プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
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カッシーニ グランドフィナーレⅡ
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スノーデン
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透明な身体性
森羅万象を描く デューラーから柄澤齊へ
ヴィデオドローム2 ~イスラム国 ~アノニマス
見えない重力を描く Ⅱ
美の翳りに寄せて
写真についてーⅡ
午前零時の奇蹟(シュル・レアリスム覚醒の時間)
パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
未来派の画家~ウンベルト・ボッチョーニ
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安寧をデザインする

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NHKの「デザイントークス プラス」”安寧”を観た。


インスタレーション~スヌーズレンでも以前書いてみたが、、、
五感を研ぎ澄ませて自然に対し身体感覚を呼び覚ますことが、こんな時期だからこそ、肝要だ。
生活自体を見つめ直す。
そして何らかの働きかけをすること。
~デザインする~

五感で自然を受け止める「装置」を作ること。
(インスタレーション~スヌーズレンのような大掛かりで共同体向けのものではなく、ごく個人的なレベルで)。
古くは風鈴などがあった(今も夏の風物詩であるが、、、本来「鐸」であり風の音連れを知る装置だ)。
絵を描くときに落ち着くのもこの作用であり絵を描くこと自体が装置の稼働となる。

自然の見方を変えてみたら、というコーナーでは、やはり身体的な働きかけから始まっていた。
環境に向き合い、ちょっとしたスウィッチをまず自分で入れること。
やはり身近な環境のスケッチをしたり、必要な道具を作ってみたりする過程で新たな見方が生じる。
知覚(志向)~認識の片側(の場所)が生じると同時にその片側も生まれる。ゲシュタルト~全体性が現れる。
ここではランドスケープデザイナーやアーティストが幾つものヒントを出していた。
異化が起きる。
遊びも生まれる。
そう、落ち葉のフカフカの小山を見たら、それをクッションに見立てて腰を下ろしてみる、くらいのこころの余裕であろうか。
何かが変わる契機というのは。

意識のデザインをすること。
お寺の住職が精進料理を作っているところを見て、もっと料理自体に向かう意識を細やかに押し広げる必要を感じた。
(こうした風景を見るといつもそう思うのだが)。
素材に対して、調理~素材の変化に対して、、、。
光の反映を見ているだけで実際、意識のデザインが可能だ。
最近流行りの窓が壁面には無く、屋上の天窓から採光する住宅など特に光の変化で自然を微分的に味わうことが出来る。
特に雨後の気象における光(と影の織り成す繊細なパタンの動き)の雄弁さなど。
意識の強度が違うはず。

浮力や重力や磁力を自然物と人工物を用いて模型的に可視化するデザイナーの作品は印象的だった。
物理現象~力を極めて単純な形にまでそぎ落とした要素の動きで愉しく見えるものにする。
単純な形の紙片による大変面白い動きの世界だ。
ここまで透徹した作品は清々しい。
重力そのものを可視化したようなオイルの中を落下し続ける水玉など秀逸であった。

自然に五感と感性を解き放つこと。
これを忘れると人は狂ってしまう。

絵を無意識的に描こうとするのも、そんなところから来ていると思う。




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宮崎 学 アニマルアイズ

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NHKの「新日美」で、写真家である宮崎学の”アニマルアイズ”を観た。
モノを作る事の意味~必然性について考えさせられるものがあった。
彼は撮る対象によって最も良い撮り方を考えた末、それに最適な機材から常に手作りして対応するようになる。
そして撮影という概念すらも変えてしまう。
無人の自動カメラの設置である。(これに対しては他の写真家からの批判もあったという。自分の指でシャッターを切らないのはどうか、とか)。
しかもどのようなレンズをどうつけるか何処に向けるか等もテーマによって根本的に最適化を図る。
人が撮らないことで見えてくる対象そして世界の即物的な美しさというか、、、。
大変ビビットな映像に魅入ってしまった。
(最近、つくづく思うのが、コンセプトの重要性である)。

他者になる為の装置。
カメラの可能性を改めて実感した。
哲学的(存在学的)であり極めて科学的な姿勢である。

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道具によって見えるものが変わってくる。これを力説していた。だから彼は作る必然があるのだ。
目線の高さも大きい。
人の目線を避け、動物の目線で撮る。
しかし隠れて構えていると、動物だって身構える。撮影という行為そのものから考え直す。
そこから、全て独自開発の自動仕掛けカメラでの記録に移行した。
これで人間中心主義的な関与は限りなく後退した。

撮る場所~対象そしてテーマによりその都度スペシャル機材を開発して設置する。
(対象により一回ごと、テーマごとに新たな機材を作るのだ)。
そして動物の動きを高い精度で予測する必要があるため何度もフィールドワークを行う。
事前準備で撮影結果のほとんどが決まるためだ。
主に糞と食べ滓から生活空間と行動範囲を探る。
トイレが肝心。そこで彼らは情報交換する。お前何を食べて来たのか、、、どこにあるのか、、、。
彼が歩くと動物の気配が立ち広がるという。
動物の生活圏を見つければ、後は最も良い場所にカメラを仕掛ける。
だが、どういう向きで?

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テーマによる。
動物の背中越しに遠くの地平に見える人間の営みを記録することもある。
イルミネーションで明るい夜空を眺める狐とか、、、。人間世界の変遷を動物もずっと見つめてきただろうと。
魚眼レンズを上向きに設置した、梢から夜空が覗く円形の枠内に様々な動物の横切ってゆく姿。
その順番にも意味がある。

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テーマによっては、死後の腐敗してゆく死体がどういう動物にどのように喰われてゆくか、段階的に撮ってゆく。
誕生とか活き活きした姿だけでは、自然いや人間の世界も語れない。死を避けては通れない。
道路~高架下から塩化カルシウムが大量に流れ落ちたせいで、鹿が繁殖した経過も森や崖を歩きながら自ら確認してきた。
産業による自然破壊などという一括りでは語れない流れが幾つもあるのだ。
実際に、彼は足で様々な連鎖を見て来た。
自然と人間の営みの絡み合いは複雑な作用を生む。
自然に対する単純なプロパガンダでは到底把握できない状況がある。


時間を置いて、設置場所に見回りに来て、無人カメラの結果を確認する。
普段観えない、観ない世界が映っている。
これが愉しくて仕方ないのだそうだ。
ホントにリアルに感じられる。
われわれの外部の動物を観た気がする。


清々しい解放感を覚えた。



写真集、、、
『けもの道』、『鷲と鷹』、『ふくろう』、『フクロウ』、『死』、『アニマル黙示録』など多数。
第1回絵本にっぽん大賞、日本写真協会新人賞、第9回土門拳賞、日本写真協会年度賞(1995)、講談社出版文化賞受賞等受賞、、、等受賞。






























ウチのはらのうち

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2013年


岩下智香子 監督・脚本

松永渚、、、ちひろ(大阪の女子高生)
大河内奈々子、、、春乃(母)
ウダタカキ、、、隼(義父)
笠原千尋、、、弥生(東京のルームメイト)


監督19歳の瑞々しい作品である。
19ならさぞかし思い切ったことも出来るだろう。
或る意味、怖いものなし、ではなかろうか、、、。
物凄いチャレンジ精神で臨める気がする。
(わたしがもしその立場なら、もうやりたい放題、何でもかんでも詰め込む(爆)。

松永渚という主演女優がまた良い。
この役柄にピッタリの女優だ。
演技も分かり易い。何を伝えたいかがよく分かる。
だが一点、普通の場面の会話はよく聞き取れるのだが、「ウチのはらのうち」を海に向かって叫んでいるとき肝心の言葉が聞き取れなかった。実は、夜景を観ながら歩道橋の上?で激白した時もいまひとつ聞き取れなかった。
肝心なところで聞き漏らしてしまったのだが、そこの音響の工夫~配慮をして貰いたかったものだ。
活舌とかいうレベルではなかったと思う。
音の拾い方と流し方~エフェクトの問題だ。編集過程でどうにか出来たとも思える。
ともかく、その辺りは勢いだけは伝わった。セリフもだいたい想像できた。

共感出来る作品である。

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結果的に毒母(と毒義父)になってしまっている親のもと、家族間の綱渡り的なバランスを保つために自分を犠牲にしている長女像そのものである。
その副作用でいつもへらへら(ニコニコか)スマイルがこびりついた表情になってしまっている。
その表情を何度となく弥生に突っ込まれていた。やはり見る人が見ると気に障るのだろう。
相手に悟られないように本心を隠すための盾ではあるが、彼女自身としても恐怖で自分を曝け出せないのだ。
それでいつとはなしに身についてしまった自己防衛の笑い仮面~ペルソナと謂えるか。

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親の離婚で実の父は出て行ってしまい、その後にやってきた義父と母を気遣いながらずっと耐えに耐えて波風立たぬように暮らしてきた。父の違う妹と弟の世話を焼きながら、自分のこころに蓋をして来たのだ。
それがある時、義父からの言葉~メールでだが~「おかあさんよりちひろの方が好きだと思う」に、突き崩されてしまう。
もうとても一緒にいることなど出来ず、大阪から東京に独りで引っ越してくる。
ただ、救いは母がちひろの内面を彼女なりに理解してくれたことである。

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母の男に頼り依存しなければ生きて行けない弱さと相手の男の他者感覚のない鈍感さが結果的に毒親(環境)となっていた。
重度の毒親からすれば、虐待を毎日繰り返したりコントロールして絡めとり憑依することもないだけましと言えばそうだが、常に自分を弁え、周りばかりを気にして生きることは、自ずと自分の生を生きることを疎外してしまう。
(あるところまで来ると自分だけでは、分かっていても、どうにもならなくなってくる)。
それが常態となってしまうと、その先には大きな不幸が待っているだけ。

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丁度よい時期に、親環境を離れ、東京に出てユニークな友達に遭えたものだ。
ここで充分な突っ込みと刺激を貰い、こころが解れ自分の感情と思考に忠実に生きることが出来るようになれば、言うことなしである。
ふたり漫才コンビを組むのかどうかはともかく、自分の半生をネタにして対象化することは充分に意味のあることだ。
そしてその時々の自分を褒めること。自分が自分の保護者となることである。
過去のイメージが充たされ自然に今の自分へと重なってくれば、自尊心を持った年相応の多感な少女となっていることだろう。

そこに行くまでには、ふたりで思い切って泣いたり喚いたりも良いものだ。
海に向かってというところは、余りにベタだったが(笑。












Dr.STONE

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2019年
Season1 1~24話(TVアニメ)、、、Season2は2021年1月より放送予定。

飯野慎也 監督
稲垣理一郎・Boichi 原作
加藤達也・堤 博明・YUKI KANESAKA 音楽

        (声
千空 (天才科学者高校生)、、、小林裕介
大木大樹(体力自慢の千空の親友)、、、古川 慎
小川 杠(大樹が思いを寄せる高校生のクラスメイト、手芸部)、、、市ノ瀬加那
獅子王 司(霊長類最強の高校生)、、、中村悠一
コハク(大変な戦闘力の少女戦士)、、、沼倉愛美
クロム(千空と同じ歳ごろの石器時代の科学者)、、、佐藤 元
金狼(腕の立つ門番)、、、前野智昭
銀狼(金狼の弟)、、、村瀬 歩
ルリ(巫女、村の物語の伝承者、コハクの姉)、、、上田麗奈
スイカ(村の近視の少女)、、、高橋花林
あさぎりゲン(メンタリスト、司を裏切り科学の国につく)、、、河西健吾
カセキ(超絶的な腕を持つ職人)、、、麦人
マグマ(全身筋肉の武闘派)、、、間宮康弘
百夜(千空の父、宇宙飛行士、石神村の始祖)、、、藤原啓治
リリアン・ワインバーグ(宇宙飛行士、石神村の始祖)、、、Lynn
シャミール・ヴォルコフ(宇宙飛行士、、石神村の始祖)、、、森久保祥太郎
コニー・リー(宇宙飛行士、石神村の始祖)、、、金元寿子
ヤコフ・ニキーチン(宇宙飛行士、石神村の始祖)、、、山本兼平
ダリヤ・ニキーチナ(宇宙飛行士、石神村の始祖)、、、田中理恵


大変な問題作だ。
科学をここまでワクワクする物語に落とし込めた作品はないのでは、、、。
SF映画でもここまで壮大なものは少ない。
そしてストーリーが緻密で練り込まれており、多彩な伏線が後に見事な形で回収されてゆく。

人間(と燕)が石化して、3700年後に主人公が目覚めると地上は既に文明以前の状態に戻っていた。
周囲は石像だらけの森である。
その時点から、彼の科学の知識を総動員して、目覚めている人たち(石神村)のマンパワーの助けを借りながら文明を取り戻してゆく過程を壮大なスケールで描く。それぞれの立場の人間模様も複雑に絡みつつ。
やはりアニメ連載~TV連続放映のかたちであることから、かなりの内容~情報が詰め込める利点はある。
これが二時間尺の劇場版などになったら、少なくとも4回に分けて映画化することになろう。

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兎も角、面白い。
何が面白いのかと思うと、その都度設定した科学的な課題をテンポよくクリアして問題解決してしまうところだ。
われわれの生理リズムにきっと合っているはず。
妨害も敵対者もスパイも入って来る中、困難の解決を短いスパンでスカッと攻略してしまうところが小気味よく、この物語の魅力となっている。
これといって人も死なずにスリリングで緊張感も途切れない。

更に各キャラに魅力がある。
平板で特徴のない(不自然な)キャラがいない。
どの登場人物にも共感できるものがある。これは大きい。
あまり妙で無理な設定のキャラが動き回るとそれだけで観る気が失せる場合もあるが。

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そして何より、科学が中心でありこれほどそれを活かした内容のアニメ(映画)があっただろうか、という面白さである。
敵に対しても全て科学的な方法や武装によって撃退を図る。
まずは人の生活、健康を最優先に科学によって守る。

千空の驚異的な頭脳は、自分が石化していた時、唯一自由であった意識~脳で秒数をカウントし続けて居たことからもその一端が窺える。目覚めてからというもの急速に石器による道具製作、火の管理、衣食住環境を整備してしまう。だがどうにも労働力が足りなかった。そこで他に人間を探す。自分と異なり石化を免れていた一団を発見し、彼らのマンパワーでいよいよ科学文明の再生に手を付ける。
柔軟な思考と鋭い観察眼とトライ&エラーを繰り返し実験を重ねる姿勢も記録を残すことも一流の科学者のそれだ。

まずは、洞窟で石化から解けたことからその中の環境を探り「ナイタール」(エッチングに使う腐食液)によるものと突き止め天井から滴る硝酸を元にそれを生成する。だが、その環境を思想的に敵対する獅子王 司に押さえられ、以降人の蘇りは司が進めることとなり千空は既に目覚めている人々と科学を興すことに執念を燃やす。一方司は、老人を間引きしつつ若い人々を増やしてゆき武力を基本にした一代帝国を形成しようとする。彼は既得権益などを主張する大人に絶望しており以前の世界の再生を望まないのだ。

それ以降両者の対立は深刻化し、決定的な決戦は免れないであろう情勢となる。
(千空は一度、司に殺されるが、石化の蘇生修復作用を利用し蘇る。それも組み込んだうえで司の手にかかったのだ)。
闘い~防衛には火薬が必要であり、千空は硫黄の確保に向かう。大木大樹と小川 杠には、自分は死んだという前提で、司帝国のスパイとして潜り込ませる。司のスパイとして逆に潜り込んできたあさぎりゲンは逆に千空の科学知識と底知れぬバイタリティに魅惑され科学王国に寝返り、二重スパイの役目も果たす。メンタリストとしてのスキルも活かし千空の仕事に貢献してゆく。

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千空は石神村の人々との邂逅で、科学的成果を次々にあげてゆく。
巫女のルリが肺炎に罹っていることを知り、抗生物質を生成するが、そのために多くのハードルを乗り越える。
その過程で幾つもの有用なモノが副産物として生産されてゆく。コーラや日本刀、眼鏡もである。

まず村人の労働力を得る為に料理~猫じゃらしラーメンで釣る。
これが当たり、人手が入ったことで、人力を使い1500度の火力を生んで鉄の生成を成功し、雷の落雷を利用して発電用の強力な磁石を製作。発電システムを作る。これによって人力から電力による動力が生まれ村人は大いに喜ぶ。そして発電により村に明かりが灯ったことで村人誰もが驚き、科学によるモノづくりへのモチベーションが一気に上がる。
ガラス器の生成によりフラスコ等の実験器具も作ってゆく。これらの複雑で精巧な道具作りには、カセキという天才職人によるところが大きい。そして村の妖術使い(改めて科学使い)クロムの理論の吸収、応用の速さも特筆ものだ。
硫酸をガスマスクを作成してそれが発生する沼地に収集に行き、危うい目に遭いながらそれを手に入れる。
硫酸ゲットで全てのものの生成、合成において拍車がかかり科学製品製造プラントが出来てゆく。
最終的にサルファ剤の生成によりルリの肺炎が快癒する。
これにより現村長の絶対的信頼を得て、御前試合の結果も踏まえ、千空が新たな村長に就任することとなる。
この結果、彼はより科学実験や製作が自由にしやすい境遇を得た。

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そしてこれまた大変な科学的ハードルを次々にクリアして行き、携帯電話~トランシーバーか?まで作り上げる。武力では到底かなわぬ相手に対し情報戦で打ち勝つ計略だ。幸い親友を2人内通者として忍び込ませてある千空であった。
これまで敵対していた村人も、スピーカーから発せられる遠く離れたクロムの声に驚愕し、千空の命を狙っていたマグマたちも本当に仲間となる(一緒に命がけで鉱石採掘に行き、険悪な関係は解けて来ていたが)。
この過程でレコードプレイヤーも作り、ルリのような巫女が代々受け継いできた物語を作ったこの村の始祖であり、千空の父である石神百夜の肉声を、彼の墓標から取り出したガラスのレコード盤により、村人たちに聞かせる。
(この村は3700年前にISSから帰還した宇宙飛行士の末裔の共同体なのだ。それで彼らは石化を免れた)。
歌手でもあったコニー・リーの歌声も聴き、村人たち誰もがこころから感動し、石神千空を村長として認める。

そして科学王国の建設も加速し、いよいよ冬が明けて司帝国との全面戦争を迎えようとする。
(省略は多いが、大まかな流れである)。


Season2へ。



西の魔女が死んだ

The Witch of the West Is Dead002

The Witch of the West Is Dead
2008年


長崎俊一 監督
矢沢由美、長崎俊一 脚本
梨木香歩 原作
手嶌葵「虹」主題歌

サチ・パーカー、、、おばあちゃん
高橋真悠、、、まい
りょう、、、ママ
大森南朋、、、パパ
木村祐一、、、ゲンジ
高橋克実、、、郵便屋さん

原作は未読。
(わたしの場合、ほとんど未読)。


そろそろわたしも助走力を付けないと、、、。
環境ビデオみたいに落ち着いた映像が流れる。
気持ちも休まるものだ。

噺は、いきなりおばあちゃんの危篤の知らせを受け、まいが母と車でおばあちゃん宅に向かうところから始まる。
車の中でのまいの回想が描かれてゆく、、、それは長閑な場所での、気品のある言葉を使うおばあちゃんとの想い出が溢れ出行く。
まいの全てを受け容れてくれる大好きなおばあちゃんである。

The Witch of the West Is Dead003

パパとママも普通にまいを大事にしているし、おばあちゃんが素晴らしい人で、とても恵まれた子と言ってよいだろう。
中学になったところで、不登校になり、両親の決断もあり森に住むおばあちゃんの家で暫くふたりで暮らすことに。
おばあちゃんは、何というか、、、自然の摂理に通じた人であろう。
それで、人の社会のシステムに組み込まれた場所から見ると魔女的に見える人かも。
ファンタジー要素は、まるで無い。

現実的であり、より現実~自然に忠実に生きましょうという姿勢に受け取れる。
わたしも実感するところであるが、植物と寄り添うように生きるとそのリズムが体内に浸み込んでくるような感覚を覚える。
このおばあちゃんは(自分で育てた)植物にとても詳しい。
生活に植物は食物としても欠かせないものとして大変身近にある。
生きた形の分かるモノから食材に加工し、調理して食べる、この感覚は大きいと思う。
まさに自分たちの環境を作っている植物を中心とした、ほぼ自給自足の生活なのだ。
タンパク質は鶏の産んだ卵くらいか、、、肉や魚も取り寄せたりはするであろうが。

The Witch of the West Is Dead004

こうした環境におばあちゃんのような人と住めば、変調を来した体内リズムの回復にも充分役立つことであろう。
そう、いくら自然環境に気を使っても、一緒に住む人間が肝心であることは、言うに及ばない。
魔女になる訓練と称して(お洒落な言い回しで)手ほどきを受け、自分の全てを受け容れ主体的に生きてゆく過程に思える。
基本プラクティスは、毎日の生活~起床、掃除、収穫、料理、洗濯、ベットメイキング、就寝等をしっかりと行うことである。
そして何事も自分で決めるというのが基本方針である。
自分に合わないところに無理に合わせる必要はない。
学校に行けないなら、ここで魔女になりなさい。
(一人前の魔女となり~自立して~巣立ちなさい、というところか)。
時間は充分にあるのだ。慌てる必要はないはず。

しかしどのような環境に住み、どのような人と共にいようと、外界は干渉し侵蝕してくる。
まいもその(悪意の)一端に触れ激しくそれを嫌悪し排斥する。
その怒りの気持ちは充分に分かるものだ。
充分に分かるのだが、魔女であるおばあちゃんからすれば、それは相手に対する反応であって、対応ではない。
生理的な反応で翻弄されてしまえば、自分を生きていることにはならない。
自分が嫌悪する対象に従属することを意味する。囚われている。
何ら主体的ではない。
何事も自分で決めて生きてゆくには、自分の意志による対応が冷静に出来なければ意味がない。
(このままでは登校も覚束ない)。

まいはその部分でまだ幼過ぎた。
おばあちゃんと対立し齟齬を生じたまま両親が引っ越す新居に引き取られて行ってしまう。
勿論、それまでおばあちゃんから受けた日常生活を通した魔女の訓練で得たものは大きく、新しい学校にも上手く適応出来ていた。
そう、自分をしっかりもって適応できることは重要(な生きるためのスキル)である。

The Witch of the West Is Dead001

以前、おばあちゃんと「死」について話し込んだ時に、まいは大変な不安として彼女に打ち明けていた。
この時期、誰もが一度は抱える死の不安である。
死とは何か、、、
おばちゃんは、自分の見解を話して聞かせる。
死とは肉体から魂が解放されることだと、、そうわたしは信じていると。
それをその時に、まいに知らせると約束する。
母とまいが到着した時にはすでにおばあちゃんは息を引き取っていた。
だが、温室のガラスに以前彼女が話してくれた考えの答が書かれていた。
わたしは解放されたと。

まいは自分が忌み嫌っていた人の別の一面も見る。
彼女もこの先きっと、主体性をもって解放に向けて生きてゆくのだ。


手嶌葵の「虹」は滲みた。
エンディングにピッタリ。









サリー 死霊と戯れる少女

WHEN THE LIGHTS WENT OUT002


WHEN THE LIGHTS WENT OUT
2012年
イギリス

パット・ホールデン監督・脚本

ターシャ・コナー、、、サリー(女子中学生)
ケイト・アシュフィールド、、、ジェニー(母)
スティーヴン・ウォディントン、、、レン(父)
ハンナ・クリフォード、、、ルーシー(サリーの親友)
アンドレア・ロウ、、、リタ(母の友人)
マーティン・コンプストン、、、プライス先生


死霊と戯れていたとは、到底思えないが、、、。
「ライトが消えたとき」、、、意味不明。

いつもなら、観ない映画だが、引っ越した家でポルターガイスト現象と遭遇というよくある(あくまでも映画でだが)内容の噺のようであるため、軽い気持ちで観てみた。
ここのところ、日常生活でドッと疲れることが続き、こってりしたものを観て書く余裕がないのだ。
先日の「Dr.STONE」は、ちょっと作品のパワーが凄すぎて時間と体力のある時に、回したい。
今は受け止めきれない。わたしが大変低空飛行中なので。


実話がベースといっているが、別に創作だろうと実話を元に作っていようと、この作品~時間が面白いかどうかだけの問題である。
観終わったところでハッキリ言って特にインパクトはなかった。
新鮮味もない。ポルターガイストものは結構見ているし。

WHEN THE LIGHTS WENT OUT003

娘のサリーは端から何かいると感じていたが、親は全く取り合わず、やっと手に入れた郊外の家で満足気であったが、、、
直ぐに誰の身にも怪現象が起こる。
しかしそのことをそのまま受け入れない。
事もあろうに、その家の異常にいち早く気づいた娘のせいにする。全て娘が悪いと、、、。
何か(非常事態等)起きた時に、その家族の本質が露呈するものだ。
典型的な毒親家族ではないか、、、。

サリーに好意的な担任?プライス先生の尽力により、図書館の書物にかつて修道士に森の中で殺されたサリーと同い年の少女の記録があることが分かり、家で起こる現象はその少女によるものと推測される。
だが、その他に明らかにサリーに殺意を抱く悪霊がいることもエクソシストにより判明し、それが厄介なものとなってくる。
(ポルターガイスト現象は少女霊がサリーに身の危険を知らせる為のものであったらしい)。
最終的に神父や親や友人もそこそこ解決には乗り出したものの、素人臭くおざなりな関り(ここは他の映画よりずっといい加減)で、問題は解消せず(あれで解消したら初めから何も起きてはいまい)、最後に霊同士(殺された少女の霊と悪質な修道士の霊と)の闘いとなり、悪霊が追い払われてその家族は助かるというもの。他人任せの成り行き任せである。
サリーはもうすんでのところで、悪霊に絞殺されるところであった。
少女霊が、まさにウルトラマンであった。他の大人はまるで役に立たない。
こんな酷い目に遭う前に、端から少女の霊にやっつけてもらえたらよかったのにね、とも言いたいが、出てきて本領を発揮するまでにはタイミングでもあったか、、、霊の都合は分からない。

WHEN THE LIGHTS WENT OUT004

この噺で気になったのは、この引っ越した家にあくまで拘る親である。特に母親。
娘の言うこと~娘の気持ちなど全くそっちのけで自分の家に対する幻想にしがみ付き、横暴に振舞う様はまさに毒親の資格充分。
虐待も娘に対してしており毒親認定でよし。
父親も同等である。さっさとこんな家引っ越せばよいところ、金になるとか言って物見遊山な客を相手に一回一ポンドで見学会を催したりして、これが実話と言うなら呆れてモノも言えない。
実質被害者は娘だけではないか。
両親も怖い目を何度も見ているのに現実に対峙せず、娘に八つ当たりばかりしている始末。
これでグレナイ娘は相当人間が出来ているというか何というか、、、。
まだ、年齢的に親の庇護下に暮らす立場である為、耐えるしかない。
娘は、幽霊に耐え、親に耐え、で大変なストレスを抱え込む。
近所からはお化け屋敷に住む少女と排除、毛嫌いされ、、、親友の親からも娘を呼ぶなと悪意の目で睨みつけられる。

WHEN THE LIGHTS WENT OUT001

考えてみれば、こういうホラーは余りないかも知れない。
この娘はホラー界の”おしん”である。おお健気で可哀そうに~って、何なんだ。
まあ、何とも言えないが、そういう外界~霊界からの一方的な理不尽な暴力により大変な目に遭った娘の記録と受け取ればよいのか、、、。

それ以外に受け取りようがない噺だ。
ヒロインのサリーはよくやっていた。
良い女優だ。








Dr.STONE 1~24 観終わる

Dr.STONE001


飯野慎也 監督
稲垣理一郎・Boichi 原作
加藤達也・堤 博明・YUKI KANESAKA 音楽

        (声
千空 (天才科学者高校生)、、、小林裕介
大木大樹(体力自慢の千空の親友)、、、古川 慎
小川 杠(大樹が思いを寄せる高校生のクラスメイト、)、、、市ノ瀬加那
獅子王 司(霊長類最強の高校生)、、、中村悠一
コハク(大変な戦闘力の少女戦士)、、、沼倉愛美
クロム(千空と同じ歳ごろの石器時代の科学者)、、、佐藤 元
金狼(腕の立つ門番)、、、前野智昭
銀狼(金狼の弟)、、、村瀬 歩
ルリ(巫女、村の物語の伝承者、コハクの姉)、、、上田麗奈
スイカ(村の近視の少女)、、、高橋花林
あさぎりゲン(メンタリスト、司を裏切り科学の国につく)、、、河西健吾
カセキ(超絶的な腕を持つ職人)、、、麦人
百夜(千空の父、宇宙飛行士)、、、藤原啓治
リリアン・ワインバーグ(宇宙飛行士)、、、Lynn
シャミール・ヴォルコフ(宇宙飛行士)、、、森久保祥太郎
コニー・リー(宇宙飛行士)、、、金元寿子
ヤコフ・ニキーチン(宇宙飛行士)、、、山本兼平
ダリヤ・ニキーチナ(宇宙飛行士)、、、田中理恵


Season1は24話で終わりのようだが、これからというところで終わる。今見終わったところ、、、。今日は時間がない(笑。
それにしても、これでは、先が気になって仕方がない、、、。
Season2は来年こってりと放映されるようだ。

飛んでもない物語だ(そして何より主人公が飛んでもない。自分が石化してから3000年以上頭の中で時計のように時間を計っていたのだ。それが全てを物語るような少年)。
まどか☆マギカ」、「涼宮ハルヒ」、「メイドインアビス」に比較しうるとんでもない大作だ。
こんなものがあるなんて、ビックリした。
少年ジャンプに連載中ということで、観たくなってしまったが、、、。
それくらい「そそる」内容だ。
とても緻密で伏線の回収もスムーズで無駄がなく、テンポもよく、何よりエンターテイメントとして大変面白い。

リアリティも保証されており、とても観易い。
ある日突然、地球上の人と燕のみ石化してしまう。
石化した人間も脳の活動は続いていた。
3700年経った後、高校生の千空は石を破って目覚める。
文明の消えた地上「ストーンワールド」に科学の力をもって再び人間を復活させ、世界を復興しようと「科学の国」を打ち立てて頑張る主人公千空を軸にした壮大な物語である。
かつての世界を再現させまいとして、それを潰そうとする獅子王 司とその一大勢力との対立が緊張感を高める。

硝酸により石化した人類を蘇生する方法を千空が発明するのだが、それとは別にISSに行っていた宇宙飛行士(千空の父含む)は石化を免れ地球に戻り、その子孫たちが何世代にも渡り原始的な生活を送っている村を見出す。
彼らと共に千空は父のメッセージ(ルリの伝承した物語)も受け取りつつ文明を爆速で蘇らせてゆく。
何と言っても、材料(鉱物など)をクロムと共に採掘に行き、それを工夫を凝らした工程で素材に加工し文明の利器を製作してゆく過程が面白いのだ。そこに絡む各キャストの人間模様も負けずスリリングである。
それらが非常に丁寧に緻密に描かれてゆく。
片や司は千空の方法により石化を次々に解いて若者だけの軍隊を作り、年寄りで既得権を要求するような者たちを間引きしながら科学の世界を再興しようとする千空たちに挑んでくる。司は所有~支配・被支配関係を生む要素がある科学を基底に置いた世界を徹底的に嫌い、原始状態のまま生きることが人類にとって幸福であると信じるのだ。
まさにSeason1は、いよいよ司の軍が村長ともなった千空の「科学の国」に攻め込もうとするところで終わり、である。
多彩なキャラがそれぞれの立場から時間も縦断する構成から複雑に絡み物語を重厚にしてゆく。

科学全般について詳しい人はいるだろうから、千空という存在~キャラに無理はない。
ただ彼の理屈~理論が大変なテンポで具現化されるその作業工程にスーパーマンが絡む。
カセキという天才職人である。勿論、専門分野において飛びぬけた技量を発揮する巨匠はいるものだ。
しかしこの老人、何をやらせても出来てしまう。物語の性質上、テンポの上でも必要不可欠な存在でもあろうが。
カセキ以外は特に気にならない。(カセキも勿論、魅力的なキャラだが少し都合が良すぎる)無理な設定のキャラと感じる者はほとんど無く、各キャラが個性的で厚みのある描かれようだ。
特にメンタリストのあさぎりゲンは人間味が溢れていて魅力的。
まだまだ色々あるが、、、

何がどうなっていてこれからどう向かうのか、、、24話までの時点でかなり明瞭になってはいるが、、、


これから断片的に、このSeason1の物語~アニメの範囲で、チャームポイント等を挙げてゆきたい。


明日以降に、、、。











Dr.STONE 観始める

Dr.STONE001


飯野慎也 監督
稲垣理一郎・Boichi 原作
加藤達也・堤 博明・YUKI KANESAKA 音楽

        (声
千空 、、、小林裕介
大木大樹、、、古川 慎
小川 杠、、、市ノ瀬加那
獅子王 司、、、中村悠一


まだ途中~最初の頃、なので観終わったら感想というか、備忘録を書きたい。
とても面白い。作画も発想も流れも展開も、引き込まれる。
人類が皆、石化して数千年経ってから目覚めた高校生が科学の知識を元に人間世界を蘇らせようという物語みたいだ。
アニメオタクの次女の推薦によるもの。
前々から観てと言われていたが、なかなかその気になれずに引き伸ばしていた。
何故なら、TVアニメなのでまとめて観ても、かなりかかるので、、、。

何話まであるのか、分からないままに、つい先ごろから見始めた(笑。
いつ観終わるか分からないにしても、かなりワクワクする(爆。

映画は日中にひとつ観たのだが、いや昨日から今日に向けて二つ観ている、がどちらもこのアニメの1000分の1も面白くなかった。
やはり日本アニメは凄い。
邦画の実写は玉石混交だが、アニメはほとんど出来が良い。
日本人は、基本アニメオタクなのか?

何を言っているのか?
兎も角、観終わるまでかなり時間を要する。
毎日やることもある。
今日は一日がかりで、垣根の剪定をした。
明日は明日で庭の片付けが一日がかりである。

だが、このアニメは面白いので、観ないではいられないはず。
明日もどこかで時間を作り、観ておきたい。


ということで、本日はそのお知らせのみ(爆。



恐怖の報酬 オリジナル完全版

SORCERER001.jpg

SORCERER
1977年

ウィリアム・フリードキン監督
ジョルジュ・アルノー原作
ウォロン・グリーン脚本

タンジェリン・ドリーム音楽

ロイ・シャイダー、、、ジャッキー・スキャンロン偽名:ジャン・ドミンゲス(強盗犯)
ブリュノ・クレメール、、、ビクトル・マンソン偽名セラーノ(不正融資詐欺犯)
フランシスコ・ラバル、、、ニーロ(暗殺犯)
アミドウ、、、カッセム偽名マルティネス(パレスチナ過激派爆破テロ犯)
ラモン・ビエリ、、、コーレット(石油会社の支配人)


1953年のフランス映画『恐怖の報酬』のリメイク。旧作はまだ観ていない。

「魔術 師」か。邦題の「恐怖の報酬」の方が分かり易い。
ベラクルスでの暗殺犯。エルサレムでの爆破テロ犯。パリでの詐欺犯。ニュージャージー州での強盗犯の4人が南米に逃げのびてきた。このポルベニールというところ自体が何やらきな臭い土地だ。
その四人で、何の因果か石油採掘場での大火災の鎮火に向かうことに。
深い緑の中の禍々しい真っ赤な火炎が人を舐めるように燃やしてゆく光景も描かれ実にリアルであった。
現地の労働者たちの怒りも頂点に達する。

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どうやらアメリカ資本に対するテロによる爆破らしいが、そのいつまでも真っ赤に燃え盛る火災をニトログリセリンで吹き飛ばすため、ボロボロのダンプに、振動が加われば大爆発を引き起こす爆薬を積み込み、4人のドライバーで二台に分かれて出かけるという命がけの仕事を引き受ける。一台は保険扱いのようだ。そのくらい危険な仕事である。
8000ペソが会社から支給されるからだ。彼らには逃げのびる為の金が必要なのだ。
(ヘリによる搬送も検討されたが、振動がどうしても大きい。吊るして運んでも乱気流による爆発は免れない)。
ボロダンプもスクラップ同然のものから自分たちで整備して動くようにしてしまう。
作業光景がかなり詳しく描かれるところがリアル感と重苦しさが伝わってくる。
運転技術や火器の扱いだけでなく、かなりのメカニックたちである。

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出かけたは良いが、道なき道であり、悪路なんてものではない。
このダンプが道なき道をゆっくり走る姿は、あたかもジョーズのような不気味さである。
大雨は降るし、ダンプのトレッドギリギリの道幅でしかも道が端から断崖へと崩れ落ちてゆくではないか。
極め付きは、朽ちた木材で組まれた吊り橋を渡ってゆくところだ、、、
こちらとしても相当な緊張を強いられた。
一瞬たりとも目を離せられない。
スリリングと一言で謂うには軽すぎる。途中で今の動きで荷は大丈夫か?と心配するところはかなりあった。
そしてそこを何とか抜けたと思ったら、今度は巨大な倒木の障害物だ。

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ここで、他の3人の落胆を尻目に目を輝かせたのは、かつての爆発テロ犯である。
皆に指示を与えながら、荷の中の一箱を使って吹き飛ばす仕組みを手慣れた仕草で作ってゆく。
このような作業工程がかなりリアルに入って来るところで臨場感がいや増しに増す。
見事、巨木の障害物を取り除き、先頭車両(それまでは後続車)は絶え間ない緊張から解かれた油断からか、路肩を踏み外して荷が動き大爆発。漸く打ち解けて世間話を始めた詐欺犯と爆破テロ犯が呆気なく絶命する。
真っ赤な強烈な炎。そして白く伸びる虚しい煙、、、
CGでないことが、かえって迫力と生々しさを呼ぶ。

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後続車は、その為慎重に走って行ったが、盗賊に襲われる。
食料品狙いだ。だが荷の爆薬を観て色めき立ったところで、暗殺犯の男にスキを突かれて彼らは射殺される。だが暗殺犯も一発を食らいそれが元で死んでしまう。
結局、強盗犯が最後に独り残り、その爆薬を何とか火災の続く 油井まで運んで行く。
そこまでの夜の道のりもまるで地獄のように恐ろしい上に、これまで彼の味わった修羅場の恐怖がフラッシュバックしてパニックに陥れる。


仕事を果たした彼は会社から40000ペソを支払われることになるが、現金でないことがひとつ厄介であった。
そして次に逃げる場所を思案しながらバーで現地女性とダンスをしている最中に、彼を追ってきた殺し屋がタクシーで到着する。
そこで、エンドロールへ、、、。もうちょっと成り行きを観たかった。
報酬も何もあったものではない。
因果応報である。


BGMにほとんど耳が行かなかった。
タンジェリン・ドリームに気づかなかった。
もう一度、聞き直すか、、、。







ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK

EIGHT DAYS A WEEK 001

EIGHT DAYS A WEEK
2016年
イギリス、アメリカ

ロン・ハワード監督・製作
マーク・モンロー脚本

ジョン・レノン
ポール・マッカートニー
ジョージ・ハリスン
リンゴ・スター
ブライアン・エプスタイン
ジョージ・マーティン

ウーピー・ゴールドバーグ
エルヴィス・コステロ
シガニー・ウィーバー


1963~1966のツアー期のビートルズを中心に描く。
見事に構成されたドキュメンタリーフィルムである。
(この期間は、曲はほとんど全てレノン=マッカートニーによるもので、後の濃厚なスタジオ制作期に入ってからジョージの覚醒となる。”ホワイルマイギタージェントリーウィープス”は「ホワイトアルバム」まで待たなければならない。ここで彼は時熟した)。
監督が「アポロ13号」、「インフェルノ」、「スプラッシュ」、「天使と悪魔」、「ビューティフル・マインド」などのロン・ハワードだ。
やはり期待を裏切らないものであった。

EIGHT DAYS A WEEK 002

何にしても、ビートルズとは、わたしの無意識だ。
小~中学生時代、ビートルズの音楽で辛うじて、息が出来た気がする。
音楽は誰にも止めることは出来ない。ビートルズは遍在し常に潜在し続けた。
もしビートルズがいなかったら、毒親に完全に潰されていたはず。
確かに全世界的に見て(私的に見ても)ビートルズの影響力は途轍もないものであった。この映画で再認識できる。
彼らの音楽がわたしの宗教~救済の役目を果たしたのは間違いない。
わたしは彼らの正統な信者であり、本当の(不肖な)息子であり、その音楽は空間の振動のように自然に無意識に身体に浸透した。
血肉となった。

久しぶりに彼らの姿に接し、音楽に触れ、自然と涙が溢れた。
静かに浄化されるような、そんな心地のまま、、、。
ああ、また聴いてみよう。

ビートルズでとやかく述べる気もない。
ただ聴けばよいのだ。それだけ。これを観てもそう思うだけ、である。

EIGHT DAYS A WEEK 005

公民権運動、黒人指導者たちの暗殺、JFKの暗殺、ベトナム戦争の泥沼化、東西冷戦、宇宙開発競争、、、などの差別、抗争、抑圧の社会背景も絡め、1965年のビートルズのMBE勲章の叙勲もしっかり尺がとられていた。
ジョンの「キリストより僕らの方が有名」発言でアメリカで大パッシングに遭うが、日本でも右翼などをはじめとして、彼らが若者への影響力を強めるに従い、それをこき下ろそうとする勢力も大きさを増した。
こういう動き~反動はどうしても(物理反応みたいに)起きるものだ。
しかしフロリダ公演において、「人種隔離する会場での演奏はしない」という毅然とした態度は、間違いなくその後の人種政策を加速させたはず。

ビートルズに対する熱狂は止まない。
だが、この映画にも頻繁に映し出される、若い女性たちの様相は明らかに常軌を逸している。
こうした反応に対し、当時は何であんなに泣きわめき失神したりするのだろう、発散とか解放とはまた違うな、という違和感はもってはいたが、気にもしなかった。
ここで改めて観てみて、この集団ヒステリーとも取れる狂態であるが、実際彼女らはステージの彼らの曲を聴いているというよりその偶像(記号)に酔いしれているだけである。この関係性はかなり危険性も孕む。自己幻想を投影して酔いしれる構造は、あのジョンの悲劇にも繋がるものを強く感じさせる。

1966年日本での武道館ライブもしっかり収められていた。浅井慎平が何を解説しているのかチンプンカンプンであったが。
3年の間にこなした世界公演とスタジアム演奏は、彼ら以前には無いモノであった。そして大掛かりな警備とその混乱も。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」でも1位であり、、、
ギネス・ワールド・レコーズに最も成功したグループアーティストと認定されるに至るが。

EIGHT DAYS A WEEK 003

愛と自由や解放を唄う彼らが、民衆の熱狂から身を守る為、護送車に揺られて会場を後にするところは、大変皮肉で痛々しかった。
その後、彼らはライブから退き、スタジオで音楽制作に集中するようになる。
リボルバー以降の一作ごとに革新的な音楽を創造する彼らのアルバムには特に愛着がある。
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が輝かしい再スタートという感が強い。
個人的には『ザ・ビートルズ』(ホワイトアルバム)が一番好きかも知れない。
そして『アビイ・ロード』を毎晩かけながら寝ていたものだが、、、。
最後の最後、真冬のアップルスタジオ屋上でのゲリラライブは、未だに感慨深い。
もうジョンもジョージもいない、、、。

ビートルズをシューベルトではなくモーツァルトと比較しようというのは賛成である。モーツァルトもこの時代に生まれていたらロックをやっていたかも知れないし。

EIGHT DAYS A WEEK 004

子供の頃、初めてビートルズを聴いた時のウーピー・ゴールドバーグの述懐には、深く共感した。
、、、わたしはわたしのままでよい。白人も黒人もなく、好きな恰好をして好きなように生きて良い、ということをはっきり知ったの、、、。

これこそ啓示である。







A Film About Coffee/ア・フィルム・アバウト・コーヒー

A Film About Coffee001

A Film About Coffee
2014
アメリカ

コアなコーヒーカルチャーのドキュメントであった。
「スペシャルティコーヒー」の市場が次第に大きくなっており、人々はより上質なコーヒーを求める傾向にあるという。
そこでコーヒーの生豆のバイヤーも世界の生産地を飛び回り、ここだという土地と生産者を探し出し直接取引契約を交わすようになった。
それによって会社は安定した高品質の豆が手に入り、生産者は安定した高収入が約束され安心して生産に励むことが出来る。
アメリカの「スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ」社とルワンダの生産者の間には、このWin-Winの関係が成り立っているみたいだ。
コーヒー関係にまるで興味も知識もないわたしでも楽しく観ることが出来た。

A Film About Coffee004

選ばれたアフリカの栽培地で選定された豆が丁寧に手で摘まれ、世界各地で試行錯誤を繰り返し焙煎され、名店それぞれの職人技でドリップされる。
このドリップ技術の高さと工夫により「これがコーヒー?」と感心するようなコーヒーが出来、その方法が洗練され匠の技みたいになると伝説の店になってゆくようだ。
日本の偉大な店として「大坊珈琲店」がしっかり紹介される。
淹れる工程が映し出される貴重なものではないか。これには素人のわたしもワクワクしながら魅入ってしまったではないか。
そのオーナーの美しい所作は、まるで伝統芸を観る思いだ。
これから勉強すると言う人にもよいフィルムであるはず。
わたしはこの店は残念ながら名前を聞いたことがあるという程度である。

A Film About Coffee005

ドリップ技術というのも、なるほどねと思いながら感心しながら見ていたが、焙煎という過程も感慨深い。
風味や香りをまず決定付ける肝心な工程である。焼き加減と温度の与え方次第で随分変わってしまうものだという。
ピーナツバターやチョコレートや日本茶だって焙煎の過程を潜る。きっとそれによる旨さの違いがあるはずだ。
この辺にもスポットが当てられ、確かに家で焙煎からやっているかつての職場の拘りの友人もいたなと思い起こす。
つまり映画に出ていた有名バリスタの言うように、豆の生産・摘み~焙煎~ドリップのこの三工程が極めて高い水準で行われることが旨いコーヒーを生む結果となる、のだ。

A Film About Coffee002

まあ元々わたしは、家ではすでに挽かれたコーヒーをドリップメイカーで淹れてブラックで飲み、昼頃に喉が渇いたら自販機で缶コーヒーを飲んでるくらいのもの。コーヒーに拘りなど全くなく、特に好きでも何でもない。どちらかというと日本茶~緑茶の方に興味はある。
とは言え、こういったドキュメンタリーを見てしまうと、もう少し意識的にコーヒー(に限らず飲み物)に関わってもよいかと思うところだ。

ニューヨーク~サンフランシスコ~ポートランド~シアトル~東京など各地でスペシャリティコーヒーがどんどん高みへと磨かれてゆくのを見て凄いものだと感心しながらも、、、まるで求道者みたいだ、、、その一杯を口にすると、、、
「一度、特別なコーヒーを味わったら元へは戻れない。」
それは、その通りだと思う。
そういうものだからこそ、一度は飲みたくても二の足を踏む。
普通の市販のコーヒーが飲めなくなるのは、これまた面倒なことだ。スペシャリティコーヒーは値段もうんと高いし。
ちょっと旅先のホテルなどで朝飲むコーヒーがもう不味くて飲めなくなると言うのも厄介な噺である。

A Film About Coffee003

だがしかし、鎌倉とかで上等な蕎麦を食べても、何処かの高原など旅先の立ち食い蕎麦屋で山菜蕎麦を食べるのも、これはこれで美味しいものだ。
これから先、上質なコーヒーを飲む機会があるかも知れぬが、それでも街中の自販機で買った缶コーヒーを手を腰に当てて立ち飲みすることは変わらずあるだろう。

旨いコーヒーとやら、やはり飲んでみたいものだ。
(誰が飲んでも旨いのかどうかが、実は心配でもある。だから一度は試してみないと)。









トロールズ

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Trolls
2016年

アメリカ

マイク・ミッチェル監督
ジョナサン・エイベル、グレン・バーガー脚本

ドリームワークスアニメーション作品

         声)
ポピー、、、アナ・ケンドリック(清水理沙)
ブランチ、、、ジャスティン・ティンバーレイク(KENN)
ブリジッド、、、ズーイー・デシャネル(まつだ志緒理)
グリスル、、、クリストファー・ミンツ=プラッセ(西谷修一)
クリーク、、、ラッセル・ブランド(古川慎)
ビギー、、、ジェームズ・コーデン(かぬか光明)
DJスキ、、、グウェン・ステファニー(藤田昌代)


全編"Can't Stop the Feeling!"のような曲で溢れている(静かなバラードもあるが)。
毎日をホリデイのように楽しんでいるトロールたちと楽しみを知らない憂鬱なベルゲンたちとの物語。
この色のドギツイ(カラフルか?)可愛くないキャラクターデザインは、やはりアメリカ的だなあ、と思う。
ブサ・シュールとでも名付けたいデザインキャラだ。
最初はどうも違和感を覚えるが、観てゆくうちにいつの間にか馴染んでいる。
(日本のアニメキャラが可愛すぎるのかも知れない。逆に見ればありきたりか?)
ストーリーはとても単純な作りで流れも展開も見えてはいるがミュージカル仕立てで楽しく盛り上げてゆく。
適度にスリリングで特異なアクションもアイデアが効いていて、動きだけ見ていても面白い。
ドリームワークスによるCGアニメーション作品であり、毛のふさふさ感の表現など流石である。
途中で流れた”The Sound of Silence”には、ちょっとびっくりしたが嬉しかった(笑。

Trolls002.jpg

トロールたちはいつも唄い踊りハグを交わしハッピーな毎日を送っているが、ベルゲンはいつも憂鬱で暗い生活を送っている。
だが、彼らもハッピーになりたいと思い願っているのだった。
それでベルゲンたちは、トロールを食べればハッピーになれると信じ、大々的にそのための祭りを開くようになっていた。
(つまり魔法的な作用でハッピーになれるというより単なる暗示のレベルであろう。これでいちいち食べられてはかなわない)。

逃げるトロールとそれを捕食しようとするベルゲンという構図がずっと出来ていたのだが、、、。
トロールのポピーが姫となったところで、単にベルゲンを恐ろしい敵として対立するのではなく、同じようにハッピーになりたい相手として、ハッピーとは何か、それはどうしたらなれるのかを彼らに伝授しようと接することになる。
とても異なる種族だが同じ願いを持つ仲間として繋がってゆこうとするのだった。
ポピー姫はなかなか凄い政治家だ。

いつものように唄って踊って花火を上げて騒いでいると、トロールを探していたベルゲンの料理長に見つかってしまう。
そして何人ものトロールが捕まってしまうのだった。
若い姫のポピーが食べられる前に彼らを取り返しにベルゲンの拠点へと乗り込んで行く。
そこでまず関わってゆくのが、若い王に思いを寄せる雑用係である虐げられた少女ブリジットだ。
(設定的にはシンデレラみたいだ)。
ポピーたちは、彼女の願いを叶えるから、捕まったトロールを助けるのを手伝ってと迫る。

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この虐げられた少女ブリジットがポピーたちの協力を得てホントに王と楽しい時間を過ごすことが出来た。
その時にブリジットと王のこころを高揚させたものが、ハッピーそのものであることに気づく。
(ベルゲンで初めてハッピーの本質に気付いたのが、虐げられた雑用係と能天気な若き王であった)。
なんだ、トロールを食べなくてもハッピーになれるではないか、、、戦争に持ち込まなくても打開策があったではないか、、、とか。
薬を使わなくても大丈夫ではないか、、、みたいな、とても健康的な解決である。
ブランチがちょっとひねくれたカッコよい役で重要な盛り上げ役であるが、これもこうした物語では欠かせぬキャラである。
(ポピーは、彼をネグラ扱いしてちょっと頼り過ぎでおり調子が良すぎるが)。

ポピーたちトロールとベルゲンたちは、共に手を取り音楽に乗って、唄い踊ってみんなが胸の内に眠っているハッピーの感覚を覚醒させてゆく、、、。音楽が畳みかけ、鳴り渡り、、、。
大団円へと向かう(笑。
最後までトロールを料理して自分の地位を固めようとしていたベルゲンの料理長とトロールの仲間を自分の身を守るために売った裏切りトロールの2人は、大きな食虫植物みたいなのにぱっくり喰われておしまい。
余りに王道で笑ってしまうが、結構こちらも共鳴して楽しんでいた。

Trolls004.jpg

いかにもアメリカのCGアニメ映画という感じ。
一度観てみても良い映画かも。
凄い質感~テクスチュアをCGアニメーションは手に入れた。
これからもこの領域は精彩を放ってゆくと思う。
(こういった子供向けだけでなく、どのようなストーリー、世界観にも対応出来るはず)。
ただ、使いこなしは、難しいだろうな。センスだけの問題ではないし、、、。







これはBlu-rayで観るのが良いと思われる。







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