プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
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広島・長崎の特集番組を見て

kinoko001.jpg

NHKで放送された広島・長崎の特集番組を見て思うこと。
結局、自分のその体験とは何であるのか?
それを各自が自分の場所で徹底して問い詰めること。
それが語られていた。

全くその通りだと思う。
わたしも自分の場所~身体の縁から一歩たりとも離れず、いまこの体験は一体何を意味するのかを考えつづけなければならない。
それ以外は一切考えたり語る必然性~意味がない。
これが倫理だ。

体験が常に学びであること。
そうでなければ、生きる意味などありはしない。
だから彼女らは語り継ぐのではなく、語り合う方法を選択した。
あの長崎の女子高生の方向性は正しいと思う。

わたしは風景画を描くことにした。
この場と社会~自然に連動するに都合がよい。
虚構を簡単に立ち上げるのではなく。
そこに籠められたコードを読み取るならば、定義はし易い。

静かに語り合うための、、、。



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ひろしま

hiroshima001.jpg

1953年
関川秀雄 監督
長田新 原作
八木保太郎 脚本

伊福部昭 音楽

山田五十鈴、、、大庭みね
岡田英次、、、北川先生
加藤嘉、、、遠藤秀雄
月丘夢路、、、米原先生
薄田研二、、、仁科芳雄博士
町田いさ子、、、大庭みち子
月田昌也、、、遠藤幸夫


広島県教職員組合と広島市民により作られた空前絶後の作品。
被爆者をはじめ市民が総勢8万8千人出演している。それは迫力というより異様な生々しさを覚えた。
極めて精確に事実をおさえようとした記録映画かと思っていたが、映画として実によく出来た作品であることに驚く。
単に核戦争の悲惨さを訴えるというに留まらず、民間人の救助より人心の統制を優先する政府や被曝による病に怯えケロイドを隠して細々と暮らさなければならない被爆者たちの境遇や差別の状況、朝鮮戦争に向けて軍事産業が早くもはじまるなどの光景もしっかり描かれる。そのなかで、エノラ・ゲイの「パールハーバーの敵討ちだ」という発言やドイツの学者の「有色人種だからモルモットにされたのだ」といったものなども漏れなく組まれている。
それでも登場する人々の気高さが基調となる画面は美しい。
推薦者のひとりオリバー・ストーン監督の謂うように、「詩的な(美しい)映画」であった。
被爆者自身が自らの体験を演じる鬼気迫るリアリティが余りに圧倒的で、崇高な美しささえ感じられるのだ。
伊福部昭の音楽が支える部分も大きい。
著名な俳優たちの演じるエピソードが大変説得力ある流れを作っていた。
この作品に近い強度のものを敢えて挙げれば「ゴジラ」と「この世界の片隅に」か。

広島にある高校の北川のクラスでは被爆により病や差別や貧困等で苦しめられている生徒がかなりいる。
生徒の大庭みち子は授業中に体調が悪くなり鼻血を出して倒れた。
その後彼女は白血病と診断される。この症状で多くの被爆者が亡くなって逝った。
すでに原爆投下から8年過ぎていたが、その被害状況(原爆による病)に対して余りに無知であったことを北川は恥じる。
実際、驚くべきことだが、最大の被害者である広島県民にすら、原爆投下による被害状況の実態・規模や原爆病に関する正確な情報がほとんど行き渡らないでいたのだ。
GHQが敷いたプレスコードの影響もあるが、すでに1953年はそれが解かれている。
しかし政府がそれを自ら引き継ぎ様々な自主規制と共に対米感情を配慮し正確な被害を伝えていなかったことが大きい。この映画の上映も反米的な要素があることで大手配給会社の忖度(今や流行語)により3か所のカットを迫られたと謂う。結局、自主上映にとどまることになり、70年日の目を見ぬこととなる。この姿勢は今も政府~体制側は不変である。
日本は、まだまだ自立していなかった(今も怪しい)。
遠藤幸夫は、北川のクラスの生徒であったが、学校を辞めてしまう。

戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分にピカドンが来た。
丁度広島の高校生は疎開作業の最中であったようだ。
その閃光と爆風の凄まじさ。
吹き飛ばされて気づくと、周囲は一変し何処も瓦礫の山で、すでに死んでいる者、何とか火傷を負いながら起き上がるが足元の覚束ない者、子供や伴侶の名を叫び血眼で探し回る者、、、水を求める者はそのまま水の中へと絶命して逝く、、、。
遠藤幸夫の父秀雄は、家の下敷きになった妻を必死に助けようとするが火災に阻まれ見殺しにしてしまう。
その別れの際、妻から子供を頼むと強く念を押される。このような立場の人間もさぞ多かったはず(他の映画でもこのパタンがあった)。
漸く探し求めていた息子一郎を発見するが時既に遅し。彼はすでに亡くなっていた。父はおんぶするのも久しぶりだなと呟き死骸を背負ってゆく。

ポツダム宣言受諾する日本。
原爆病でもう生気のない人たちも怒りに身を震わせる。
(ここは「この世界の片隅に」も同様だ)。
75年間は広島には草木は生えない荒れ地となることをアメリカの学者は説いた。
病院の庭に植えた大根の芽が出た時の患者たちの歓喜の表情。
希望にすがるこの流れはよく分かる。
しかし遠藤秀雄は原爆病の発症で既に病院で末期を迎えていた。
そこに疎開していた息子の幸夫と洋子が、遠藤家の防空壕で出逢った夫人に連れられやってくる。
だが、幼い妹はこの人はお父さんじゃないと父のその姿を認めず何処かに行ってしまう。
この時、幸夫と妹は生き別れてしまうのだ。
父の死後、幸夫は福祉施設で過ごすが、叔父に引き取られ高校に入るも、退学してキャバレーで働き、パチンコにハマる生活を続ける。被曝により足の不自由な彼女はいるが、相手は自分の体を気にして決して結婚は受け容れなかった。

大庭みち子の葬儀の日に集まった生徒と北川。幸夫が工場で働いていることを聴かされ安心する。
だが、当の幸夫は如何わしいものを大人やアメリカ兵に売りつけて生活費を稼ぐ少年ギャングたちに、もっと金になるものを教えると誘い、宮島の防空壕を掘り起こさせ、そこに眠る頭蓋骨を売りさばけと彼らをそそのかす。
早速警察に捕まり、北川も呼び出される。
そこで、幸夫は、工場を辞めたことを先生に打ち明ける。
まだ、敗戦の傷も癒えていないのに、工場では朝鮮戦争のための砲弾を作り始めていたのだ。
彼はそんなものは作りたくない為に辞めたと言う。
今度は僕たちが戦争に駆り出され、恨みもないものと殺し合いをして原爆を落とすことになるのか、と問う。
戦争で沢山の人を殺せば英雄となり、普通に殺人をすれば死刑になる不条理を彼は最近観たチャップリンの「殺人狂時代」から引いて語る。


慰霊の儀式に北川や幸夫やその他の生徒が広島ドームに向かって歩いてゆくと、そこに夥しい人々が加わり行進となって行く。
流れに加わる人々の数が増え続ける。それは学生や子供や大人たちで何万人もの歩みとなる。
その時、それに重なるように、かつて8月6日に亡くなっていった人たちがあらゆるところですっくと立ち上がりまっすぐに歩き始める。
(この演出にゾックと来る)。
終始、伊福部昭の音楽が寄り添っていた。
この音楽はやはり同じテーマの「ゴジラ」に引き継がれることとなる。


岡田英次の主演する『二十四時間の情事』(ヒロシマモナムール)で劇中にこの映画を垣間見ることが出来る。
デジタルリマスターでかなり鮮明に蘇生されていた。
国宝級のフィルムであろう。



華麗なるヒコーキ野郎

The Great Waldo Pepper001

The Great Waldo Pepper
1975年
アメリカ

ジョージ・ロイ・ヒル監督・原案・製作
ウィリアム・ゴールドマン脚本

ロバート・レッドフォード  、、、ウォルド・ペッパー
ボー・スヴェンソン 、、、アクセル・オルソン
スーザン・サランドン 、、、メアリー・ベス
ジェフリー・ルイス 、、、ニュート
マーゴット・キダー 、、、モード
ボー・ブルンディン 、、、エルンスト・ケスラー
エドワード・ハーマン 、、、エズラ・スタイルズ
フィリップ・ブランズ 、、、ディルホーファー

BSで観たが、途中で一回しっかり寝てしまう。恐らく飛行する複葉機を見ているうちに気持ちよくなったのだ。
明日に向って撃て!」のジョージ・ロイ・ヒル監督の作品。
わたしとしては「スローターハウス5」の方が感慨深いが。

空を飛ぶことの快感が描かれる。
空にいるときだけ生を感じる~空に憑りつかれた男たちの生き様であり死に様である。
飛ぶことにかけては、相当の自信を持つウォルド・ペッパーが思うがままに広い空を大暴れする映画だ。
”Waldo Pepper”実在した人ではないらしいが、これに近いモデルはきっといたことだろう。

複葉機が圧倒的にロマンチックである。
「紅の豚」でも複葉の水上機が華麗に飛び回っていたのが印象に残るが、まだ見ていない「フライボーイズ」でも複葉機がたっぷり見られるらしい。だがこちらは戦時中のドッグファイトだと言う。
この映画は、戦時に優秀なパイロットとして活躍した英雄が、戦後は見世物の曲芸飛行で何とか食っている彼らにしてみれば不本意な状況が描かれる。
とは言え、いつも死とは隣り合わせの仕事である。ちょっとしたミスや故障は命とりとなる。

かつての英雄が、やりたくもないつまらぬ曲乗りを興行師に強いられていた。
飛行中に操縦席を離れ翼に乗り移りそこで愛嬌を振りまくとか、馬鹿げたことを要求される。
それを見に来る観客がどんどん要求をエスカレートさせてゆく悪循環が生じていた。
それに応えられず、墜落したパイロットを救いに駆け付けた主人公のウォルド・ペッパーが、野次馬たちに手助けを頼むが、連中は好奇心で傍観するだけで全く手を貸す素振りもない。更にそこにわざわざたばこを持ってきてそれが飛行機に引火し、助かったかも知れぬウォルドのかけがえのない友人が焼死してしまう。
ここでは流石に怒った彼が低空飛行で「この人殺し!」と叫び野次馬たちを蹴散らしてゆく。

かなり酷い有様である。
空に賭けた男たちならまだしも、女性が出ると客も増えるということから、主人公の親友の彼女であるメアリー・ベスも駆り出される。
親友のアクセル・オルソンが操縦する飛行機にめかして乗り込み、上空で翼に乗り移ったところまでは良かったが、彼女はそこで固まってしまい全く身動き出来ない。そのままのバランスでは着陸もかなわない。
そこでウォルドが別の飛行機からその飛行機の翼に飛び移り、彼女を座席に連れ戻そうとするが、彼に向けて手を伸ばした瞬間に、彼女は消えるように落下してしまう。
金のためには手段を選ばない興行主とどこまでも離れ業を要求し飛行士の死など何とも思わない(というより死を寧ろ望む)ような観客たちとの間で、身近な友人の犠牲が続く。

こういった事故から、政府機関の取り締まりが強化される。
空を飛ぶのに免許(試験)が必要になり、空に道が整然と敷かれてしまう。
もう自由に空は飛べないのだ。
空は自由な空間ではなくなった。
勿論、見世物の危険な曲乗りなど禁止される。

その機関の長には戦時中の彼の上官ニュートが納まっていた。
空の安全を管理する役に就いていたのだ。ウォルドにしてみれば180度の転身に見えた。
ウォルドはもう正式には操縦桿は握れなくなる。
それでも空を諦める気など毛頭ない彼は偽名を使い、ハリウッドの飛行機スタントの職にありつく。
自他ともに認める飛行の天才であるウォルドであるが、彼が一目も二目も置く、撃墜王エルンスト・ケスラーも何と飛行スタントと技術アドバイザーとしてそれに参加していたのだ。
世界一の男と認めているエルンスト・ケスラーに出逢えて感激するウォルド。
ここで本名を明かし、彼は敬愛するケスラーと戦時中の修羅場などの話を交わす。
そして二人して史実は撮影の都合上変えてはいるが、語り継がれている有名な空中戦の再現をするために飛び立つ。
ずっと戦時中、戦うことを夢見てきた空の英雄と映画とは言え、空で一戦交えることが出来、ウォルドは文字通り舞い上がる気分であった。
このシーンは迫力と尺から言っても、この映画の最大の見せ場である。
超音速のジェット戦闘機と違い、人の熟練した技術でここまでアクロバティックに操縦できるということが、しっかりと寄り添うように見届けることが出来る。これがプロペラ機の風情であろう。しかも複葉機である。何というか騎士道を見る気分にも近い。
そういった意味でもスリルと緊迫感が半端ではなく、よくここまでCGもないところで撮ったものだと感心する。
空中で何度もすれすれにぶつかり合い、もうこれ以上戦うことが出来ないところで、両雄はまじかで敬礼し合い、念願が叶い満足しきった表情でウォルドは大きく旋回し遥か遠くへと飛び去り、消えてゆく。
まるでサン=テグジュペリみたいに、、、。


ロマンだ。



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しゃぼん玉

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2016年
東伸児 監督・脚本
乃南アサ「しゃぼん玉」原作

秦基博「アイ」主題歌

林遣都、、、伊豆見翔人
市原悦子、、、スマ
藤井美菜、、、美知
綿引勝彦、、、シゲ爺
相島一之、、、スマの息子


市原悦子の最後の出演映画。
バッテリー」でデビューした林遣都主演。
二人の繊細な演技が堪能できた。
そこに綿引勝彦の懐の深い演技が加わる。
過剰なことばのない、演技と自然の光景で魅せる映画であった。

宮崎県の北西部の椎葉村が舞台。
山の中腹域の緩斜面に集落の広がる息を呑む光景だ。
その村のスマという老婆を行きがかり上助けたことで彼女の家で世話になることになる伊豆見翔人。
彼は都会でひったくりや傷害を重ねてシャボン玉のように辛うじて生きてきた。
親の機能しない家に育ち極めて歪な自我を抱え彷徨ってきたオオカミ少年である。
椎葉村には、バックをひったくる際にナイフで女性を刺してしまい逃亡の果てに辿り着いたのだ。

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それまでのささくれた修羅の生活から一転して、スマや近所の老人たちに孫(スマの孫だと思われている)のように可愛がられ寝食に不自由ない生活~スローライフが始まる。
およそ緊張感のない生活に日夜ほとんどゴロゴロとして暮らす。
いつも集まってくるおばあさんたちの素朴な郷土料理が体に優しく美味しそうである。
「うめえ、うめえ」と彼は腹いっぱいよく食べる。どれだけそれを身体が欲してきたか、がよく分かる。
翔人が庭の腰掛に寝ころび「いい天気だ」と遠くの空と山を臨み、大きなおにぎりを頬張る姿は羨ましい。

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それでも暫くのうちは、隙を見て金を盗んでトンずらするつもりでいたが、次第にこの村の人々と自然の環境に癒されて馴染んで行く。
スマの変わらぬ翔人への信頼と労りが彼に安心できる居場所を与えたことと、シゲ爺による父親代わりの山仕事~労働を通した薫陶が図られ、彼は逃げずに物事に立ち向かう力を徐々に身に着けてゆく。
「坊はいい子だ」これまで一度も親からかけてもらえなかった言葉を毎日聴きながら、いつも持たされる大きなおにぎりがしっかりと彼という身体の糧になってゆくのが分かる。
やはり良きことばと食こそが、生活~家の基本なのだ。
今、如何にこのシンプルな形体が危ういものとなっているか。
(身につまされる)。

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そして衝撃的な事件が二つ続く。
美知という都心から故郷の村に心の傷を抱えて戻って来た娘と翔人は平家祭りの準備に携わる。
彼は何時しか美しい彼女に恋心を抱くようになる。
だが彼女が受けた心の傷が、通り魔に切り付けられバックを強奪された体験によるものと知らされ、彼は自分の犯した罪にはっきりと向き合い、嘔吐する。
まさにそれは嘔吐するしかない圧倒的な強度をもつ現実であった。
そして、夜中に食べ物を探りに冷蔵庫を物色していたらスマの隠していた札束を見つけてしまう。
スマに気づかれ詰め寄られ、申し開きをする翔人。
その時丁度、昔家を出て行った息子が金の無心に帰ってきてスマに暴力を働く。
スマを庇い、放蕩息子それはまさに自分の父親のような男と揉み合いとなり、首を絞められたときにかつての自分の顔がその男に重なる。
翔人は叫ぶ「お前なんか死んじまえ!」自分の姿を初めて対象化した瞬間であった。
異変に気付き入って来たシゲ爺の姿を見て、すごすごと息子は帰ってゆく。
スマが翔人に無償の愛を注ぐ理由もここに浮き彫りとなる。
彼女は息子をこのような形で愛せなかったのだ。(翔人の父親~母親もきっとそうした過程で育った結果なのだ)。もう決して取り戻せない。彼女にとってそれは断腸の思いであったことだろう。
せめてもの償いの気持ちが翔人に注がれていたことは間違いない。


翔人は独りで立ち向かうことが出来る気がした。帰る場所さえあれば、、、。
「どうか長生きしてくれ。ここにまた戻ってきたいんだ」と言い彼は自分の犯した罪をスマに告白する。
彼女は驚くが、務めを果たしてきなさい。坊はいい子だ。わたしはずっと待っていると返す。
父同様のシゲ爺に頼み、彼の軽トラで警察に向かう。最後に手渡された大きなおにぎりを一つ食べ終わって翔人は自首する。


3年後、出所した彼はスマの家に向かう。
家の窓には明かりが煌々と灯っていた、、、。


椎葉村の自然と林遣都と市原悦子さらに綿引勝彦の演技がとても美しい映画であった。




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O君とS君ファミリー集まる

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今日は家でO君とS君ファミリーを招き、食事会を開いた。
楽しかった。
だが、名残惜しい。
もう少し時間があったらな、と思う。
小2の作文ではないが、今日はみんなよく食べよく喋り、よいピアノを聴いてよい時を過ごした。


ちょっとしたO君のシークレットライブであったが、もう少し聴きたかった。
曲は即興モノと譜面モノであったが、3曲というのは惜しい。
(弾く人が弾くとこれほど音の響きが違うものか、、、ピアノの奥の深さを想う)。
それはフランス印象派的な現代音楽とでもいうか、、、。
何故か余韻のなかで、わたしは「クープランの墓」を想い起してしまった。
そんなクラシックではないのだが、質的なレベルでそう感じたのか、、、。
彼が作曲コンクールで賞に輝いた曲をお願いしたら、難しくて弾けないとのこと。
確かに自分の作ったスコアが難しすぎて弾けない作曲家の話しは結構耳にはしていたが。
それにしても、近いうちに曲そのものは聴いてみたいものだ。

娘たちが、発表会で演奏した曲を弾いてみせたが、発表後一度も演奏しないで堕落した日々を過ごしていたためか、ミスタッチもあり今一つの演奏に終わった。
しかし、O君との音色の違いには驚く。
うちのピアノはこんなに良い音がするのか、と見直してしまったほどだ。
これは、定期的に開きたい。
とても得した気分だ。
お土産の大きな猫の縫い包み(ひげまんじゅう)にはふたりともとても嬉しがっていた(抱っこして寝るそうだ)。


S君は、最新作を絵ハガキにして持って来てくれた。
S君の仕事」シリーズをちょっとばかし再会したい。
ちょっとばかしというのは、思ったより(その後の)近作が少ないのだ。
どうしてかと尋ねると、何とジオラマそのものを制作しているのだそうだ。
「ジオラマってねえ、写真に撮りにくいのよ」ってホントにジオラマに行っちゃったの?
確かに彼の絵は「平面ジオラマ」とも謂える世界であったから、3D化したところで驚くことではない(寧ろ普通の形になったようなものだ)が、これはもう展覧会でもひらくしかあるまい。
わたしとしては、2D世界に堪えて欲しかった。その方が抽象性も高いし香しい。
周囲では彼の展覧会をそろそろ開くべきだという声も多い。
わたしもS君のコレクションの数々も含めた「S君記念館」を作ることを提案しておいた。
(彼は最近、ジャズ・クラック以外のコンテンポラリーな曲を聴き始めているそうで、それを集めたCDを貰った。そのうち感想もここに書きたい)。

彼の奥様も見え、わたしのコアともなる書庫を見学されてその屋根裏までしげしげと観察された。
「これをご覧になれば、何故S君とわたしがお友達かお分かりになるはずです」とだけ伝えておいたが。
(非常に複雑な面持ちであった)。
お嬢さんにはかつてうちの娘が遊んでもらっており、今日をふたりとも楽しみにしていたので、後半になってパソコンで自分たちの趣味の「東方」や「ゆっくり」を見てもらい嬉しかったようだ。
うちでは、また見ているのか、早く勉強しなさいくらいしか声をかけられないので、すこしでも共有してもらった感は貴重なものだ。
今日は以前より遊んでもらう時間が少なく、もっとゆっくりしていってほしかったようだ。
(わたしは例の「ゆっくり」は、どうにも生理手的にダメだ。「東方」は良い曲があり一緒に聴いたりはしている)。


今日は妻のサムゲタン中心の韓国料理のフルコースであったが、とても旨かった。
ヤクルト入りのマッコリと八麦茶にスイカ・桃入りフルーツポンチも良かった。
出来れば定期的にやりたい。
O君のピアノはもっと聴きたい。S君の2Dの所謂、絵をもっと見たい。

残念なのは、ドライバーがアルコールを呑めないことだ。
3人ノンアルコールビールで我慢は正直辛かった。
バス電車で集合してもらうのは、何とも面倒なことでもあるが、最寄り駅までの車の送迎は、勿論アリ(爆。


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健康ブーム~腸に聴く

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我が家に健康ブームが到来。
食においてである。
確かに口に入る物は身体に対する影響は大きい。
いや、絶大か。

客観視すれば、悪癖の悪循環みたいな食生活に陥ってしまったりすることに気づくこともある。
わたしもかつてお菓子や栄養剤とかで適当に過ごしていた時期もあった。

食生活(食事・料理)は完全に文化であり、食欲やその嗜好も文化~コードである。
いや習慣とか癖と言った方がよいか。
本当にからだが欲するとかいうこととは別に、それは存在する。
というより、からだ自身=個体の欲望をそれは隠蔽する。

具体的にあげるまでもなく、もっとこうした方がよいはず、という食生活はある。
「わかっちゃいるけど、やめられない」的になし崩し状態になっている場合も少なくない。
内臓、特に腸が欲していなくても、癖によってついついそれを食してしまう、こともかなりある。
腸が嫌がってはいないか?腸の気持ちを受け取ること、、、。
そんなことに、気づかされる我が家の健康ブームではある。

おせっかいで煩く、如何わしいところもあるが、からだに関心を向け注意を払うことは、やはりしなければ、、、とおもう。
自然に対し感覚を開放する感じにそれは近い。




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映画 中二病でも恋がしたい! Take On Me

Take On Me 001

2018年
石原立也 監督
花田十輝 脚本
虎虎 原作
虹音 音楽

福山潤、、、富樫 勇太
内田真礼 、、、小鳥遊 六花
赤崎千夏、、、丹生谷 森夏
浅倉杏美、、、五月七日 くみん
上坂すみれ、、、凸守 早苗


「小鳥遊六花・改 〜劇場版 中二病でも恋がしたい!〜」という前作があり、これはその後編に当たるようだ。
何処から見てもよいだろう。TVアニメも見ていない。いつものことだ。
かなりの熱量のアニメである。
ともかく、逃げる。
所謂、アドレッセンスか。
逃げるということは、引き伸ばすことを意味する。
「中二病」というのが何かよく分からないが、思春期に起きる内面化の一パタンと考えれば少なからず誰にもある時期ではないか。
わたしは、この病を時期と捉える。
パワーに溢れた時期でもある。
まさに「夢見るアドレッセンス」であろう。

Take On Me 002

この引き伸ばし時期が、内面~文化を熟成する。
人間がそもそも動物界からの成熟(大人になる事)の遅延によって文化を生み落としてきた。
いや動物界(自然)の流れから遅延することで人間化したと言えるか。
観念の動物となった。そして純粋に疎外された。
初めて内面を持ちそれは、遅延を繰り返し深く稠密に拡張して行く。
幻想が指数関数的に爆烈する。
如何なる動物とも異なる身体性を帯びて煌めき。
それはマルチバースに浸透する。

われわれの中学時代も、周りに全く分からない専門用語を駆使して喋り合っている共同体はいた。
特別な仲間とだけ親密な関係を結び外部に対しては壁を築き、大概家などでは部屋に籠り、家族に対しては何でも「うるせー」とかで済ましたりしていたようだ(わたしの場合は、大音響でビートルズをかけていたような)。
このアニメのようなまねを実際にやって、最後に両腕を広げて飛んで行ったクラスメイトを今でも思い浮かべることがある。
結構コアなパーティだと周囲から厄介者扱いもされていたような。
だがこれは、ディスコミュニケーションの状況でも、発達障害の症例でもないし、単なるイニシエーションで終わるモノとも思えない。
わたしもその頃は、自動車に凝りまくっており、その一点における強力なデータベースとして共同体の端っこあたりに位置していた(笑。
聞かれて分からないことなど、ひとつもなかった。絵でも詳細に説明した。その際に受ける賞賛が脆弱なアイデンティティを支えた。
きっとそうだった。ひりつくこころにとって無くてはならない場所がある。
或る偏った場所にアイデンティティを置く時期って誰にもあろう。
いや、わたしはずっと生徒会長として人々の中心に居続けた、とかいう人もいようがそれも、50っ歩、100っ歩というところである。

Take On Me 003

逃避行しながら、絶えず移動しながら、何処かに辿り着くでもなく。走り続ける。
ただここではそれを許さず、特定のレールに乗せようとする権力が発動している。
それがなくともわけの分らぬことを喋りながら日常のルーチンから逃げて来ているのだが、駆け落ちで逃げるアクティブな状況となる。
それで物語は更に面白さを増す。
逃げ続けながら恋はしっかりと実る。
孤独であるが、彼らの場合、番いである。
ワクワクしながら旅が続けられるというもの。
ただ、旅は終わるモノではない。

Take On Me 004
Take On Me 005


何故か最後に感動した。
よく分からないが、感動した。


これも間違いなく、京アニの傑作に数えられるものだろう。


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かもめ食堂

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荻上直子 監督・脚本
群ようこ 原作
主題歌 井上陽水「クレイジーラブ」
近藤達郎 音楽

小林聡美 、、、サチエ(かもめ食堂店主)
片桐はいり 、、、ミドリ(サチエを手伝う人)
もたいまさこ 、、、マサコ(自分の荷物に確信が持てない人)
ヤルッコ・ニエミ 、、、トンミ・ヒルトネン(日本アニメオタク)
タリア・マルクス 、、、リーサ(夫に逃げられ不安定な夫人)
マルック・ペルトラ 、、、マッティ(サチエの店の前のマスター)


フィンランドのヘルシンキが舞台。
そこで「かもめ食堂」をはじめたサチエとそこに集まる人々を巡る話。
(フィンランドでお洒落な日本食レストランという趣味は良いなと思う)。
おにぎりがメインメニューだと。
マイペースで、客がいなくてもしっかり毎日のルーチンを熟す。
店を閉めると決まってプールで泳ぐというのも良い習慣だ。
そうしているうちに、「ガッチャマン」の歌詞を覚えている女性ミドリが店の手伝いを始める。
(ミドリは「ムーミン」に詳しい。彼女もアニオタであろう。だからか少しトンミと気が合う)。
彼女は、店にあまりに客が来ないことを心配し新メニューなどを提案するが、、、。

おにぎりはやはり「梅、シャケ、おかか」だと思う。
「トナカイ、ニシン、ザリガニ」を具にしたらもはやおにぎりではない。
いくらフィンランドの定番食材だとしても。
そこで、彼らの定番食のひとつであるシナモンロールを出したら客が集まってきた。
正しいメニューだ。
そこへ、かつあげ定食みたいな日本メニューを入れると食いついてくる。
お箸の日本食も定着してくるだろう。
最初から、おにぎりだけを売り物にしていたら、ハードル高いはず。
客が一人も来なかったというのも極端だが。

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のんびりした風景や間はよいのだが、トンミ・ヒルトネンという日本贔屓の青年が何とも浮いている。
自然さがない。まるで変なロボットみたいなのだ。
最初に「ニャロメ」Tシャツで「ガッチャマン」の歌詞をサチエに聞いて来たところまでは、なるほどジャパニーズアニメオタクか、と思ったのだがその後が続かない。アニメオタクなら、その他にもコアな情報を収集したり、語り合いたい事があるだろうに(分らぬことはウェブ上で探せばよいことだが)。
でなければ、わざわざ日本人経営の食堂に頻繁にやって来る必然性もあるまい。
特に何かがあるでもないのに毎日のように「かもめ食堂」にコーヒー飲みに来ることが分からない。
その不自然さを想ってしまうのが、彼の存在自体の抽象性である。
日中に自転車に乗って来るのである。大学の授業はもう終わったのか。講義の合間なのか(あれ、学生ではなかったのか)。
いつも何故独りなのか。学生なら時には同じゼミの友達(またはオタク友達)と来ても良いだろう。
妙に愛想が良いが、喋らない時の演技がスイッチを切られたアンドロイドみたいなのだ。
(この人、ホントに向こうの俳優なのか?北欧の俳優は芸達者が目立つ。もしかしたら素人か)。

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わたしの好きな曲に「お弁当を食べながら」(菅野よう子&清浦夏実)がある。
食べるときに作ってくれた人のこと(優しい手のこと)を愛おしく想うという曲だ。
特定のひとに作って貰うことで、その料理が特別な意味~価値を帯びる。
われわれがお気に入りの店に行くのも、そこで(そこのマスターが)「作ってくれる」料理に惹かれてゆく。
その店のマスターの「淹れてくれる」コーヒーが旨い。それでいつも通ってしまう。
先ほどのトンミ・ヒルトネンもそうなのか。
マッティもサチエも言っている「作って貰うから美味しい」と。

確かにお気に入りのバーなどまさにそれだ。
このバーテンダーの作るカクテルだから好き、とか。
店が流行るというのは、店主とかに客が惹かれてゆくことで生まれる付加価値が大きい。
勿論、目玉メニュー(商品)が美味しいということが前提ではあっても。
何というかブランディングは、その商品とその製作者~売り手とこみであるように思う。

このサチエもシナモンロールと美味しいコーヒーから客を引き寄せ、人柄からも信頼を高めて「かもめ食堂」がフィンランド人で満席になる店になって行く。
プールで皆に拍手される演出は面白い。

ここでは、もたいさんが周囲から浮かない役で、ピッタリと要所を締めるちょっと不思議だが充分親和性のあるパーソナリティでとても好感がもてた。
(このひとは、癖の強すぎる役が多く、妙に浮いて違和感だけ覚えることが多い)。
リーサもマッティもセリフを必要最小限に切り詰めて演じるなかで個性が描き出せていた。
ちょっと危なっかしい感じもあったが、淡々としたよい空気感の映画になっていた。





フィンランドはムーミンとオーロラであろう。

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博士と彼女のセオリー

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The Theory of Everything
2014年
イギリス

ジェームズ・マーシュ監督
アンソニー・マッカーテン脚本
ジェーン・ホーキング原作『Travelling to Infinity: My Life with Stephen』
ヨハン・ヨハンソン音楽


エディ・レッドメイン 、、、スティーヴン・ホーキング
フェリシティ・ジョーンズ 、、、ジェーン・ホーキング(最初の妻、文学博士)
チャーリー・コックス 、、、ジョナサン・ヘリヤー・ジョーンズ(大学の親友)
マキシン・ピーク、、、エレイン・メイソン(後妻)
チャーリー・コックス、、、ジョナサン・ジョーンズ(オルガン奏者、ジェーンの二番目の夫)
エミリー・ワトソン 、、、ベリル・ワイルド(母)
サイモン・マクバーニー 、、、フランク・ホーキング(父)
デヴィッド・シューリス 、、、デニス・シアマ(スティーヴンの師)


ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品「メッセージ」でも音楽担当していたヨハン・ヨハンソンが48歳の若さで亡くなった。
アイスランドにおいては、ビョークとこのひと。
氷河から聴こえてくるような、、、余りに繊細で神々しい反復の調べ、、、その響き。
暫くは彼のレコードを聴き続ける日々になりそう。


「やりたい事がある限り、希望は無くならない」
スティーヴン・ホーキングはそう語る。

スティーヴンとジェーンはケンブリッジ大学のパーティで出逢い、お互いに惹かれ合う。
スティーヴンは宇宙創成は創造主なしで説明可能であることから無神論であり、ジェーンは教会に行かないと調子が悪くなるキリスト教信者である。信仰に関する信条は生涯、変わるものではない。

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「ブラックホールの特異点定理」を発表後、彼はALSを発症。
余命2年を宣告され、一度は失意のうちに彼女を遠ざけるが、、、
ジェーン・ワイルドはそれを知って、敢えて彼との結婚を決意する。
「ホーキング放射」(量子重力論から生まれた)を発表。ブラック・ホールは真っ黒という訳ではない、、、。素粒子を放出しエネルギーを失い蒸発する。
ワーグナーのコンサートで肺炎から救急気管切開により意識不明となり、生命維持装置を外すか医者に問われるが、奥さんが冗談じゃない!
彼は再び彼女によって生を得る。

しかし喉の切開手術により声を失い、頭脳が考えたことを外に知らしめる唯一の機能~手段が消える。
「スペリングボード」を元にコミュニケーションを図ることにした奥さんの深い決断は、更に彼が研究を深め人類に恩恵をもたらすことに繋がる。
その後、重度障害者用意思伝達装置を使い(スピーチではコンピュータの合成言語)、精力的に講演活動を行う。
ベストセラー「ホーキング宇宙を語る」出版。彼は軽妙なサイエンス・ライター的な手腕も発揮する。
結局ALS発症後、彼は50年以上も生きて宇宙物理最前線の研究に携わった。


わたしがこの映画で強く感じたことは、、、”Time”への異様な拘り。
それは純粋に物理学的な興味からくるテーマではあろうが、余命2年を若くして宣告されたことによるところは大きいはず。
そして女性に恵まれたこと。
ジェーン・ワイルドとの出逢いがどれ程大きなものであったか、、、そして看護師エレイン・メイソンである。
それから、スティーブン自身、軽みがあってとてもユーモアの感覚に優れていたこと。
これはもしかしたら、何においても肝心なことかも知れない。
アインシュタインもそういう人であった(もしそうした感覚に乏しかったら彼はナチスによって命を落としていたかも)。

何にしてもジェーンがいなければ、スティーブは本当に2年後には亡くなっていたかも知れない。
それを考えると、この運命の出逢いの大きさは計り知れない。
やがて二人は離婚し、スティーブはエレインと再婚し、ジェーンはオルガン奏者(子供のピアノの先生)で二人の手助けとスティーブの介護を熱心にしてくれたジョナサンと再婚する。このスティーブ~ジェーン~ジョナサンの3人の関係も最初から個(我欲)を超えたものであった。離婚後もジェーンとスティーブは親友関係が維持される。

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ジェーンはスティーヴンがALS発症し余命2年を宣告されても、断固結婚の意思を変えなかった。
(いや敢えて、結婚を決めた)。
肺炎から意識不明となり安楽死を医者から勧められても、スティーヴンがどうなっても絶対に生かすことを選択した。
それは、彼の体が耐えられないかも知れない、不可避に声を失う大変な手術を前提とした。
そして、唯一完全な状態で残った頭脳~思考の発する情報をアウトプットする為に手を尽くす。
彼の潜在する能力を出来る限り発現させる手助けは何でもやる覚悟だ。
(この際に看護師エレインの果たした役割も絶大)。
それはスティーブ自身を救うと同時に、人類に恩恵を齎すことでもあった。
「ホントに長く生きたわね」とスティーブンに語るジェーンの言葉は無限に重い。

”Look what we made”
エリザベス女王に招かれ宮廷の庭で無邪気に遊ぶ自分たちの3人の子供の姿を眺め、元妻のジェーンにそう語るスティーブン。
この締めで、この映画の格が上がった。

そうなのだ。
確かに。
「無限への旅:スティーブンと過ごした私の人生」そのものであった。


彼は最晩年、スターショット計画に参画している。
アルファ・ケンタウリにたくさんの探査機を飛ばす計画である。
もうすぐ始まる。



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氷菓 実写

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安里麻里 監督・脚本

山﨑賢人、、、折木奉太郎(古典部、推理の達人)
広瀬アリス、、、千反田える(「豪農」千反田家のひとり娘、古典部部長)
小島藤子、、、井原摩耶花(漫画研究会、図書委員、古典部)
岡山天音、、、福部里志(奉太郎の親友、古典部、総務委員会)
本郷奏多、、、関谷純(千反田えるの叔父、古典部初代部長)
斉藤由貴、、、糸魚川養子(神山高校教師、司書)



アニメにかなり忠実に丁寧に撮られていたと思う。
インド(ベナレス)からの姉の手紙から始まるところがとてもよい。「ここで死ねば輪廻から外れられるの、、、」魅惑的である。

やはり思った通り、第5話までの古典部編をしっかり描くというものであった。
45年前ではなく、33年前の関谷純を巡る出来事になっている。一回り若くしてあまり大きな時代(世代)観の差を出さないようにしたのか、と思ったが噺の上ではそうでもない。ただし、当時と現在の建物、街の光景等の差はもっと明瞭に出しておいてよかったと思う。それこそCGで足りると思うが。
「氷菓」文集が壁新聞部ではなく現在の部室のテーブルの下から見つかる。
この方が噺をタイトにできる。壁新聞部を出しても引き取るところがないため余計なエピソードになる。
これはとてもよい変更であるが、関谷純が当時、古典部後輩の郡山(糸魚川)養子を火事から救い出す英雄的行為を取っていたことになっている。これは人格の変更とは思えぬが、、、あまり明瞭に肉付けされていない関谷純の人物像を一歩踏み込んで描いている。
この点は、騒動に対し冷静な立場に距離を置こうとしていた関谷を英雄に祭り上げやすくする変更であろう。
こちらの方が生徒への好感度と名前の浸透も含め指導者に担ぎ出すには無理はない。
彼女は校舎の傍にいて発火による爆風で右耳を痛めそちら側が聴こえない伏線ははられていた。
しかしどうなんだろう、些か陳腐な芝居がかった蛇足感が拭えない。
養子の挙動がどうにも腑に落ちないのと、熱狂による暴動には徹底して距離を持っていたという方が、変な色気を出すよりリアリティがある。ここは、アニメの通りでよかったのではないか。

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山﨑賢人と広瀬アリスが高校一年生。
昔の高校生には「花筐」の吉良みたいなもう老成したような味のある生徒もいたもので、山﨑賢人の折木奉太郎なら、拘らなければ見れそうだが、広瀬アリスの千反田えるには、演技でどうにかなる以前の溝が感じられる。お嬢様というのは大丈夫でも高1のハードルである。
最近の青春もののヒットは、ヒロインに浜辺美波か小松奈々を当てればほぼ間違いない感じだが、それはここでも謂えそうだ。
千反田えるを浜辺がやれば、まさにピッタリな感じがする。「君の膵臓をたべたい」のヒロインならこちらも充分掛け持ちできるのではないか。
しかし中盤まで観てゆくと、アリス=えるもかなり馴染んで観ていられる。
演技力でそうなっていたのなら、かなりのものだ。或いは、こちらの慣れのレベルか。確かにそれも大きい。
(アニメ作品を観ていなければ、最初から気にならないかも知れない)。
そういえば、桐谷美玲もかなりの時期まで女子高生で頑張っていた。
噺の最後には自然に女子高生になっており、実に大したものである。
だが、女子高生の美少女女優などいくらでもいように、このキャストは何らかの縛りというか上からの圧力とかで決まっていたものなのか?特になければ、乃木坂から久保さんあたりを連れてきてもバッチリであろう。きりがないが、、、。

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井原摩耶花と福部里志はこういう感じでよいと思う。
摩耶花は茶髪な気がしたが、黒髪でも彼女の個性がしっかり出ていた。
このキャラには魅力を覚える。
里志のアンビバレンツな感情表現は、なかなか難しいと思えるが、まだこの話の頃にはさほど表に出ていない。
もう少し先まで観たいキャラである。
この二人は自然に観れるか。特に摩耶花は問題ない。
四人の動きもアニメほどではないが、まとまっていた。

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本郷奏多~何と良い名前なのか~の関谷純も如何にもというストイックな感じでカッコよかった。
奉太郎たちの推理による幾つかのパタンの演技の切れがよい。
それだけでもなかなか楽しめる。
但し、何故「せきやじゅん」になったのか?これには、ちょっとびっくりした。
アニメでは「せきたにじゅん」である。
原作もそうらしい。
名前をわざわざ変える必然性があるとは、思えない。
となれば、名前はとても大事な要素である。
ここは、この変更点が気になる(千反田えるではないが。最初に「せきや」と口にしたのが彼女であった)。
これは監督に聞いてみたいところだ。

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推理の場面などで、映画ならではの演出も効いていた。
テンポも良い。
無駄はない。
BGMも情景に合っていた。
かなりよい映画になっていたと思う。
「お前の叔父はベナレスにいる。輪廻から外れられるんだ。そこで今も生きている。」
終盤の奉太郎のセリフがよい。

「わたし気になります。」で何か繋がって行くような余韻を残すが、、、この続きはないな、、、。
この監督の「零 ゼロ」を観てみたい。
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浅間山噴火!

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浅間山噴火!4年ぶり。
テレビで観るとかなりの噴火・噴煙ではないか!
ちょうど鬼押出しに行く予定であったため、このタイミングにびっくり。と言うより、よりによって、、、である(絶句。
しかしポイントは警戒区域の赤い円のほんの少しだけ外にある。
娘二人はラッキーと楽天的。単に危機を感じるセンスがないだけなのだが。
しかし噴火が昨夜の10時に一回だけと言う保証はない。
相手は自然である。人の都合など関係ない。

朝食は夕食まではいかないが、とても美味しい。和洋共に充実。
ジュース類はどれも体に良さそうなので全て飲む。
昨晩からかなり食べ過ぎ状態。料理は流石に三つ星だけのことはあった。

部屋に戻り再度テレビを確認すると、噴煙が1800メートル以上、上がっていたとか。
4キロ以内は噴石の落下に注意する警戒レベルを3に引き上げたとかなんとか、今回は危ないからやめようか、、、と言う流れに、、、ちょっと気持ちが萎えて、ホテルでダラダラ過ごしてから、予定より少し遅めにチェックアウト。
のんびり歩いて駅に着き、案内所で確認するともう警戒も解かれ大丈夫とのこと。兎も角行きたいので思いっきり信用する。
しかしダラダラした報いで2分前にそのバスは出ており、駅で約1時間 足止めをくらう。
妻は南口のアウトレットモールに直行。時間は無駄にしない(帰るときに買い込むことに)。
娘二人はスマホでゲーム。
昨日の誕生会で、ゲームばかりしませんと誓ったばかりなのだが。
わたしは特に何をやるでもなく放心状態で過ごす。

バス停に15分前に行くともう大変な行列。何とかバスの1番後ろに席が取れた。
冷房空間の間を行き来して来たが、外は暑そう。
途中で浅間山が見える。頭が真っ白い雲にかたく覆われていた。
禍々しい黒煙を想像していたのだが。乗客はほとんど全て、途中の温泉に消えて行き、最後まで残った人間はわれわれと海外の一家族のみ。
確かにこの辺は外国客は多い。しかも何度も同じ家族に出くわす。
ここも広いようで狭い。

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鬼押出し園は、昨夜の浅間山の噴火の騒ぎで?人が少なく、うちの2人の娘も貸切に近い状態で奇岩の数々と不気味に広がる奇勝をたっぷりと堪能できた。
写真も珍しく撮りまくった。
表参道の惣門が、左右に二天尊像(持国天と増長天)を置き、ものものしい重みを醸していたが、浅間山自体はもう何食わぬ顔をしている。
浅間山観音堂は何とも言えない風情であった。遠くからでも目立つ朱塗りの社で無彩色に近い尖った岩の中で浮いている。
鐘楼堂で二人が鐘を鳴らしてみた。二人ともきょとんとしていた。
水盤舎に湧く地下水が飲めると言うことで、ペットボトルに汲んで飲んだ。
これが冷たくて美味しい。

次女はこの空間の広さと高山植物がゴツゴツした岩から生えている様などに、怖い怖いを連発していたが、確かにこんな荒涼とした場所に花が咲くこと自体、不自然な景観だ。
ツツジやシャクナゲの群生地があちこちにある。
だが、それと同様にひどく不自然な絵に思える遠くにポツンと建っている観覧車が怖さを一際演出していた。
空がとても広い。

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充分回ったところで、レストランでソフトクリームを食べ、下に降りかけたら、雷が鳴り出した。
広い青空に電光が走る。
また雷が轟いた。
雨がポタポタ落ち始める。
取り敢えず見終わって帰るタイミングで良かった。
奇岩にそれぞれ名前が付けられていたことを知る。サザエさんとか、、、まあ、どうでもよい。

帰りのバスに早めに乗り(終点であるメリット)雨宿りもできた。
よりによって、は良い方に働いた。

駅では台風そのもの激しい横殴りの風雨がホームを襲ったが、新幹線に乗る頃には小降りになっていた。
如何にもこの辺の天気である。われわれにとっては、気持ち良いミストであった。


ホテルはとても良かったのだが、やはり高い。
ホテルと同じ銘柄だと思われるクラフト黒ビールを駅近くの専門店で買ったのだが、ホテルで1800円。店で税別で257円であった。同じ味であったら哀しい(苦。
家に帰り早速飲んでみると、苦くて旨いビールだが、店の比ではなかった。雑味の全く感じられないあんな澄んだテイストとは歴然とした差があった。

違って、、、良かった(笑。




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娘の誕生日

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白糸の滝はとても冷たかった。
茹だるような暑さから急に解放されて、滝近辺はとても涼しく、滝は見るからに冷たそうで、滝からの水は見事に冷たかった(笑。ちょっと指を入れるとキーンとくる冷たさ、これは夏にあっては天国である。

この場をなかなか離れ難いところに弾みをつけるため、出口近くの店で冷えた桃を買う。これが700円。これを食べて旧軽へ。しかし、長女が虫に驚き、桃の切り身をいくつか落としてしまう。ここで、虫に過剰に反応すれば、美味しいものを買い損なうというインチキ・イソップ物語を説いて、バスに乗る。

旧軽をホテルチェックインまでブラブラ歩くが、急にもわっと熱い蒸気が立ち揺らぐ、ここは何と鎌倉の小町通りの並行世界であった、、、わたしは何処にいる?〜次女には受けた〜と言うくらい暑い。

濃厚ソフトと更にモカソフトを食べクールダウンして元の世界に帰還する。
ホテルはなかなか期待できる構えだ。汗だくなので部屋からそのまま温泉に直行。ゴージャスな風呂だ。
ゆったりと浸かろうとするが、あまり長く入れない。
温泉によってであろうが、3つほどを短時間でハシゴし、長く入るのがキツイので、ほぼカラスの行水で出てきた。


食事はバイキングスタイルであるが、種類も多く、とても美味かった。
ついでにクラフトビールで真っ黒なのを飲んだが、これが効いた。普段飲み慣れていないものを飲んだせいか、もう酔っ払ってしまった。

最後に部屋に頼んだバースデーケーキ。
半分眠りながら「お誕生日おめでとう」
八割がた眠りながら食べているが、これまでに食べたケーキで1番美味しかった。
フワッとソフトなチョコレートに酸味たっぷりな各種フルーツが絶妙な調和を醸している、、、もう眠い。

明日は、彼女らのはじめての鬼押出し体験である。
雨だけは降らないよう、お願いしたい。






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