使命感というところか。
このジェリー・フェンというおやじ、なかなか味のある男で憎めない。
医師であるナタリー・ゲイツと共にアリスの背後に憑いているソレに立ち向かってゆく。

The Unholy005

そしてなんやかんや村人に懐疑心を芽生えさせることで、信仰の力=悪魔の呪力を減衰させようとするが、、、。
わたしも睡魔と闘いつつ、終盤の彼らの奮闘を見守るが?何だか出て来たアリスの先祖のメアリー・エルナーが何とも言えないクリーチャーで、ちょっとウルトラマンの系譜にもいそうなヒトなのだ。あくまでも見かけであるが。
そこでやはりどうも悪いだけの奴には見えないのだが(犠牲者にも取れるような)、ただこの災厄だけは鎮静しなければならない。
おやじが、ソレの火炎攻撃でやられそうになった時、身を挺してアリスが庇う。
アリスは倒れ、ソレも身を存続させる身体を失ったことで、消滅してしまう。
ということは、アリスも死んだことになる。しかしジェリーが神にこの娘を助けてやってくれと祈ると彼女は息を吹き返す。
勿論、聾唖の少女として蘇る。

The Unholy002

よかったよかった、で御しまい。
テンポもよく、わたしも寝たり起きたりの鑑賞であったが、要所要所で目を開けて観れば流れは分かる映画である。
クリーチャーは斬新であった。動きも良い。特に燃える御神木から分離して襲い掛かって来るところなど、素敵であった。


まあ、アメリカ人はこういったものとサメの題材、好きだねえ。
ホントに好きだねえ。



AmazonPrimeにて





タイヨウのうた

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2006

小泉徳宏 監督
坂東賢治 脚本
天川彩 原作
YUI 音楽

YUI、、、雨音薫(XPの少女、16歳)
塚本高史、、、藤代孝治(薫の彼氏、高校生)
岸谷五朗、、、雨音謙(薫の父)
麻木久仁子、、、雨音由紀(薫の母)
通山愛里、、、松前美咲(薫の親友、藤代と同じ高校)


YUIというミュージシャンは、わたしにとって、ほとんどイギリスのロックであり、日本を意識させない。
わたしは、初めて聴いた記憶に残るポップス(ロック)がビートルズで、その後イギリスのロックとポップを中心に、たまにアメリカ、ヨーロッパ(ドイツ、オランダ、フランス、イタリア、ベルギー、スウェーデン等)を聴いていた耳には、すっきり馴染む音。
懐かしさが込み上げてきて 和む。
(この点では宇多田ヒカルよりこちらが心地よい。才能は二人とも圧倒的だが)。

taiyo001.jpg

アヴリル・ラヴィーンを聴いたことが、ミュージシャンを目指す転機となったそうだが、なるほどである。
そこからこの独自のサウンドに展開して来ているのだ。才能である。
また彼女の表現者として足を踏み出す契機が病気(肺癌で余命一年を宣告されたこと)であるのが、この映画の世界に重なって来るのだ。

まだ彼女の若いころの(というより幼さの残る)時期の主演作品であるが、なんら気負いもなく純朴とも謂える自然な演技で、気持ちよく鑑賞出来た(これから売り出す彼女のPV的な効果も充分含む)。
太陽の下には絶対に出られない(紫外線に当たると死んでしまう)上に徐々に神経系統が麻痺してゆく難しい役どころ。
不治の難病を抱える女子であるが、淡々とした日常のなかで、精一杯生きて自分の天賦の才をしっかり発揮し周囲の人に素敵な想いを残し亡くなってゆく。
弱気になった父に向けて「わたしは死ぬまで生き抜く」と明るく諭した娘。
悲しさより希望を感じさせる晴れやかなエンディングでもあった。彼女の音楽も勿論それを助けているが。
まさに”タイヨウのうた”であった。

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キャストも皆良かったが、相手役の塚本高史も演技は申し分ないが、ちょっと高校生に見えなかった(残。
(大学生のおにいさんくらいの設定ではダメなのか)。
岸谷五朗のおとうさんは最高である。これまで娘を守りどれだけ尽くして来たかがその存在から滲み出ている演技だ。
映画だけ見た範囲では、松前美咲という娘の立場がよく分からない。
幼馴染みたいなものなのか。外の世界と薫の世界を繋ぐ役目としては無くてはならぬ微妙な人であった。
夜の世界を主にした空間の色調が、とても深くて落ち着いていて優しい。

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ここで歌われたテーマ曲”Good-bye days”も勿論、物語にマッチしていて素敵であったが、この人の場合、他に良い曲が一杯ある。
改めてこれを機に聴いてみようかと思う。
ソングライターとして宇多田ヒカルと双璧だとわたしは、思う。




AmazonPrimeにて







雪の花 ディレクターズカット

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2014

小野寺昭憲 監督・編集
糸宇ひろみ 脚本
真柴史朗 音楽

渡辺裕之,、、、夫
原日出子,、、、妻
綾田俊樹、、、校長

35分の作品。

雪中花に囲まれて雪に横たわって夫婦で語り合うシーン、ちょっとどうにかならなかったか。
高校の校長が生徒の卒業の度に雪中花を植えてゆき既に廃校となり地図から村自体も消えてしまったにもかかわらず、ずっと増えて雪の下で咲き続けていた花である。
こんなに増えていたのか、、、
丁度二人分空白部分を中央に空けて雪中花が取り囲んで咲いている。
しかも花は雪の下から妻が堀出してその存在をはじめて知ったのだ。
横たわる二人を取り囲んで、雪の上に綺麗に咲き誇っているというメタ情景には流石に白ける。
ここは、ざっくりと掘り下げられたところに咲き誇る花の群れがあり、それに対し、しゃがむか座って臨み夫婦で語り合いイメージを交わし合う、でよかったはず。
また他にも二人で雪に横たわるシーンもありそれらのイメージがダブることからも逃れることが出来る。

だがその他の場面で気になるところはなかった。
閉店の貼り紙ひとつでこの夫婦のおかれた苦境も分かり、車がもうガス欠で先に進めず、ひたすら故郷の土地に向かい雪の中を踏み惑うところもふたりの絶望をよく表していた。
口癖のように夫は「雪の中で死にたい」と言っていたと。

幻想が雪原~死地の世界に自然に立ち上がってくる。

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夫婦で駅の待合室のベンチに寄り添っていると、自分たちが高校を卒業して二人して上京する夢と希望に溢れた若かりし姿を共に幻視する。
雪中花を見つけた時は、校長先生が何故それを植えているのか、そのときの姿と言葉が生き生きと蘇る。
卒業生の誰もがこの花のように逆境にも負けず強く生き抜いてくれることを祈り植えていたのだ。
そしてふたりして高校の鉄棒を見つけそれを頼りに、校舎内を雪の幻想の中で共に巡る、、、。
ここのカットは見事であった。

ふたりして夢破れ、今や地図からも消えた故郷に戻り、雪の中で死のうとしたのだが、、、
雪の下で健気に生きる雪中花~越前水仙に触れることで、もう一度生きようという意思が夫婦に蘇る。

最後は夢をもって二人で列車に乗る高校を卒業したばかりの頃の姿からエンドロール、、、
先走る再生に向けた二人のイメージかも知れないが。
あの深い雪原から駅まで既に体力もあるまいに、どうやって辿り着けるのか。



実生活でも夫婦である。息の合っているのは言うまでもない。渡辺氏のご冥福を祈る。




AmazonPrimeにて



Erika Ikuta 2022 summer fun

blue sky

勿論、以前から「いくちゃんファン」であることを事ある毎に書いて来ているわたしが、ファンクラブ限定ライブを観ないはずはない。
娘にも宣言済みである。ということで、ステージを愉しみにしていた。大阪公演夕方の部である。
だがここでわたしは痛恨の大エラーをしてしまった。
回線速度等、予め計ってあり、見られる範囲内と安心して寸前まで別のことをしていた。
(好きでしていたものではなくやらざるを得ない雑事を片付けていた)。

ところがである。
いざ、始まってみると途中で止まるは止まるは、もうやってる最中だから、思い切ったことも出来ず、ひたすらドギマギしながら急に止まるステージを見続ける~見守る羽目に、、、。
もう少し直前環境確認をしっかりしておくべきであった。
その時間帯のエリア内通信利用者数で大きく速度は変わって来る。
20Mbps以上は欲しいが、大概それをうたっていてもベストエフォートであり実行速度ではない。

それからローカルストレージ保存しながら再生してくれるYouTubeみたいな形式の配信であれば、またはデータ量変動に従い画質を微調整してくれるところみたいであれば助かったが、、、。
高画質であるだけでなく、音楽配信であるとハイレゾであれば猶更通信量は大きくなる。
ともかく、結果は壊滅であった。
アパートから観たことがそもそも失敗なのだ。
固定回線の家に戻って観ればよかっただけかも。

しかしそうはいかないところが現在キツイところ、、、。

肝心の途切れ途切れいくちゃんの歌であるが、、、。
わたしがこれまで好んで聴いてきた音楽とはかなり違ったことは事実。
いくちゃんの在籍していた乃木坂の曲とも違った。
Sound Inn "S"を観る」での歌とも違った。
別に何の文句があるわけではない。終始ノリノリで盛り上がるライブであったし、始めて観るいくちゃんパフォーマンスが可愛らしかった。ピアノ弾き語りは一曲であったが、、、。ファンであれば観ない理由はない。
だが、何だろう。ちょっと整理がつかないが、違和感は残った。

完全な形で堪能できなかったことが何より大きいことは、前提として、まだいくちゃん本来のステージには思えなかった。
最後に彼女自身も言っていたが、「まだ自分の楽曲が無いので」の部分。
そう、いくちゃんオリジナルで行くべき。焦る必要ない。わたしはいくちゃんオリジナルをこそ聴きたい。
勿論、最初は誰かと共作でも良いと思うし、編曲は暫くは人に任せても良いかと思う。
ともかくポテンシャルは抜群で、発声と歌唱自体が繊細で素晴らしいし。
でもどちらかというとスタジオ録音向き音楽家だと思う。
(慎重に多重録音とミキシングで作り込むような)。
無理な発声もしていたし、ライブは余り勧めたくない。
繊細で美しい楽曲だけの説得力あるライブも勿論あるが。
体力やスケジュール過密の件も心配。

しかしステージならではの解放と発現は確かにあるはず。
それが最大限に生きるのは、バンド形体ではないかと、、、インプロヴィゼーション。
以前、Sound Inn "S"でも語っていた、アンサンブルの妙である。その絶妙な創造体験。
わたしも絵を描いているので、偶然も同時性も組織出来た時の創作の高揚感はよく分かる。
これをステージで思いっきり楽しむというのはどうだろう。
ステージが再現ではなく、まさにこころ踊る創造の場となる。
至高体験となるかも。これこそ表現者次第であるが、、、この悦びの為に音楽家はステージに立つことをやめられないのかも。
ジョン・ケージの謂うチャンスオペレーションを最大限に。

斎藤飛鳥女史や久保史緒里女史も巻き込んで?やってみたら余計に面白いはず。
(このふたりにとっても。どちらも実力者だし。楽器も出来るし)。


ともかく、色々あたふたし、ごたごたした末の鑑賞であったが、次回は綺麗な形で見るつもり。
(この時だけは家に戻ろうかな)。
次回も楽しみにしたい。
バンドと作曲の件も前向きに考えて貰えたら嬉しい。
くれぐれも無理はせず。



StrawberryMoon001.jpg




Stagecrouwdにて



後ろむきの青

usiromuki 001

2014

神村友征 監督・脚本

冨手麻妙 、、、緒川マユ
小川あん 、、、里村実花(マユの親友、いじめられっ子)
小松美月 、、、かおり(いじめっ子リーダー)
妹尾青洸、、、石原晋作(ホームレスのおっちゃん)
天野麻菜 、、、宮川雅子(謎の女子高生)


面白い短編ファンタジーであった。
ヒロインが、あの監督の下で一度ブレイクした女優さんである。
まだ、あどけなさもあり、とても可愛らしい。
突然、屋上で助けてくれるおっちゃんとおっちゃん似の女子高生(どちらも関西人)というのが、余りに非現実的。
それにおっちゃんとの打ち解けようが、すんなり過ぎて無防備で不自然な感じは否めない。
おっちゃんの粗野で文化から取り残された(会話を何でくちでしないで、こんなもんでするのかという)純朴さに打たれたというところか。
(しかし石原裕次郎を知っていれば、はんかくさい虐めなどしない、ってどういう意味だ。内容というよりその雰囲気で乗せて行くタイプだ。糸電話が携帯~SNSの発展形というのだけは面白かった)。
虐めから庇った親友、実花に裏切られ絶望に打ちひしがれたところに防衛的に立ち現れた幻影~白昼夢とも受け取れる。
マユが遊園地に行きたいとねだったその日に糸電話を残しておっちゃんは消えるが、その屋上以外の処には出現出来ないのだ。
糸電話だけは(実体として)、しっかり現実に残ったのだが、、、雅子もこれに機種変しようかななどと言っていた(笑。

ホントの虐めの世界であれば、屋上のおっちゃんもそのおっちゃんくりそつの威勢の良い謎の女子高生もいない。
糞屑どもと闘い続けるか、授業成立しない底辺校などさっさと辞めて大学受験資格取って大学から始めればよい(流石にそのままでは中卒どまりだし)。楽しい学園生活とかはともかく、貴重な友人は出来るかも知れない。
まあ、馬鹿と闘ったところで得るものは何もないし、その高校自体行く価値はないと思うが。

糸電話を耳にしたときに携帯が鳴り、学校に戻るとかおりの罠であったが、屋上に追い詰められたマユを救ったのが、おっちゃんからバトンタッチした(としか考えられない)雅子であった。
彼女は学校から実際にマユを河原に連れ出し、おっちゃんのようにこころを和ませてくれる。
何であれ、やはり引き継いでいる。ほとんどおっちゃんのノリだ(こういうこと自体、現実にあって良いと思う)。

usiromuki 002

このマユは、また高校に戻り、闘うつもりのようだ。
あれ程、最悪な環境に未練がそもそもあるのか。意地か。不良たちの方に向かって行った実花が気にかかるか。
ふたりが腰を上げると、髪が酷く乱れお腹を押さえた実花が無言でマユを迎えにやって来た。
微笑む二人。実花が頑張ったのだ。
しかし実花が戻って来て、雅子が加勢してくれても3人ではどうにも立ち行かないのでは、、、。
もう少し巻き込まないと。
それこそ、SNSの使いようでもあるが。向こうより上手く使うことだ。
校内だけでなく、外部からも引き込まないと。フルにね(笑。

虐められてる友達を庇ったことで、自分が虐められる立場となるパタンはよくあること。
それまで虐められていた子は、いじめっ子グループの奴隷みたいな立場でがんじがらめに。
どちらもターゲットにされたところで悲惨極まりないことになりかねない。
その中にいて抜け出るには、立場を逆転する必要がある。
やはりもっと人材が欲しいところ。

ushiromuki 001

この映画、最後に実花が戻って来て、何やら良い兆しみたいな雰囲気で終わるが、何も変わっていない。
更にエスカレートする可能性も見える。
「学校に戻る」と言っても展望あるのか。
わたしには全くお先真っ暗なヒロインたちに思える。
映画としては、奇麗な撮り方で、枕詞風カットも随所に利いており、吸い込まれるように観ることは出来たが。
希望の見えないままのエンディングは、ちょっと残念であった。


冨手麻妙や小川あん主演の他の映画も観てみたい。




AmazonPrimeにて



くさいけど「愛してる」

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2015

永井和男 監督

ルーデルマン大地
上西愛理
奈須崇
井戸川真子
篠崎雅美


短編映画に嵌って?そこそこ経過したものだが(微妙な言い方)、どれも内容に対して丁度良い尺に思える。
本作は23分であるが、長くも短くもなかった。わたしも慣れて来たのか。
いや、3時間越えでも短くてあっという間の映画もあれば30分程度でも長く感じ途中で止めてしまうモノもある。
映画時間は、間違っても時計時間ではない。
ここは肝心なところ。

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触覚や臭覚などの原始的な感官は、身体的に深いかかわりがある為、生理的な快不快に直結してしまう。
聴覚も微妙な立場だ。
知的な器官である視覚などは、見て見ぬふりで回避できたりするものだが。

ゲームの二次元キャラに恋する彼女の口臭が凄くて悩む男子の噺?でよいか、、、。
この彼女に口臭のことを告げるかどうかで彼はとても悩む。
かかりつけの歯医者に相談すると大笑いされるが、仕舞に同情される。
「逆さにしたスカンクを丸ごと誤飲」が、例えでなくそのままの意味で言っているところがシュール。
そして口臭計測器を貸してもらうことに。ともかく計ってみろと。
彼女は自分の口臭に全く無自覚(で高飛車)なのだ。

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100を越えたら医者に診てもらうレベル。
まずないだろうが1000を越えたら環境問題レベルの大問題と謂われる。
そして彼女が部屋に遊びに来た時、タイミングを見計らって計ってみると、何と3000越えなのだ!
これには彼も驚く。このままにしておけない。
これではレストランで隣の席の客が逃げてしまったり、信号待ちでカートに乗った赤ちゃんに話しかけたら彼が号泣してしまうのも分かる。

自分の匂いは周囲は分かっても自分だけ分からないことが多く。
正直これは、怖い。
臭いに限らず、生理的な面での周囲への影響は自分では自覚できないことが多い。
(または神経症的に過剰に気にしてしまうこともあり悪循環を生むパタンも)。
基本的に健康に気を付け親しい人などに注意してもらえれば被害は最小限に抑えられるかも知れぬが。
(こういう類のことは、文化的にも指摘し難いところがあり気まずい場合が多い)。

kusai005.png

彼女に意を決して口臭の件を打ち明けると、彼女は怒って部屋を出て行ってしまう。
何でこれまで、いい男に何度も逃げられてきて、あんたくらいの男と付き合う羽目になっていたのかがよくわかったわ、、、と。
その原因を知らせてくれた彼に感謝すれば、と思うのだが。

彼は彼女を大急ぎで追うのだが、外に出る前に部屋に消臭スプレーを撒きまくってから走って出てゆくところが、実にリアル?
そして彼女に縋り、臭いけど愛してる。愛してるけど臭い。とか叫ぶ(爆。
(わたしはこの映画の題を見た時、「愛してる」とか言うくさい言葉で告白する類のモノかと思っていたが、想定外の即物的な映画であった。断然、こちらの方が面白いが)。

kusai004.png

この彼は香りのよい女性と付き合い始める。
口臭女子は、歯医者に診てもらい、自覚の上、ガスマスクを自ら付けて歩き出す(笑。
そして一度は別れた彼に電話する(名前は「アホ」となっていた)。
しかし時すでに遅し、で彼は新しい女子を部屋に呼んでいた。
だが最後に大捻り!今度はこの女子のブーツの匂いが卒倒するほど臭いのだ(爆。


徹底してそこに拘る映画であった。
斬新。
切り口は良い(しかし一度やったらもう後は基本、物真似で酷評されるだけだろうな)。



AmazonPrimeにて





こぼれる

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2011

手塚悟 監督

伊東沙保、、、奥さん
小鳥、、、共通の親友
倉田大輔、、、旦那


な~るね。
感想はこれに尽きる。

女ふたりは全て分かっていて旦那だけ分かってない。

奥さんは、子供を望みまだ生まれていない子供の部屋まで作っている。
だが体質的な問題で不妊治療を受けているところであった。

4年ぶりで偶然、幼稚園の絵本を読む会で出逢った瞬間に奥さんは全てを察知したのだろう。
自分が結婚を今の旦那と決めた後で突然姿を消した女性である。夫婦ふたりの共通の親友であった。
彼女には可愛い女の子がいて、シングルマザーとして育てているのだ。
「突然いなくなっちゃってごめんね」
(かつての親友である女性は、覚悟を決めて、また付き合いを再開したのだ)。
女ふたりの情念の渦巻く空間の張りつめた感触がシッカリ伝わって来る。
独りだけ何も感じない、とんまな男も良い味出してる。

そうした舞台のドラマであった。
短くきっちりと伝えたいものが仕上がっていた。
30分の短編もの。
マンションの室内だけでも、ストーリー~脚本の出来が良ければ、魅せるものになる見本みたいな作品。

子どもが絡むと女性~母性は、こうもオカルティックホラー空間を召喚してしまうものか。
特に終盤の緊迫感たるや、、、
結婚祝いに来るにあたって娘を他人に預けて来たのに、ここの奥さんが秘密裏に連れて来ていたのだ。
どういうこと?そしてシチューに愛娘の髪飾りが混入している、、、。
ここで親友は大パニック。娘に何をしたの?奥さんは何も返さない。血相変えて各部屋を探して回る母。
(こんな段階でもぼんやり御馳走食べてる旦那も凄いが)。
そこそこのホラー映画なんぞよりずっと怖い。

特に奥さん。
終始怖かったが、終盤の怖さは(演出も含め)秀逸であった。
後ろ姿、不動、無言、眼が違う(笑。
この女優さん賞状ものだ。

娘は奥の部屋でスヤスヤ眠っていたが、もうこの3人の関係は戻らないだろう。
旦那はどうでもよいとして。


AmazonPrimeにて




冬のほつれまで

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2020

多持大輔 監督・脚本・編集

青根智紗、、、根本(自閉症児)
北崎京佳、、、クラスメイトの女子
近藤奈保希、、、売店のおばさん


音がやたらデカいが、聴き取りずらい。音の解像度がとても低い。
その辺、イラついた。
その分、色調が落ち着いていて観易くて助かる。
ディテールに独特のもどかしさも感じたが、、、。

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ジャームッシュの映画、「パターソン」とかは大好きだが(こちらは詩だ)、この映画は(絵に置き換わったとかいうわけではなく)、生理的にイラつくことが多い。
元々比べる映画ではないが。
これは、単なる「自閉症児」の生態をドキュメンタリータッチで描いているに過ぎない。
余りに典型的など真ん中の「自閉症」だ。
ここに過剰な意味を掘り出して見せるのは滑稽なだけである。

それより、根本さんが「自閉症」であることは、どれだけ周知されているのか?
そこが問題である。
周知されているとは思えないのだ。
クラスメイトの女子が普通の無口な子に話しかけるように何度となく執拗にコミュニケーションを図ろうとしてくる。
決して暴力的にならず、繊細に相手の日常や趣向をもとに自分もそこに興味を抱いていることを伝え、分かち合いたい趣旨を伝えている。ここに何ら非難すべきところなど無い。
(よく発達障害など精神的、知的障害を持った人が、それに対する理解を欠いた人による暴言や行為などで酷い状況に追いやられるケースがある。人の違いを認め、適切な関り方が求められることが重要であり、不当な差別も排することが出来る)。
しかし何故か虐めもなく伸び伸びマイペースで生きているのも窺える(これは良い事だが)。

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ただ、自閉症に普通に話を持ち掛けても何の成果もない。
そっとしておくことがもっともよい関りだ。
顔(表情)はほとんど映さず、手や足だけの描写が目立つが、そこに何らかの饒舌なきもちが表出されている訳でもない。
少し押し付けがましさを感じるところ。
根本さんが、息苦しいほどのルーチンで固めていることはよく分かる。
学校には誰よりも早く登校するのか。いつもの観葉植物のスケッチ、カッターで削る鉛筆、お決まりのマシュマロにジュース、必ず自前のストローを使用、校庭の古い木に隠した蜂蜜(森の小動物みたい)、放課後のメロンクリームソーダ(注文はどうしているのか)、、、売店のおばさんの今日の占いは呼び止められると素直に聞いている、、、等々。ここに時折、クラスメイトの女子が絡むが全くの無反応。残酷なまでの完全無視。

fuyu005.jpg

彼女の放課後の喫茶店でのルーチンで、ホンの束の間、隣の席の会話に耳を傾ける。
他者に全く興味がないという訳でもないようだ。
その他者たちも、単に自分の思いだけぶつけて相手の気持ちを察する気などなく、一緒にいてもまるで噺が噛み合わない。
所謂、ディスコミュニケーションの顕な様子が晒されているだけ。
ここに登場する人で、気持ちを相手と分かち合いたいと望んでいるのは、あのクラスメイトの女子だけではないか。

この映画、他のクラスメイトや担任、彼女の家~両親とその関係など一切映さない。スッキリ切り捨てている。
(斬新な潔い構成だ)。
他の人間との関係と敢えて謂えば、よく喋る売店のおばさんくらいで、この人は彼女のことを認識して関わっているようには思える。
(とは言え、引籠りが殺人事件を起こしたニュースを取り上げて、無神経振りは発揮していた)。
根本さんに殊更興味を示し関ろうとしてくるその女子も抱え持った問題を強く感じる。
親近感を彼女に覚えていることは確かに見て取れるものだ。しかし自閉症に相手の気持ちを推し量る気など毛頭ない。
彼女は、何としても根本さんをこちらに向かせたいがため、彼女のスケッチブックをクシャクシャにしてしまう。
明らかに自分がやったことが分かるようにして。幼い発想というより彼女なりの究極の賭けに出たと言えよう。
それを見つけた根本さんの仕草はちょっと落ち着き過ぎであるが、一枚一枚剥がして、紙を平らに手で伸ばしつつ絵の輪郭を指で撫でることを只管繰り返す。

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そしてクラスの扉の前で根本さんの好物のマシュマロを食べながら座り込んで待つと、彼女がやって来て「スケッチブックがクシャクシャになってたのを見たぞ」とか、すごんでマシュマロを一つ取り上げて食べて行く(笑。
その女子はとても不安げであった表情を緩め、ついにやったという達成感みたいなものを滲ませていた。
ホントよくやったと思う。しかしなかなか自閉症があんな返しはしない。
というより、あるべきものが違うかたちとなっていたことを発見した時点で、大パニックになるものだ。
ルーチンが何らかの障害で乱れた場合に同じく。
もしそれほどの自閉でないとしたら、最初の頃に彼女に対し「悪いけどわたし一人でいたいの。ほっといて」とか言っておくべきだろう。そうすればあの子も振り回されることもなく、他の自分に近い子を探して関わっていただろう。
売店のおばさんが今日は1位のとても良い日だと喜んでくれた日の出来事である(笑。


意図的にやっていることは分かるが、それが説得力を増したり、感動的だったり、印象に残ったり、心地よかったりするものに繋がるとは限らない、、、。「冬のほつれ」ねえ。
ほつれれば、それに越したことないが。



今日はいつもより長めの67分の短編であった。長く感じた(笑。



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家族ごっこ

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2018

サトウタツオ 監督 

奥咲姫、、、主催者ナナミ
  以下、皆ごっこ役の家族
室上茂,
田口ゆたか
苑花奏,
田中克憲,
福原佑樹,
松永毅,
宇海凛


奥咲姫の主演ショートもの二本目。”Happy Hunting”に続き。
この女優さん、どんな役でも熟せそうだし、もっと沢山の映画に出て欲しいものだ。

今回も、普通の家の主に一部屋を使っているだけのもうこれ以上ないくらいの低予算もの。
でもこれで充分。

ある男性が「家族ごっこ」というチラシを見てその場所を訪れると自分を含め5人の「家族」が集合となった。
金目当てのチャラい感じから何やら抱えた重い雰囲気の人から、その面々ですんなり行くものかどうか、、、
怖いわ、結構。まあCUBE程ではない。殺される心配はなさそうだし帰れそうだし(笑。
だが、主催者がやたらとキツく要求レベルが高い割に集まった素人集団が酷い大根で成り立たない。
彼女は飴とか投げつけて怒り罵り、次々にクビにしてゆく。
当然クビだわと思うものと、かなり頑張って乗って来たのにというケースもある。
主催者のメガネに適わなければ、それまで。

一日1~3時間くらい家族の振りをして演じてくれれば、ひとり日給3万円。
これ自体、悪くない噺だ。
しかも前払い。出来不出来に限らず。
だが、不出来だと、その場でクビ。もう後がない。
気楽な気分で来た者は、皆途中からいなくなってしまう。
続かない。

主催者が、どれくらい(何日くらい)続けるものかも分からない。
全て彼女の気持ち次第。彼女の狙いとは、、、。

何で「家族ごっこ」なのか、、、。
暫く顔を合わせてゆくうちに、役柄ではなく、本心で喋る余地も生じて来る。
金だけ目当ての者は忽ち消えたが、それ以外は家族に問題を抱えて来た者で、疑似家族体験から何かが得られるのではとやって来たようだ。だから縋りつく情熱も多少ある。
一種のカウンセリング、セラピーのロールプレイ療法みたいな。それを金をもらって受けられるなら儲けもの?
家族問題でケアーを求める人は少なからずいるものだ。

主催者の若い女性も家庭崩壊を経て、これを企画したらしい。
このシナリオがあるようでない疑似家族体験がどう機能し作用するのか。
「家族」自体が本質的に最早無意味であることを悟り別の場所へと展出を図るのか。
「家族」を再定義し、新たな家族像を生成したうえで、その家族の中で生きてゆこうとするのか。
徒に適当な演芸を続けてゆくのも限界がある。彼女の貯えも心配になるところ。

結局、おとうさんとおかあさんの2人になってしまい、この家族は実質立ち行かなくなるが、役を離れた関係性(演者に対しメタ関係は彼女が強く禁じていたのだが)も自然に生じていたことから、翌日は素でこの男性二人と彼女が語り合おうということになる。
翌日、ただの人となった二人が食べ物の入った袋を手に訪れると、何と彼女が手首を切って倒れているではないか。
驚愕し絶望に打ちひしがれる二人。
そこへ彼女が。
ケチャップ狂言自殺である。(ここまでの流れは完全に予想がついた)。
これはショック療法か。何に対する?関係性の鮮烈な更新の為の?

すでに家族がどうというより、情の通った人間同士の関係が目覚めていたところに、これである。
全身冷水浴びたような気持で、きっと率直な噺が腹を割って出来た事だろう。
もう家族(という概念)自体、拘りも必要もあるまい。


最後はひとり吹っ切れた表情の彼女であった。

ちなみにわたしにとって、家族とか宗教とか全く無用なものだ。
早晩消えてなくなってよい。



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冬の蝶

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遠山 昇司 監督・脚本
志娥慶香 音楽

Una、、、サチ
五十嵐靖晃 、、、兄
岩崎幸代 、、、祖母
大西靖子、、、母


19分の短編映画

熊本の五家荘という奥地がロケ地だという。
凄い、僻地感だ。
というより、縦の深さを殊更に感じる幽玄の地だ。あの吊り橋。
(平面的な広がりを見せる映画は多いが)。

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こういうところで暮らすと、質の大きく異なる生活を営むことになるはず。
方向性ではなく、垂直性であり、濃密さで在り、遠方(相対性)ではなくディテール(量子的)である。
空気の組成や重力値が同じでも他の惑星みたいな感じもする。
異なる場。
そもそも旅行とは、それを知る為にするものだろうか。

サチも母から祖母の危篤の電話を受けてハスラーで実家に駆け付けるが、直ぐに着いていたから、やはりこの土地の少し離れた場所のマンションに住んでいるのだろう。仕事とかの関係で(いや、実家のある地帯が変化が無くて苦手だと兄に語っている。それで独り離れて暮らしているのか)。
そこには寝たきりで意識も定かでない祖母と看病の母と兄がいた。

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吊り橋に行き、兄とは冬の蝶を巡る噺になる。
丁度、祖母からも彼女は蝶を捕まえたから見せるという電話を受け取っている。
祖母が意識なく眠っている時である。
そんなことが起きる場所はウキウキするではないか。
兄はその頃、蝶を表の畑で見つけたと謂う。死んでいたと。
それは随分前、サチが見つけた蝶でもあった。蝶はいつでも最初から死んでいるのだ。
そして祖母は、サチに蝶を捕まえたの、と(また)電話をよこす。

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こういう意識と無意識の綯交ぜになったような場所~現実は、同時性や時間の解体現象がところどころで起きてよい。
祖母は認知症でもあった。もともと時間の方向性などに縛られない。
祖母を見舞ってから、またハスラーに乗って帰るが、途中の街道で反対車線に鹿が死んでいる。
祖母の場所だけで生きている蝶が、今度は鹿となって死んでいるのか。

別にバタフライエフェクトではない。
それはニュートン力学系の噺であり、Tの実在のもと、初期値が蝶の羽搏きくらいの攪乱によって変動し指数関数的に増幅して大変な事態をもたらすという(寓話的な)話であるが、そもそもTが覚束ないこの深淵の地にあり、全ては出来事でありその出来事の相互関係が確率的にあるだけ。

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たまたま、蝶が鹿になっていた。
しかしこれが現実である。
更にクリアな世界の実相である。
時間から解けた。


エンディングのピアノ曲が沁みた。
ヒロインがやたらカッコよいのだが、平手友梨奈女史あたりがやってもピッタリな役かも。
Unaという人、SF映画に是非とも出演してもらいたいものだ。





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ファミリー ファミリー

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2019

大川裕明 監督・脚本・編集・音楽

大川裕明、、、ツバサ(弟、ラーメン屋でバイト、余命半年膵臓がん)
泉水美和子、、、アキ子(母、認知症)
彦坂啓介、、、マサル(兄、発達障害のニート)


29分の短編映画だが、途轍もなく重い。
逆にこれを120分でやられたら、こっちが倒れる(笑。

最後にデイサービスを頼んでいたが、生活保護の対象に入るケースのはずであり、申請を民生委員とかケースワーカーが勧めてくれれば良いが。

母は真夜中に突然起きて「よ~い、よ~い」と踊り出す。オムツも自分では覚束ない。長男を夫と勘違いしている。
弟はラーメン屋のキツイアルバイトがあるのに、毎晩起こされて睡眠不足で疲労が蓄積。
兄はニートで、漫画や小説を書くと言っているがやっている気配はない。
劣悪な生活環境であることから兄の耳にゴキブリが入り、それを3日後くらいに医者で取って貰うがその後、耳が唸るという。
元々、ワーキングメモリのある人ではないが、もうほとんど人の話がまっとうに聴けなくなる(特にお説教)。
これで仕事は、極めてキツイ。言葉の額面に強く拘り日常のやり取りも覚束ない。暗黙の意思疎通が利かなければコミュニケーションは滞る。
同時に、弟は医者の検査に引っかかっていて、造影CTの結果、膵臓癌のステージ4にあり、持って6カ月の余命を宣告される。
稼ぎ手はこの弟独りなのに。夕飯はいつも彼のバイト先のラーメン屋の煮卵とチャーシュー。流石に麺は持ち帰れない。
もう家の蓄えも底をついた。

この時点で制度的に保護がかからなければ、この一家の崩壊は免れない状況となる。
彼らだけでは余力も何もない。何も見えない。
弟は何とか自分がいなくなった後の生活を兄に託そうとする。
だが、兄にいったところで一切受け付けない。「だめだよ~。わかってるだろ」
認知症のかなり進んだ母と発達障害の兄の会話がほぼギャクになっていて所々で笑ってしまう。
もっとも深刻で絶望のどん底にある弟も思わず苦笑する。

兄に何とか頑張って欲しいと願っても無理だと突っぱねられ、その背景では今夜も母が「よ~い」と踊り出す。
「ピクニックに行こう」兄が提案する。「僕たちを残して行かないでよ。」
翌日レンタカーに練炭積んでピクニックに3人で出向く。
綺麗に晴れ渡ったピクニック日和に。
車内で無邪気に喜ぶ母。相手をする兄。冗談みたいなやりとりを聴きながら運転する弟。
これがただの休日の家族そろってのピクニックなら、、、

3人シートに寝そべり空を眺める。「たまにはいいよなあ~」と兄。
「長生きはするものよね~。」母は上機嫌で、隣の弟に、兄弟のことを褒めて聞かせる。
勿論、当人に言っているのではない。兄は夫だと信じ込んでいるし、弟は他人(ラーメン屋)だと思っている。
しかしこころは、ふたりの息子のありのままを愛し、一片の疑いもなく信じていることが分かる。
良い母だったということは、はっきりと分かる。だから今も大切にしているのだ(エンディングの曲の歌詞からしても)。

そして母は胃薬だと言って渡された睡眠薬が効いて眠りに落ちる。
ここで弟は、兄に死んだ気で頑張ってくれと泣いて懇願する。

兄は仕事に就いていた。
勿論、作業効率は酷く悪く上司からしこたま怒られていたが、言葉として彼には届いておらず笑顔で返していた。
だから、続く。
明日からデイサービスが入り、淋しくないですよという介護の女性が母に話しかけていた。
弟の気配は何処にもなく、、、。



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ピカレスカ Novela Picaresca

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Novela PICARESCA
2021

倉田健次 監督・脚本

広澤草 、、、ヨーコ(古本屋店主)
結城貴史 、、、シライ(小説家)
杉本ミホ 、、、カナエ(看護婦長)
YOUNGBO、、、キム(韓国人留学生)


今日も30分ショート映画で。
田舎町にあるアンティークな図書館みたいな古本屋である。
ほとんど趣味でやってる本屋という感じ。

Novela PICARESCA001

ヨーコとシライとの間の「間」が何とも謂えなかった。
確かに適切な間であったと思うが、自然な間というより文学を意識した間に思えた。
それとして、分かるのだが。
チューリップの色で返したり、も。
間といい、セピア調の景色といい、何とも作り物的な箱庭的な御伽噺を感じる。
この雰囲気が終始どうにも居心地が悪い。
ただ、ヨーコと韓国人留学生のキムが話す韓国語の意味が分からず、何て言ったのと聞くカナエに一切何も語らないヨーコの姿には共感した。

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シライが些細な日常を描写した小説では売れないからピカレスクものを書くという。
作家に憧れを抱いているらしいく、ヨーコはその手助けを出来る限りやりたいと思う。
題材は「バスジャック」で行くという。
ヨーコは、それからというものそれに関する資料に当たるがピンとこない。
それで実際にバスジャックをやってみることにする。
普通やるか?やらなくても想像力でリアリティある創作をするのが小説家である。
そのお手伝いとは言え、ホントにやっては身も蓋もない。というより意味もないはず。

100円以上の本は買わない常連の看護婦長カナエとバスで一度抗議をしたことのある韓国人留学生のキムを仲間にして3人で決行することにする。この辺からワザとらしいコントを観る気分となる。
そして3人で畑からバス停に向かって勢いよく走って乗り込み、試みるが上手くいかない。
何度かトライするも腰砕け。
その有様を並べて筋立てて行き最後に(何らかの形で)決めるという在り来たりの手法だ。
別に流れが分かりきっていても構わないが、この発想とやり方自体が稚拙で現実離れし過ぎ。
それからまだ陽のある時期から3人で集まり実施しているが、そんなに彼らは暇なのか?
どうも真面目に付き合う気になれない。

しかもゲーテやニーチェの格言を古本屋の主と客の作家との噺に絡めたりするが、それがしっくりくるような物語でもない。
間が思わせぶりに思えて来る。
単に勿体ぶっているような。
色調が嘘くさくて、、、。

Novela PICARESCA006

そして何とも、キムが韓国に帰るので、今日こそ決めようとやったバスジャックが成功する(運転手が承諾する)。
丁度そのバスには、暫く店に来なかったシライも都合よく乗り合わせているではないか。
運転手がいいですよ、何処に行きます?と聞いて来るので、綺麗なところお願いしますと、キム。
景色の良いところで停車して、運転手とキムとカナエは景色を観ながら語り合い、、、。
(毎日同じところを回っているのが飽きたってそれが仕事なんだから。少し自分なりの工夫が出来るところでタクシー運転手にでもなれば。発想が幼稚過ぎる)。
一方、ヨーコは作家から、何故毎週本屋に来ていたのか、もう来る必然性がなくなったのかを知らされる。
もうこれで、シライともお別れである。
バスジャック班も解散となった。肝心の小説は出来るのだろうか。

Novela PICARESCA004

最後にパンを抱えて店に帰ると、黄色いチューリップが本屋に置かれているのを見て必死でバスに走り乗り込む。
(このチューリップは以前、花を必要としていたシライに渡した白いチューリップのお返しだ。恐らく難病で長い闘病を続けていたという彼の妻へのお見舞いに使ったのではないか)。
シライはバスには乗ってはいなかった。
しかし彼女はもう泣かないでパンを食べることが出来るようになった、で終わるが、、、。

そもそも泣きながらパンを食べたのは、幼少の頃クリスマスの前日に母がパンをあてがい彼女を祖母に任せ出て行ったトラウマに帰するところであろう。
それが今回のこの一件で吹っ切れたというのか。
どういう回路でそうなったのか、理解不可能。

Novela PICARESCA003

キャストなどを調べている時、監督のメッセージが目に入ったので引用を。
「人生の正体を知るには私達は何を行えば良いのか?普通の人間が求めた「悪徳(ピカレスク)」の姿から、観客の皆様にも今一度人生を真正面から見つめて頂けたらと想い、本作を描きました。」
そんなにたいそうな内容のものであったのか。
これを観て人生を正面からとらえ直そうと思える人って、どんな人?





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